2011年度の地球大学アドバンスのテーマは「コミュニティ・セキュリティの再構築シリーズ」。その第9回は、「原発との共生ー福島事故の真実とこれから考えるべきこと」と題し、内閣官房参与として原発問題に関わられた田坂広志氏をお迎えして2月20日に開催しました。
311からほぼ一年ということで、原発問題に再び正面から取り組みたいと思います。脱原発を決めたとしても廃炉には40年以上がかかり、高レベル廃棄物の問題もあり、福島の被曝の問題もあって簡単には行きません。そして、日本が脱原発を決めたとしても、中国の沿岸部などに建設されればそれは日本の国内問題にもなります。つまり、核のグローバル・ガバナンスは日本の問題でもあり、今の日本の務めは本質的な問題の答えを世界に示すことなのだと思います。原発は原子核そのものを壊すという地球上の生態系にはないやり方でエネルギーを作るやり方であり、いわば「死」の問題を内包しない文明なのです。事故の際に政府の内部にいて核廃棄物処理の専門家でもある田坂先生のお話は、そのような原子力の本質に私たちが目を向けるきっかけになれと思います。
根拠のない楽観的な空気が政界や財界には広がっていますが、それはリーダーの中に観念としてしか危機を見つめられない人が多いからです。私はもともと原子力を進めてきて人間です。21年前にその世界は離れましたが今回のことでまた引き戻されたわけです。国民の間では国民投票をやるかどうかが問題になっていますが、すぐにやることには必ずしも賛成ではありません。大事なのは国民一人一人がどれくらい成熟し、問題に関わり、結論を出すのかというプロセスです。それがなければもし今回脱原発という結論が出たとしても、反対のキャンペーンで簡単に覆る可能性があるのです。だから、国民の中にも楽観的な空気が広がりつつあることに恐れを感じています。
楽観論の根拠のひとつになっている「冷温停止状態」は「冷温停止」というはっきりとした定義のある言葉の意味を曖昧にしたもので、いわゆる「霞ヶ関文学」のひとつですし、汚染水処理が順調に進んでいると言うのも、実は別の所で高濃度の廃棄物を生み出しているだけに過ぎません。これをもって「事故が収束に向かっているから、再稼働すべき」ということを言う推進派は言えば言うほど信頼を失っていくということがまったくわかっていないのです。
では、日本が直面している本当の問題とは何でしょうか?
そのためには「10万年の安全の問題」について考えてみましょう。10万年というのはウランが元のウラン鉱石の危険性のレベルまで下がるまでの期間のことです。この期間の安全をいかに担保するかというのはもはや技術問題ではなく、コンセンサスの問題になります。未来の人類がどのような行動を取るかについての予測を国民が信じるか、そして未来の世代に負担とリスクを残すことを国民が認めるかという問題になるからです。この問題について政府が国民の支持を得るために必要な絶対的な最低限の条件は「信頼」です。
この「信頼」を獲得することこそ日本が直面している本当の問題なのです。そのために必要なことは何でしょうか? 本来は原子力施設のきわめて安全な設計・建設・稼動を通じてでしたが、安全神話は崩壊してしまったので、それはもう無理です。玄海原発の再稼働の問題にしても、ストレステストを加えただけでは信頼を獲得することはできません。理想は何年もかけて新しい基準を作って再稼働の是非を判断するべきで、最低限でも規制庁ができてからその判断で再稼働を判断すべきです。
推進派であろうと反対派であろうと、そのようにして原子力行政を徹底的に改革することが問題の真の解決の第一歩になるのです。
ここで竹村氏の問題提起により田坂氏との対談がはじまります。この対談が政治から人間の意識、そして宇宙、エネルギーと様々な話題に飛びながらも「原子力とこれからの日本」という論点を深めていく非常に興味深いものになりました。
竹村氏はまず「問われているのは原子力の安全神話だけではないし、技術の安全神話だけでもないということだと思います。人為的なミスは解決できるかもしれないが、それでも縦割り組織の中では問題が起きる。それを解決するには日本の政治を組み替えていかなければならず、原子力の問題をその重要なステップボードとしていくべきということでしょうか?」と問題を提起します。
田坂氏はこれに「おっしゃるとおり問題は無責任組織で、年金や薬害エイズと根は同じです。211世紀のわれわれの戦いは、病んでいくシステムそのものが相手です。システムが複雑になっていくと生命的な性質を帯びてきて、あたかも意志を持ったように動きます。官僚組織がまさにそうで、官僚一人一人は優秀で善意なのに、組織になると意志をもってしまい縦割りになり、無力さをさらしてしまいます。このシステムと戦うことこそが行政改革というものの本質なのです。原子力の事故を契機として原子力行政の改革に取り組もうとしたら同時に日本の行政の病の部分にメスを入れなければいけなくなる。
縦割り行政というのは、自分の職掌に対しては責任感があるけれど、国民の命に責任を持つという意識はないということです、SPEEDIの問題にしてもみんなが少し責任領域を広げて判断すれば解決できたことだったと思います。こう言うためにはまず情報が必要ですが、それ以上に大切なのは国民が成熟することです。衆愚政治が簡単に起こってしまう国民ではシステムとの戦いに勝ち目はないのです」と答えます。
竹村氏はさらに「成熟というのは個人の中の多元性であると思いますが、いま、一人一人の内的な多元性が希薄になっている。本来いろいろな側面があるはずだが、それが一元化してしまっているのではないでしょうか?」と疑問を投げかけます。
田坂氏は「まったくそのとおりです。世界全体がどうあるべきか。というときに、識者は多様性が大事だという。そして本当に世界を多様にしようと思うなら、自分の中にもAだけでなくアンチAという思いがあるということに気づかなくてはなりません。器が大きいというのは矛盾するかに思える人格を自分の中に共存させて生きていけるということで、壮大な矛盾を自分の中に把持できる力を言います。今の時代は残念ながら政治家も官僚もシンプルで、人間に深みがないと、制度もシステムも深みがないものになってしまう。政治文化を変革して行こうと思うなら、その辺りから手をつけていかないといけないと思っています」と答えいます。
ここから話は人間の意識の話に。田坂氏は「技術というのは深い所では意識進化の加速器です。例えばインターネットはわれわれの意識を多元化の方向に進化させています。たとえば、メールがぼんぼん届いて1つ1つを人格をスイッチング視ながら答える。多重人格性をうまくマネジメントできるツールが出てきたなと思う」と多重人格論の展開。竹村氏は「宇宙開発も意識進化の重要なステップだと思います。宇宙の中で地球というのがどれだけ稀有な存在であるのかという自己認識にいたる重要な契機であり、最もマクロである宇宙と最もミクロである原子核の中間領域にある世界の豊穣さに気づくきっかけだと思うのです」と宇宙へと話を進めます。そしてさらに「本来はミクロとマクロの両方からこの世界を見るまなざしがあったのに、この50年はそれを安全神話によってふたをして閉まっていたのではないでしょうか?」と原子力に話をつなげます。
田坂氏が「原子力というものをわれわれはなぜ手にしたのでしょうか?原発事故でしみじみと思ったのは、21世紀初頭の人類は原子力を扱うにはきわめて未熟だということ。もっと人間、制度、文化が深いものにならないと、使いこなせないと思います」というと、竹村氏は「事故は幼年期である人類の未熟さゆえに、安全神話という紐でふたをしてしまったがために、おこってしまったのではないでしょうか。こういうところをまたふたをして、その開いたものを閉じるような復興になってしまってはいけない。世界を見る新しいリテラシーを深め、広げていくためには、地方がそれおぞれにエネルギーの決定権や選択権を持つ時代にしなければいけない。そうするともっとクリエイティブな政治というのが起こってくるだろうと思います」と再び政治の話へ。
田坂氏は「私が『自然エネルギーを普及させよう』というのは、それがわれわれの意識を変えるからです。自然エネルギーを普及させるというのはわれわれがどのようなライフスタイルを選択するかという問題です。そのテーマが突きつけられることによって、民主主義というのが、われわれ一人一人がこの社会の変革に参加することだという当たり前のことに気づかされるのです。たとえ全体の30%しか行かないとしても、それが実現することで、われわれはこの国のエネルギーシステムのあり方を変えられるという意識に繋がり、それは国を変えられるという考え方に繋がるのです」と民主主義を自然エネルギーから捉えます。
ここからさらに話題は科学へ。竹村氏は「科学が人間のコントロールの限界に近づいてきているとも思います。科学者の役割とは何なのでしょうか?これまでは専門性が役割だと教えられてきて、他の分野に口は出せないというのがありましたが、それがなければこういうことにはならなかったのではないか。今後、科学者は専門性を越えた広い視野で人類に対する責任を負っているんだという視野に立って議論しないと解決の道は開けないのではないでしょうか?」と問題を投げかけます。これに田坂氏が「科学者が専門バカといって許される時代はもう終わりで、いまはスーパージェネラリストが必要とされる時代。統合するという能力がもっともっと重要になり、コレクティブインテリジェンスという重要な知性も出てきています」と答え、竹村氏は「今日は原発や政治を語りながら、結局人間力というところに落ちてきました。今われわれは人間のあり方というのがもう一歩進化するところに立ち会っているのかもしれない。しょっている荷物についてばかり言われるが、大きな卵もしょっている。人間の新たな可能性というその卵についても語っていけないといけないのではないでしょうか」と締めくくりました。
次回のセミナー:第50回地球大学アドバンス[ コミュニティ・セキュリティの再構築]シリーズ10 3.11後の日本からはじまる新たな「地球基準」の文明
日時:2012年3月19日(月) 18:30~20:30