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江戸城再建で、日本の文化・歴史を未来に継承せよ!

edo-jo-2-top.jpgパリのベルサイユ宮殿、ロンドンのバッキンガム宮殿、ニューヨークには自由の女神、北京には紫禁城がある。世界的な国の首都には、その国を象徴する歴史的な建造物があります。では、東京は?

去る6月17日(木)、江戸東京博物館にて、「江戸城 寛永度天守『復元図』完成報告会」が開かれました。主催は、「NPO法人 江戸城再建を目指す会」。東京の、日本のシンボルとして、江戸城天守の再建を目指しています。

報告会の目玉は、1657(明暦3)年、明暦の大火で失われた江戸城天守の復元図のお披露目です。制作は、城郭研究の第一人者の一人、広島大学大学院教授の三浦正幸氏。当日は、復元図を手に寛永度天守について解説してくださいました。

edo-jo-1.jpg実は、江戸城には3代の天守がありました。
初代は、徳川家康が1607(慶長12)年に完成させた「慶長度天守」、2代目は、秀忠が1623(元和9)年に建てた「元和度天守」、そして、家光が1638(寛永15)年に建てたのが、3代目の「寛永度天守」です。
「慶長度と元和度の天守も、建設当時史上最大の天守でしたが、寛永度の天守が、大きさの面でも建築技術の面でも最大、最高、日本の城郭史上でも最大、最高の天守です」(三浦先生)

1階部分の面積はおよそ38メートル×36メートル、高さは、天守台の石垣の上から屋根の棟木までがおよそ44.35メートル、屋根と鯱の部分を入れると45メートルにもなりました。天守台はおよそ14メートルの高さがあり、下から見上げると高さ59メートル、さらには、本丸自体が標高20メートルを超える高台にあったため、城下の低地からの高さは80メートルにもなり、高層建築が珍しい当時にあって、まさに天に聳えるばかりの威容を誇っていたことが窺えます。
この、圧倒的なまでに壮大な寛永度天守を、現代に蘇らせようというわけです。

edo-jo-4.jpg三浦先生は、江戸城天守の巨大さの意味を次のように語ります。
「巨大な天守は、幕府の絶対的な権威、権力を示しています。諸大名との圧倒的な力の差を示すことで、戦乱を起こさせないための抑止力となっていました。"平和のための天守"です」

天守の本来的な役割は、篭城戦になった際の司令部であり要塞です。戦闘に備えてさまざまな装置があるのが通常ですが、江戸城天守は、戦闘の装置を外部からことごとく見えないようにしました。
「戦闘のための装置を隠したことは、戦乱の時代が終わったことを知らしめる意味がありました。江戸城天守は、"平和を象徴する天守"、"徳の高い、美しい天守"だったのです」

edo-jo-5.jpg講演者のお一人、世界的な照明デザイナーの石井幹子氏は、江戸城天守再建にかける思いを次のように語りました。
「私は東京生まれの東京育ち、東京で多くの仕事もしてきましたが、東京には、江戸期のものが少ないように思います。私たちは古いものを継承する努力が足りなかったのではないでしょうか。江戸城天守を再建することで、日本の文化・歴史を未来に継承していくことが重要だと思っています」

また、講演者のお二人に加えて「再建を目指す会」理事長の小竹直隆氏、同会会長で江戸城を築いた太田道灌公の第18代子孫・太田資暁(すけあき)氏、同会顧問を務め、綜合文化研究所の代表でもある西川壽磨(としまろ)氏の5名で、記念シンポジウムも開催されました。

edo-jo-kaijo.jpg「日本人はお国自慢をしないという話をよく聞きますが、文化や歴史が継承されていないことの表れではないかと思っています。日本の文化・歴史の象徴として、江戸城天守は後世に残すに相応しいものだと考えています」(小竹氏)

「世界に誇るものを持つことはとても素晴らしいと思います。暗いニュースが多く、閉塞感が漂う日本の空気が、江戸城天守再建によってどれだけ明るくなるか......。国内外から多くの人を呼び込む観光資産になるでしょうし、未来へ残す財産としてもとても意義があると思っています」(太田氏)

「江戸開府から400年という時間が経っています。400年という時間軸で江戸城天守再建をとらえてみると、400年後からいまを振り返ったときに、天守再建は後世から高く評価されるのではないかと思います」(西川氏)

「江戸時代を否定したのが明治時代でしたが、江戸と明治を平らに見て、江戸の文化的・歴史的価値を捉え直す時期が来ているように思います。日本人のアイデンティティを見つめ直すきっかけとして、江戸城天守を再建することの意義を感じています」(石井氏)

「日本は木造建築の文化です。木造建築は、コンクリート建築と比べてとても優れています。建材として耐久性が高い上に、傷んだ箇所を修復することができるで、ゆうに1000年はもちます。コンクリート建築では、もって50年から80年です。木造建築の代表は、神社・仏閣・城郭が挙げられます。神社・仏閣は、京都・奈良に行けば、最高峰を見ることができますが、城郭については最高峰が現存していません。木の文化を継承していくためにも、城郭建築の最高峰・江戸城を再建する意義はとても大きいと考えています」(三浦先生)

江戸城天守再建で、未来に日本の文化を継承できるか否か......。
それはひとえに、あなたの関わり方にかかっているのかもしれません。

* 写真1枚目、2枚目:江戸城復元図外観。
* 写真3枚目:江戸城復元図内観。「武者走(入側)」と呼ばれる廊下。
* 写真4枚目:江戸城復元図内観。1階から2階に上がったところ。
* 写真5枚目:シンポジウムの様子。

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