シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

秋天に、天下の覇者の夢を見る ―北極星と始皇帝の世界観

夏に比べれば栄えを一見欠くような静かな星空。しかしそこには、一大世界が浮かび上がって来る。天上天下を結んで古代の英傑が描いた歴史図絵を秋の夜空に見上げてみよう。

北辰位高くして百官星の如くに列なる

"春を告げる星"としてここに紹介してから半年、《北斗七星》は今や北天の地平を浚っている。代わりに秋から冬の間宵空に高く掛かっているのが、二山の星の連なり。《カシオペヤ座》だ。両者の中頃に、天の北極がある。

天の北極は、永い時の中で遷っていく。地球の自転軸が首を振るように動く歳差運動のためだ。現在その点を近く指し示す北極星は、"小北斗"とも言うべき《こぐま座》の柄の先に当たるα星ポラリスだが、紀元前1000年頃に北極星であったのは、枡の先端に輝くβ星コカブだ。この星を、古代中国においては《帝》と呼んだ。皇天上帝、或いは天帝。宇宙の全てを支配する最高神が、天の北極に座している。星の巡りの枢軸は、古代中国において信仰の対象であり、その点を指し示す星もまた神格をもって崇められたのだ。

帝星の周囲には、后や太子が並び、上奏を務める尚書が控える。左右に連なる星の名を見れば、宰、輔、丞、弼、尉、衛。帝を補佐し禁裏を警衛する官位を帯びた従官の役を負っていることが明瞭だ。これらの星が北極を取り囲んで為す城壁より内が、即ち上帝の皇宮だ。その外側には、諸侯や禁軍の郎将、官吏の星座が配置されている。
北極を中心として展開していくこの中国の天文観は、時代が下ると共に整えられ、やがては宮城を囲む《紫微垣(しびえん)》、庭園を囲む《太微垣》、市場を囲む《天市垣》という三つの区分に分けられた壮大な天の都がそこに現れる。

中国最後の清朝の王宮・紫禁城にもその世界観は継がれている。"紫"は紫微から通じる"天の色"であり、天極に擬して城の北側に置かれた皇帝の宮殿から、「天子南面」するのである。

秋空に仰ぐ天子の夢

中国では君主のことを天子と称する。天命により天下を治める「天帝の子」である。天の秩序を地上の施政に重ねて描いたのも、その権威の反照に浴するためであるだろう。
精緻な暦を作り、日月食などの天象をよく予測すること、天の文を読み解くことは、徳高く天意に通じていなければならない天子にとって、世を導く上で疎かにはし得ない勤めであった。この重要な施設、霊台(天文台)は、天帝の都にも、現在のしし座の中に星座として置かれている。閑話休題。

秦王嬴政が中国統一後、王号に代わり初めて名乗った"皇帝"号こそ、自らの位が伝説上の帝達にも、また全ての上に君臨する皇天上帝の権威にも達することを宣言するものと言う。
秦王朝の都は咸陽に置かれていた。帝国樹立後、咸陽宮から渭水という川を挟んで南岸に、より広壮な宮殿が造営される。この時、始皇帝は、天の秩序を写して新しい地上世界そのものを建設しようとしたようだ。

焉作信宮渭南,已更命信宮為極廟。象天極
―『史記』秦始皇本紀

始皇帝の27年(紀元前220年)、信宮と呼ばれる宮殿を造営し、それを「極廟」と改めている。この廟を天の北極に象って、始皇帝の都市は計画されたのではないか。始皇35年(紀元前212年)には、次のように新宮が拡張されている。

為復道,自阿房渡渭,属之咸陽、以象天極閣道絶漢抵営室也

始皇帝の生前には未完に終わった巨大宮殿・阿房宮から、渭水を渡って旧咸陽宮に至る二層の廊下を掛けた。これは、天の北極から閣道を通り、天漢を渡って営室に至る様子を模したものである、と言う。渭水に架かる木造の巨大な橋の遺構が実際に確認されている。閣道とは、カシオペヤ座の一部の星を連ねた星座、営室は現在のペガスス座の星々に当たる。その間に横たわるのは天漢、即ち天の川だ。

この季節、北の空から天頂にかけてじっくりと見上げてみよう。北極星の上方を「M」字型に掛かるカシオペヤ座は、東西に流れる天の川の中にある。そして、全く天頂にペガスス座の四辺形が昇っている。西の空に退こうとしている夏の輝星のような煌めきは少ないが、歴史に埋もれた壮大な気宇を仰ぎ見ていると思えば、秋の空を急に広く、深く感じる気はしないだろうか。

封建を廃して郡県制を敷き、文字から度量衡までを統一し、秦帝国は新しい世界秩序を建設した。正に北極星のように、皇帝を中央に巡る天下を描こうとした始皇帝は、死後世界に地上世界を再現した巨大な陵墓を遺している。兵馬俑で知られるように、軍隊から文人、芸人まで膨大な俑や文物の副葬品を収めた広大な陵墓の中枢は未だ発掘されずに保存されているが、そこには宮殿や山河までを再現した地下世界が広がっているとされる。その天井には、やはり壮大な天文図が描かれているのであろう。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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