まち(エリア)のサスティナビリティを追求する、というテーマに対して、アートと緑はどのような機能を果たしうるのだろうか。また、どんなコラボレーションが考えられるのだろうか。都市の大規模施設の緑化に取り組む、(株)日比谷アメニス取締役鈴木誠司氏と、2010年4月にオープンした[[三菱一号館美術館]]を管轄する三菱地所(株)恵良隆二氏。お二人の話からこれからのまちづくりにおける、緑とアートのあり方が見えてきた。
聞き手 : 山下柚実(作家、五感生活研究所代表)
――大手町・丸ノ内・有楽町の「大丸有」エリアは、23万人が働き、外から来る人をあわせると100万人が集うまちに成長しています。働く人たちや訪れる人たちに、この「まち」はどんなメリットを提供できるのでしょうか。
今日は、「大丸有」を舞台にして「緑」×「アート」の効能を考えてみたいと思います。まず、それぞれのお仕事と緑との関わりから、お話しいただければと思います
天神イムズの空中庭園
鈴木: 日比谷アメニスという会社は、旧名が「日比谷花壇造園土木」、60周年を迎えた日比谷花壇グループの一員です。グループの社是は「花と緑を通じて社会に貢献する」。その中で、日比谷アメニスは、主に「緑」のほうを担当しています。取り組んできた仕事としては、都市の複合施設における大規模緑化、造園、公園や高速道路の緑化など。三菱地所さんとは横浜のランドマークタワー、福岡の「天神イムズの空中庭園」の仕事などでご一緒させていただきました。
恵良: 私はそもそもランドスケープ・エコロジー、景観保全を専門としています。公園緑地の設計をはじめ、広尾ガーテンヒルズの外構、東京ガス本社の外構の設計、環境アセスメントを経験してきました。また、横浜みなとみらい21事業、横浜ランドマークタワー計画、丸ビルの建て替え事業等にも携わってきました。その中で、歴史的な建物の保存に取り組んできたことが、三菱一号館美術館の仕事へとつながったわけです。
鈴木: 都市の「緑化」は、建築空間の中で、唯一、生き物を扱う仕事と言って良いかもしれません。建設工事が仕上がってからが、私たちの仕事の始まりだと思っています。 コンクリートジャングルの都会の中で、「緑化」と言えば、主に屋上や壁面が対象になります。昔から培われてきた地面上の造園技術よりも、[[壁面緑化]]や[[屋上緑化]]などの新しい技術が必要になる。「大丸有」地区はそういった「特殊緑化の最前線」というイメージがありますね。
恵良: 私は「自然環境」という要素を、「社会共有資本」の一つとしてとらえるべきではないか、と考えてきました。つまり、道路などのインフラストラクチャーと、医療や教育、まちづくりなどの仕組み、制度、そして自然環境。その3つを、対等な価値として同じ視線でとらえるべきだ、ということです。
――「大丸有」では中庭や壁面・屋上の緑化を積極的に進め、[[街路樹]]等もずいぶん整ってきましたが、このまちの緑化をどのようにご覧になっていますか。また、まちの緑化はどうあるべきだとお考えでしょうか
恵良: 人々の働き方は今、労働集約型から知識集約型へとシフトしてきています。さらに「知識創造」へと進化していくにつれて、人と人とのコミュニケーションはますます大切になってくる。そうした時代に、精神や身体に良い効能や影響を与える「まちの緑のあり方」を考える必要があります。
たとえば、仲通りの並木。あの通りはバスなどの大型車両が通るわけではないのに、他の通りと同じ方法で剪定することが正しいのかどうか。問い直しました。たしかに、一般的な剪定方法で並木を整える方が、管理はしやすいでしょう。しかし、それでは目に入る緑の量「緑視量」が減ってしまう。本当にそれで良いのか。仲通りには、緑が上へと拡がりながら樹幹を形成するような樹木を植えて、なおかつ、できるだけ剪定しないほうが、「緑視量」は増えるわけです。樹幹ができると夏には木陰ができ、そこにベンチを置けば、心地良い空間が生まれる。街路を単に「通行する空間」としてではなく、「快適に過ごす場所」としてとらえるなら、並木の剪定方法を少し変えるだけでも、このようにいろいろな可能性が広がっていきます。人にとってより心地良い場所にすることができるんですね。
今ビルの屋上には、デザインを生かした「庭」が生まれていますし、屋上を農業生産の場にすることだってありうる。鳥や昆虫がやってくるビオトープやエコトープにもなりうる。都市に集う人々に喜ばれるインフラストラクチャーとしての緑のあり方は、まだまだ多彩に広がっていくと思います。
鈴木: おっしゃるように、場所によって緑のデザインは大きく変わるべきだと思います。これまで日本では、街路樹はいわばファニチャー的なものとして扱われ、どこでも同じような風景ができてしまう傾向があったと思います。また、税収入が潤沢にあった頃は、国や各自治体などが音頭をとって緑を増やしていく流れがありました。日本人一人あたりの公園面積は9.1平方メートルほど。それを13平方メートルまで増やしていく方向が示された時期があったのですが、いったん経済が悪化し税収が減ると、そうした動きはぱたっと止まってしまって、民間にお任せとなる。緑というものを「都市に不可欠な要素」としてとらえるのではなく、ちょっとしたお飾り・演出物として扱っている現実が、見えてきます。
[[屋上緑化]]・[[壁面緑化]]の技術に関しては、日本が世界一と言っていい。そうした優れた技術を持っているのですが、海外に比べ日本の都市では緑の使い方が上手とは言えませんよね。一人あたりの公園面積も、ニューヨークは24平方メートル、パリは15平方メートル程度ある。街路樹も、ヨーロッパなどではファニチャーとして扱うのではなく、生き物として共存しているので、姿・形がきれいなんです。生き物として付き合えば、おのずと管理の仕方も違ってくるし、長期的な視野にたった計画もつくられていくはずです。
街路樹についてもう一つの問題は、縦割りの管理体制でしょう。国道は国、県道は県、市道は市、民間は民間と、管理体制が統一できていない。設計する時のデザインもばらばら。これでは非効率的だし、エリア全体の「景観」にとってもまとまりが生まれない。しかし、ここ「大丸有」は統一的な緑化が進められている。その意味でも、貴重なエリアだと思います。
恵良: 「大丸有」の緑について考えてみると、純粋な自然環境と、都市化してきた環境、その両極の軸のどこにポジショニングするか、がポイントだと思います。
まず、江戸城周辺の歴史の中で育まれてきた、このエリア固有の自然・植生について、きちんと踏まえる必要があるでしょう。また、地理的に俯瞰すれば、このエリアには皇居という巨大な緑があり、東へ2kmもいけば東京湾と隅田川という水辺がある。西には新宿御苑が、北には上野公園がある。東京は「緑のかたまりの間に都市がある」わけです。その緑のかたまりをつなげば、[[緑のコリドー(回廊)]]ができる。あるいは、江戸時代の大名屋敷の区画に沿って、公開空地(建築基準法に基づいて設けられたオープンスペース)に「エコトープ」をつくる、といったこともありえるかもしれない。日本橋川の上を「エコ・コリドー」として、「水際の緑化空間」を水路とともにつくっていくことも、可能かもしれない。
「ビオトープ」という生物的空間に、地域的・地質的な要素を加えると、その場所ならではの「エコトープ」になります。その「エコトープ」の間を、昆虫や鳥が行き来すれば、この道がまさに「エコ・コリドー」になるんですね。
自然科学・生態学的なネットワークの上に、人が歩いて楽しむという「ヒューマンスケール」の緑化空間ができていく。「大丸有」は、そうした両立や連携が可能なエリアなんです。
鈴木: そうしたネットワークの構想は、今、国の施策でもとりあげられていますね。水と緑のネットワークの再生は、都市計画にとっても大切だと思います。緑は、人にとって心地良いだけではなく、[[防災(安心・安全)]]の拠点にもなるし延焼防止の役割も果たし、都市の安全に役立つはずですから。ただし、都市は地価が高いので、民間に任せておくだけでは、公共的な取り組みはなかなか出てこない。やはり、リーダーシップが必要ですね。その意味で、「大丸有」のように、「まち」を統一的に整備していく事例が見えてきたことの意味は大きいと思いますよ。
――緑化の根源にある問いでもありますが、そもそも人はなぜ、緑に引き寄せられるのでしょうか。働く人、集う人の身体や意識に、どんな変化や効能を与えることができるのでしょうか
鈴木: 人間は、もともと森の中で生活していたわけですから、まず感覚的・直感的に緑というものを求めるのではないかと思います。私は長い間、室内緑化に携わってきましたが、この領域はアメリカが先駆者なんです。なぜ、アメリカで真っ先に緑化が行われていったのか。実は、知的な仕事が増えていくにしたがって、会社の施設内で自殺が増加した。それを何とか止められないかと、室内緑化に取り組んだ、という経緯があります。緑化で自殺者の数が大幅に減ったという、緑の効果・効能が実証されています。また、造花と生花を見せてフリッカー値を計測すると、造花を見ている時のほうが目の疲労度が高いこともわかってきたようです。
さかのぼれば、江戸時代に、細かい作業をする彫刻師が、目の疲れを「万年青」の葉の緑色で癒した、という記録も残っています。植物には人を癒す効能がある、ということなのでしょう。
恵良: おそらく、「自然」というものの一番身近な表象として、人は植物を求めるのではないでしょうか。仏教では、五感の下の下に「阿頼耶識」(世界の存在の本質的根拠、過去から未来に至るすべての因果があるとされる)があるといいます。そこには、個別の経験や履歴や感じ方を超え、生物として受け継いできた環境との関係の記憶が刻み込まれている。根源のところで、人は自然とつながっている。だから、自然との接触を求め、その入口として緑を求めるのではないでしょうか。
緑と同時に、この「まち」にはもう一つ、人の営み・歴史文化の表象としての「アート」があります。緑とアート、自然の力と文化の力は、都市の中で両立できるはずです。ご覧にように、「大丸有」の路上には、たくさんのパブリックアートがあり、アートが[[街路樹]]の緑と溶け合っている風景も人にとって心地良い。それがこの「まち」の魅力となり、クリエイティブなワークスタイルを支援し、精神と身体に良い効果をもたらす結果になるのではないか、と期待しています。
アートには、外部の公共空間に置かれるパブリックアートと、主に室内で展示される作品の二つがありますが、[[三菱一号館美術館]]は、室内での作品展示の役割を担っています。エリアで働く人、やってくる人に、どのように心地良くこの空間を使っていただけるかが課題です。展示は、約100年前の19世紀〜20世紀初頭に生まれた美術作品を中心に見せていく。あそこへ行けば丸の内が誕生した頃の美術が鑑賞できる、といった、「明確なテーマを持った、拠点的な美術館」となることを目指しています。
鈴木: 考えてみると、「ランドスケープ」とは、「景観を整える」という意味だから、緑だけではなくデザインやアートの要素も大切なんですね。たとえば、当社が行なっている「公園整備」の仕事には、緑を植えるだけではなく、水飲み場、ベンチ、ゴミ箱、といったさまざまな要素も含まれています。そうしたものはみな、デザインされてつくられているわけで、景観づくりにおいてアート的な要素は不可欠なんですよね。
――では、働く人たち、集う人たちが、このエリアに対する愛着を高め、あるいはまちとの関わりを創り出していくためには、どうしたら良いでしょうか
恵良: 美術館の中の企画については、専門家が中心にならざるをえないのですが、自分たちの枠組みに閉じこもっていてはいけないと思っています。都市の中の美術館として、どれくらいまちの人とコミュニケーションをつくることができるか。たとえば、カフェに出張していってアートの講演をしたり、まちの中でのギャラリートークをしかけていく。積極的にまちとの関わりをつくっていきたいと思います。上野の美術館と、私どもの三菱一号館美術館の違いは、まちの中にある、ということ。そこに、私たちなりの「強み」があるはず。たとえば、買い物ついでにやってきた人が、美術館にふと立ち寄ることで、結果として美術ファンが増えていく、といった文化的な循環が生まれてくればうれしいですね。
鈴木: アートも緑も、「楽しむ」ということが第一ですよね。そこから入っていけば、自然に、ファンやボランティアが増えていき、管理や維持への関わりも生まれてくるのでは。楽しいという個々の感じ方が、だんだんに面として広がり、まちの中にコミットメントが生まれ、最終的にそれが「景観」をつくり出すことにつながっていくのではないでしょうか。その意味で、「大丸有」エリアは文化力が高い人も多いし、「たまり場」としての可能性もあると思います。
恵良: エリアの中に三菱第一号美術館と出光美術館があって、修復中の東京駅にもいずれ、ステーションギャラリーのような美術館ができるでしょう。点々と存在する美術館の間を美しい並木がつなぐ、そんな魅力的なまちになればと思います。せっかくこのエリアには「まちづくりガイドライン*」があるのですから、それを上手に使って、つい足を運びたくなるような「シンボル的な景観」をつくり出すことも、大切でしょうね。たとえばここには並木百選に入った通りがある、とかね。
――最後に、2050年をイメージした時、このエリアがどのような場所になっていたら良いのか、お二人の考えをお聞かせください
恵良: 代表的な並木が育っていて、縦・横のラインに心地よい街並みができているでしょう。ぜひ、歴史的な通りと呼ばれるよう、整備していってほしい。2050年に向けて40年かけてアートと緑を育てていただきたい。東京にとって、手放せない資本になるような「まち」になるように。明治神宮の森も、80年かけて現在の姿をつくったんですから。
鈴木: 2050年には、国際化が今よりずっと進んで、さまざまな民族の人たちがこのエリアで働いているでしょう。海外の方々は、自国において緑やアートに親しんできた経験を持つ人が多いので、このエリアはそうした外国人が過ごしやすい場所になっているだろうと思います。
最近、気になっているのは、皇居の周囲をあれだけ人が走るのはいったいなぜか、ということ。おそらく、心地良いから走るんだと思うんです。「信号機がない」だけではないはず。光、風、緑、水といった自然の要素が豊かにあって、それが人を引き寄せるのではないか。人を惹きつける空間とは何か、心地良いまちとは何か、を教えてくれているのではないでしょうか。
恵良: たしかに皇居にある空は、建物で切り取られた空ではないんですね。空がきれいに見える「まち」って、きっと魅力的なんですね。「大丸有」の高層ビルから月を見るのも、いいですよ。太陽が昇るのを見るのだって面白い。移りゆく季節感も楽しめる。たまには、新丸ビルから月見の宴をするのもいいですよね。
鈴木: これまでのように、いろいろな規制や所轄・担当などの縦割りを超えて、融合していかないと。そしてまちを使う側が、こうあるべきだという提案を示していかないと、まちは育っていきませんね。皇居ランにしても、ランナーたちが環境を変えていった側面があるんです。自分が走ることを楽しむだけではなく、自発的に「走るマナー」を浸透させようといった動きが出てきたりすると、エリアの環境はぐんと良くなっていくと思います。
恵良: 皇居ランはとても心地良かった、じゃあ次は「大丸有」へ足を伸ばそうか、心地良さそうだから走ってみようか――。そんなふうに思ってもらえる「まち」にしていきたいですね。