シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

七星の示すところ ―春を告げる北斗七星―

4月、宵の北天高くを見上げれば、大らかな七つの星の並びを見つけることが出来る。春の夜空を代表する《北斗七星》は、古来より様々なものを私達に指し示す星でもあった。

天下皆春

斗柄(とひょう)東を指せば、天下皆春。 ―『鶡冠子』

北半球の中緯度帯に位置する日本や中国東北部から見た北斗七星は、一晩中、あるいは一年中、地平線に完全に沈むことなく天の北極を回る周極星である。このことから、北斗七星は季節や時刻を指し示すものとして重用されてきた。

冒頭に掲げた楚の古書の一節は、宵の空に現れた北斗七星の柄が、東の地平線を指して春の訪れを告げると詠じている。「南を指せば、天下皆夏。」一年で一周する間に指し示す方位が西、北と移るに合わせて季節も秋、冬へと移ろう様子が、重ねられている。同じように、一夜の内に代わっていく北斗七星の傾きを見ることで、時間の推移もまた読み取ることが出来た。

中国では、天の赤道を28に分割した《二十八宿》に位置する星座を用いて天の座標を定め、日や月の動きを計って暦法を編んでいた。これは月が同じ星座の中に戻る周期(恒星月)約27.3日に合わせて設けられたと考えられている。その起点となる角宿は、北斗七星が指し示すおとめ座のα星スピカから始まるとされる。
このようにして、季節、時刻、方位を指し示す役割を課されていた北斗七星は、四方を巡り時候を統べる天帝の座乗する"帝車"と位置付けられる重要な星だったのだ。

そらのめぐりの めあて

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。


宮澤賢治は、自ら詞曲を手掛けた『星めぐりの歌』でこんな風に詠っている。
現在の星座の区分では《おおぐま座》の腰から尾に当たる北斗七星の、柄杓に見立てれば"枡"の先端二星を結んで5倍ほど延ばすと、凡そ《こぐま座》の―  一般には額ではなく尾の先に見做される―  一つの星を指し示す。

この星は、"空の巡りの目当て"つまり時間と共に日周する星の運行の要、天の北極を教えてくれる。そう、真北の方角を知る上で重要な《北極星》を探す目印として、北斗七星が役に立つ。

2等星の北極星はその高名を思えば控え目な明るさだが、都会の空でも見つけることは難しくは無い。誰しもが一度は学んだだろうこの星の目当てを、改めて夜空に辿ってみてはどうだろう。

北斗七星がポインタの役を果たすのは、北極星だけではない。

今度は柄杓の"柄"の三星が描く緩やかなカーブを延長していくと、金色に煌めくうしかい座のアルクトゥルスを経て、青白く輝くおとめ座のスピカに至る。色の対比から夫婦星とも並び称される二つの一等星を結ぶ長大な"春の大曲線"が、星座探しを手助けしてくれる。

勝つことを空に知らする星

中国の暦法において重視された北斗七星は、陰陽道においても重要な位置を占める星となる。杓柄の先端、同時に剣の先に見立てられる第七星は凶兆の方位神を指し示すとされ、その方角に向いて兵馬を進めれば必ず破れ、またその星を背に守護を得れば戦に勝てると信仰されたと言う。

今は廃された能曲に、漢を建国した劉邦を描いた『高祖』(別に『星』とも題したらしい)というものがあったらしい。その詞の謡うところでは

かつ事を、空にしらする、星の名の、破軍星を、まもりつつ、

この"破軍星"こそ、北斗の剣先の異名である。漢滅亡後の戦乱に活躍した諸葛孔明も、戦に際して破軍を占星に用いた逸話があるというから、『三国志演義』を愛読する方には覚えもあるのかも知れない。

今年の大河ドラマで描かれていく幕末の戊辰戦争は、会津藩だけの戦いでは無く、東北諸国が厳しい戦乱に巻き込まれた。出羽・庄内藩の大隊を率いて新政府側の軍勢を幾度も打ち破った若き将、酒井玄蕃は、北斗七星を逆さに描いた「破軍星旗」を掲げて、激しい戦闘を戦い抜いたのだという。

時を下り、軍旗を収めることが出来て訪れた現在、そしてこれより先、北斗七星が指し示すものは、ただ静かな春のみであれば願わしい。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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