第4回環境サロンは、"江戸幕府・諸藩に学ぶ森林経営と「御救(おすくい)」理念"と題して、"徳川林政史研究所"の主任研究員・太田尚広さんによる講演が行われました。
"林政史"とは、なかなか耳慣れない言葉です。字面から何となく意味は分かるような気はしますが、その耳慣れなさからどことなくとっつきにくい印象を受けるかもしれません。ですが、要は「歴史学の視点で森林へアプローチ」(太田さん)する学問だそうです。
"徳川林政史研究所"(以下、研究所)は、尾張徳川家の第19代当主・徳川義親が昭和6年(1931年)に設立した財団法人・徳川黎明会に所属する研究機関です。"最後のお殿様"と言われた義親さんが、木曽山の歴史を研究したことがそもそもの始まりです。"林政史"を専門に研究している機関は、太田氏の知る限り、世界でもここだけではないか、ということです。
太田さんは、江戸時代の史料の整理作業を通じて、幕府や諸藩の森林経営の実態を研究しています。平成13年(2001年)、林野庁の組織統廃合により散逸の危機から貴重な史料の多くを救ったのも、筑波大学と共同して整理作業にあたった同研究所でした。
「江戸時代は、"戦国~江戸初期の乱伐"と"元禄時代の商業的乱伐"、二度の乱伐期を経験したが、その反省を踏まえ、元禄時代以降は極めて抑制的な森林経営が行われた」というのが太田さんの考えです。そして、その抑制的な森林経営の中で、森林利用を認める基準として重要だったのが、当時の人々に広く受け入れられていた"御救(おすくい)"という社会通念です。
太田さんの研究によれば、村(百姓)が領主(幕府・諸藩)に知行権を認める代わりに、領主は治安維持や社会基盤の整備を通じて村の平穏な生活を保障する、あるいは、社会的危機が訪れた際に"持つ者"が"持たざる者"へ施しをする、という意味合いで"御救"という言葉が使われています。そして、"御救"を行わない領主や富裕商人に対して一揆や打ちこわしをすることは正当な行為とみなされていたということです。この辺りは、高校生のころ社会科(世界史?政治経済?)で勉強した、欧米の"社会契約論"や"抵抗権"に似ているような気もします、あるいは、持てるものの義務として欧米で広く知られる"ノブレス・オブリージュ"の考え方とも通ずるところがあるように思えます。いや、まさにそのままズバリかもしれません。
こうした意味合いを持つ"御救"という考え方が森林経営においても援用されました。林業以外の産業が成り立たない痩せた土地で、公共事業のような意味合いで"御救伐出(おすくいきりだし)"を幕府や藩が認めていたんですね。
なお、幕府や諸藩の領地から採れる木材は城郭や道路、橋などの公共財の建設に使われることが多かったようです。一方、庶民の家や商売用に使われる木材は里山(入会山)や私有林から供給されていました。つまり、公共用と民生用の木材は別の市場が形成されていたのです。太田さんによれば、同研究所の研究でも、民生用の木材需要や森林経営の実態についてはまだ解明されていないことが多いとのことです。
21世紀の現代、日本では林業の衰退や森林の荒廃が指摘されています。地球温暖化への対策の観点からも、日本が持つ資源・森林との関係を見直そうとする機運が高まってきています。江戸時代、都市に暮らす人々や商売に従事する人々が、森林や木材とどのように関わっていたかが明らかになれば、現代を生きる私たちにとって大きな教訓となるのではないでしょうか。
* 写真1枚目:徳川林政史研究所 主任研究員・太田尚広さん
* 写真2枚目:「御材木川狩之図」(徳川林政史研究所)
* 写真3枚目:当日の会場の様子
第5回「日本文化から学ぶ環境力」サロン 「神田明神と江戸」~サスティナブルな伝統~
* 「日本文化から学ぶ環境力」サロンは、エコッツェリア協会会員企業にご所属の方を対象にしています