※本レポートは、2010年12月20日に対談を実施し、2011年2月9日に公開した記事の再掲載です。
オフィスで働く人々が、心地よく活動できる「まち」とはどんな空間だろうか。
環境問題への取り組みと、仕事の仕方とが調和し、つながりあい、心地よく連携していく「まち」の形は、いかなるものか。「大丸有」地域を舞台に新しいワークスペースの可能性について考える。
藤野: 今、私が取り組んでいる仕事は、日本やアジアの国・地域を対象にした、持続可能な低炭素社会のシナリオをつくること、またそれを実現する手法の研究です。それもあって海外出張も少なくないのですが、そこで感じるのは、国は違っても大都市というのはある意味似通っていて画一的だということ。ホテルならどこも四角い部屋で空調が効いていて、すべてが人工的に管理されている。
福田: 酔っぱらってそのまま寝てしまったら、風邪をひいてしまいますよね。
藤野: そうなんです。この前、タイのホテルでそれをやってしまい(笑)、帰国してもなかなか治らない。メリハリなく仕事を続けている自分自身のワークスタイルも問題だし、精神や身体がゆるんでいくタイミングが見つからない現代の都市生活のスタイルも問題だなと。もう少し都市空間の中に「ゆるむ」場所があるといいなと思うんです。
福田: たしかに、都市で働く人たちは、ゆるむ場所も時間もなかなか得られないですよね。
藤野: 日本は戦後の経済成長の中で、効率やスピードを追い求めるばかりに、人と人とのつながりを欠いた、バラバラな社会をつくってしまった。東京はその最たる場所と言えるかもしれません。
福田: 今、諸外国との比較からは、日本の健康課題は「3S」が重要と考えています。「3S」とは、スイサイド=自殺(メンタルヘルス不全)、スモーキング=高い喫煙率、そしてシニアシチズン=高齢化の3つです。これに加えてメタボ・生活習慣病も重要な課題です。OECD諸国では日本は最も痩せている国ですが、日本人は欧米人に比べ少しの肥満でも糖尿病等になりやすい。
実はこれらの課題はすべて「環境」と関係がある。いずれも、一つの病として治療を施せば解決するというものではありません。健康問題の根底にある働く環境・暮らす環境から問い直されなければ解決できない。その意味で、医学と環境の問題は別個に扱うことができないテーマなんですよね。ですから、異分野の専門家同士が意見交換をすることが、ますます大切になってきていると思います。
藤野: そう、縦割りの専門分化したやり方は限界にきています。その分野の専門家だけが狭い範囲で考えていてはなかなか解決策が見い出せない。その点は、環境問題も同じです。
たとえば、「CO2の削減」。現在、日本は一人当たり年間10tのCO2を排出しています。アメリカは20t、フランス7〜8t、中国4〜5t、インド1tです。日本は国全体の排出量を2025年に25%、50年に80%削減するという目標を掲げた。ということは、2050年には日本では10tから2tにしなければならないわけです。私が参加している中央環境審議会地球環境部会中長期ロードマップ小委員会で、その目標に向かってロードマップづくりを進めていますが、そこではCO2削減のために「原子力発電を増やす」ことを前提にして議論が進むわけです。
福田: なるほど。CO2の削減には火力発電から原発へシフトすればいいと。
藤野: そうです。CO2の排出量を削減するだけでいいのなら原子力発電をどんどん増やせばいいし、「炭素隔離貯留」というCO2を地中や海に埋める方法をとればいい。でも、そんな単純な技術中心の発想でいいのでしょうか。もろちん現実問題として原子力発電は必要ですし、炭素隔離貯留はCO2というゴミを処理する技術として優れてはいますが。
福田: そもそも、低炭素社会の実現とは「何のために」やっているのか、考える必要がありますよね。
藤野: 私は「命」のためだと思います。2010年11月に小学校の修学旅行以来広島市に行ったこともあり、「世界の平和」のためだと再認識しました。いくら広島で平和を唱えても10tの生活を続けていたら資源の奪い合いはなくなりません。そしたら、広島大学の疫学の先生から「健康」も入れてよ、と言われました。理想だけではめしは食えない。自律した個人の健康な生活が世界の平和(=社会の健康)の礎になる。つまり、人々の健康とまちや自然環境の健康とが組み合わさってはじめて「命」を大事にした社会を実現できるのではないか。持続可能な社会のために私たちはどうアプローチしていくべきなのか。大切なのは、ベーシックなところからあるべき社会についてみんなで議論し、デザインをし、それを実現していくことですよね。そのためには、異分野の専門家たちの知恵を結集することが必要です。
福田: 都市デザインと環境技術とを組み合わせていけば、より良いまちづくりやライフスタイル、ワークスタイルを生み出すことができますよね。
今、低炭素社会の実現と「命」に関するお話を聞いていて、私が医学を志したきっかけを思い出しました。私の場合、1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」に出会ったことが、医学部を目指した動機だったんです。「成長の限界」は、地球と資源には限りがあり、このまま人口増加や環境汚染が続けば地球は限界に達すると指摘し、世界中に衝撃を与えましたよね。
医師として「個人の命を救う」ことはもちろん大事ですが、さらに広く社会にある多数の「命」に対して医学でどう貢献していけるのかに関心を持ちました。そういうわけで今、自分と異なる分野、環境の専門家・藤野さんと対談できることを、率直に嬉しく思います。ようやく、もともとの関心、目標と自分の仕事がつながってきたかなと感じます。
藤野: 日本では環境問題というと、すぐ「技術」によって対処しようとするところがあると、先ほど指摘しましたが、もう一つ問題だと思うのは、何かを評価する際、一つのものさしだけで判断してしまう傾向があることです。たとえば職場においては、業績だけで人を評価するように、CO2排出量の数値だけで環境を評価するということです。
福田: 面白いですね。「メタボ対策」の現状も環境問題とよく似ています。単純化した目標や技術に依存する傾向があると感じます。
国から示された目標は「平成27年までにメタボ及びその予備群の25%削減」、それを特定保健指導という技術で達成せよというわけです。これに従って、平成20年から企業では健康診断でメタボに該当する人をあぶり出し、生活習慣の改善等を専門職が指導しているわけです。
最近はメタボ対策に続いて、メンタルヘルス対策も浮上してきました。自殺者が年間3万人を超え続けています。そこで「社員全員のうつ検診やストレスチェック」の義務化が検討されています。企業風土や環境も含めさまざまな対策が考えられるはずで、現場の産業医や保健師からは、そうした手法に疑問の声もあがっています。メタボ対策と同じ図式で、単純化した目標と解決策が義務化されやすいように感じます。
藤野: いったい何のためのメタボ対策・メンタル対策なのかという視点が欠けていますね。
福田: 国として医療費適正化は重要ですが、多くの医師や専門職はそれを目標に取り組んでいるわけではないはずです。本来の目的は、一人ひとりがアクティブに生きていく社会をつくることでしょう。何のための対策なのかが抜けているという意味で、環境対策も健康対策も構造が似ていて、共通の課題を孕んでいる気がします。
藤野: そのとおりですね。たとえば住宅について考えてみると、本当に心地よい快適な居住空間とは何なのか。健康に暮らせて、かつCO2削減ができる家とはどんなものか。そういうデザインを考えてみる必要があるでしょう。さらに、その発想を都市にまで広げてみる。たとえば、都市でCO2の削減をはかっていくときに、CO2の数値だけでなく、オフィス空間など労働環境が改善され、最終的に働く人々の健康にも良い効果があることなどを定量的に評価する指標ができないか。温暖化対策の突破口の一つは、そうした「マルチベネフィット」をいかに評価し、きちんと見せることができるかにあると思うんですよね。
今、環境問題だけでなく、オフィスで働く人々が心地よく活動できるワークスペースやワークスタイルについても見直しが進んでいると思います。実際に企業の中では、どんな健康対策が行われているのでしょうか。
福田: 大手企業では健康管理が進んでいて、健康診断もほぼ100%の社員が受けています。最近では、システムエンジニアがたくさんいる職場で、ストレッチの講師をデリバリーするといったヘルスプロモーション活動も実施されています。普段運動不足の社員も、元気いっぱいの講師がやってきて「ストレッチ体操をしましょう」と言えば、何となく体を動かす。5分でも10分でも効果はあります。会社側のねらいは、うつ対策と生産性の向上ですが、従業員のコミュニケーションも良くなる。いわば一石四鳥です。
問題は、大手と中小企業の格差です。中小企業では健康診断が充分に受けられないところもありますし、病気になったら即、退職といったケースもあります。この格差をどう埋めていくのかが課題です。
今、「ヘルスリテラシー」という言葉が注目されています。健康に必要な情報を得て、理解し利用していく能力、自分の健康をコントロールできる力のことですが、集団の中に一人でもヘルスリテラシーの高い人がいると、その人が周りによい方法を伝えたり、影響を及ぼしてコミュニティ全体が健康へ向かっていく効果が期待されています。
藤野: 誰かの元気に触れて、その元気が他の人へと連鎖していく。そんなエンカレッジの連鎖が、日本の社会にはもっと必要です。たとえばこのエコッツェリアでは、[[丸の内朝大学]]でいくつも講座が開かれていますが、それは地域社会では弱まっている人と人のつながりを、別の形で働くエリアでとり戻していく試みだと言えるのではないでしょうか。このような、それぞれの都市にあわせた新しいコミュニティの形成が必要だと思います。
今の日本はオフィスでいじめやパワハラが発生すると逃げ場がない。人のつながりが希薄ですからね。もし、その人が会社のほかに何らかのコミュニティに帰属していれば、そういう時の逃げ道が見つかるかもしれません。
エコッツェリア
丸の内朝大学
福田: そうですね。一つの組織でうまくいかなくても、別のところで元気をもらえることはありますね。たとえば私たちのような医療専門職は、会社の中に一人しかいないことも多い。企業の規模によっては、ほかに相談する人がいないこともあります。産業保健の課題は多様化・困難化しており、「このやり方で良いのか」と悩むことも多いはずです。毎月、多職種の産業保健スタッフが70〜100名集まるさんぽ会では、このような専門職の「元気が貰えた」という声を多く聞きます。一人の人間が重層的に帰属できる場所を持つことが、今の時代はとても大切ですよ。
藤野: そもそも、日本人は"環境の意味"を読み取る力が優れた民族だったんです。たとえば、宮崎駿の映画の世界にしても八百万の神にしても、外界の対象の中に神を読み取りますね。あるいは、空気を読むことも得意。日本人の感性は自然環境への感謝の気持ちが強く、伝統的な武道や禅の修行の中には、「環境と上手に折り合っていく知恵」のようなものがありましたよね。残念なことに、そういう日本流の良さを忘れて、アメリカ流の効率主義を追い求めた結果、自分たちを追いつめてしまっている。
福田: アメリカ流でもヨーロッパ流でもなく、日本流をいかに取り戻していくのかが、今後のテーマですね。
さまざまな医療・健康問題が山積みのように言われますが、日本は世界でトップクラスの健康状態にあるわけです。その背景・要因を再分析してみれば、いろいろとヒントが見つかるかもしれません。健康な職場のために、社内運動会や社員旅行などが見直されているように、もしかしたら人と人とをつなぐことが日本流経営の良さだったのかもしれないですね。
藤野: そうですよね。地域コミュニティが崩壊し人と人とのつながりが失われても、社内運動会のように「会社」がその役割を担った時期がありました。しかし、それも今は消滅しつつある。とすれば、会社に代わって、これからは都市やまちが担えばいい。エリア単位で運動会や文化祭などのイベントを開催するなどして、つながりをもう一度、紡ぎなおす。このエリアで働く人たちがいきいきとして健康になれるような体験の場をつくり出していくことが大事でしょうね。
藤野: 「大丸有」というのは日本全体から見ても特殊なエリアです。ここに拠点を置く企業は、いわば世界を相手にして闘っている。このエリアは「戦場」でもあるわけですね。したがって、知的活動への欲求が高いワーカーが多く、またストレスからメンタルヘルス対策のニーズが高い場所と言えるかもしれません。このエリアがそうした要望を満たせなければ、働き手は外へ出て行ってしまうかもしれない。だからこそ、このエリアの企業が率先して、企業の枠を超えた交流空間をどんどんつくり出して、グッドプラクティスを示すべきでしょう。
福田: まずは「大丸有」エリアがほかと比べてどんな特徴があるのかを知ることが大切だと思います。「大丸有」は、エネルギーも人も食料もすべて外から供給されている。その意味で非常に恵まれた場所。それを自覚することで他の地域との関係性が見えたり、感謝の念が生まれてくるかもしれません。自分たちが果たすべき役割が何なのかが、わかってくるのではないでしょうか。
藤野: もっといろいろな人が好き勝手に交わる、イギリスのパブ的な空間があればと思います。冒頭で述べた都市の中で「ゆるむ」空間。ワトソンとクリックはパブでDNAの構造についての着想を深めたと言うしね。今のように無駄のカットばかり進めていったら、人と人のつながりが失われてバラバラで相互不信の社会になる。だとすればもう一度、つながる空間、そのための「ゆるむ場所」をつくっていくことが必要でしょう。わかりやすく言えば、「お茶の時間」が必要だと思います。特別な目的がなくても、何となく一緒にお茶を飲むという時間は結構大切です。その人が考えていることや取り組んでいることの背景がわかったりして信頼関係が築ける。それが大切な「ソーシャルキャピタル」になっていくんですよ。
福田: 共有の体験がなくなってしまえば、体験をベースにしたコミュニケーョンも難しくなってきますよね。たとえば子どもの時に木登りしたことがない人が親になり、その子どもが公園の木に登ってケガをしたら、公園を管理している自治体が悪いと責めるかもしれない。当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなり、コミュニケーションが難しくなってきた時代。だからこそもう一度、体験を共有する場が必要なのかもしれません。
エコッツェリアでは異なる分野の専門家と出会えるという意味でも、非常に期待しています。たとえば最近、CSRの中に「健康管理」の項目を入れる社会的ニーズが増してきています。大手企業のCSRリポートにも「社員の健康」に一定のページが割かれるようになって来ました。企業にとって「環境」のみならず「健康」というテーマがとても重要になってきました。私としては、これまであまり一緒に議論したことがない部署の人とも「環境」や「健康」について一緒に語り、考えるチャンスになると思います。あるいは本音を語ってくれる経営者に会って、「環境」や「健康」についてどれくらい本気でいるか、直接聞いてみたいですね。エコッツェリアでそうしたテーマのシンポジウムを開くこともできるでしょう。「環境」と「健康」の専門家同士が対話する機会が生まれ、エコプロモーションとヘルスプロモーションを「一緒に取り組みましょう」という気運が出てくるかもしれないですよ。
藤野: 異なるジャンルの人と人とが出会う。体験や身体を通して気づきを得る。それによって人々がエンカレッジされていく。そんな交流の場から、「大丸有」らしい新しいコミュニティの形が生まれてくるといいですね。
私たちの暮らしや仕事は、これまであまりにも、一つの「課題」を絞って効率的な対応を求めることばかりを繰り返してきたのではないでしょうか。今の都市空間の中には、もっと「ゆるむ場所」が必要だと、お二人の話を聞きながら痛感しました。「ゆるむ」ことで、人々は「つながり」、「創造」「融合」「触発」を生みます。人材が豊富な「大丸有」の中に、「ゆるむ場所」が増えれば、「環境」や「健康」に良い影響を及ぼしていくのではないかと思います。