2014/02/18
古来より、季節の節目、年の節目を迎えるのはこの頃だった。私達の生活の基盤となった暦を振り返るのに、二月は好機かもしれない。
例年では雪の少ない関東や甲信地方でも降雪が重なり、数十年振り、あるいは観測史上前例を見ないような積雪となって大きな影響を受けている地域もある。災害を被った方への見舞いと復旧に従事される方への謝意を胸に持たねばと思うが、兎も角も、今冬2月は殊更、言葉通り「春は名のみの 風の寒さ」に首をすくめて過ごしている方も多いのではないだろうか。月初の2月4日は二十四節気の立春を迎え、暦の上では春が始まっていると言うのだから。
太陰太陽暦で、春とは正月(孟春)・二月(仲春)・三月(季春)の期間を指した。月の朔望に基づく暦日は、太陽の運行に基づく季節とずれていく。二十四節気は、それらを合わせる目安として用いられた。古くは冬至から始まる一年間の日数を二十四分して定められた(恒気/平気)が、最後に定められた天保暦からは、黄道(天球上の太陽の軌道)を春分点から二十四分して定める(定気)ように改められ、より太陽の動きに密接なものとなった。
二十四節気には各月に節気と中気とがあり、中気の日を含む一か月がその月となる。この目安から月がずれた時に、閏月を置いて暦を補正した。今では月名よりも「啓蟄」のように時候(それが定められた古代華北地方の気候に基づく)を表す名の方が流通しているが、重要な役割は季節の情緒を表現することなどでは決してなかったことは、江戸以前の暦において夏至冬至などの重要なもの以外はまるで人口に膾炙せず、「二月中」「八月中」としてのみ記載されていたらしいことにも伺われる。
春の始まり、正月を定義するのは、"正月中"雨水である、この日を含む一か月の月初(一月一日)となる朔日は「旧正月」として今でも中国やアジア圏で広く祝われていて、2014年は1月31日がその日だった。暦日は朔日から始まるが、吉兆禍福を占う暦注では、節気を以て月の始まりとしていたようだ。年によって移ろう月相よりも、陽気に密着した太陽の動きの方に世界の実相を見ようとしたのだろうか。正月節である立春において暦注の年は改まる。ところが、暦日が動いてしまうため、立春の"日付"は十二月十五日から正月十五日の間で揺れ動くことになる。十二月に立春を迎えることは「年内立春」と呼ばれた。『古今和歌集』巻一は、こんな第一首から撰られている。
年のうちに 春はきにけり ひととせを こぞとやいはん ことしとやいはん ―在原元方
(年の明けぬ内に、立春になってしまった。この一年を昨年と言おうか、今年と言おうか)
「来年は秋の大型連休が現れる」という話題を目にした方もあるかも知れない。2015年9月には、19日から23日にかけて最大で五連休が出現することになる。これが今月初旬に取り沙汰されたのは、来年の暦が正式に発表されたからだ。
私達が準拠して生活する日本国の暦は、国立天文台が計算した《暦要項》が、政府の官報に発表されることで、正式に定まる。昔は6月1日に掲載されていたそうだが、昭和39年より、前年2月1日掲載をもっての発表となった。2014年は1日が土曜日であったため、2月3日付けで2015年の暦要項が発表されている。暦要項には、国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、(月の)朔弦望、東京の日の出入り、日食・月食などの天文現象の日時が掲載されている。
いつを祝日とするかは、「国民の祝日に関する法律」によって定められている。その中には、日付が固定されているものもあれば、移動するものもある。春分の日や秋分の日は、日付が決まっていると思われている方もあるようだが、これらはそれぞれ「春分日」「秋分日」と規定されており、即ち春分、秋分という天文現象―太陽が春分点/秋分点を通過する瞬間―を含む日をもって祝日とするのである。これは経年的に変化する移動祝日である。
日の巡りや月の移ろい、世界の周期を解析し、予測する。人類は暦を編み上げることで、それを生活の基盤として、暮らしを掌握し計画する力としてきたのだろう。『天地明察』という作品を読めば、江戸時代、貞享の改暦を実現した背景に、当時の天文観測と算学の積み上げが渋川春海らによって結実された学問の進歩だけではなく、朝廷が持っていた社会的な権威―祭祀と生活の基盤―としての暦法を徳川幕府が獲得することによって、天下の差配を確立しようとするドラマも下に敷かれていることが興味深い。
暦の本質である天体の運行については、先々まで―ある精度で―計算することが出来るものだから、再来年、あるいは10年後に、天文学的な意味での秋分―太陽黄経180度となる瞬間―がいつ訪れるのかを知ることは勿論科学の手法によるのだが、果たしてその年に私達がどのような生活を営むのか、社会の決定という手順によって暦が私達のものとなることは、古来変わらない。
東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ