松岡正剛氏が大胆にプロデュースし、書店のあり方の可能性を広げたとして、各種メディアから注目を集めてきた丸善本店松丸本舗と、サステナビリティを考えるまちメディア丸の内地球環境新聞のコラボレーションでお届けしてきた【丸善松丸本舗BookNavi】。2012年9月末の松丸本舗閉店を前にした最終回、その後篇は売場長宮野さんの「次世代に残したい本」です。
【丸善松丸本舗BookNavi】最終回! 「次世代に残したい本」(前篇)―宮本常一『忘れられた日本人』、立川武蔵『空の思想史』、金子光晴『絶望の精神史』他
お話を伺ったのは
・松丸本舗ブックショップ・エディター 森山 智子さん(以下 森山)
・松丸本舗売場長 宮野 源太郎さん(以下 宮野)
絞りに絞った13冊をご紹介いただきました。
9:『銀の匙』 中勘助
10:『春宵十話 随筆集/数学者が綴る人生1』 岡潔
宮野: 松丸をやるうちに気付かされたことを象徴してる本を選んだんですが、森山さんと近いなぁと思いました。本殿の一巻目の最初の本がこの『銀の匙』。話者は青年なんですが、小さい頃から大事にしてる銀の匙があってそれから自分の少年時代の記憶をたどって書き連ねていくっていう本です。
子供の頃の情感、情緒、情景っていうのを大人になってから言葉にするのって難しいと思うんです。どこかで論理的になってしまったり分析してしまったりして。それがこの本の場合、主人公の境遇に完全に重なることはないのに「あ、わかる」っていうのがある、さっきの知らないけどわかるっていうのと同じですよ。自分でも忘れちゃってるかもしれないものが「あ、そうだったかもしれない」って蘇らされるんです。
ここからはじまる一巻目にはSFがあったり、怪奇ものがあったり、詩があったりするんだけど、テーマはノスタルジーで、自分では忘れてしまっている心の奥底にある感情とか情感がものに出会うことでふっと湧きだして目の前の単なる風景を"情景"に変える。景色と原風景の交感、それを松岡さん自身が大切にしているんじゃないかって。松丸は「出会える本屋」なんですよ、でも探せない。みんなアマゾンでもなんでもロジカルなキーワードを並べて本を探して買うわけだけど、ここは探せない。それはただ決まった本を探すのじゃなくて、本との一期一会の出会いから「読書体験を創出しよう」という松岡さんのメッセージなんだ、ということを棚をいじらせてもらう中ですごく感じるところがあったんです。ぼくはもともと本屋でロジカルな棚作りをずっとやってきたので、このノスタルジーっていう大きなテーマで棚を作るっていうのは「作りたいな」って思ったんです。
森山: 幼い頃の記憶がわーって湧いてきますよね、この棚見てると。で、そこまで行っておくと柔らかくなるんです。子供って、なにか目的をもって探すことよりも、思いがけず出会ってしまうことのほうが圧倒的に多いから。
宮野: 「感覚の目覚めっていうのは情意の関係になることだ」って言った人がいて、ものとのそういう「あっ」とか「うっ」とかいう直接的な一瞬の出会いがある。でもそういう一瞬を道を誤ったように怖がる人もいるんですよ。時間の無駄だとか効率的ではないとかいう理由で。でも松丸は出会ってもらいたい迷ってもらいたいっていう棚作りをしてきて、その一番最初にこの本を持ってきたのはそんな思いがここに具現してるのかなぁと思いますね。そういうものを一生懸命お客さまにわかってもらおうとしてやってきた3年間だったのかなぁと。
森山: 読むだけで柔らかい自分にスイッチが入る本といえばこれだったのかな、松岡さんにとって。
宮野: 次が先ほど出てきた岡潔さん。数学者なんですけど、情緒ってことを言ってらして、童心っていう言葉も使っていて、論理とかそういうことをやってきたけれど情緒とか童心というものがロジカルなものの基礎にもかならずあるんだし、日本の教育は情感というものを大事にしないといけないということを言っています。
数学の発見というのも情緒というのが基礎にあるんだということをずっと語っていて、数学者でありながら最後のたどり着いたのは情緒だと。そして、その情緒というのは童心っていうものを大切にすることだって言うんですね。これが『銀の匙』につながっていくんじゃないかと。これは2巻目に入ってるんですけど、これで1巻目と2巻目がつながっていく。1巻目/2巻目っていう構成は文学/科学というような区分けではなくて、ずっとつながっていっているものなんですね。何となくそのつながりが体感できる本。我々は特に手を使って棚に触っているので、その中でそういうつながりを体感してった3年間でもあったなぁと。そこにあるのは情感であったり情景であったり情緒だったり、あるいは童心であったり、そういうものを論理だの効率だのっていう鎧で固めてしまわずに表現する事をもう少ししたかったかなぁっていう反省はありますね。
森山: 確かにこれが2巻の中にあって、2巻の最初の方に寺田寅彦さんとかあって、1巻の感覚の残響とか余韻のまま、「ひゅっ」と入ってそこから宇宙とかへとひとつながりになる鎖になっている本ですね。
宮野: 2巻目の子どもが理科の授業からへーって思って、ある子は昆虫採集になったり、魚釣りになったり、そういう流れで星を眺めてみたり、プラモデルの本があったり、それが抽象的になって数学になり、今度は空になり、生物になり、人間の話になり、自分の話になる。
森山: 具体的な体験が抽象化されて、抽象化すると動かせるものが増えていく。そこに岡潔さんみたいなひとがどんなふうに読んできたかっていう読書体験も入ってくる。そういった理系の人の中にある柔らかい気持ち。理系って官能的ですね。
11:『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』 岡本太郎
12:『芸術実行犯』 Chim↑Pom(チン↑ポム)
宮野: 次は爆発のおじさん。この中で「富士山をみんな有り難がるけど本当に富士山の凄さとかわかってるのか、有り難がるのが常識だからありがたがってるんじゃないか」というようなことが書いてあるんですよ。で、ぼくの絵だってそうじゃないかと。生きるってことと芸術っていうことがどれだけつながっているか、ロジカルなものではない、芸術の前に立った時の「あっ」とか「なにこれっ」っていうのが芸術じゃないかと。アバンギャルドっていうけど、それは単に今までないことをやるんじゃなくて、「わっ」って思ったことをどれだけストレートに表現できるか、そういうことだと。この方は生き方もそんななんで芸術の入門書としてもわかりやすいし楽しいし共感も出来る本です。
つまり、「わっ」とか「あっ」とか「これなんで?」っていうのも芸術になる。われわれが生きてく中である「これなんだろう、おかしくないか」っていうことが芸術になる。そんな岡本さんの考え方にたぶん影響されている集団が本を出してて、それがこの『芸術実行犯』。この集団はヒロシマの「ピカ」っていうのを表現しちゃって大問題になったりとか、岡本さんの「明日への神話」に付け足しをして話題になったりとか、普段「なんで?」「なぜ?」っていうものをカタチにして表現をしているんです。だから影響されてるなっていうのをちょっと感じて、そういうなぜだっていうのに素直に反応してカタチとして表現する人がちょっと多くなってるのかなぁと思いました。
森山: じゃあこっち(『絶望の精神史』)っぽい人が出てきてるのですね。それならよかった。
表紙に「アートが新しい自由を作る。」ってありますけど、「自由」という言葉は、「自らが理由になる」という意味でなんでもできるというのではなくて、自分が理由になって行動を起こせるかどうかだと思うのです。そうすると「新しい自由を作る」っていうのは自分がこう思うっていう核がしっかりないとできないですよね。
宮野: ヒロシマのをやった時にもすごいバッシングを受けたんだけど、最後まで支援してくれたのは被爆者の団体だったっていうことが書いてあって、国とか県には怒られたけど、実際に「ピカ」を浴びてその後苦しんでいる人達はそうじゃなかったっていうのを読んで、われわれは実は「これはダメ」っていう感覚でシャットアウトされてるのかなと思いましたね。
13:『千夜千冊 番外録 3.11を読む』 松岡正剛
宮野: 松丸本舗くらいお客さまと会話する本屋はないと思うんですが、それはなぜかというとお客さまが本当に何を読みたいのかを引き出すためなんです。それは「この本は読まなきゃダメ」とか「これをするんだったらこれ」「泣くんだったらこれ」という紹介の仕方をするのではなく、自由の話じゃないですけど、お客さまがその本を読みたい理由、それを見つけて本に出会ってもらうためなんです。だから話をする中でも「これ読んでください」という勧め方ではない。お客さまの好みやそのときの気持ち、そういったものとブックショップ・エディター自身の読書体験とが共感・共鳴して、「こんな本が読んでみたい!」っていうふうに徐々にある棚に本にその気持がフォーカスされていく。電子書籍の出現で紙の本の危機なんて言われてますが、リアルな棚という場だからこその"読書体験の交換"をしてもらい、出会った本をお買い上げいただくと。で、こっちはご自宅の棚でどんな本と並ぶのかなぁなんて妄想してニヤニヤしてるんです。このことはブックショップ・エディターの皆さんがどんな風にお客さまと接しているかを見ていて気付かされたことなんです。
森山: 話すことでパッケージ化されるっていうのが大きいですよね。話したことが本とセットになって記憶されてる。本を媒介にお客さまと話しながら、お客さま自身が「これは自分の感覚と合っているのかなぁ」っていうことをされると、自分の記憶と本がつながっていきだして自分の生活の文脈のなかに本を並べていくことができたりするんです。
だから、お話しているうちに最初に言ってたのと違う本に辿り着いて「実はこれが好きだったのか」というような発見をされる。それはなかなか一人では難しいかもしれません。
平尾: ずっと本屋さんに関わっていてもこの3年間は特殊でしたか?
宮野: 特殊だったなぁ
森山: 宮野さんの変化が本当は一番知りたいです。丸善でずっとやって来た方がどう変化されたのか。宮野さんのようなプロの本屋さんと、書店員としては素人だけど、いろんな関係を編集するブックショップ・エディターが一緒になって松丸本舗の店頭に立つ。私たち寄りの人達ばかり集まっていたら、独りよがりになってしまって内向きに閉じた状態になってしまってたんじゃないかというのを感じますね。
平尾: 情感で棚を作るっていうのもそうなんだって思いました。それは誰かの情感なんだけどお客さまも一緒に体験できる、わからないんだけどつながっているっていうのを具現化しているっていう。
宮野: 目次読書法っていうワークショップがあって、直感で本を選んでもらって目次でどんな本なのかなあってイメージを持ってもらって、皆さんと話すんですけど、そこでもみんなばらばらに持ってくるんだけど何かがつながってるんですよね。
森山: ワークショップをすると、感覚で繋がれるっていうことが実感してもらえますよ。
平尾: そういうものがある限りアマゾンだけでは無理ですよね。本屋といういうカタチはなくならない。
宮野: 1冊の本にはその本の世界があって、それはアマゾンでもなんとなくわかるかもしれないけれど、この本の隣にこの本があることでそれぞれの世界があわさってまた全然別の世界が立ち上がってきたりっていうのは独特で、さらにそれに出会った時の自分の感情やコンディションで受け止め方が変わったりというのがあるから棚というものがあることで松岡さん流に言うと読前の感覚に厚みが出るというのはある気がしますね。
森山: そうですね、単体で入ってくるより、フォーメーションを組みながら入ってきたもののほうが記憶に残りやすいんですよ。だから、構造がない中で買っていると数が増えるばかりで意味が作りにくい、自分がどういうつながりでこの本を読んでいるんだろうっていうのが見えにくいんですね。だから、棚という構造物に本が差し込まれていくっていう感覚が自分の中に持てるかどうかが、本の世界を広げていけるかのポイントになると思うんです。
ある程度構造ができてしまえばそこに本を入れることは難しくないんですけど、本屋に行って誰かが作ってくれた世界観を見るという場面が格段に減ってしまっているので、そうやって意味を持たせることが今はしんどいんだろうと思います。つまり、自分の中で棚という構造が作れるかどうかが一番ポイントで、松丸の棚を自分の中に作れると「この本は5巻のそこに入れよう」みたいに考えながら本が買えるので、本を使って自分の世界を広げるという広げ方が格段に加速しますね。
松丸で一番持って帰ってもらいたいのは実は棚の並びなんです。ここにどんな時代の本があるとかこの分野の本が並んでるとか、そういう棚の場所の記憶を白地図みたいな形で皆さんの中に持ってもらえたらいいですね。
平尾: じゃあ一番「残したい」のは白地図だと。
森山: だから結局『千夜千冊』になっちゃうかもしれない。
宮野: じゃあそこでこの『3.11を読む』を...。なんでこの本かって言うと、いま思い返してみたら、3.11って3年間のちょうど真ん中辺りなんですよ。3年間のど真ん中に3.11があって、その大きな転換点からあとその折々に松岡さんが読まれた本を千夜千冊にシリーズとして書いていて、それをまとめた本です。
森山: 書いたそのままの順番じゃなくて、また編集してるんですね。だから目次を読んでいただくと、「大震災を受けとめる」「原発問題の基底」「フクシマという問題群」「事故とエコとエゴ」とあって、「陸奥と東北を念う」と最後にあります。ここでは陸奥の歴史がどういう変遷を追ってきたかという本も3.11とつないで考えることができるようになります。
宮野: 千夜千冊全体がそうなんですけど、本の解説や書評ではなくて、その本を読んだことでの松岡さんの読書体験なんですね。これも震災関連の本の解説書ではなくて、その本を通して松岡さん自身がどう3.11という現実と対峙したか、そういう事態そのものが書かれてるんだと、僕は思ってます。だからたまに「難しい」とか「分からない」と言われる方がいらっしゃるんですが、その本の解説・紹介を松岡さんはしているのではないんです。その本と関わることは同時に今の自分や自分を取り巻く現実と関わることなんだ。古典であってもね、それが読書体験なんだ、って思いました。
松丸本舗での実験とはつまり1冊1冊の本と人と一期一会の出会い、読書体験の"素"を体験していただくことだったんだというのが自分の気づきです。だから、このあとも普通の本屋さんに戻っちゃうんじゃなくて、どこかの機会で読書体験をしてもらえるきっかけづくりができたらなぁと、それがこれからそれぞれがやる課題なのかなぁと思ったりします。
森山: スポーツ選手がどうしてそんなに速く走れるのかが説明できないように、どうやって本を読んでるのかを取り出すのって難しいんですよ。でもそれにもちょっとしたコツがあって、何度か真似してるうちに身についてくる。そういう視点で話をすることってあまりないんですけど、読書って言うとどれだけ感動できるかとかおもしろかってことが求められることが多いですけど、そういうどっぷり浸かる読書以外にも、知識を得るためだとか、あとは本ってコンテンツをどう組み立てるかというお手本にもなると思うので自分がアウトプットしたい時にその構造のあり方を学ぶためだとか、色々な読み方ができると思うんです。それが読書体験で、そういう捉え方をする松丸ってやっぱり異質だったのかなぁと。
平尾: 読書と読書体験を違うものとして捉えるってことですよね。
森山: 本と読書体験もセットで話をするっていうことはずっとやって来ましたね。その中に情緒でつながるってことも含まれるし。
宮野: 人の体験を聞いたり読んだりしてると、自分が全然関係なくても自分が体験したいことが呼び覚まされたり、ブックショップ・エディターが私はこんなふうに読んでこうだったという体験記を話すと、「私とはちょっと違うから私はこっちかな」みたいにフォーカスされてくることがありますね。
森山: そうか、体験を喋ってるからどんな本でも話ができるんですね。5万冊全部の内容を把握しているわけではないので、松岡さんの体験に助けてもらいながら、自分だったらこんな体験しそうみたいなことを話せる。だから盛り上がって「私も読んではいないのですが」ってお話すると「読んだことない本も勧められるんですか?」と、びっくりされたり(笑)。でもこうして、お客さまと同じ視点に立って「こんなふうに読みたい」とお話したり、この本やあの本とつながるってことをお客様と一緒に見つけたりできることが、松丸本舗でブックショップ・エディターをしていて一番ワクワクして楽しいことですね。
このあともつらつらと話は続いたのですが、読書体験をどう共有して、どうやって自分が読みたい本にたどり着くのかは、松丸本舗に皆さん自身でぜひ体験してください。あと半月しかないですが、皆さんが自分の中に棚を作れれば松丸本舗はみなさんの中にありつづけられるのです。
営業時間: 9:00〜21:00
アクセス: 〒100-8203 千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾ4階
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