7月2日(月)朝7時15分。エコッツェリアに、64名の丸の内朝大学経験者のみなさんが駆けつけました。月曜日の朝にも関わらず、その眼差しは真剣そのもの。ところ狭しと並べられた椅子は、あっという間に満席となりました。
彼らの目的は、「福島大学復興学×丸の内朝大学 連携ソーシャルプロジェクト」第1弾の授業。この日から連続4日間の講義を経て、7月7日(土)〜8日(日)は、福島への現地視察に訪れるという短期集中型の特別クラスです。
福島は今、多様で複雑な問題にあふれ、政府もマーケットも単体での解決の見通しが立っていない状況。このクラスでは、福島の抱える課題のなかでも波及性・緊急性が高い、「食」「職」「観光」にフォーカスし、解決策を議論していきます。
キーワードは"よそ者の切り口"。これまで、業界やカテゴリーを越えた「コミュニティ」によるソリューションを提供してきた丸の内朝大学に、今、できることとは?今回は、初回講義の様子をレポートでお届けします。
この日は、初回ということで、「復興学とは」をテーマに、復興学という学問の考え方や、福島の現状についての講義が展開されました。まずは講師の木戸寛孝氏から、「福島の問題を考える以前に知っておくべきこと」として、今、私たちが存在する、時間的・空間的な位置についての解説がなされました。
まずはマクロの視点から。歴史的レンジで見た時にケーススタディとして考えられるのは、チェルノブイリの事例です。1986年4月、チェルノブイリ原発事故が発生した後、ロシアは「予測不可能なリスク」を抱えました。当時社会主義だったロシアは、ゴルバチョフ大統領により、グラスノスチやペレストロイカといった、急進的な改革を進めていきます。その結果、1989年にはベルリンの壁崩壊、冷戦終結、1991年にはソビエト連邦が崩壊に至ります。そしてその翌年、EUが創設されるのです。
この歴史に対し、木戸氏は、「この通りにはならないと思う。当時のロシアほどストレスフルではない今の日本では、これと同じ歴史をたどることは考えにくい」と言います。しかし注目すべきは、原発事故からEU創設まで、たった6年で、これだけの変革が起こっていること。今、福島の事故から1年経ちました。情報化社会の中、これから5〜6年で何が起こるかは、予測不可能です。しかし予測不可能ということは、可能性が最大限に広がっているということ。それを考えていかなくてはならない、と言うのです。
そこで、「日本」という座標で考えるのが、ミクロ予測。「復興」という言葉でつながる「戦後復興」の事例を考えてみます。戦後、焼け野原になった日本には、高度成長期がやってきました。官僚主導で改革を進めていき、バブルの頃には「JAPAN as No.1」という形で ある種のピークを迎えます。これに対し現在、震災復興の時期にあるのは、「高齢化社会」。この背景の中で予測できるのは、官僚主義から脱却し、市民社会へと歩みを進めた果ての「グローカル社会」。これは、国家よりも大きい「グローバル」と国家よりも小さい「ローカル」へと分散していくという考え方で、「個人が世界とつながっていく時代」とも言えます。当事者・プレイヤーとしての市民が、どのようなアクションを起こしていくのか、が問われていると考えられるのです。
このマクロとミクロの背景を持つ現在の座標軸を確認した上で、ここからは福島の抱える具体的な問題の話へと移ります。
ここからは、福島大学准教授の丹波史紀氏が登壇。「何を学び取っていかなくてはならないのか」という大きなテーマを掲げ、福島の現状を様々な側面から捉え直していきます。
放射能汚染の広がり、20キロ圏内の現実、福島の農業従事者の実際の声など、ニュースでは知り得ない現状を交えながら展開する丹波氏の話は、私たちに、未だ厳しい状況下にある福島の現実を突きつけてきます。
中でも衝撃的だったのは、「放射能の影響で死亡した人はいない」という報道に対する現実。確かに、放射能による身体的被害で死亡した方はいません。でも、20キロ圏内では、救出を必要としてる人がいるのがわかっていながらも消防団の人たちが撤退せざるをえなかったり、介護施設で患者さんが取り残されてしまったりしたことにより、「救える命が救えなかった」という事例が、現実に発生しているそうです。
続いて丹波氏は、福島大学が双葉郡にある全世帯・2万8千世帯の住民を対象に実施したアンケート調査の結果を提示。約半分の世帯から回収できたという、貴重なデータです。「難民状態」と言える避難回数、全国各地に避難してバラバラになっている家族、「見なし仮設」と呼ばれる住宅に住み、支援が行き届かない人々......。ここでも、報道されている以上に、多くの問題点が浮かび上がりました。
現状を把握したところで、今度はこのクラスが目指すことについて、「ふくしま復興学」が始まった経緯を辿りながら説明がなされました。
「ふくしま復興学」は、2012年より福島大学と立教大学が共同し、大学院教育としてスタートしました。「そもそも、なぜ東京で?」という疑問が浮かび上がりますが、首都圏は、約40年間に渡って福島原発の恩恵を受けてきました。また、今回の事故により、福島だけではなく、日本社会全体が機能不全に陥ったのは、私たちの記憶にも新しいこと。情報操作による「エリートパニック」、都市一極集中、10万人以上集まった反原発デモに代表される「政治と社会の乖離」など、様々な問題が浮き彫りになった今、福島の復興は、日本中の課題。東京に住む私たちも、「自分ごと」として捉えるべき問題なのです。
では、「復興」とは何を意味するのでしょうか。現在「復興作業」として進められていることの多くは、ハード面の復旧です。しかし丹波氏は、「これに留まらず、被災者と被災地の再興を通して、新しい日本社会システムへと転換し、Fukushimaから新しい価値創造をすることができるかどうかが問われている」と言います。
これが、「ふくしま復興学」が目指すことであり、コミュニティを有する丸の内朝大学とのコラボレーションに至った理由。このクラスでは、「解決の展望を一緒に創造する」ことを目指していきます。まずは被害の実態を「自分ごと」として見つめ、そこから現れる日本社会が共通して抱えている課題を掘り出すこと。そして、新たな価値創造へ。コミュニティの力が、今、日本の課題解決のために必要とされているのです。
講義の後半には、第2回以降に個別に取り扱う「食」、「職」、「観光」といった各テーマについて、大まかな問題提起がなされました。詳細は第2回「食について問題提起」のレポートで、読者のみなさんと一緒に考えてみたいと思います。
最後に丹波氏より「復興に向けた大事な視点」として提示されたのは、「尊厳」を頂点とした三角形の図。「生存」や「生活」がベースにあるのはもちろんですが、人間としての「尊厳」をきちんと再生していくことが復興には欠かせない、と強調して、この日の講義を終えました。
丸の内朝大学の事務局によると、定員40名に64名が応募。本来は選抜だったのを、全員を採用することになったのは、「応募時に寄せられたそれぞれの想いがあまりにも熱く、落とすことができなかったから」と聞きました。それぞれの想いが集結し、今後コミュニティとしてどのような動きへと展開していくのでしょうか。
丸の内地球環境では、次回第2回の授業も、引き続きレポートでお届けする予定です。