シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

教皇の暦 ―正確な春分日のために―

今私達が使っている暦が確立した16世紀。"より正確な暦"を必要としたのは、誰だったのだろうか。ニュースと時候を繋いで、暦の進歩を振り返ってみよう。

《復活の主日》はいつか?

2013年3月、先代ベネディクト十六世の退位に伴うコンクラーヴェ(教皇選挙)が開かれ、フランシスコ一世聖下が第266代のローマ教皇位に就いた。この世界的な大ニュースが、時も3月に報じられたという折しも、今回はまた暦の話をしてみようと思う。
古来より脈々と改良・修正を重ねながら進化してきた暦が、今日私達が使っている仕組みで確立したのは1582年のこと。制定した人物の名をとって《グレゴリオ暦》と呼ばれる。その人グレゴリウス十三世(Gregorius XIII)こそは、時のローマ司教、キリストの代理人、神の僕の僕、聖ペテロ爾来天の国の鍵を伝える使徒座にちょうど40代前にあった教皇だ。

何故、彼には―彼等カトリック教会には―暦を改める必要があったのだろうか。それは、彼等にとって極めて重要な祝祭日を、正しく祝うためだった。イエス・キリストが磔刑に処されてから三日目に復活したという伝承を記念する《復活祭》は、キリスト教で最も重要な祝日であり、「春分の日の後に来る最初の満月の次の日曜日」と定められている。そして、西暦325年のニカイア公会議以来、教会暦において春分の日は3月21日に固定されていた。
ところが、それから1300年近くを経たグレゴリウス十三世の時代になると、"春分の日"は最早《春分》その日では無くなっていた。暦が大きくずれていたのだ。

それならば、本当に祝うべき復活祭は、いつなのか?

ユリウス暦からグレゴリオ暦へ

問題は、"1年の長さ"にあった。
私達は、天球上の太陽の運動を基準に暦を定めている。太陽が一周して同じ位置に戻るのに要する時間を《太陽年》と言い、その長さはほぼ365.2422日になる。概ね1/4日余るため、4年で1日分、太陽の位置がずれる。このずれを補正するのが《閏日》だ。4年に1日の閏を置くことで、暦のずれはほぼ解消される。紀元前45年にユリウス・カエサルが定めて以来、この《ユリウス暦》が西洋の暦の基本だった。

ユリウス暦での1年の平均の長さは365.25日。太陽年との差は0.0078日だけ長い。その11分14秒を1300年に亘って重ねると、16世紀には暦上の"春分の日"と真の《春分日》との間には10日ものずれが積み上がっていた。それまでにも幾度も改暦の試みは為されていたが、1582年10月4日の夜が更け、15日の朝が明けた時に、遂にこの積み上がった10日間は追放された。春分の日を3月21日に戻すために、時の教皇の命によって定められた新暦が施行されたのだ。

グレゴリオ暦は、新しい置閏法を持つ。
(1) 西暦が4で割り切れる年を閏年とする。
(2) その内、100で割り切れる年は閏年としない。
(3) その内、400で割り切れる年は閏年とする。
この方法で400年間に97日の閏日を置くことで、1年の平均の長さは365.2425日になる。太陽年とのずれは0.0003日(約26秒)、1日のずれを生じるのに三千年以上も要するだけ、精度を上げることが出来た。

改暦の基盤となる正確な太陽年を導いたのは、当時先端の天文学者達だ。数代前のレオ十世の依頼を受けて測定に挑んだのは、地動説の提唱で歴史に名を残すニコラウス・コペルニクスだ。彼の没後、そのデータは改暦に取り組む委員達の大事な足場になったことだろう。その一人、クリストファー・クラヴィウスは名望の有った天文学者で、ガリレオ・ガリレイの望遠鏡での観測を評価し、彼からも大きな尊敬を捧げられた人である
―尤も、クラヴィウス自身は頑としてプトレマイオス論者であったようだが―。

かくして、人類はより太陽の運行に忠実な暦を手にした訳だが、すぐに全ての人がそれを受け入れられた訳ではないらしい。失われた10日のお蔭で、取引の納期、銀行の利息、そしてあらゆる物事の日付が揺れ動く。また、カトリックのローマ教皇庁による改暦は、プロテスタントや正教会の諸国には従い難かったようで、18世紀あるいは実に20世紀に遷って漸く、グレゴリオ暦を受け容れた国もある。今でも、ユリウス暦の祭日に典礼を守る会派もあるらしい。

いずれにしても、人間の営みが連綿と続く中で、暦というものは天体の運行により精緻に寄り添う必要があった。そのことが、不均一な地球の運動を解き明かす必要を生み、やがて新たな惑星運動論を導いて、今の私たちの世界観を打ち立ててきたのである。

春宵一刻、値千金 ―パンスターズ彗星を見よう

最後に、話題の天体現象に全く触れずに済ます訳にもいかないだろう。この春、明るくなった彗星が天文ファンの目を楽しませている。
2011年6月に発見されたパンスターズ彗星(C/2011 L4)が、日没後の西の空、そして明け方の東の空に現れている。10日に近日点(太陽に最も近づき明るくなる)を過ぎて、光度は次第に下がっていくが、双眼鏡などを使えば尾を引いた姿を見ることもできる立派な彗星だ。

とは言え、通常の恒星とは違ってぼんやりと淡く光る彗星を、暮れなずむ夕空の光の中で見つけるのは、なかなかに手強い。事前にその日の方位・高度を調べ、地上の風景などを頼りにしながら挑戦して欲しい。

【参考】
国立天文台|パンスターズ彗星特集ページ
パンスターズ彗星を見つけようキャンペーン

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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