Insight 2050年へのまなざし

挾土 秀平 左官

土をこね、自然と対話する中から独創的な壁を生み出す左官・挾土秀平が考える、人と自然の共生のありかたとは、2050年のまちとは──。

挾土 秀平

強いものとやわらかいものが共存するまち

今の東京は、鉄、ガラス、磨かれた石、ステンレス、プラスチックなど、表面がつるつると光って凹凸がなく、硬い素材が多く使われてできています。もちろんこれらは20世紀のまちをつくってきた素晴らしい素材です。しかしそのような硬い素材から跳ね返ってくる光は直線的で鋭く、人間が長くとどまる場所には向いていないように感じています。一方、土壁のような朽ちていくやわらかさをもったものは、光をやわらかく受け止め、やさしく跳ね返す。そのため気持ちが落ち着いたり、緩みを感じたりする空間をつくることができるのです。しかし、このような自然の素材には硬さが足りません。未来のまちは、硬く強靭な素材と自然の中にあるやわらかい素材を組み合わせて、強いものとやわらかいものがお互いを補い合うような都市であるといい。未来のまちの植生には、チューリップやバラなどの外来種ではなく、その土地に昔から根付く山野草を使用すると良いでしょう。私が暮らす飛騨高山では、季節の移ろいとともに、福寿草、カタクリ、舞鶴草などたくさんの花々が入れかわり立ちかわり咲き乱れます。このような四季の変化と植物の多様性・豊富さが、日本の個性だと思うんです。雑草など存在しません。どんな小さな草にも名前があり、ちゃんと見てやれば、美しい。私が日ごろ扱っている土も同じです。汚い土などひとつもない。地球上に汚いものなど、ひとつもないんです。そう考えると、整備された芝生や端正なコンクリートの壁よりも、不ぞろいな山野草の庭や表情のある土壁のほうが魅力的だと感じませんか。

私が2050年のまちをつくるならば

挾土秀平私が2050年のまちをつくるならば、そこにコンクリートの巨大な壁をつくり、その上に華やかなショーウインドウを並べるでしょう。壁から地面にかけての斜面には広々とした土手が広がり、そこには、山野草が咲き乱れています。そこでは、壁の上を歩きながら、都会的にウィンドウショッピングを楽しむ人たちと、土手に寝そべり自然を味わう人たちが、それぞれの時間を楽しんでいます。
私はまちをつくる過程にもこだわりたい。未来のまちづくりは建築物が建つ過程を含めて美しくなければならないと思うんです。ブルドーザーで貴重な植物も木も根こそぎ掘って地面をならし、大量のゴミをブルーシートで覆い隠しておきながら、最後に枝葉をすべて切り取られた木を植栽しただけで「緑豊かな土地」を標榜するまちづくりには、怒りを感じます。私は、自然が先にあり、建築は2番目にあるものだと考えています。なので、まず植栽を手がけ、植物が育ってきたら建築にとりかかる。花々が咲き乱れる中でできあがる美しいまちを、誰もゴミで汚したくはならないでしょう。できる過程までもが美しいまちは、真に美しいまちだと思います。

未来を見ることばかりが「1000年」を語ることではありません。土地の植物を見出して植えること、伝統の技術を現代に適用することは、現在まで続いてきた土地の歴史を1000年遡って語ることではないでしょうか。また、現存するものを大切に育てることは、それをはぐくんだ過去とこれからはぐくまれる未来の両方の1000年を語ることではないでしょうか。このような都市のあり方は、四季と文化に恵まれた東京というまちでこそ、世界に向けて発信すべきことだと思います。

美しく、豊かな時を刻むまち

時とともに進化するまちがあってもいい。現在、多くの石畳には海外から輸入された御影石が使われていますが、御影石は硬く摩耗しない素材です。日本にあるやわらかい石を、あえて多くの人が歩く場所に使用すると、そこを人が通るたびに、日々素朴にすり減っていきます。川の水が石を研ぐように、人のエネルギーで石を研ぎ、時を刻むのです。そうして、まちで、人によってはぐくまれた素材を取り出し、そこに水を流したとしたら、それはどんなに美しく豊かな光景になるでしょう。まちは一回つくったら1000年もつ、という考え方ではなく、時とともに移り行くと考えてはどうでしょうか。そう考えると、使う素材や、まちのつくり方も変わっていくと思います。

左官と「水」「土」「光」

私は「水」「土」「光」に関わるものはすべて左官であると考えています。植物を植えることや石を組むことも左官である、と。地球上のほとんどのものは、「水」「土」「光」からできています。「水」「土」「光」でつくったものは風景になり、風景は自然であり、地球です。そう考えると、左官は地球と向き合う第一人者だと言えるのではないでしょうか。
このような考え方や私が手がける土壁は、モダン、革新などと称されます。しかし、これが今後伝統となり、左官の歴史の一部になっていくとすれば、私は左官の長い歴史の中の「現代の左官」であるに過ぎない。伝統を受け継いだ職人は、工芸館に飾られていてはなりません。飾られているだけでは、伝統の「わざ」はそのまま死んでしまいます。私は左官の伝統を受け継いだ現代のランナーとして、未来の左官の歴史を切り拓くことで、過去の「わざ」を引き立て、未来へつないでいきたい。まちづくりも、新しいことで次世代の伝統をつくっていくという考えをもつと良いかもしれません。そうすれば、さまざまな変化をポジティブに受け入れて進化していける都市をつくることができるのではないでしょうか。

挾土秀平
挾土秀平(はさど・しゅうへい)
1962年岐阜県高山市生まれ。左官。職人社 秀平組代表。左官職人の2代目として生まれ、高校卒業後は熊本と名古屋で修行を積む。83年技能五輪全国大会優勝。84年同世界大会出場。01年「職人社秀平組」を設立。天然土にこだわった独創的な壁づくりで注目を集める。土や木、藁などの自然素材を使った作品や、土を原料にした化粧品によるアートメイクを手がけるなど、左官業を超えて活躍する。著書に『のたうつ者』(毎日新聞社)

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