シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

最近のミツバチの厳しい健康事情

昆虫の中で国による毎年の統計データがあるのはカイコとセイヨウミツバチだけです。セイヨウミツバチは外来種ですが、産業養蜂種として農作物の授粉やハチ蜜の生産などでたいへん役にたっているため、農林水産省が毎年統計をとっているのです。一方、昔から日本に生息していた在来種のニホンミツバチについては、生息数や分布の詳しいデータがありません。

ニホンミツバチは今も野生種ですが、セイヨウミツバチの蜂自体や飼育法の情報がまったく無かった江戸時代に、我が国独自の養蜂技術としておおいに発達しました(図を参照)。

明治時代に入ってセイヨウミツバチとその飼育技術が導入され、ニホンミツバチは一時絶滅の危機に瀕しているのではないかと言われたこともあります。 ところがこの20年ほどの間に、このニホンミツバチが全国的に急増し、いま、日本のミツバチ事情が大きく動いています。今回はそうした現状について紹介しましょう。

2種の変動

右の図に2種の群数の推移をイメージで示しました。セイヨウミツバチの飼育群数のピークは1950年ころで、それに比べると現在は群数でも養蜂家数でも半減しています。一方ニホンミツバチは急激に増え、これを追うように趣味で飼う人達もずいぶん増えました。今では北海道を除く全国に、多くのニホンミツバチ愛好家のグループが立ち上がっています。都市部における分蜂群の捕獲データを見ても、以前はほとんどがセイヨウだったものが、今はほとんどがニホンです。こうした状況もあり、昨年、ほぼ60年ぶりに養蜂振興法が改正施行され、ニホンミツバチを飼っている人にも飼育の届け出が義務化されました。また、次項でお話しするように、一部の病気が2種で共通しており、各都道府県(家畜保健衛生所)による伝染病の検査を徹底することや、蜜・花粉源植物の保護・増殖の必要性もうたわれています。

ミツバチの健康問題

ここ数年来、ミツバチ不足やCCD(蜂群崩壊症候群)が世界的に話題となりました。原因としては、栄養不足、諸種農薬への複合暴露、感染性の病気や寄生ダニなどが考えられていますが、本当の原因はまだよくわかっていません。飼育下のミツバチ、とくに花粉交配用のハウス内に置かれた群は、飼育環境から諸種のストレスを受けており、これらがミツバチの免疫力を下げ、病気の発症を促しているといった要素も大きいように思われます。人間並に、いろいろな健康食品やサプリメント的なものも開発されてはいますが、せっかく自然の中で自由に飛び回っているミツバチですから、人工的管理に頼りすぎるのは避けたいところです。

かつて病気には罹らないと思われていたニホンミツバチにも、最近いくつかの新しい病害虫が報告されています。サックブルードと呼ばれるウィルス病の1種(その症状から、蜂児出し病とも呼ばれる)は西南日本から関東地方にかけてかなり蔓延しており、気管(昆虫は体内の細胞に酸素を届けるのに血液ではなく、気管を通じて行う)の中に巣食う顕微鏡でないと見えないくらい小さなアカリンダニも日本に侵入してしまいました。これはセイヨウミツバチに寄生していたものがトウヨウミツバチ(ニホンはこの1亜種)にも寄主範囲を広げたものです。

一方セイヨウミツバチを飼育している養蜂家が一番恐れているミツバチヘギイタダニ(直接の吸血害に加え、諸種のウィルス病を媒介)はずいぶん以前に、トウヨウミツバチから寄主範囲を広げたものですが、最近ではトウヨウのノゼマ病がセイヨウに移って問題となっています。こうしたことがあるので、新しい法律が病気の検査をニホンミツバチにも拡大したのは、やむをえない事情といえるでしょう。

都市環境はミツバチにとってオアシスか?

近年、都市環境でミツバチを飼うことが世界的に注目されています。よく見られるビルの屋上の飼育場は、夏の暑さなどかなり厳しい部分もありますが、適切に管理をすれば、意外なほど大量の蜜が採蜜できることもあり、東京でも様々な地域でそうした試みがされています。コンクリートジャングルとも言える中で、ミツバチはよくも、と思われるほど遠くまでちゃんと花を求めて飛んで行くことがわかっています(下の図を参照)。

こうしたミツバチ飼育の活動を通じて緑の大切さの認識が広まり、民家の庭先はもちろん、公園や街路樹、屋上などの緑化が進むことはとても好ましいことです。ただ、ここでは2つのこともコメントしておきたいと思います。一つ目は、蜜や花粉が、有限の、しかも量的にたいへん小さな資源だということ。

蜜が採れるからといって、一カ所に多くの巣箱を置いたり、養蜂場(巣箱の設置場所)同士が近かったりすれば、周り2〜3キロメートル内の花への蜂同志の競合が起こってしまいます。もちろん、いろいろな工夫で、蜜源、花粉源(花粉がなければミツバチは育児ができない)を増やすことは考えたいところですが、これは一気に進めるのはなかなか難しいかもしれません。

二つ目は、緑豊かな田園地帯にも増して、どうして都会でこんなに沢山の蜜が採れるのか?

その理由を考えてみたいのです。本来であれば、花の蜜や花粉は、ミツバチ以外のチョウやアブ、ハナムグリなど、多種多様な昆虫たちも共有して利用する資源なのです。そうした多様な昆虫たちが暮らせなくなってしまった都会で、誰も利用する者がいない蜜・花粉資源を、ミツバチが「独り占め」する結果として、たくさんの蜜が採れる、という現実も知っておくべきでしょう。

もう一言付け加えるならば、実はこうした多様な虫たちの著しい減少の実態は、都会だけでないのです。

田園地帯や一見緑豊かな山の中でも急速に進んでいるという現実があります。しかもこの急変は、日本ばかりではなく、地球規模で起こっているのですから、私たちは、このことをもっと深刻に受け止め、孫子の世代のために今何をなすべきかを考えなければならないのだと思います。といってもこれは地球規模の話でもありますから、難題には違いありません。まずは身近なところに、緑や虫たちが住める環境を復元するという、出来ることから始め、そのうえで将来のことについても何ができるか、考えていきたいものです。

佐々木 正己
佐々木 正己(ささき まさみ)

東京生まれ。玉川大学農学部で40年ほどミツバチの行動と生態を研究。現玉川大学名誉教授、同大ミツバチ科学研究センター、脳科学研究所特別研究員。著書は、「養蜂の科学」「ニホンミツバチ」「蜂からみた花の世界」(以上単著)、「動物は何を考えているか」「学習の生物学」(共著)など多数。

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