千代田区観光協会が定期的に開催している「まち歩きプログラム」、10月は「江戸城ウォークマンスリー~お江ゆかりの地を巡る~」と題して、ガイドと共に江戸城内を歩き、最後は楠公レストハウスで江戸エコ行楽重を味わうというツアーが5回開催されました。
その最後となった23日の回に参加したレポートと、「江戸エコ行楽重」を提供する楠公レストハウス料理長の安部憲昭さんへのインタビューを2回にわたってお届けします。
日曜日の朝9時、ちよだプラットフォームスクウェアに集まった参加者たちは2班に分けられ、それぞれにボランティアガイドがついて、江戸城ウォークがスタートします。江戸城への入り口は竹橋駅近くの平川門。さっそくガイドさんからこの門についての説明が。
門が二重になっていて外側の一の門が小さくなっているのは、敵に攻められにくくするため。小さな門をくぐって入ってきた敵を内側の大きな門(二の門)の上から狙い撃ちするようになっているのだそうです。また、二の門のとなりにはもうひとつ小さな門が、これは不浄門と言われ、し尿や死者、そして罪人を搬出するためだけに使われる門で、浅野内匠頭もこの門から外に出されたそうです。
そこからお堀をわたると城内への入り口がありますが、休館日以外は誰でも自由に出入りしていいのがこの江戸城、意外と知られていませんよね。私も入れないんだと思っていました。
その入口を過ぎ、ザクロやコムラサキといった植物を眺めながらゆっくりと坂を上って書陵館を過ぎるといよいよ天守台跡です。天守は1657年の明暦の大火で消失してしまったため今は石垣が残るだけですが、その石垣の大きさだけで当時の天守の巨大さを偲ぶことができます。
実は、天守が完成したのは1638年で、建っていたのはわずか十数年、すぐに再建する計画が持ち上がったものの江戸の町の復興を優先させるために天守の再建は断念され、結局その後今に至るまで江戸城に天守は存在しないままなのです。
この天守台跡の石垣の上には登ることができ、そこからは丸の内のまちから溜池山王の辺りまで見渡すことができます。
天守台の前に広がる芝生は江戸城に住む人々の住居があったところ、一番天守に近い所が大奥でその先が中奥、さらに本丸・表御殿とあったそうです。その本丸跡に残るのが「午砲台跡」、これは明治時代に陸軍近衛師団がこの場所に砲台を設置、正午に時報として空砲を撃った砲台があったところ。この空砲の音は「ドン」と呼ばれ、これが「半ドン」の語源になったという説も。
そのさらに先には富士見櫓があります。これは天守焼失後に天守の代わりを果たしたというもの。現在立っているのは関東大震災で倒壊した跡に再建されたもので、予約されば誰でも中に入って見学できるそうです。
これを過ぎて、坂を降りていくと今度は江戸城の表門に当たる大手門に至ります。大手門の手前には大番所、百人番所、同心番所という3つの番所が今も残ります。 大番所はこの先は御三家も籠を降りて歩いて入らなければならないという最後の番所、百人番所は伊賀衆、甲賀衆、根来衆、二十五騎組の四組が昼夜交代24時間体制で詰めていた最大の番所、同心番所は大手門を警備する与力や同心の詰所でした。
ここで大手門を出て外苑へ。工事中の東京駅を眺め眺めながらお堀に沿って進むと、二重橋と桜田門に至ります。二重橋は橋が2つかかっており、それで二重橋というのかとおもいきや、奥の橋が木の橋だった頃には(現在は鉄橋)、橋桁が上下二段に架けられていたため二重橋と名付けられたのだとか。普段何気なく通り過ぎているところにしらないことがたくさんあるんですね。
3時間みっちり歩いて、かなりお腹も空いたところで、楠公レストハウスに到着。その様子は後編で!