シリーズコラム

【さんさん対談】まちのキッチンの役割とは何か

佐藤俊博氏(株式会社テーブルビート代表取締役)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)

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新丸ビルが竣工したのは2007年のこと。以来、夜の丸の内の中心地として、存在感を増してきたのが「丸の内ハウス」です。新丸ビルの7階の飲食ゾーンであり、食を楽しむ場所、夜の一時を過ごす場所として人気となっています。その中で人気のお店がオーガニック食堂の「MUS MUS(以下、ムスムス)」と、スナック「来夢来人(ライムライト)」。丸の内らしいセンスの良さとおいしさ、そして同時に丸の内らしからぬフランクさと屈託のなさ。「知り合いをみんな連れてきたくなっちゃう」と、プロデューサーの田口が言うように、コミュニティとしての魅力の溢れた場所となっているのが丸の内ハウスであり、ムスムス、来夢来人なのです。

今回のさんさん対談は、その2店舗の仕掛け人であり、丸の内ハウスの運営にも携わる佐藤俊博氏が登場します。地域のよりすぐりの農産物を紹介したり、丸の内ハウスでフェアを展開するなど、内側では「コミュニティづくり」、外側では「地域活性化」という2つの面で展開している現在とこれからについて伺います。

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生産者主導のムスムス

生産者主導のムスムス

田口 このさんさん対談は、レギュラーでは3×3Lab Futureに関わる人にお話を伺うというものなんです。どんなお仕事をされているのか、どんなルーツをお持ちなのか、そしてどんな未来を描いていらっしゃるのか。現在・過去・未来をお聞きするというものです。

しかし、今回はちょっと3×3Lab Futureからは飛び出して、『ムスムス』の佐藤さんのお話を伺おうと思ったのは、丸の内ハウス、ムスムスが、「丸の内のキッチン」としての役割を持っていると思ったから。今日は、そんな観点から、まちづくりの中で飲食店が持つ役割とは何なのかをちょっと解きほぐしたいと思うんです。

佐藤 なるほど、そういうことなんですね。

田口 早速なんですが、ムスムスのコンセプトから伺ってもよろしいですか。

佐藤 もともとは、三菱地所から「まちづくりをしたいのでご一緒しないか」とお誘いがあったのがきっかけです。当時丸の内は金融の街で、暗い印象のあるところだった。でも、商業の街に転換していく過程で「まちづくりをサポートする店」が必要だと思われたんですね。

そのようなテーマをいただいてプロデュースを始めたのが12年前。あの当時は丸の内で遊ぶ人が少なくて、せいぜいあったのは接待利用とか、その程度だった。でも僕は、まちに必要なのは「食堂」と「スナック」だと思ったんです。それらが日本全国どこにでもあるのはきっと意味があることで、まちづくりのコミュニティはそこから始まるはずだと思った。それがこの業態を始めるヒントになりました。

田口 今でこそ、まちづくり=コミュニティという考えが当たり前になっていますが、当時は相当斬新だったんじゃないですか。

佐藤 斬新というか、そういうことを考える人があまりいませんでしたね。

でも、人が集まって、はじめていろいろな文化の動きが始まるものでしょう。コミュニティの根源って運命共同体みたいなところがあって、そのためには「住んでいる」人が必要なんですが、丸の内には住んでいる人はいない。仕事と生活が分かれている。

一方で、現実的には人生のほとんどの時間をここで過ごすという人も多いじゃないですか。就職から退職まで40年、丸の内で過ごすというと相当なもので、関わっている人が多いんだから、何かできるはずだとも思いました。

住まなくてもできるコミュニティ。それは、地域の食堂であったり、公民館であったり。僕らが子供のころは、近所の人たちと共同で田植えをしたり、味噌を作ったりして、子どもたちは他の家の親父に怒られたり。そういう大きいコミュニティ、家族のあり方が、日本が持っていた本来の生活だったんじゃないかと思うんです。

食はその中心のひとつで、誰もが自分の母親の味が一番だと思って、その地域のものをその季節に食べるわけじゃないですか。もともとフランス料理やイタリア料理だってそういうものです。キュウリだってトマトだって、作っている人の顔が見えていた。それが戦後になって、流通の仕組みが変わって、それまで普通だったものが変わってしまった。それはまちづくりにも通じるところがあって、そこを大事にしないと、「まち」をつくることなんてできないんじゃないかと考えた。当時、丸の内でまちづくりをやろうとして、できていなかったのは、その部分が足りなかったんじゃないかって思います。

田口 金融の町から商業のまちへ。その流れを作っていったんですね。

佐藤 まちづくりに限らず、社会全体の動きにリンクしていたようにも思います。例えば、日本には発酵と保存食の文化があって、作り手の顔が見える関係性があった。それが現代は失われてきてしまった。そこを見えるようにするのが我々の責任かなって思うんです。それが結果として今の地方創生につながっている。

田口 では最初からムスムスでは生産者に関わろうと?

佐藤 そうですね、最初から生産者主導ということをテーマにして直接生産者から仕入れることにしました。作り手の顔と季節のものを伝えられたらと考えていました。もともと郷土料理をやりたかったんですが、こういう場所(新丸ビル)みたいなところだと、10年前は受け入れてもらえない土壌があったように思います。郷土料理、なんか田舎くさいな、みたいな。

バブルの渦中から「地方」への帰還

田口 僕も地方出身者だから思うんですけど、田舎の人間ってカッコつけたがりですよね。馬鹿にされないように頑張っちゃう的な。

佐藤 それは僕もそう(笑)。山形県酒田市出身で18歳で東京に出てきて、なまりとか方言とか恥ずかしくてしゃべらないようにしてましたね。

田口 粋がっていたと(笑)。それでどんな若者だったのか、話せる範囲でちょっとお聞かせください。

佐藤 もともとは絵の勉強で上京してきたんです。でも、できちゃった結婚して、食べていかなきゃいけないという状況になって、それでやった仕事のひとつが飲食業だったという流れ。やってみたら、いろんな人に会えるし、お金ももらえてこんなに楽しくていいのかなって。

田口 最初から生産者のことを考えたわけじゃない?

佐藤 違いますね。当時は世界を知るには映画しかなかったような時代でね。外国映画を見て世界の文化や状況を知っていく。そんな感じで、飲食業を通していろんな世界や文化を知っていくのが楽しくてたまらなかった。

田口 ご自身が活躍したいという感じですか。

佐藤 あまりそういう感じではなかったと思います。いい先輩、いい人に要所要所で出会うことができたということかな。波乱万丈といえば波乱万丈です。20代の駆け出しの若造のときには、いろいろ教えてくれるいい先輩に出会えたし、30代になって、自分が地球の中心にいるみたいな自惚れが過ぎる生意気なときに、バチッと指摘してくれる先輩がいたり、40代でバブルが崩壊して、にっちもさっちも行かなくなった時にもやっぱり手を差し伸べてくれる人がいたりして。そういうことを繰り返しているうちに、何が大事か分かってきたという感じですよね。

僕はディスコに関わっていた時代が長くて、22歳でこの業界に入って、23歳で店長やって、バブルのいいところも悪いところもずっとその渦中で見てきたところがあります。70年代の日本は、ファッションもアートも音楽も、いろんなものがすごく元気で、団塊の世代ともちょっと違う世代になっていて。誰もが、生活するというより、少しプラスアルファの要素を追求している。そんな新しい文化が生まれていく時代だったなと思います。

田口 親御さんは戦争を......。

佐藤 経験していました。

田口 その親御さんに育てられて、その時代を見て、何か感じるところはありませんでしたか。

佐藤 親の話はあまり聞かなかったのですが、70、80年代は日本にとって非常にいい時代だったと思います。元気だったし、いろいろな新しいものが生まれた時代だった。雑誌『ポパイ』が創刊されたし、街にはセレクトショップが出来始めて、ファッションデザイナーと呼ばれる人たちが現れて、パリコレに行って凱旋したり、DCブランドができたりした。音楽もYMOがワールド・ツアーに行ったり、ユーミンが登場したり、海外から新しい音楽が出てきて、でも日本の歌謡曲も実はすごく良くて、音楽的にはとても刺激的な時代だった。

田口 一言でいえば、いろいろな文化が芽生えた、と......。

佐藤 そうですね。いろんな文化が生まれてきたのが70年代、80年代だったと思います。

でもそのようなエネルギッシュな時代の後、80年代の終わりにバブルがはじけました。僕も田舎の父親もちょっと調子を崩したこともあって、少し田舎に戻る時期があったんです。

その時に変な安らぎと安心感があったんですね。田舎がイヤで出てきたはずなのに、なんかちょっと、20年ほどで疲れが出たのかもしれないけど、ご飯もおいしいし、小さい頃のこととかをすごく思い出した。

そこからです。いろいろと考えるようになったのは。ムスムスのベースになるようなこと、来夢来人のようなスナックの原型のようなこと。そして何が大切なのかということ。その思いが個々の生産者から地方行政にもつながっていって、現在のムスムス、丸の内ハウスの形になったんだと思います。

「自分」という視座を持つ

田口 男性にはいつも聞くんですけど、30代ってやはり競争優位な生き方をしていましたか?

佐藤 そうですね、特にその時は自分が地球の中心という感じでした(笑)。

田口 古い価値観かもしれませんが、男性は人生で一度くらい、それくらいとんがってもいいのかなって思うんですよ。

佐藤 そうですね。痛い目に遭って、挫折を繰り返して。それでようやく、なんとなく色々なものが見えてくる。だから、とんがる時期もいいけど、失敗とか挫折もできるだけ経験したほうがいいのかなって思いますね。

田口 とはいえ、今は70年代、80年代的な経験をできる社会じゃないですよね。そういうプロセスを経ずして、いきなりムスムス的なコンセプトに共感を持つ若者も増えている気がします。

佐藤 人が持っている根本的な事にでしょうか。ひとつ言えるのは、自分が好きなことに素直になってほしいということです。

今の若い人たちは情報が多すぎてかわいそうに思うくらい。なんでも情報はあるが、体験はしていない。だから、もっと色々なことを経験して、自分が好きなものを見つけてほしい。もし人に言うのが恥ずかしければ、胸の奥に大事に抱いておく。そして言えるようになったら言えばいい。

田口 うん、好きなことを好きだと言えないことがありますよね。

佐藤 でしょう。でも、人間何かをしていて楽しい、気が楽、ということが大事なはず。一方でそれはだらけてる、怠けてるという不安にもなるかもしれませんが、別の視点から見て大事にすればいい。そこに自分自身の大事なものがきっとあるはずなんです。

日本の教育は「みんなで」なので個人を尊重する形じゃない。それはそれでいいところもありますが、これからの社会を作るうえでは個人を大事にすることは重要じゃないかと思います。

田口 12年前にオープンした当初と、コンセプトは変わっていないとは思いますが、来る人の雰囲気とか変化はありますか?

佐藤 最初はこの界隈で働いている人たちが半信半疑で来ていたんですが、それから3、4年経って、その人たちが結婚して子どもができたら、初めてムスムスの食材、調味料の良さに改めて気付いて、口コミで広がって、波がどっと来た。

田口 僕もここに来るようになってから、塩や調味料がすごく気になるようになりました。

佐藤 お醤油とかみりんとかビンで買えば安いものなら300円くらいからあるでしょう。でも、スタバとかでは1杯400円くらいのコーヒーを買うのに、みんな調味料にはあまりお金を使わないですよね。1回あたりの金額で考えれば大したことないのにね。

人間の形成って、嗜好的なものと健康のバランスが非常に重要ですけど、オープン当初はお客さんの目がそこにいかなかったのかなって思う。それが今では、普通の人でも興味を持つようになってきたので、生産者の紹介もするようになったし、生産者も収入が増して生活できるようになってきている。

ムスムスはまちの「お父さん」?

田口 もうひとつのポイントは「生産者の顔」ですよね。工業製品じゃないものを買うという。

佐藤 どういう思いで作っているのか、その思いを感じ取ることができますよね。もうひとつポイントかなって思うのが、日本は100年企業が多いですが、そのほとんどが、味噌や日本酒の作り手だということ。戦後の高度経済成長を支えた企業は100年企業は少ないですけど、食に関わる企業って300、400年と続く企業がざらにある。

田口 個別論になっちゃいますが、発酵文化が日本独自のものですよね。海外に誇れるもの。

佐藤 日本は四季があるので、発酵食品や保存食の文化が発達したんですよね。麹菌も日本の国菌に認定されているくらい特徴があるものですし。味噌や醤油、日本の食文化は、そういう人間の知恵と麹菌の力で成立してきたものなんですが、戦後から生産性と効率性を重視した欧米的な食文化が入ってきて、そういう日本の素晴らしい伝統的な食文化をどんどん否定するようになったんです。だから日本人も体調を崩すし、変な病気になっちゃうんじゃないかな。

田口 そうですよね。食も素直に好きっていうのが大切ですよね。味噌と醤油と漬物が好き、って言っていいじゃないか。外来食文化、本当に好きなのかって思っちゃいますね。

佐藤 僕なんかは一度体を壊したからこういう考えを持っているけど、もともとはアメリカかっこいい!と思って育った世代ですから。西部劇や、金髪のお姉さん、大型のアメ車。そういう生活に憧れていた。アメリカは歴史は短いかもしれませんが、多国籍文化がミックスしている面白さがある。

だから、丸の内もいろんなものが混ざったほうが面白いということはありますね。僕も田舎の否定から入って、もう1回地方の食文化に立ち返って、結果としてミックスカルチャーになっているわけですしね。

田口 否定ってコンプレックスの裏返しですから。そこに立ち向かっていったということですね。そこはやっぱり男子な感じですよね。

佐藤 そこは確かに(笑)。男の子は負けちゃいかんと育ったから。

田口 男性・女性で言うと、食分野では女性にもっと活躍してほしいなって思う。男女平等と言っても、生物学的に違う部分があるわけですし、食については女性のほうが秀でていると思うんです。食への興味も強いし、子どもを生むことから、食へのセンスも敏感になる。

佐藤 地球は女性を中心に回っています。

田口 ムスムスの客層で言うとどうですか。

佐藤 ランチはほぼ9割が女性ですね。夜は、早い時間は接待、女性同士のお客さん。でもやっぱり7:3で女性が多いかな。21時以降になって、近隣のオフィスの人たち、男性も集まってくる。田口さんみたいなね。

田口 いつもすみません(笑)。でもスナックの来夢来人もいいんですよね。安心してバカがやれるところが。丸の内であんなお店があるなんて信じられない。

佐藤 スナックってもともと一人で行っても大丈夫なお店なんですよ。一人で行くと、地元の人ともすぐ親しくなれるし、楽しいよね。地方のスナックのお姉さんやママはみんな山あり谷ありの人生を送っていて、そういうのを聞くとくよくよしてちゃダメだなって元気付けられる。

田口 そうそう、シングルママで頑張ってるお姉さんとかがいて、みんなたくましいですよね。

佐藤 そういう人がスナックをやっていて、カラオケで人がつながる。僕にとってスナックはコミュニティづくりの手段なんです。バーだとダメ。バーはバーテンダーと差しになっちゃうでしょ。スナックだと来た人がみんな友だちになれるから。

3×3Lab Futureもスナックみたいなもんじゃないですか。いや、"たまり場"みたいな感じですかね。ムスムスもそれを意識してるんだけど。いろんな人が来て、お互いを紹介し合える。丸の内ハウスでも他のお店では紹介し合ったりはしていないでしょ。それをできることを、僕は一番大事にしているんです。ただ、他のお客さんに迷惑を掛けないようにする、というような最低限のルールはあります。

田口 前回、鈴木惠千代さんのインタビューをして、「まちづくりは家づくり」だと。たまり場はリビング・ダイニングなんじゃないか、3×3Lab Futureもそうやって設計したと仰っていたんです。

佐藤 そうですね。だから僕がやっているのはまちの"お父さん"役。みんなが来たら、別け隔てなく同じようにおもてなしするし、紹介もするし、悪いことしたらダメッって怒りもする(笑)。

田口 その役割が、自分らしさと直結しているとすごく幸せですよね。演じなければいけないと疲れちゃうけど。

佐藤 性格的なことはあるかもしれませんが、自分たちがお店や丸の内ハウスを通して、何をやろうとしているのか、どういうお店であるべきなのか。そういうことをすごくしっかりと把握しているから、疲れないし、ぶれないということかなと思います。

生産者と都市の役割

田口 生産者へのアプローチとともに、生産されたものへのリスペクトも出てきているのかなって思います。変にこねくり回したりせずに、そのままシンプルに出すというような。

佐藤 そうですね。畑が料理を作っていると考える人が増えていますね。

田口 生産者とシェフの間に、信頼関係が出来ているということですね。

佐藤 生産者とクリエイターは一緒だと思うんですよ。、方法論は違ってますけどね。ファッションやアート、カルチャーとは何かを語ったのが、僕がディスコをやっていたころの時代。社会状況や環境は変わっているけど、真ん中に持っている「たまり場」をやってきたという、その一点はガチッと変わらないつもり。

田口 佐藤さんって寂しがりですよね(笑)。

佐藤 はい(笑)。ひとりではお酒を飲まないですから。

田口 僕もなんですよ。学生時代も最初は一人暮らしを満喫していたけど、すぐに人を集めるようになってしまった(笑)。

佐藤 ひとりじゃない方がいいですよ。いろんな人がいたほうがいい。一人じゃ生きていけないんだから。
たまに一人になるのはいいけど、必ずいろんな人が関わって、感謝の気持ちを持って、何が大事なのかを考える。ということがとても大事なんだと思う。そうでないと、自分が持っている物事が動かない。

田口 こういう人がやっているお店だから、人が集まる。3×3Lab Futureで出会う人は必ずここに連れてきますが、みんなリピーターになりますもんね。「雰囲気最高!」って言って。言葉じゃうまく言えないんですよ。

佐藤 変な枠にはめるんじゃなくてね、いろいろな人が集まっていろんな目的で使えるようにするということを大切にしています。

田口 というところで、ちょっと次の話題へ行きたいんですが、今課題としてお考えなのは何でしょうか。農業の現場では生産者の高齢化が起きているし、実態としては畜産も農業も担い手がいない。僕は、このおいしくいただける食事に、この先もありつけるのかという危機感というか課題感を感じているんですが。

佐藤 でも今、すごく若い人たちがどんどん農業や漁業に入ってきていますよ。逆に我々のほうのスピード感が追い付いていない。

30代の人たちが増えているんですけど、まだ経済面でのネットワークが弱いようなので、そこは我々と組む意味がある。そういう人たちは考え方が全然違いますね。農薬や育て方に対してすごくしっかりした考え方を持っている。僕らが育った時代は、農協の指導でわーっと農薬を使って、耕運機を使って、借金まみれになって。大規模農業のやり方を無批判に受け入れようとしたところに問題があったわけです。アメリカ主導で。

田口 そこに今揺り戻しが来ている。

佐藤 来ていますね。でもまだ時間はかかる。

田口 こういうときよく引用するのが、新潟県三条市の国定勇人市長が仰っていた言葉なんです。「地方にはいろんなコンテンツがある。都市にはコンテンツがないが、コンテキスト、情報の伝達があるので、都市のやるべきことはそれだ」と。なるほど、それはそうだなと。我々が出す声が広がるじゃないですか。3×3Lab Futureをやっていてもそれはすごく感じる。

佐藤 うん、それはやっぱりこういう場所で仕事していくうえでの大事な役割でもあるし、責任でもあるし。だから地方の人たちには、ハウスも、ムスムスも自由に使ってもらえるように窓口開けているんです。

田口 ちょっと迂遠な話になりますが、例えば宮崎のチキン南蛮があるじゃないですか。おいしいんだけど、せっかくおいしい鶏肉なんだから、ムスムスみたいに、シンプルな料理もいいんじゃないかなって思うんですよね。

佐藤 いい食材はあまりいじらなくていいんですよね。

田口 僕も田舎出身なので分かるんですけど、化粧したがるんですよね。都会モードに化粧したくなっちゃう。

佐藤 それで大体調子が狂っちゃうんですよ。田舎料理を変に都会的に変えたりして。そのままでも充分魅力的なのに。

田口 だから、僕らが伝えるべきは、そういうことかなって思うんです。化粧しない、そのままの姿で見せてください、すっぴんでいいんですよって。

佐藤 田口さんたちがやっていることがそれですよね。何が大事かを伝えると、地方に戻ったときに、見る視点が変わる。地方にずっといるだけだと、視点が変わらないからなかなか気付けない。こっちから見るともったいないなって思う。

田口 都会の人間が偉そうに何かを言うんじゃなくて、しかるべき方法で、対等な立場できちんと伝えることができればいいなって思うんです。

佐藤 それが3×3Lab Futureの役目なんでしょうね。田口さんたちも自分たち自身がいろんなところへ行くし、入り込んで一緒に何かを作ろうとしているじゃないですか。今は「してあげる」という時代じゃない。そこは変わってきたところだと思いますよ。一緒に何か新しいものを作りましょう。日本のいいものを見つめ直しましょう。そういう空気です。その意味で、本当に3×3Lab Futureの役割は大きいと思います。

田口 ありがとうございます。では、ここまで過去、現在と伺ってきたので、今後のこと、未来のことをお聞きしてよろしいですか。

これからの都会の飲食業

佐藤 ムスムスとしては、今関わっている30代の生産者の人たちが、これから社会の中心になっていくので、その土台作りをしていくこと。その意味で大事にしているのが「きっかけづくり」です。我々が誰かに何かを与えるとか、そんな大層なものじゃない。できるのはせいぜいがきっかけを提供することだけでしょう。こういうコンセプトでやってます、こういう考え方でやってますと我々が発信をお手伝いすることで、生産者にとっては生産物を外へ出すきっかけになるし、次の活動のステップになります。消費者にとっては、地方のことを考え、良い食べものについて考えるきっかけになる。

そういうきっかけづくりなら、うちのようなお店でも意味があるだろうし、お役にも立てるだろう。ムスムスをどうしたいかというよりは、関わる人たちが増えているので、その人たちの10年後、20年後を考えたい。

地方のまちづくりって、今50前後の人たちが中心じゃないですか。どうしても。そういう人たちは、10年後20年後はもう活動の主体にはなれないでしょう。だから、やるべきは活動のきっかけづくりなんです。今30前後の人たち。その子どもたち。50代の人たちから見たら孫の世代ですが、その孫のことを考えると、20年後の社会を考えることがすごく大事じゃないですか。孫が20歳、25歳になるときに、地域をどう感じるのか。どんな地域になっていてほしいのか。そのために今、何をしなくちゃいけないのか。考えるのはそこです。まちづくりも人生もやっぱりバトンタッチだと思います。

3×3Lab Futureがやっていることも、社会にとって本当に重要なことだと思うんですが、企業はどうしても経済性と生産性で動かざるを得ないところがあって、その活動が必ずしも評価されない側面がある。だから、3×3Lab Futureの価値を証明するためにも、何かを形として残していかないといけないなと思います。

田口 そうですね。形も、言葉も残さないと。

佐藤 そうすると、20年後の丸の内はもっと変わる。働く人の意識ももっと変わるんじゃないですか。今はまだ儲けるとか稼ぐという考え方が主流かもしれませんが、本当に大事な企業理念が何なのかって。そこが3×3Lab Futureが追求するところでしょ。

田口 3×3Lab Futureのような取り組みは、企業の新しいあり方を示す例になるんじゃないかと思っているんです。プライベートでもない、パブリックでもない。一私企業と社会の間の中間的なところで、長期的に見ると、すごく社会的に意味のあることをやっている。短期的には収益性がないから疎まれるけど、利益追求じゃないところをやっているから、それが結果として太い柱になっていくはずなんです。

佐藤 そうですね。20年後の東京、丸の内を考えることは、100年先の街づくりにつながる。そのような企業のあり方は重要でしょうね。

田口 ありがとうございます。良いメッセージ、アドバイスをたくさんいただくことができました。また、これからは、3×3Lab Futureでレストランとのコラボイベントをやりたいと思っていまして、今後もぜひ活動をご一緒できればと思っています。今日はありがとうございました!

佐藤俊博(さとう・としひろ)
株式会社テーブルビート 代表取締役

1952年山形県生まれ。絵画を学ぶために上京するも、70年代のディスコブームを牽引した日進物産に入社し、ディスコ、飲食店の店長などを務める。独立してからは1989年に伝説のクラブ「ゴールド」をオープンし一世を風靡、ディスコ業界の伝説的な存在となる。その後、豚肉ブームを生み出した「ぶた家」など飲食店のプロデュースを手がけ、2007年から新丸ビルの事業に携わっている。

[テーブルビート]

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