「ひらめき はかどり ここちよさ」―。これはオフィス家具・文房具メーカーのコクヨのブランドスローガンだ。「エコライブオフィス品川」を訪ねると、これらの言葉が思い浮かんだ。この場に立つと自然の光を利用したやわらかな照明につつまれ、室内や庭の植物に癒され、壁が少なく開放感を抱く。そのために誰もが「ここちよさ」を感じるだろう。「ひらめき」や「はかどり」が得られることを期待できるようにも思えてくる。
ここは「実験オフィス」という位置づけで、社員が実際に働きながら、同社の製品や働き方の工夫をテストする場だ。そして訪問者に商品が使われている姿を見てもらうPRの場でもあり、申し込めば社外の人も見学ができる。「『面白いから行ってごらんよ』という口コミで、来訪する方が増え続けています。2008年11月の開設から翌年12月末まで、このオフィスのあるコクヨ東京ショールームの見学者は3万人を超えました」と、同社広報の海老澤秀幸さんは話す。メディアの取材から取引先、大学や研究機関まで、訪問者の職業はさまざまだ。こうした人々との交流や、社員の仕事の「はかどり」など、ビジネスをめぐるさまざまな成果がここから生み出されている。
そして、このオフィスではCO2を減らして環境負荷を減らすことも成功した。改修前の推計で同じフロアのCO2排出量は年135トンだったが、09年11月末までの1年間の実績で43.6%、約58.8トン分のCO2が減った。そのうち新型の照明や空調設備による消費電力の削減効果で51.1トン、社員の意識改革等による消費電力の削減効果で7.7トン分が減った。設備による削減だけではなく、オフィスの運用と社員の意識改革で大量のCO2を減らした。これは他の企業ではあまりない成果だ。
日本政府は、2010年3月にまとめた温暖化対策基本法案で、2020年までに1990年比でCO2を25%削減する目標を表明した。また東京都が環境確保条例によって都内の企業のCO2の排出上限を2010年から定めた。政策による規制は今後強まり、今後は企業のオフィスでもCO2削減が課題となる。そうした状況ではコクヨの取り組みは多くのビジネスパーソンに参考となるだろう。成果を上げた秘密は、どこにあるのだろうか。
CO2を大きく減らしたエコライブオフィスの工夫を、空間設計、そして人々を動かす仕組みという二つの面から紹介してみよう。
ここでは仕事の内容に応じて光を変えられる[[知的照明]]を取り入れている。会議などの議論には集中しやすい白くて明るい「ディスカッションモード」、物事を考えるにはやわらかく落ち着いた光の「アイデアモード」など、仕事にあった照明を働く人が選択できるものだ。また採光や外気など自然を利用することで、照明や空調の無駄をなくした。オフィスの「ここちよさ」や、活発なコミュニケーションは、こうした設計や、導入された機材の工夫で生み出されていた。
人の動きについての工夫もある。ここでは働く人に固定席のない「フリーアドレス」という仕組みを採用した。社員にはそれぞれノートパソコンを持ち、無線LANでオフィスのどの場所でも働ける。机の並ぶ「ワークスペース」で仕事をする場合には、「オフィスダーツ」という仕組みを作った。コンピュータがダーツゲームのように、座る席を決める。見知らぬ人同士が隣同士になり、社内の交流が広がることを期待した。
これには省エネの意図もある。例えば、残業時間になるとデスクワークをする人を一カ所に人を集めて座席を割り当て、「人感センサー」により、その場所の照明と空調を稼動させる。一方で人が存在しない場所では節電する。また効率性を高める狙いもある。席の割り当てを登録する時に利用時間を30分から最大2時間まで入力し、「この仕事をこの時間で仕上げる」ということを自覚できる。オフィス内の照明は夜7時に一斉消灯を行い、働く人に時間の意識付けを行い、効率を高める工夫をした。
働く場所はワークスペースだけではない。「ガーデン」と呼ばれる外部スペースを作った。オフィスの中央にも、天窓から光を取り入れて木を植えてその回りに本を並べた「ライブラリーコート」を作った。そうした場所で働けば、エネルギー使用の削減が行える。自然に触れて働くため「五感が刺激される」と社員にも好評だ。
このオフィス作りには社員が設計段階から意見を述べて参加した。議論ではまず「エコ+クリエイティブ」と、基本コンセプトが決まった。それを実りあるものにする方法のアイデアを社員が提案した。「良いコミュニケーションが、このコンセプトを実現するカギになると思いました」と議論に参加した寺本雅子さんは話す。寺本さんはオフィス家具のデザイン、開発を担当するコクヨファニチャーの部長で、創造性が常に問われる仕事だ。こうした議論の積み重ねの中で、環境にやさしく、人々の交流をうながすアイデアを形にしていった。
エコとクリエイティブの取り組みを、同社では強制や社員の負担にならないように配慮している。「監視をするのではなく、『気付き』のきっかけにしたいのです。働く人が前向きにとらえるようにする方法はないかと、考え続けています」。同社のビジネス企画や商品開発を担当するRDIセンター長で、このオフィスを利用する植田隆さんは、利用する社員への気遣いを話した。
東京・品川にあるエコライブオフィスは、大型ビルの1フロアを使った2,000平方メートルの空間だ。「ガーデン」、「スタジオ」、「オフィス」内の「プロジェクトスペース/ワークラボ」「ワークスペース/ライブラリー」の4つの部分で構成されている。
オフィスで日当たりのよい南に向いた庭で、噴水と植え込みが設けられている。社員はここを自由に使える。
外もワークスペースとなっている。快適な春や秋だけではなく、厳しい環境の夏や冬もここで働くことで「エコワーカー」への意識変革を促す狙いもある。無線LANや携帯式バッテリーが用意され、どこでもパソコンが使える。
夏は日差しなどが強いため、外で働くことは過酷だ。そのためにベビーカーを参考に「OTONAカー」を作った。シェードで覆われた個室のような空間で、安心、集中して作業ができる。夏はサングラス、冬は防寒着などを貸し出し、外で仕事ができるようにした。
ガーデンには時計をわざと置かずに噴水で毎正時を知らせるようにした。デッキは同社の提供する家具にも使われる間伐材を利用した。庭園には四季それぞれに花が咲く植物を植え、変化を感じとる。アサガオなど、社員が自発的に植物を育て始めたという。
ガーデンに隣接した空間だ。セミナーや研修、ミーティングが行われる。このスペースを利用して講演会などのイベント、また部の内部の交流会が行われている。人々のつながりを作り出す場所だ。
電力を使わない夜間にデスクに内蔵されたバッテリーに蓄電を行い、それを昼間に活用する。また太陽光発電で蓄電する方法もあり、その充電器は日当たりのよいスタジオに置かれている。
エコライブオフィスでは、社員全員が「マイカップ」を持参。キッチンのあるスタジオに置かれている。オフィスにはマイカップで利用できる自動販売機を2台設置し、紙コップのゴミを減らしている。
会議室では間伐材を材料としたテーブルやイスを使用した。コクヨは高知県の四万十・大正町森林組合と連携した「コクヨ ー四万十・結の森プロジェクト」を通じて森と地域の再生を目指す活動を行っている。整備の過程で出る間伐材を利用した。写真はヒノキで作られたテーブル。
新しいサービス、商品の企画、社内ミーティングで使われる。大阪本社とテレビ電話で結び詳細な打ち合わせができる。ここには開発中の商品も置かれていて、社内外の人の意見が聞けるようになっている。机の下でペダルをこぐ「人力発電システム」も置かれているが、商品化は未定とか...。
消費電力の少ないLED照明を使い、人感センサーを組み込んでオフィス全体をチェックする。人が感知されない場所は、照度や空調を減らす。午後7時には電気がすべて消灯され、残業を少なくする。[[知的照明]]も社員が利用して研究が進められている。
大丸有地区では新丸ビル10階のスペース「エコッツェリアで知的照明が使われている。
「エネルギー遠隔監視システム」を導入して、オフィス全体のエネルギーの使用を「見える化」することを試みている。コピー紙の使用も部門全体で管理する。ムダ使いの防止や改善に活かされる。個人が「階段を使った」「節電した」などのエコ活動を記録、それにエコポイントを与え、活動の自己確認と他人との競争で社員を啓発する「エコピオ」というシステムがある。
コクヨは大阪に本社と開発拠点がある。高解像度の映像を送れるテレビ会議システムを導入して出張を減らし、経費と使用エネルギーを減らした。さらに環境にやさしいパネル式ボード、充電配線に配慮した机と椅子、LEDの照明器具など、試作品や企画中の商品を社員が使い、実験モニターとなっている。
「フリーアドレス」と呼ばれる働き手が固定席を決めない形を採用した。社員相互の出会いや日々変化する情報など、外からの刺激を常に「感じとる」ことを工夫した。
オフィスの中央にある「ライブラリーコート」では、周囲をベンチ状にして、人が集まる公園のような場所を作った。本や伝言板も置いた。人が集まることで交流が生まれ、自然に触れて五感を刺激した仕事ができる。
自然の光と風を利用する。オフィス中央部のトップライトやスタジオ側のガラス窓から外光を取り入れた。またオフィスの窓は、外の光と温度を感知するセンサーと連動し、好天の日には外気を取り入れ、空調をコントロールする。
「オフィスダーツ」と呼ばれるコンピュータ上で席を決める仕組みを作り、フリーアドレスを実践している。席決めをランダムにすることで社内の会話を誘う狙いがある。
日本経済の成熟化が進む中でビジネスでは「ヒト・モノ・カネ」を大量に投じてもこれまでのように売り上げを伸ばすことは難しくなった。限られた経営資源を活用して創造性と効率を高めて、ビジネスの成果を上げることが求められている。それに加えて、環境面への配慮も社会的に要請されている。こうした時代の流れに影響を受けて、オフィスのあり方でもさまざまな工夫が凝らされるようになった。
オフィス家具メーカーのイトーキは2007年、「ワーキングショールーム」(東京・中央区)を開設した。さまざまな業種の人がコミュニケーションを深めることで、働く人の創造性を高める試みという。オカムラも09年に「オフィスラボ」(東京・千代田区)を作り実験的な取り組みを行っている。ここでもアイデアを「出す」「検討する」「まとめる」という作業を、コミュニケーションを行いながら取り組む。
業界のリーディングカンパニーであるコクヨは「ライブオフィス」という取り組みを1969年(昭和44年)竣工のコクヨ本社ビルから行ってきた。社外の人に自社製品を使うオフィスを見せる取り組みだ。「エコライブオフィス」はこの延長にある。
このオフィスの改修費用には7億円かかった。環境意識の高いコクヨでも、コストをどうするかという議論が起こった。その際に環境への取り組みを主導してきたコクヨの黒田章裕社長が「やろうじゃないか」と決断したという。
コクヨにとって、このオフィスには将来のビジネスの布石でもある。「効率性や創造性を求めながら、省エネに配慮したオフィスが、求められるでしょう。鳩山政権の打ち出したCO2の25%削減のためには、働く人の積極的な取り組みが必要です。機材に加えて、人々の行動が変わるためのデータを集めたかったのです」(コクヨ・植田さん)という。
このオフィスには、コクヨグループの中長期的な視野での事業開発等を担うコクヨRDIセンター、オフィス家具の製造販売を担うコクヨファニチャーのマーケティング部門、そして営業部隊のコクヨオフィスシステムの一部門という、仕事の内容の違う3つの組織が入り、約140人の人が働いている。これは相互の影響を期待したためだが、その成果は少しずつ現れている。
「ひらめきの種が自然とやってきます。『オープン』にした効果が出ているのでしょう」と、RDIセンター長の植田さんは話す。大学や研究機関に勤める見学者から「一緒に研究をしませんか」という提案を頻繁に受ける。組織の内部、外部からアイデアを集めて変革に結びつける「オープン・イノベーション」という手法が注目されているが、このオフィスは、それを自然と実現しているのだ。
「社員のコミュニケーションがよくなりました」と、コクヨファニチュアーの寺本さんも効果を話す。商品開発と営業の2つの組織がオフィスを共有することで協力が深まった。同社は例年、11月末に次の年の新商品を発表していたが、2009年には秋ごろに新商品企画が完成した。開発サイクルが速まったのだ。
そして社員が自発的にエコ活動を行うようになった。オフィスの快適さを維持しようと、管理職から社員までが、掃除、マイカップの持参などを自発的に行っている。ガーデンで植物を育てる人もいる。当初の予想と違って、忙しい営業担当の社員が期待以上に熱心にエコ活動に取り組んでいる。「お客様にエコ商品を提案する以上、自分たちがしっかりしようと考えるのでしょう」と植田さんは分析する。
最新設備と仕組み作りが、社員の気付きと行動を生む。こうした好循環がエコライブオフィスでは生まれている。
このオフィスの交流スペース「ライブラリーコート」では、働く人が楽しみと仕事を両立させ、密接に交流している姿が見られる。「この前のミーティングありがとう」「この仕事のアイデア募集」などの伝言や、「役立つビジネス書を紹介します」などのお知らせの書かれたメモが貼られ、社員がお茶などを飲みながら談笑している。楽しみながら、コミュニケーションが深まり、仕事の効率が高まっている様子がうかがえる。
コミュニケーションの深化や社員の気付きは、放置していては行われない。このオフィスでは、社員が「運営」「コミュニケーション」「共通ルール」を検討するプロジェクトを定期的に開き、オフィスの運用や仕組みの在り方を検証している。
しかし先進的な工夫が織り込まれたオフィスにも、改善するべき課題はあるという。社員の大半は取り組みに賛同しているが、その熱意には個人ごとに当然差がある。「全員が動き出すきっかけとなるイベントを開催して、全員で盛り上げようとしています」(寺本さん)という取り組みをしている。
また何が最も効率的な働き方か、試行錯誤は続いている。研究や開発職は、フリーアドレスよりも固定席に座って集中して考え続けた方が、成果を得やすいという意見が社内にはあり、「まだ結論は出ていません」と、寺本さんは話す。
さらにコミュニケーションの質を深めようという議論もある。「『組織をオープンにすること』と『コミュニケーションの活性化』という取り組みの方向は、正しいと思います。その質を向上させ、社員の知恵を社内に広げ、ビジネスにどのように結びつけるのか。そして常にアイデアを生み出し続けるにはどうすればいいのか。仕掛け作りを今後は考えたいです」と、植田さんは課題を語った。
エコ商品、そしてこのオフィスで得た知識や経験、そして生み出した商品はビジネスの成果につながる可能性がある。厳しい経済情勢を前に、オフィス製品の刷新に消極的な企業が多い一方で、「良いものを長く使う」という考えから高品質のエコ商品を購入する動きもあるのだ。「間伐材を使った木のテーブル、環境配慮型の商品、[[知的照明]]などはお客さまの関心も高いので、今後に売り上げが増えることを期待しています」(寺本さん)という。
コクヨがこのオフィスで提案するような働き方は広がっていくのだろうか。「環境の保護と効率性の追求に反対する人はいませんから、その方向に進むでしょう。ですが広がりを加速させるには仕掛けが必要と思います」と、植田さんは予想した。オフィス備品を含めた「エコ商品減税」などの政府の支援、また企業や大学などの研究機関、自治体などとの連携で、新しい働き方が広がることを期待する。
「まちやビル作りのストーリーの中でオフィスを考えれば、新しい働き方が提案できる可能性があります。大手町、丸の内、有楽町では企業、行政、ビルオーナー地権者が連携して街を作る素晴らしい取り組みを行っています。このような動きの中に入りながら未来のオフィスのあり方を考えたいですね」(植田さん) 。
コクヨのオフィスを見ると、仕事の中でエコとクリエイティブは両立できることが分かる。それは空間や最新機材という「ハード」の導入を人々の気付きという「ソフト」面の変革に結び付けることで生まれ、会社の中と外との「良いコミュニケーション」の存在が前提となっていた。
やがて来る「グリーンワークスタイル」は、「エコライブオフィス」で見たような姿になるのかもしれない。それは楽しく、「ひらめき」や「ここちよさ」のある、楽しく希望に満ちたものになりそうだ。
取材協力:コクヨ株式会社
シンクタンク・ソフィアバンク代表の田坂広志さんは著書『未来を予見する5つの法則』(光文社)の中で「古く懐かしいものが進化をして新しい形で登場してくる」という、ビジネス法則を指摘しています。「エコライブオフィス」を取材して、この言葉を思い出しました。最先端の設備に囲まれているのに、そこでの働き方がなぜか「懐かしい」のです。木陰で話し合ったり、植物を愛でたり、楽しそうにそして熱っぽく仕事を議論したりなどの光景がありました。働くことの意味とは「仲間と協力し、社会に良い影響を与え、そこから成長と達成の喜びを得ること」と、私は考えています。そうした姿を、最先端の設備を持つオフィスで見つけたことは、とても印象に残りました。