2009年9月に、丸の内ブリックスクエアと共にオープンした「三菱一号館」(2010年4月6日に三菱一号館美術館として開館)。明治27年に竣工し、日本で初めての近代オフィスビル街として建設された丸の内最初のオフィスビル「三菱一号館」を復元した赤煉瓦の建物が、丸の内のビル郡の中で目を引きます。
ここで現在行われている「一丁倫敦と丸の内スタイル展」が、今、歴史好きや建築好き、写真好きなど幅広い層の間でじわじわと話題になっていると聞き、観に行ってみました。展示に、三菱一号館の建築に、ミュージアムショップに、見どころ満載のこの展示を、みなさんに少しだけご紹介しましょう!
(展示は2010年1月11日まで。三菱一号館は、2009年内は31日の大晦日まで、新年は2日からオープンしているので、興味を持たれた方はお早めに三菱一号館へ!)
三菱一号館は、英国出身の建築家ジョサイア・コンドルの設計によるもの。コンドルは、若干24歳で御雇い外国人として来日し、その後、辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵といった多くの弟子を輩出した、「日本近代建築の父」と言われる建築家です。
コンドルは、西洋の近代建築をそのまま日本に移植したのではありません。ここに展示されている写真からは、洋館内の洋室から見ると洋風庭園なのに、併設の畳敷きの和室からは同じ庭が日本庭園に見えるよう配置されているなど、コンドルによる西洋建築と日本文化の融合への試みと工夫を見ることができます。
また、日本画家の河鍋暁斎に師事したコンドルによる日本画の習作からは、日本文化を愛し理解しようとしたコンドルの姿が浮かび上がります。
2枚目の写真は、大きなボックスをコンドルの頭に見立てて表現したユニークな展示。ボックスの側面に入ったスリットからは、所狭しと並べられた、コンドルによる西洋美術や建築、風景、日本画のスケッチを覗き見ることができます。コンドルの頭の中が、西洋と日本の両方の文化が入り交ざったコラージュで表現されているところが興味深いですね。
ここで展示されているのは、三菱一号館復元の根拠となった保存部材や設計過程。
三菱一号館では、表面には見えない建築部材や、取手や金具のひとつひとつに至るまでが忠実に復元されています。3枚目の写真は、今回復元された金具類。細やかで凝った細工のひとつひとつに、思わずため息が漏れます。
4枚目の写真は、旧三菱一号館をオフィスとして使用していた某企業のOBの方々。「これは、○○さんじゃないか!」「この部屋は大会議室だったんだ」など、復元の元となった資料を見ながら、当時を懐かしんでらっしゃいました。
コンドルによる三菱一号館を皮切りに、丸の内にはコンドルの弟子たちの建築による赤煉瓦街が形成され、そのモダンな様子から「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と呼ばれました。ここでは、コンドルの弟子たちの働きと一丁倫敦形成の過程が描かれています。
4枚目の写真は、復元された当時の家具。輸入品と思われていた当時の家具は、コンドルの指導の下、当時の日本の家具職人の高度な技によって制作されたものであったことが、今回の展示を通して明らかになりました。コンドルは、家具の分野でも、日本に西洋の文化を根付かせた人だったのです。
ここで見られるのは、丸の内の都市空間の発展の様子とそこで働くビジネスマンの姿です。
展示されているシルクハットやステッキからうかがい知れる当時のビジネスマンの装いは、なんともダンディ!昔から丸の内のビジネスマンはお洒落だったんですね。その他にも、当時通勤に使われていた自転車や人力車なども展示されています。当時は多くのビジネスマンが自転車通勤をしていたそうです。
現在、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)は、コミュニティサイクルの交通社会実験などで、交通の低炭素化への取り組みを進めていますが、当時の生活から学べることもありそうです。
ここで展示されているのは、明治・大正時代の丸の内のビジネスマン夫婦のライフスタイル。スーツや帽子といった当時の男性の洋装の再現と、池田重子コレクションによる見事な着物や櫛などを見ることができます。
次の部屋に入ると、一転、スーツの発祥の地であると言われる英国を代表するデザイナー、ポール・スミスによるビビッドな空間演出。明治・大正から21世紀へと、日英文化の歴史がクロスオーバーした空間が表現されています。
「一丁倫敦と丸の内スタイル展」は2部構成。三菱一号館「一丁倫敦と丸の内スタイル展」(2)では、写真展「一号館アルバム」の様子もお伝えします!
三菱一号館美術館
* 三菱一号館は、2010年4月6日に美術館として正式に開館します