シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

たなばたつめの秋をしもまつ ―伝統的七夕に空を楽しむ

残暑の厳しさ一入の、8月後半の夕空。見上げれば、天の一番高くに夏の大三角。この季節こそ、本当は主役の星々の話をしよう。

夏の大三角と逢瀬の星

よく晴れた日が続く。日没後、青を深めた天頂付近に恐らく一番星として見えはじめるのは、こと座のベガだ。やや東に下がってはくちょう座のデネブ。南に離れたところには、わし座のアルタイル。夏の大三角の輝きだ。

知られるように東洋では「七夕伝説」の星々でもある。中国の星座では、ベガは正しく《織女》であるが、アルタイルは両脇の二星を伴って軍の太鼓を象る《河鼓》とされた。やぎ座に当たる牛宿(ぎゅうしゅく)こそ、元来は牽牛(けんぎゅう)であったとも言うが、今では、ベガが織姫、アルタイルが彦星として年に一度の逢瀬の物語が伝えられている。それは余りに有名なので、ここでは略そう。

七夕の歴史

織女と牽牛の会合を祝い、女性の手芸の上達を祈る風習は、奈良時代頃に中国から渡来した行事《乞巧奠(きこうでん)》が元となって、乙女が神に衣を織り捧げて豊年と祓いを願う日本の棚機津女(たなばたつめ)信仰や、祖霊を祀る盂蘭盆会と融合しながら定着していったと言われている。平安貴族の日記や、源氏物語のような宮中文学に伺われる乞巧奠の節会は、祭壇に五色の糸と供物を捧げ、管弦詩歌を遊んだようだ。俊成、定家以来歌道の家として名高い冷泉家では、今も王朝の雅を受け継いでいるという。
江戸時代には、五節句の一つとして庶民の間にも広まり、笹竹の葉に衣や投網を模した紙飾りや短冊を下げる風習が、現在の私達にまで伝わっている。

七夕は、いつか

8月も末になって、今更、七夕の話など。そう思うだろうか。だが決して、季を逸してはいない。現在の7月7日は、本州ではまだ梅雨明けやらぬ天候不順の時期。星の祭りを催すには、どうにも似つかわしくない。元来七夕は、太陰太陽暦で祝われていたのだ。明治初頭の改暦まで使われていた天保暦、いわゆる旧暦の七月七日を現代の暦に変換すれば8月24日になる。この日の空こそ、古来見上げられてきた《伝統的七夕》の空だ。

8月上旬に立秋を過ぎ、季語としての《七夕》は私達に秋を示す。「暦の上では秋」とは言え、いつ和らぐとも知れぬ暑さ。その中にも次の季節が忍び寄り、終わりに近づいたどこか物憂げな空気もまた"夏"の心象かも知れない。ふとそんな気もする。

舟の月、二度満ちる

明治5年に現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されるまでは、約29.5日周期の月の満ち欠けを基準に、30日の大の月と29日の小の月を連ねて1年12か月とする太陰太陽暦が用いられていた。この暦では、新月(朔)の日が、各月の起点(月立ち=ついたち)となり、7日の空には、月齢7前、上弦に近づいた月が空に浮かんでいた。天の川を挟んで隔てられた牽牛を、織女の元まで運ぶ渡し船に、この半月を見立てていたと言う。

この月は、この後も満ちていき、31日に満月(望)を迎える。実は、2日に続いて8月二度目の満月である。これは逆に旧暦では起こらない、今の暦の妙である。

光を消して、星に出会う

日本の文化の中で人々が親しんできた宵闇と星の光を、もう一度愛しむために。伝統的七夕の日には、全国的に屋外照明を消すライトダウンのキャンペーンが行われ、多くの天文イベントが開催されるようになった。梅雨空ではない、抜けるように晴れた空。夜空に思いを渡す舟の月。現行暦の7月7日には見られない本来の風情を楽しんでみよう。

そして、こう願ってみるのもよい。一年に一度と言わず、日々、綺麗な星空に出会えますように、と。

天の河もみぢを橋にわたせばや たなばたつめの秋をしもまつ
ーよみ人しらず(古今和歌集 巻第四・秋歌上)

伝統的七夕ライトダウン2012

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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