シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

空に刻まれた歴史の人影 ―初夏の星座物語【2】

今年も、春と夏の間を移ろう星座に織り込まれた古の人の物語を探そう。

神々の間に人の栄誉を浮かべようと

梅雨の足音が忍び寄る6月上旬、宵の天頂にはうしかい座の1等星アルクトゥルスが金色の輝きを放っている。この星の名が、歴史の狭間に語られる一人の人物に結び付くかもしれない、そんな逸話に丁度一年前に触れた。アーサー王その人は史実性が必ずしも確立していない伝説的な人物だが、多くの星座が神代の物語に由来し、登場する人物達も多分に神と人との境界に立つ夜空にも、歴史の中に確かに存在した人間の痕跡がある。

嘗ては、王宮に仕える天文学者達が各々の王侯に星座を捧げた時代もあった。フランスではブルボン王朝を讃えて曰く《ゆり座》、神聖ローマでは選帝侯を記念して曰く《ブランデンブルクのおうしゃく(王笏)座》等々、地上の栄光を悠久に思える天空に飾ろうとした星座の数々は、わずか数百年後の現在では姿を消し、諸行無常を感じもする。その中で、今でもその名を留める星が、この季節の夜空にある。

受難の王か、復権の王か

うしかい座のアルクトゥルス、その南方に"夫婦星"として青白く輝くおとめ座のスピカ。そしてしし座の尾に輝く2等星デネボラを結んで、"春の大三角"が頭上に大きく描かれる。その大三角と北斗七星との中間に輝く3等星は、都会の空では見付けるのに苦労するかも知れない。華々しい大三角に一段ささやかなこの星を加えてできる菱形は、"春のダイヤモンド"とも呼び習わされる。

《りょうけん座》は、16世紀に付け加えられた歴史の新しい星座だ。星座絵では、うしかい座が引き連れる犬のように描かれることがある。そして、その星座の主星が、ダイヤモンドの一角となるコル・カロリ (Cor Caroli) だ。その名は「チャールズの心臓」を意味する。このチャールズとは、17世紀のスコットランド王・イングランド王の名である。この時代のイングランドに君臨したステュアート朝には、二人の"チャールズ"王がいた。一般には、清教徒革命が挫折した後、王政復古でイングランドの王座に返り咲いたチャールズ2世を記念して、エドモンド・ハレー―あのハレー彗星に名を残している―が命名したものとして、著名な洋書にも記されている。一方で、初出の記録には「受難の王チャールズの心臓」と記されていることを根拠に、革命によって処刑されたその父王チャールズ1世を指すとする文献もある。

美髪は空に、横顔は地に

春のダイヤモンドの中に、一つの星座が密やかに輝いている。コル・カロリとデネボラの中間に幾つかの星が群れている、この淡い星団そのもので構成される珍しい星座が《かみのけ座》だ。学名はComa Berenices。全てを訳すならば「ベレニケのかみのけ座」となる。嘗てはしし座の尾の一部とされて、ギリシア・ローマ星座の集大成とも言える"プトレマイオスの48星座"にも含まれていないが、この一群の星を王后の髪とする見立ては、紀元前3世紀に成立したとされる。

エジプト王がシリアへの遠征に赴いた時、后ベレニケは美しさを讃えられた己の髪を捧げものとして、王の勝利と生還を祈願した。夫王が無事に凱旋した時、ベレニケは誓約通り髪を下ろし、女神として崇拝されたアルシノエ女王の神殿に捧げたが、次の日その髪の房は忽然と消えていた。激怒した王に、数学者コノンは七つの星を指さし「王妃の髪は神々に召されて星の間に置かれた」と告げた。それがかみのけ座の由緒として伝わる逸話である。
髪が天に上げられた、という行は如何にも神話然としているが、このベレニケ―プトレマイオス3世の王后ベレニケ2世は、あの有名なクレオパトラ(7世)より2世紀前の、プトレマイオス朝エジプトの女王だ。横顔と名を刻まれた貨幣が発掘され、その実在を証している。

遠い銀河の髪飾り

夜空で見上げると幾分存在感に欠けるこれらの星座だが、天文学にとっては興味深い領域だ。私達は天の川銀河の中に住んでいる。1000億に上る恒星と濃いガスや塵の円盤の中にいて宇宙を見渡す私達から、外側に広がる銀河の分布を探ることが出来るのは、天の川に垂直な、銀河の極方向に限られる。そして、かみのけ座の方角が北銀極に当たるのだ。いわば、天の川銀河から外宇宙に向けて開いた窓と言える。かみのけ座には、3億光年の距離に1000個を超える銀河を含むかみのけ座銀河団が見つかっている。更に、かみのけ座銀河団からしし座銀河団にわたってより大きな超銀河団が繋がっており、宇宙の大規模構造が初めて発見されたのもこの領域だ。
嘗ては鏤めた宝玉を戴いた王后の髪は、今、深宇宙の魅惑の謎で煌めいている。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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