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小岩井農場と丸の内のオフィス街を結ぶ"岩"とは?

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小岩井農場の航空写真(写真提供:小岩井農牧(株))

「小岩井」と聞くと、乳製品を思い浮かべる人が多いかもしれません。ですが、意外なことに、小岩井は、ここ丸の内と分かち難く結びついています。

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そんな意外なつながりを、「三菱一号館美術館歴史資料室『岩崎久彌が愛した小岩井農場』展 トークセミナー」(10月26日開催)にて、聞いてきました。

まず話してくださったのは、小岩井農場展示資料館館長・学芸員を務める野沢裕美さん。この方、4代にわたって小岩井農場にかかわる家系で、小岩井で生まれ育ち、いまも小岩井に住んでいるということです。いやはや何ともすごいです。
野沢さんのお話をもとに、まずは「小岩井」の歴史を振り返ります。そこから、小岩井と丸の内の関係の発端を見て取ることができます。

小岩井農場が開設されたのは、1891(明治24)年のこと。日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝が共同で創業しました。彌之助が出資者、小野が保証人となり、井上が初代農場主を務めました。
この3人の名前から何か気付くことはないでしょうか?
そうです、3人の名前の頭文字をとって「小岩井」と命名されたのです。ちなみに、彌之助は、NHK大河ドラマ『龍馬伝』で幕末を奔走している彌太郎の弟、井上勝は、伊藤博文や井上馨とともに幕末イギリスへ密航し、後の明治政府の要職を担った「長州ファイブ」の一人です。

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明治41年当時の本部(写真提供:小岩井農牧(株))

小岩井農場は、岩手の中程に位置しています。当初、井上は、桑や漆、畑作で経営を成り立たせようとしましたが、寒冷地で作物が育たず、8年目で経営が行きづまります。そこで井上は、1899(明治32)年、農場経営を岩崎の3代目・久彌に譲り渡します。
久彌は経営方針を転換し、牧畜を経営の中心に据えます。優良な乳牛と競走馬を輸入し、牛乳・乳製品の製造販売、サラブレッドの販売に力を入れます。また、材木用に植林も本格化させました。

そこに、久彌の命を受けて、一人の農場長が赴任してきます。1901(明治34)年、三菱社に入社し、地所部で勤務していた赤星陸治(あかぼし・りくじ)です。赤星は、農業の門外漢でしたが、農業以外の分野で農場経営の基盤をつくり上げていきます。農場は、当時4,000ヘクタールを超える面積を有していました(現在は約3,000ヘクタール)。くわえて、もとは荒れ地だったところを農地に変えた場所でもあり、生活の基盤となる設備が整っていなかったのです。そこで、農場の中で生活が成り立つように、赤星は保育園や医局、郵便局など、生活に必要な施設を整備します。

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夏の二号パドック(写真提供:小岩井農牧(株))

こうして小岩井農場の発展をつくった赤星は、1911(明治44)年に三菱社に地所部副長として復職し、ここ丸の内で、小岩井で培った組織運営ノウハウを存分に発揮していきます。片や農場、片や近代的なオフィス街ですが、そこにいるのは同じ人間ということでしょうか。そして、1937(昭和12)年には、三菱地所設立とともに赤星は初代社長に就任します。岩崎家を介してつながっていた小岩井と丸の内の間を、赤星がいっそう確かなものにしたと言えるかもしれません。

ちなみに、戦後になって、GHQの指導により、農地解放の流れを受けて1,000ヘクタールほどの土地を失い、稼ぎ頭の一つであったサラブレッド育成事業が投機的という理由で廃止されます。もし、この事業が廃止されなければ、いまもG1レースで小岩井農場育ちの競走馬が競馬ファンを熱狂の渦に巻き込んでいたかもしれません。

なお、1938(昭和13)年に、久彌は小岩井農場の経営から手を引き、小岩井農牧株式会社が発足しましたが、久彌は小岩井の地を終生愛し、農場員からも慕われていたということです。

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創立当時の東洋文庫・本館。(写真提供:(財)東洋文庫)

続いて、現代における小岩井と丸の内の関係を見ていきましょう。
まずは一つ目。少々遠回りですが、それでも確かな結び付きが見て取れます。それは、駒込六義園の向かいにある「東洋文庫」に、来年「東洋文庫ミュージアム」がオープンすることと関係があります。財団法人東洋文庫で主幹研究員・専任学芸員を務める牧野元紀さんによれば、その設計を三菱地所設計、造園とミュージアムレストランの運営を小岩井農牧が担当しているのです。

六義園を含む駒込一帯は、岩崎彌太郎が買い上げ、岩崎家の土地になっていました。その一角に、久彌が「東洋文庫」を設立します。この「東洋文庫」、いまでは東洋学分野で日本最大最古の研究図書館となっています。岩崎家ゆかりの地で、丸の内の代名詞とも言える三菱地所と小岩井がタッグを組む。これをつながりと言わずして何と言うか、というところでしょうか。

ちなみに、東洋文庫には国宝5点、重要文化財7点をはじめ、中国の貴重な資料も多いということです。ミュージアムのオープンがいまから楽しみな美術ファンも多いことでしょう。

そしてもう一つが、丸ビルにある小岩井農場直営の洋食レストラン「小岩井フレミナール」。「なんだそんなことか」と言うなかれ。久彌が愛し、赤星が奮闘した小岩井の自然や歴史を、ここ丸の内で食事を通して感じることができるのですから。

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