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【地球大学アドバンス速報】第40回「地球大学アドバンス〔TOKYO SHIFT シリーズ 最終回〕"東京の記憶、丸の内の未来"(岡本哲志氏)

2010年度の「地球大学」は、「TOKYO SHIFT」と題して、地球目線で東京の未来を議論してきました。その「TOKYO SHIFT」の最終回を去る3月7日(月)に開催しました。
テーマは再び、東京の中心「丸の内」の過去・現在・未来です。
ゲストには、丸の内「三菱一号館」の再建にブレーンとして関わり、NHKの人気番組『ブラタモリ』で東京の歴史の「生き字引」として案内役をつとめる岡本哲志氏(法政大学サステイナビリティ研究教育機構)をお招きしました。

okamoto.JPG思えば、東京ほどダイナミックな「変態」を遂げてきた都市はありません。
400年前までは日本の中心=京都から遠く離れた片田舎でしかなかった江戸が、徳川家康の手によって突如日本の首都となり、それ以来、一大都市へと変貌を遂げてきました。その江戸にあって、「丸の内」は、家康が江戸に入府した当時、江戸城(現在の皇居)の眼前まで広がっていた「日比谷入江」を埋め立て、その上につくり上げた大名屋敷街です。
江戸は、明治維新によって東京へと名前を変え、その姿も大きく変じていきます。それに伴い、丸の内の大名屋敷も取り壊され、跡地は原っぱとなりました。その土地を買い上げ、現代に連なるビジネスセンターの礎を築いたのが、三菱の二代目・岩崎彌之助です。「一丁倫敦(ロンドン)」「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれたモダンなオフィス街の表情は、戦後の復興期を跨いで、形を変えながらも現代の丸の内に脈々と引き継がれています。

こうした二度の大きな「変態」「リセット」の歴史を持つ東京・丸の内の未来を、岡本氏はどのように捉えているか?速報では、二つのポイントに絞ってお届けします。

「水の都」の復活

江戸のまちは、掘割が縦横に張り巡らされて、物流や交通の動脈として大きな役割を果たしていました。その水脈は、明治維新をも乗り越え、昭和の時代にも江戸の面影を残すものもありましたが、東京オリンピックを契機に東京の再開発が加速し、多くが埋められてしまいました。
ところで、三菱はなぜ丸の内を買い上げたのでしょうか?この問いに対して、幾多の歴史家がさまざまな説を展開してきていますが、岡本氏は新しい見方を提示しました。
「当時の三菱の主力事業は『日本郵船』。船の三菱が陸上を繁栄させるためだけに丸の内を買ったとは思えない。彌之助は、東京を『水の都』として繁栄させるためのステップとして、陸の『丸の内』をまず発展させようと考えていたのではないか」
氏はこう続けます。「これからの三菱の1世紀は、東京を『水の都』にするための100年にしていくべきだ」と。

「居住」空間の整備

takemura_40.JPG 丸の内は、当初からいまのようなビジネスセンター一色のまちを目指していたわけではありません。第一次世界大戦の前には、銀座の煉瓦街を真似た居住施設の建設が進みましたが、大戦の戦勝景気で丸の内周辺のオフィス需要が高まり、オフィスへと転用されたという曲折があります。
また、丸の内に文化芸術施設を作ることは、彌之助の宿願でした。三菱の宿敵と言われる渋沢栄一に、帝国劇場の設立を許したことから、その思いの強さを窺うことができます。2010年、丸の内に三菱一号館美術館が開館しましたが、これは、彌之助の願いが100年越しで叶ったものといえます。
「これからの時代は、丸の内に人々の暮らしや営みをどのようにつくっていくかが問われている」と岡本氏は指摘します。

東京は、資源制約、環境負荷、少子高齢化という3つのリスクに直面しています。また、先日発生した大震災で、都市として地震や津波にどのように対処すべきかが、改めて眼前に突き付けられています。
丸の内や東京がこれらのリスクにどう立ち向かい、どのようなまちをつくっていくか。いまはまさに、これらのリスクに備えて、江戸開府、明治維新につづく「第三のリセット」を行うとき、といえるのかもしれません。

地球大学