2012/11/20
寒さに背筋を丸めてしまいそうなこれからの季節、思い切って仰いで見れば、黒深い冬の空を流れる光に出会えるかも知れない。人類の歴史の上に降り続けてきた、流星群の季節だ。
獅子座の流星群だ!
11月という天の花火師が手にいっぱいの金の穀粒をつかんで、夜の中へ投げ入れる。
そうだ、あれはー星座の破片だ。破壊された世界……獅子座の勇ましい塵だ
この原稿を書いている時はまだ数日早く、読まれる頃には既に過ぎてしまっているが、例年11月18日頃にしし座流星群が極大を迎える。平年の活動から言えば中規模の流星群だが、その名がかき立てる憧憬には、格別のものを持つ人も決して少なくはなかろうと思う。1998年から2002年頃にかけて世界各地で活発に出現し、分けても2001年には日本で大出現を見せたことで、当時の空を見上げた人の内には今なお強い印象を残していることだろう。
テンペル・タットル彗星(55P/Tempel-Tuttle)を母彗星とするしし座流星群は、その公転周期である約33年毎に降るような大出現"流星雨"を起こすことで知られる。過去には、1833年、1866年、1966年に、1時間当たり数千から数万個に相当する"流星嵐"が観測され、「世界が火事だ」「この世の終わりだ」と人々を驚かせたと記録されている。
1799年の流星嵐は、「全天に隙間が無い」と言われるほど、凄絶なものだったらしい。1時間当たり100万個に上ったとも言われる。フランス革命の末期、ナポレオンが執政となって独裁権力を掌握した年のことだ。冒頭に掲げたのは、ロマン・ロランが革命に題を取った8つの戯曲の終章『獅子座の流星群』の一場面だ。1789年のバスティーユ襲撃を機に炎上し、多くの流血と周辺国も巻き込んだ争乱を折り重ねながら王政から市民社会への移行を目指した歴史的大変動が生んだ、最初の共和制が10年でその短命を終えようとする時、それは崩れ落ちる世界そのもののような光景であっただろうか。新世界を作ろうとした国民公会議員と破壊された旧世界に属する貴族とが、時代の奔流に飲まれながらそれぞれにどのような思いで流星を見上げたのか、ロランはこう語らせる。天から零れた光の粒は、古い時代、旧世界の破片であり、新しい世界の種である。それは我々の塵である、と。
大出現の周期を過ぎて、しし座流星群は暫く低調な期間が続く。けれども、これから訪れる冬には、毎年ほぼ安定して多くの流星が出現する「三大流星群」の内二つが活動し、夏に劣らず流星の季節と言えるだろう。
12月中旬に活動するのが、ふたご座流星群。12月14日の極大付近は、今年は丁度新月前後、月明かりも無い絶好の夜だ。ふたご座が昇り始める夕方から西に傾く明け方まで、一晩中流星に出会うチャンスがあるが、特に輻射点が天頂付近まで昇る深夜には、1時間当たり50個程度の活発な出現が期待できる。
ふたご座流星群の母天体は、まだ確証を得られてはいないものの、今では小惑星として観測されるファエトンが、嘗て彗星として塵を放出していたものではないかと考えられている。
「しぶんぎ座」という名に聞き覚えの無い人もいるかも知れない。それもその筈、現在制定されている全天88星座の中に、そのような領域は無い。18世紀、今のりゅう座の一部に設けられていた「へきめんしぶんぎ(壁面四分儀)」という星座の名を留めたものだ。四分儀は、天体の高度を測定して緯度を求める測量道具である。
しぶんぎ座流星群の活動が僅か数時間の鋭いピークを示すのは1月3-4日。深夜になると出現しはじめ、輻射点が高くなる未明にかけて、流星の数が増えてくる。
次々と降り注ぐ星に瞬きの暇も無い、そんな夢のような光景に出会おうと思うなら、次のしし座の流星雨を只管待つことになるだろう。1時間に数10個の流星群、と言っても、その多くは見逃しそうな暗い流星だ。空のどこに流れるのか、予め待っていることも出来ない。流星に出会うには、強い照明を離れたなるべく暗い空の下でじっくりと暗闇に目を慣らし、長い時間空を広く見上げることになる。言うまでも無く、真冬の深夜から未明は厳寒だ。十分に暖かい支度をして、ゆっくりと待ってみよう、そうすれば。
ごらんなさい、高い所にいる偉大な農夫は種を惜しまない。火の雨が降る。
東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ