シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

たしかにあれがみんな星だと、さうだ僕は知つてゐたのだ -夏の天の川を旅する

夏休み、都会を離れて美しい星空の下に出かけた人もいるだろうか。現在では見ることも難しくなった天の川に、最も見やすいこの季節に出会って欲しい。夜空を旅する物語と共に。

ではみなさんは、
さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐた
このぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。

さうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。

宇宙を眼差した文学者。そんなイメージで語られる人を挙げるならば、疑いなく宮澤賢治は真っ先にその内に数えられる一人だろう。代表作として愛される『銀河鐵道の夜』。ケンタウルス祭の夜、ジヨバンニとカムパネルラが乗り込んだ幻想第四次の軽便鉄道の軌道が、この季節の私たちの頭上天高くを走っていく。銀河ステーシヨンを発って間もなく、最初の"白鳥の停車場"に到着する。

8月下旬の20時頃、ほぼ天頂に一際明るい輝きはこと座のベガ。七夕の織女星だ。ベガから北東側にやや視線を移すと、もう一つの星が見つかる。この星、デネブを主星に持つのが《はくちょう座》である。その名も"尾"を意味するデネブから嘴の星まで、真っ直ぐに首を伸ばした白鳥は、左右に翼の星々を大きく広げている。天の川の中に立ち現われる壮大にして優美な"十字架"に、銀河鐡道の旅客から起こったのは「ハルレヤ」の声。嘴の星《アルビレオ》に至ると、白鳥区もおしまいになる。望遠鏡で目を凝らしても、測候所の黒い建物は見えないが、賢治が"青寶玉(サファイア)と黄玉(トパァス)"の球に譬えた美しい二重星の輝きが目を愉しませてくれる。アルビレオを挟んでベガの対岸には、一等星アルタイル。牽牛星と、両脇に従えた星を併せて河鼓三星と中国に言う、この三つならんだ三角票が見えてくると、もうじき鷲の停車場だ。

北半球中緯度帯の日本から見る天の川は、真っ赤な美しい"蠍の火"アンタレスの脇をいよいよ幅広く、明るく流れ下りながら、南の地平線に至る。ケンタウルの村、サウザンクロスへ、銀河の辺を直走るジヨバンニとカムパネルラの旅路の先は、南半球の空へと続いていく。

大きな望遠鏡で銀河をよつく調べると銀河は大體何でせう。

このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、
もうたくさんの小さな星に見えるのです。

肉眼ではミルク色の白雲のように見える天の川を、初めて望遠鏡で観測したのはガリレイであったとされる。「天の河の本質、すなわち、実体である。わたしたちは、筒眼鏡によってそれを詳細に調べることができた。……銀河は、実際は、重なりあって分布した無数の星の集合にほかならない」。『星界の報告』は、人類の視界を画期的に切り拓く数々の観測報告をまとめて、1610年に刊行された。

誰かが科学技術の前進に重要な一歩を刻む時、その背後には同じように蓄積され達成された幾つもの成果があり、それらを抱いた時代そのものの到達なのだと言える。光学について言うならば、既に2世紀のプトレマイオスがレンズによる屈折を論じ、13世紀にロジャー・ベーコンが拡大鏡の研究をした土台の上に、16世紀終盤から17世紀初頭にかけて、顕微鏡・望遠鏡が相次いで誕生している。そのような時代の中で、ガリレイ以前に、既に望遠鏡は天体に向けられていた、という説もある。私達はその名も知らぬ誰かが、天の川を埋め尽くすささやかな星の光に、最初の息を飲んだのかも知れない。そうであったとして、今に残る確たる記録を一人遺したガリレオの偉大さは、微塵も損なわれない。

角砂糖を買つてきたよ。牛乳に入れてあげようと思つて。

これを巨きな乳の流れと考へるなら、もつと天の川とよく似てゐます。
つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。

ギリシア神話では、幼子ヘーラクレースにあまりに強く吸われた女神ヘーラーの乳が、迸って夜空に輪を掛けたとする。ギリシア語でκυκλοσ γαλακτικοσ (kyklos galaktikos)、ラテン語ではcirculus lacteus、そして今もなお英語で「Milky Way」。例えばシェイクスピア劇中にこんな行がある。

Would have made milch the burning eyes of heaven
And passion in the gods.   ―The Tragedy of Hamlet, II.2
天に燃ゆる星々の眼をも涙で濡らし、
(神々)御自らも哀れ悲しと思し召されん。

天空の星の滲みを神々の涙に譬えているようだが、そこに溢れ出すのはtearsではなく「milch = milk」なのだ。我が子を抱く慈母の胸に漲る乳のように自ずと溢れ出す憐憫の情、という比喩の解釈だそうなのだが、"天に溢れる乳"と聞いた観衆は、はっきりと天の川の亘る天球を思い浮かべたのだろう。夜空をほの白く取り巻く天の川に対する"乳の流れ"の見立ては、古代から現代まで、時代を超えて西洋の言語に受け継がれている。

lait(仏)もlatte(伊)も、いずれもlactaより通ずる。次にカフェボウルに甘いミルクの渦を浮かべる時には、その中に浮かぶ無数の恒星に思いを馳せてみたら、ほんの少し、宇宙の香りが鼻をくすぐるかも知れない。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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