シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

七夕物語物語 ―時と海を越えた伝承

7月、七夕。私達にも身近な星物語を、1000年以上も前から人々は詠っていた。アジア各地にまで広がって語り継がれる織女と牽牛の伝承を辿る。

7月7日の星月夜

沖縄や奄美地方を除き列島の大部分ではまだ梅雨の雨脚が立ち去らずにいる7月上旬。今年も七夕の季節がやって来た。一年で最も日の入りが遅いこの頃、東京では20時50分近くにもなってから薄明の終わりを迎えるが、漸く暗くなりつつある20時頃になれば、東の空に明るいベガの輝きを筆頭に昇っている夏の大三角に気付くことが出来るだろう。天候に恵まれたならば、都会の空でも七夕の主役達を見上げてみるといい。

毎年述べているように、太陰太陽暦で祝われていた本来の七夕はまだ一月ほども先の時期になる。旧暦での七月七日を現行暦に変換するならば、二十四節気で七月中となる処暑の前、最も近い朔(新月=太陰太陽暦での月初)の日から数えて7日目がその日に近い。この《伝統的七夕》は、2014年では8月2日がその日となる。

太陰太陽暦では、日付と月の位相はおおよそ対応しているため、七夕の夜には七日月、つまり上弦に近い半月が輝いていたことになる。天の川の渡し舟にも見立てられた月も古来の七夕では欠かせない風情の一つであったろうが、現行暦ではこの関係は成立しないので、毎年7月7日の月の満ち欠けはまちまちになっている。例えば昨年はほぼ新月直前、月の無い宵空だった。今年はと言えば5日に上弦を過ぎて幾分太った月が南天に掛かり、全くらしからぬ七夕、という訳でもないかも知れない。

うたの始めの七夕頌

こと座のベガとわし座のアルタイル、二つの星を結ぶ織女と牽牛の伝承が何れの時代に、どのような背景で成立したのかは定かではないが、人が見上げていた星の名は最も古い詩歌の中に既に詠われているという。
紀元前12世紀頃に成立した周朝初期より紀元前7世紀頃の東周の代にわたり朝廷祭祀の楽歌から地方の俗謡まで三百余篇を集めた『詩経』の中に現れるというので、書架から抽き出して開いてみると、『小雅』の部に収められている『大東』の詩に目当ての星の名が見つかる。

維天有漢  維(こ)れ天に漢有り
監亦有光  監(み)れば亦光有り
跂彼織女  跂(き)たる彼の織女
終日七襄  終日 七襄(じょう)す
雖則七襄  即ち七襄すと雖も
不成報章  報章を成さず
晥彼牽牛  晥たる彼の牽牛も
不以服箱  以て箱(そう)を服(つ)けず

空には天の川が流れ、輝く星の光が見えている。三つ星のひとつである織女は日がな一日幾度も機に向かっているにも関わらず美しい模様を折り上げることは出来ず、輝かしい牽牛も、牛に車を牽かせることはない――。
東国の民の困窮を詠嘆するこの詩には、二人の恋物語も天帝の怒りも描かれてはいない。これらの星々がいつしか悲恋の主人公となって今の私達に"七夕物語"が伝えられている。 我が国で最古の歌集として残る『萬葉集』が成立したのは8世紀。そこには、秋の事物として七夕に取題した短歌や長歌が数多く収録されている。その中の一首、萬葉きっての歌人柿本人麻呂の歌を引けば、

天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
(あまのかわ かぢのおときこゆ ひこほしと
たなばたつめと こよひあふらしも)

『詩経』から1000年を下った時代には既に「離された想い人同士の悲哀物語」として伝わった七夕伝説は日本の歌人達の心を強く掴んだらしく、多くの歌にはそれぞれの切実な相聞の思いが託されているのだろう。

アジアに広がる星物語

大陸から伝わった七夕は、初め宮中の節会として、やがて庶民も楽しむ祭りとして、日本に広がり定着した。織姫と彦星の物語も誰もが知っているほどだろうが、その伝承は幾つか形を変えて伝わっている。例えば。
ある日、若い猟師が森の中で水浴みする美しい天女達に出会い、その一人の天衣を隠した。衣を失った織姫は地上に残り、猟師と結婚して子まで生したが、ある時隠されていた己の衣を見つけて天に帰る。猟師は妻を追って天に上るが、天の瓜を割ると中から水が溢れ出し、天の川となって二人を隔てた――。このように羽衣伝説と重なりあう形で語られた七夕伝説を伝えている地方も少なくない。

織女と牽牛の伝承は、中国文化の影響下にあった東アジアの各地にも伝えられていたらしい。中国諸王朝に属した時代のあるベトナムもそうだ。天の牛飼いの若者ヌー・ランと織物の女神チュック・ニューとが恋に落ちた。働きを忘れたことに神の怒りが下り、ヌー・ランは人間として地上に追われ、二人は引き離される。ある時、地上に降りた女神が水浴みをしている間に、ヌー・ランはチュック・ニューの衣を隠し――。日本にも伝わっているのとよく似たアルタイルとベガの物語だ。
こうしたアジア各地に伝わる神話・伝説を集めて『アジアの星物語』が刊行されている。耳にする機会の多い地中海世界の神話ばかりではない、世界中それぞれの国の風俗に根差して、豊かな星物語が文化の間に浸透している。

★伝統的七夕ライトダウンキャンペーン★

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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