2017年に宮崎県と三菱地所、そしてエコッツェリア協会が三者連携協定を結んだことに端を発し人事交流が行われています。宮崎県庁からエコッツェリア協会への3人目の出向者となった長倉氏は、地域連携担当として逆参勤交代プロジェクトや連携協定先自治体との連携企画をはじめとした各種企画・運営、外部ステークホルダーとの調整役等2年間活躍され、2023年度末を以て宮崎県庁に帰任することとなりました。エコッツェリア協会への出向が決まったとき、前任者からの第一声は「おめでとうございます」だったとのこと。長倉氏も後任者への引き継ぎでは同様に伝えたそうです。その言葉に込めた意味、出向前の不安や戸惑い、出向を終えて学んだことや感じたことなどを伺いました。
田口 2年間お疲れ様でした。エコッツェリア協会での勤務はいかがでしたか。
長倉 率直に言うと、楽しかったです。楽(らく)という意味の楽しさではなく、充実した楽しさでした。
田口 ではその「楽しさ」を、順を追って聞いていきたいと思います。まず社会人の経歴を伺います。
長倉 エコッツェリア協会への出向は社会人5年目のタイミングでした。入庁後最初の2年間は県内の地域づくり団体の方たちとの連携やユネスコエコパーク地域の活性化などを地元の人たちと一緒に取り組んでいました。その後の2年間は児童福祉の業務に携わっていました。大学で福祉を学んだわけでもなく、知識も経験もなかったので児童の未来に関わるような仕事に、最初はとても不安を覚えていました。先輩職員に色々と教えてもらいながらの試行錯誤の毎日でしたが、自分の仕事が児童のためになっていると思うと、すごく嬉しかったですね。
田口 そもそもなぜ県庁職員を目指したのでしょうか。
長倉 一番はじめに思いつく理由は両親が県庁職員だったからでしょうか。幼少の頃から県庁の仕事が最も身近で、一番よく知っている職業でした。ずっとその姿を見ているうちに私もそこで働きたいと思うようになっていたというのがきっかけだと思います。逆に言うと他の仕事をあまり知らずに過ごしていたというのがあり、今回東京に来て、宮崎の企業やご出身の方などと色々繋がりができ、宮崎にも面白い仕事がたくさんあることに気づくことができました。
田口 出向しようと県庁に希望したのですよね。それは若い時に一度は宮崎から外に出ようと思い手を挙げたのでしょうか。
長倉 中央省庁や民間企業で研修経験のある先輩方と一緒に仕事をしていると、雰囲気というか、仕事の進め方などが違う気がして単純にかっこいいなと思っていました。それで自分もそうなりたいという憧れがあり、入庁当初からタイミングが合えば外に出てみたいと考えていました。エコッツェリア協会への出向が決まり、どんな仕事をするのかという疑問や、2年間の出向期間が他の宮崎県からの出向者と比べると長いことに対して不安がありましたが、大学生活4年間を東京で過ごしていたことで、東京に住むことや大都市に対しての抵抗感は無かったですね。
田口 出向当初のモチベーションや期待値は高かったですか。
長倉 はい、この丸の内に無数に並ぶ高層ビルを前に2年間頑張ろうと意気込んでいました。皆さん優しく接してくださり、最初は楽しく仕事をさせてもらっていました。そんなモチベーションもテンションも高い状態だったのが、8月頃に一気に下がっていきました...。一番の理由はスピード感ですね。「丸の内サマーカレッジ」の準備をしている時に、自分が思っていた仕事の出来と期待されていた仕事の出来とのギャップが大きいということがわかり、随分落ち込みました。県庁とは違う仕事のやり方や進め方に戸惑っていたというのも理由の1つかもしれません。 また、県庁時代にはデスクワークが多く目の前に「人」がいるという状況が少なかったことに対し、エコッツェリア協会での仕事の先には必ず「人」がいるということも違いました。ここでは一人ひとり思っていることも期待していることも違うので、相手の期待や思いを読み取り、仕事をする難しさも感じていました。
田口 ここは圧倒的に人と会う機会や人数が多いと思います。人と会えば名刺交換をして話をし、話をすればアイデアも膨らみ仕事が発生する。それが積み重なると、すべきことはありながら、なかなか手を付けられず仕事が溜まっていく。そんな中で8月にサマーカレッジという大きな仕事があり混乱したという感じでしょうか。
長倉 その通りです。その当時は本当にあと1年半仕事をやり切れるのかと不安でした。ただ、同時期に入り、同年代でもある同僚の小西さんがいたことは励みとなりました。小西さんと私とは性格が対照的で、小西さんは積極的に表に出ていくことに対し、私はどちらかというと裏からサポートすることの方が好きで。自分が足りないことを見つける意味でもいい刺激になっていました。8月以降は先輩方から学んだことを意識して仕事に取り組んでいたこともあり、モチベーションの波は小さくなっていったと思います。
田口 仕事を通じて様々な地域を訪れたと思います。宮崎と同じような課題もあれば、地域特有の課題もあったと思います。
長倉 東京は人も情報もたくさん集まってくる場所だと思います。この2年間働いていろんな情報をインプットして、自分の引き出しが増えたことはすごくよかったです。本当に北海道から九州まで多くの出張の機会にも恵まれ、宮崎県と他地域との共通の課題、例えば地域の担い手や産業の不足などについて他地域の方から直接話を聞くことができたのはすごく勉強になりました。また、宮崎にいた時に、県外の方に私がアピールしていた海、山などの自然や食べ物の魅力というのは、何も宮崎だけではなく多くの地域で共通しているんだなと感じました。しかし、その中でも3×3Lab Futureや首都圏と連携している地域は特徴的な取り組みをしていることにも気づきました。宮崎をもっと良くしていけるように、他の地域と差別化を図れる取り組みができるように、県庁に帰任してからそういった経験を生かしていきたいですね。
田口 基礎自治体の市町村職員と仕事をすることが多かったですね。市町村職員は住民を第一に見ている一方、長倉さんが在籍する県庁では俯瞰して物事を見ることがあります。違いを感じることはありましたか。
長倉 市町村と県では住民との距離感が違うからか、地域の抱える課題は市町村の方がダイレクトに肌で感じていると思います。県は、大きな視点で物事を見る必要があり、直接的な支援をスピード感を持って行うことが難しい場合もありますが、地域課題解決のためには、市町村の職員の方々と連携することが一番だと感じています。もっと大きな視点でいうと、宮崎県とエコッツェリア協会は、2017年に全国に先駆けて連携協定を締結していますが、私のような出向者が宮崎と首都圏との橋渡し役となり、首都圏の情報を県に届けていく必要があると思っています。
田口 エコッツェリア協会のスタッフとして宮崎に行って見えた景色と、もうすぐ宮崎に戻って見る景色では違ったものになるかと思います。
長倉 私もそう思います。今ここで感じていることを4月に県に持ち帰り、何か形にしたいというモチベーションがすごくあります。庁内の方々に協力してもらいながら、新しい考え方や取り組みを実現できるようにしていきたいですね。
田口 新しいことというと、宮崎県も変化が必要だと感じる点がありますか。
長倉 先ほど、海や山、食べ物の魅力は多くの地域で共通しているものとは言ったものの、宮崎県は地元という贔屓目なしに食材に関してすごく魅力があると思っています。ただ、それをもう一段階ステップアップして、付加価値を高めていかないと他の地域に置いていかれるのではないかという危機感があります。食だけでなく、自然やスポーツなどの特徴のある分野も含めて、掛け合わせの発想でより魅力的になっていくと思います。
田口 特に面白かったと思った地域はありますか。
長倉 北海道ですね。宮崎と全く環境が違うはずなのに、意外と宮崎との共通点もあると思いました。食に関していえば、海産物やフルーツが豊かな点などは結構似ていると思います。また、宮崎と北海道では、気候がまったく違うので、スポーツなどの時期がちょうど逆なんです。例えばゴルフでは、冬は温暖な宮崎県で、夏は涼しい北海道で、というように人気のある時期が変わってきます。物理的にも距離があり、なかなか遠い関係性に思われますが、連携していくとお互いを補完しあえるような関係ができるかもと思って注目していました。
田口 なるほど。エコッツェリア協会では色々な地域の色々な背景をお持ちの方々と電話一本で繋がれる関係性ができて、これをソーシャルキャピタルといいますが、是非それを更に広げてほしいなと思います。
長倉 エコッツェリア協会に来て得られたものとして、やはり人との繋がりが一番大きいと思います。エコッツェリア協会だからこそできた繋がりを県庁に戻っても生かしていきたいです。
田口 長倉さんは人と繋がりをつくることは得意だと思います。意識していたことはありましたか。
長倉 ここで会う人たちは、専門性があり、特定の分野ですごく突出した人が多かったので、情報をインプットしつつも、宮崎県庁の職員というアイデンティティというか、「引き出し」は持っておかないといけないと思っていました。自分が得意な分野を一つ持っておくというのは大事だと改めて感じました。
田口 県庁では自治体職員はこうあるべきという固定観念に変化はありましたか。
長倉 そうですね、「丸の内プラチナ大学」の逆参勤交代コースを通して繋がりのできた自治体職員の方は、行政の枠組みに囚われることなく自分が面白い、楽しいと思ったことをやっていた気がします。机に座って事務作業をすることももちろん大事ですが、外に出て知見やネットワークを広げていくことも行政職員としてのあるべき姿なのかなと考えさせられました。
田口 宮崎から出たことによって、宮崎に対する見方や考え方もアップデートされ、自治体職員としての働き方にもインサイトを得られたようですね。
田口 今後、宮崎県職員として思い描く夢はありますか。
長倉 県庁時代はどうしてもゴールを設定して、どういう成果があるというのを見据えたうえで着手することが多かったのですが、エコッツェリア協会では、もちろんそういった視点もありつつ、色々な道を模索しながらうまくいきそうなところがあれば推し進めていくというように、トライアンドエラーを繰り返すことの重要性を体感できました。アイデアベースで様々な事業者と打合せをするので、その膨大な数に仕事が追い付かないときもありますが、その分色々な知識も身につきます。出向者は私で3代目、4月から4代目が来て、その後も5、6代目と続いていきます。そういう人たちがここでたくさんの経験をして県に戻ってきた時、宮崎県はもっと面白くなるんじゃないかとすごくワクワクしています。
田口 宮崎県も他地域同様人口減少が進行しています。人口増の時代とは違うことが求められる中、広域連携に力を入れてほしいと思っています。宮崎以外の他の地域も同じ課題があるので共有して一緒に解決しようという県職員のつながりを作っていくなど、ぜひ取り組んでほしいと思っています。長倉さんならできると思います。
田口 今後の出向者に向けて何か伝えたいことは。
長倉 今でもずっと覚えていますが、私がエコッツェリア協会に出向が決まった際、前任者からいただいた電話の第一声が「おめでとうございます」でした。後から聞くと、これは初代出向者から続いているらしく、それだけこの2年間は充実していて県庁職員としての業務に生きるだけでなく、人生においても貴重な財産になるからだと思います。私ももちろん、後任者に電話をしたとき「おめでとうございます」と伝えました。ここでは多様な人たちに出会えて、色々な知識や分野の話を聞くことができます。こういう機会は人生でもなかなかないと思うので、まずはそれらを吸収してほしいです。そのうえで、どうやったらそれらを宮崎県に還元できるかという視点を持って働いてほしいです。
田口 最後に宮崎県民の皆さんに向けてメッセージをお願いします。
長倉 宮崎に限りませんが、首都圏以外に住む人たちは、首都圏や東京に対してコンプレックスを感じることがあるかもしれません。でも、今私が座っている椅子やテーブルひとつとっても東京ですべて作られているわけではなく、地域の材料を使って作られ、運ばれてきているものがほとんどだと思います。このように、東京の経済は地域のヒトやモノに支えられている側面はあると思います。ですので、コンプレックスに感じることは何もなく、それぞれの地域にある良いものを伸ばしていってほしいと思います。
1995年宮崎県宮崎市生まれ。2018年、宮崎県庁入庁。2022年より宮崎県庁からエコッツェリア協会へ出向。3×3Lab Futureにて、地域連携担当として逆参勤交代プロジェクトや連携協定先自治体との連携企画をはじめとした各種企画・運営に従事。2024年度以降は宮崎県庁に帰任し、観光に関する各種PRや情報発信施策・事業の企画を担当。メタバースなどの新たなデジタルツールの活用も模索しながら、宮崎県の魅力を広く発信することに注力している。
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中島幸志氏(サスティナブル・ストーリー株式会社代表取締役/ウェルビーイング起業家)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)
株式会社STORY 所属 3×3Lab Future ネットワークコーディネーター
2024年11月25日(月)16:00〜18:00