シリーズ知恵ブクロウ&生きものハンドブック

月を頼りに暦は巡る

嘗て人は、月の巡りを見ながら日を数えていた。秋の深まりとともに冴えて来た月を見ながら暦語りをするには夜長もちょうどいいだろう。

日と月の巡りを読む

天文学の源泉は、天体の運行を観測しその規則を理解することに有ったと言えるだろう。自然界の時間の循環に従って生活を営む上で「暦を編む」ことは古代から社会の基盤だった。その指針となったのが太陽と月だ。「こよみ」とは「日読み(カヨミ)」から転じたとされる。古事記では太陽神・天照大神と共に「月讀命(ツクヨミ)」が生まれ出でるが、日ばかりでなく月をも読むことで世を統べる法を解こうとしたのが暦だ。

各文明圏で構築された暦法は、およそ共通の時間単位によって成り立っている。昼と夜とを作り出す太陽の日周に基づく「日」、季節周期を生み出す太陽の運行に基づく「年」、そして月が満ち欠けして戻る周期に基づく「月」。偶々、月の朔望を12回繰り返すと太陽の1周とある程度近い日数になっていたことは人類にとって都合がよかったことだろう。1年を12か月とすることも概ね共通だ。

暦法を大別すると、①太陽年を基準とする暦法(太陽暦) ②朔望月を基準とする暦法(太陰暦) ③朔望月を基準としつつ太陽年に近づける暦法(太陰太陽暦)の三種がある。1太陽年(約365日)に準拠する太陽暦は古代エジプトで使用され始めたとされる。私達が使用しているグレゴリウス暦も、そこから進化した太陽暦法だ。

新月の国の年明け

月の朔望を基準とする太陰暦は、古代世界において広く発祥した暦法だ。視覚的な月の様相と日付が概ね対応するので文字記述による伝達等が未発達な時代にも有効に働いたのかも知れない。けれども太陰暦には大きな不都合がある。約29.5日の周期で繰り返す朔望月と1か月の平均日数が大体一致するよう、29日の月と30日の月を設けることになるが、これを交互に12か月繰り返すと1年の長さが354日となる。1太陽年より11日も短いため、年を重ねる毎に暦日は太陽の運行とずれていく。季節に寄り添わない暦は、農耕等には適さないと言わざるを得ない。

朔望月だけを頼りとする純粋太陰暦は、公式な暦法としてはほとんど消えてしまったが、現在でも多くの人が従っている暦がある。イスラーム世界で使われるヒジュラ暦がそれだ。ムスリムの人々も生活面ではグレゴリオ暦等を併用しているようだが、神聖なる祝日や宗教的生活のリズムは、今も太陰暦であるヒジュラ暦を守っている。「断食月」として知られるラマダーンはヒジュラ暦で第9月になるが、年々その季節が動いていく中で彼らは義務を果たしている。太陰暦であるから、新月(宗教的には朔の後の最初に月を観察した日)を月初とする。グレゴリオ暦で2014年10月24日の新月を迎えてヒジュラ暦の月が改まり、新しい年に入ったばかりだ。ムハンマドがメッカからメディナに聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年より起算して、1436年1月(Muharram)となる。

二度目の九月

さて、日本では明治6年1月1日からグレゴリオ暦の日付に合わせて現行暦に改めている。太陽暦になる前の日本の暦法は太陰太陽暦に基づくものだ。29日の月と30日の月を12か月組み合わせて1年とする太陰暦が土台となっているが、月の朔望に基づく暦日と太陽の運行に基づく季節との間に年々生じる差を補正し、太陽年からのずれを解消しようとする点で太陽暦の性格が加わっている。

暦日を季節に繋ぎとめていたのが二十四節気だ。二十四節気には各月に節気と中気とがあり、中気の日を含む朔から朔までがその月となる。例えば10月23日は二十四節気の「霜降」、これが「九月中」に当たるため、この日を含む9月24日の朔から10月23日までのひと月が旧暦九月であった。そして翌日から旧暦十月が始まる、ところなのだが。「十月中」となる「小雪」は11月22日になる。この日は朔でもあるので、11月22日から始まる月が旧暦十月になる。
それでは、10月24日の朔から11月21日までのひと月は、どうすればよいのだろうか。中気を含まない月が現れた場合には、前の月をもう一度繰り返す《閏月》を置くことで、暦を補正していた。そのひと月は「閏九月」と言うことになる。

三度目の月を見ながら

旧暦八月十五日「中秋」に続いて、旧暦九月十三日の「後の月」を愛でるのが月見のひとつの流儀であったという。

十三夜は10月6日に過ぎているが、閏九月が入った今年は改めて"十三夜の月"が11月5日に巡って来る。"後の十三夜"に儀式があったのかどうかは暦の書籍にも定かには見つけられなかったが、栗には些か遅いだろうか。これとは別として、地方によっては旧暦十月十日の月にも供え物をする習慣があったようだ。
今年の十日夜(とおかんや)」は12月1日となり、その年の収穫を全て終えた最後の農業祭というよりは、冬籠りの風情かも知れない。

太陰太陽暦は廃止された制度。"正式な旧暦"というものは存在しない。現在旧暦と呼ばれるものは、最後に使用されていた天保暦の作法に則って、最新の天体運動の理論に基づいて計算しているものであって、言わば"天保暦もどき"あるいは消滅した暦の"似姿"のようなものに過ぎない。
それでも、こうして季節毎の風習を振り返ることで、私達人類が天体の巡りをどれほど拠り所にしてここまで進んで来たかに思いを致すのも、悪くない秋の夜更けだ。

内藤 誠一郎
内藤 誠一郎(ないとう せいいちろう)

東京大学大学院にて電波天文学を学び、野辺山やチリの望遠鏡を用いて分子雲進化と星形成過程の研究を行う。
国立天文台では研究成果を利用する人材養成や地域科学コミュニケーションに携わり、2012年からは現職で広く学術領域と社会とのコミュニケーション促進に取り組む。修士(理学)。日本天文学会、天文教育普及研究会会員。東京都出身。
自然科学研究機構 国立天文台 広報普及員
(社)学術コミュニケーション支援機構 事務局長
天文学普及プロジェクト「天プラ」 プロジェクト・コーディネータ

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