イベント3*3 LABO・レポート

【3*3 LABOレポート】「森と人とのあいだ」~第二回 里山資本主義~

2013年7月3日(水)開催

3*3ラボ 2013年7月3日開催
シリーズ「森と人とのあいだ」第二回『里山資本主義』
ゲスト:藻谷 浩介(もたに・こうすけ)
前半は、シリーズディレクターとして『Social Sensing Lab』を主催する井上岳一氏から、「里山とは何か」のレクチャー講義。後半は藻谷氏から、「里山資本主義」のお話という流れでセミナーは展開されました。
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里山の価値が、森と人の関係が失われた。
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林野庁に入社し、紀伊半島の国有林地の管理や国内の森林・林業政策の企画立案に携わった井上氏。経験をもとに「里山」とは何かを語っていただきました。ご自身も、東京から1時間離れた里山である神奈川県の二宮に引越し、里山生活を実践されています。

―里山という言葉は、昔からある言葉なのでしょうか。
「里山」という言葉自体、実は戦後の言葉で、世間で使われ始めたのは1995年頃からです。
言葉として注目されたのは「逗子の池子弾薬庫開発を巡る反対運動 (1983~1993)」。ここから「里山」という言葉が使われてきます。そして「となりのトトロ」(1988年公開)。今森光彦氏の写真集「里山物語」(1995年)が里山のイメージとして使われました。
愛地球博の「会場の森」で里山が注目されたのも記憶に新しいです。広辞苑に掲載されたのは1998年です。里山という言葉は実はまだ新しい概念なのです。もう一つの注目を浴びたのが、花粉症の社会問題化。1982年頃です。広葉樹の代表として里山がメディアに取り上げられたりしました。

― 里山には本来どんな機能があるのでしょうか。
主に3つあります。
①生活林(肥料や農業)、②休養林(遊び場、道)、③風景林があります。
昔は、生活林としての機能がありました。木を切って、薪にして燃料にしたり、家を建てたり。しかし休養林としての機能はあまりみられません。それも、日本には、森の中で遊ぶ文化がなかったためです。働く場所として生活に根付いていたためか、信仰心からでしょうか。

里山を成り立たせていたキーワードとして「萌芽更新」:Coppicing という考え方があります。
雑木林をつくるという意味ですが、萌芽とは木の根本を切って芽が生やして、15~20年を1サイクルとして森をつくっていました。一方で、安藤広重が描いた江戸時代の里山を事例にしましょう。山に木が生えていないのです。なぜなら、ほぼ生活のために木を切って使っているからです。しかし、いまの日本の山はどうでしょうか。木を燃料としていないですから、多くの里山に木が生えています。つまり、木を切っていないのです。それを実行する為に「遷移:Succession」という考え方があります。森が変わっていく過程のことです。
順を追うとススキ→赤松→クヌギ・コナラ→シラカシ という過程です。里山は管理することでクヌギ・コナラの雑木林で留めていました。しかし、いまは手入れをしないので荒れ放題なのです。

―森と人との関係が失われた。
今の里山に入ってみるとどうでしょうか。とある場所に行った時のこと。遊歩道に人が歩いていないのです。さらにびっくりしたことに、頂上がフェンスで囲っているのです。凄く綺麗なだけにとても残念な気持ちになりました。これは里山と人との関係が変わったことの表れだと思います。里山には誰も行かなくなり、当時殺人事件も起きたこともニュースになりました。そして、車が捨ててあったり、ゴミが散乱していたり。里山という場所が機能していないのです。

私は、森と人との関係が失われたと思っています。日本人が見たことがない、かつて存在したこのない里山が広がっています。では、何がなくなったのかということですが、経済的機能以外に、森林には公益的機能があり、その機能は森林法では11種類に分類されています。
例えば、水源保養であったり、土砂流出防備。日本人としては、水と土を守ることを重視していました。また、自然美を維持保存するための「風致」という項目があります。観光やレクリエーションとしての機能を含むことです。人が里山に入らないことで、里山が放置され、問題もでています。鳥獣害のトラブルです。動物が住居地に降りてきているわけです。つまりは、マネー資本主義で経済システムが回ると、里山に入る機会が極端になくなったということです。関心が少なくなってしまいました。
そういった課題をなくすために、里山をうまく活用する活動として、一生懸命やろうとしているのが、バイオマス発電や木材をペレットにしてストーブや発電に使うことです。エネルギー効率もいいので震災後に注目を集めています。
ただ、里山が日本人に大事と言っていても「経済やノスタルジーで価値付けることの限界」に来ているとも思っています。それよりも、もっと根源的な森の価値について話すことが大事じゃないかと話しています。 

人にとって森とは、覚醒装置であり、自然とつながる回路である。
―改めて、「人間にとって森とは何か」という問いですが。
森にも種類があります。整備された木漏れ日が差す森は、心地がよいですが、うっそうとしたくらい森は不安や怖さがうまれます。
経験として私が森とは何かを提案する1つ目に、「五感」や「生命力」、「つながりの感覚」を呼び覚ませる「覚醒装置」としての機能があると思っています。森の中での私の感覚を呼び起こすものは、「虫の音」です。森は子供頃の記憶を呼び起こしたり、自分も自然の一部と繋がっている感覚になれたり、疲れているときに自然とパワーを貰ったり生きている喜びを実感できる場でもあります。

2つ目に私は、森と人との新しい関係をつくる為に、『回路をつくる』いう提案をしています。人と自然が触れ合える回路です。都市部にもその回路は可能です。例えば、杉並区の屋敷林や阿佐ヶ谷樹林帯。代々木公園もいい場所です。東京にそういった場所があるのも、都市計画をきちんとやったためです。四谷三丁目には巨木があります。木があるだけで、その場の空気が変わるのです。そして、人の思考の回路が変わります。郊外の里山もみてみましょう。炭焼き、落ち葉で遊ぶ、森の中で呼吸をするといったイベントがあると、自然と触れ合う機会があります。回路が生まれれば人間が甦ると考えています。

―海外の例を見てみましょう。
ミラノのコンドミニアムを事例にします。建物の壁面が緑に覆われていたり、観葉植物で一杯になっています。それは装飾の意味もあるかもしれませんが、彼らは森を壊したという経験から、緑の大切さを知り学んだため、生活様式に緑を取り入れています。
イタリア語にVita(Life)という言葉があります。なぜVitaという言葉に、生命と生活との意味があるのか、不思議だったんです。それは暮らすことが生命であり生活という解釈を森から導き出しました。
その中でその手がかりは何かについて考えてみたいと思います。最近はソーシャルキャピタルの関係性がキーワードとしてでていますが、どうもそれだけじゃなく、人と里山との関係はスピリチュアルキャピタルではないかと考えています。それは日本の森の考え方を整理すると、奥山→ 稲作→ 里山といった先祖代々の神聖な森の信仰心のサイクルが関係してくるのではないかと考えています。生きる事に、森は直結しているのです。

森の音が人間の記憶にある。装置としての捉え方。
―日本と海外の森の捉え方の違い。
土谷「音の話しになりましたが、森の音があるとするならば、人間には聞こえない高周波がいい働きをしているのではないかと考えています。人には森の記憶があり、その高周波となる主の音源は虫の音と言われています。森の装置として考えた時、目で見えるものではなく、体で感じる音や心地よいと思う、第5感ではなく、5.5感のような感覚があって、本来ココが人間には必要なのではないかとも思っています。そういった意味ではスピリチュアルとナチュラルに近い感覚なんだと思いますね」

土谷「ところで、イタリアには虫がいないですか?」
井上「豊かな生態系でないと虫がいませんね。新しい森には虫は少ないですよね。」
土谷「バロック建築は造られた森です。外は怖いし、自然と対峙するものとして装飾されたものかもしれない。綺麗なんだけど、そこに住む人たちにとって、山まで行かない人だとしたら、その造られた自然、森とはなんだろうと思ってしまう。美しいのだけど、装置としての森なのでしょうか?」

井上「ヨーロッパ人として面白いところは、週末に森に行くところ。日本人はその辺に雑草や木があるからわざわざいかない。そして、都市部の東京の人の方が緑を大切にしている気がします。田舎の人は、森や木は敵だと思っているところはあると思うんです。たくさんありますから。」

土谷「昔、地方の建築の案件で、装飾に緑を~と提案したら、これ以上手入れするのはイヤだよ。といわれたことありますね。」
井上「本物ではないのだけど、人は緑がないと生きていけないんです。定期的に緑と触れるというモチベーションの違いなのかもしれません。」

―人との関係性を階層ごとに考えてみる。
土谷「もう一つ、さきほど出たキャピタリズムの5つの階層について、さらっと紹介されましたが、ここにちょっと戻ってお話の焦点を当てたいと思います。Economic(人とお金)、Intellectual(人と智恵),Social(人と人),Spritual(人と自然),Natural(生命と環境)の順のピラミッド構造で、下から2つめのSpiritualをどう考えるかが、今の時代の鍵かなと思います。皆さんとも考えたい部分です。自分の力ではわからないもので、それは神とはいえないし、確実に自分の生命を動かして位くれる何かがあるんじゃないか。それを可視化して、価値を見つけていこうというものです。参加者のみなさまはどう思うでしょうか。」
井上:「自然と向き合えなかったり、野生を忘れていたり、自然を解釈する作業をしないといけない気がします。それを資源と見るかどうか、眼に見えない力とみるか。自然の上に人と人の関係があると思います。人と人だけの関係だと社会で煮詰まってしまうし、いきなり環境が大事だという話をしても経済面を考えると実生活とつながりにくい。けど、この階層の話しをすると、わかりやすいですね。」

里山暮らしから見えてくる未来。
地域経済再生のために全国を飛び回る藻谷氏。本日も長野からの駆けつけて頂き、里山主義について教えていただきました。
―里山資本主義とはなにか。
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里山に眠る、金銭換金すると無価値に近い資源として以下があります。
①耕作放棄地、②立ち木、③産品の半端もの、④退職者、⑤野獣。
しかし、これらを資本として活かすと、水と食料と燃料が一定程度自給できるようになります。私の実家も同じようにやっていたので経験談でもありますが、例えば木を薪にしてエネルギーにしたり、畑を活用して食べ物を育てれば、①生活費の支出を減らせる。②自家エネルギー自給率が高まる。③捨てていたものが(場合によって高額で)売れるようになったりします。

また、経済面以外の効果もあります。④高齢者が元気になる。⑤若者が移住してくる ⑥内外との絆が深まる⑦マネー資本主義の機能不全に対して、バックアップを得ることができ、天災や人災に対して怯えずに暮らせるようになる。金銭換金だけを考えると不便で価値を生まないように見える里山ですが、ものすごい価値があるのです。

例えば、震災時。メンタルの強さを比べたら、東京に住む人と里山に住む人の差は歴然。それはなぜか。備蓄が常にあるからです。食べ物も水も、燃料もあれば人は生きていけます。しかし、東京は基本的に水が自給できません。最低限の生きる為に必要なものが確保できないのです。東京とシンガポールは同じ面積ですが、シンガポールは一滴残らず、貯水して浄化して使います。
しかし、東京の都市は、他県から水を送ってくれているから暮らせている。自分たちが暮らす場所にバックアップがないのです。それが3.11の震災の時、不安が刹那的行動に出てしまったんだと、私は思っています。

-里山にあるエネルギー資源の可能性。
木の燃料利用について、考察をしてみましょう。
技術革新によって、木のエネルギーとしての可能性が高まっています。例えば、石油缶を再生利用した手作りのエコトープは、煙をまったく出さすに薪を完全燃焼させることが可能になりました。また、木質バイオマスペレットによる発電は、燃やしても香りがよく、集成材工場の副産物である木屑をペレットに成型し専用ボイラーで燃やすと、きわめて高効率の発電が実現になります。集成材工場があれば、化石燃料よりコストも何割か低くもなります。オーストリアでは集成材利用の普及により木屑が大量に発生するため、エネルギー自給ができる地域も生まれているほどです。

―では、なぜ森や木がたくさんある日本で、木がエネルギー利用されていないのでしょうか。
日本は鉱産資源が多く珍しい国でもあるのです。技術は既にあるが日本の課題は生コン・鉄骨・新建材が全盛であるからです。頑丈で火にも強い集成材建築が普及しなかったため、木屑がないのです。つくるにしても石油が必要になります。そもそも、エネルギー収支よりも、コストがかかります。集成材工場の副産物でやらないと意味がないのです。
単純に言ってしまえば、コストの問題です。大量生産ができるサイクルが生まれてしまったのです。日本では石灰石を唯一自給できます。建物に使っている鉄骨は基本リサイクルされたものがほとんどなので、実はエコフレンドリーな技術を使っています。コンクリートがつくれ、石灰が採れ、鉄くずはリサイクルできる。そういった建築の流れができてしまっています。しかし、その利害を潰して、木を使って家を建てると・・・産業的に難しいという現実があります。

―木を使うサイクルをどうしたら実現できるでしょうか。
答えは簡単です。既得権を捨て、生コン会社や鉄骨会社が木を扱うことだと思っています。
東電が風力発電する発想と同じです。考え方と構造をゆっくり変えていかないと決して達成できません。東京都市部では実現は難しいですが、山間部ではやろうと思えば20年後にはエネルギー自給率はまかなえるはずです。
長期的視点で見ると、木を扱っている場所や組織が強くなってくると私は見ています。その事例として、中国山地の島根県安来市があります。多々良製鉄は製鉄業を続ける為に、工業屋がいまでは山の管理を運用しています。安来鋼は良質の金属で、剃刀で有名なジレットの刃に使用されています。当時は木炭の産炭地として昭和20年代は人が多かったですが、30年代は人が減っていきました。木炭の産炭地から産業のあり方が変わったからです。産業を守るために、産業を担うところが山を守り、人を守り、地域の産業を続けているのです。

耕作放棄地の再利用で何ができるか
―耕作放棄地は無用の土地なのか。
先人による多年の土作りにより、肥えた土があります。先人による給水システムつくりにより、水もあります。しかし多くが狭い棚田で大規模経営に向かず、担い手は引退してしまったという背景がありました。そうとはいえ、いま新たな取り組みが始まっています。
島根県邑南町(おおなんちょう)の「味蔵」と「耕すシェフ」を事例にみましょう。山間で大きな生産量が確保できないことを逆手にとり、地元産の肉と野菜を都会人向けのレストランで提供をしています。東京でもいい値段がするくらいの額でいわゆるA級の料理を出しています。
そこには、Iターンしたシェフが農家のおばあさんたちと一緒に野菜を栽培しています。こんな山奥に誰が来るのかと、注意してみていると、意外と車は島根ナンバーで、ほぼ女性でした。これにはやはり驚きました。またこういった取り組みでは、大切な視点があります。
自分たちの村で、いい物が採れる、いい食事が食べられることを住民に知ってもらうことです。特に新しくやってきた人に、1回でもいいから先輩がご馳走し、地元に誇りを持ってもらう。いい物を、いい値段で食べることを文化としてきちんと伝えているのです。

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―山口県周防大島町「ジャムズガーデン」をご紹介しましょう。
私がびっくりしたジャム屋さんです。高齢者が果実を育てていますが、市場出荷しいないものをうまく活用し、700円前後のジャムを販売しています。1つの品種というより、組み合わせの発想で混ぜジャムをつくり、絶妙な味を作り出しているお店です。その素材はその土地でとれるものです。何より凄いのは、35人雇用していること。山間地域でその雇用はとても凄いことです。

―広島県の「おへそカフェ」と「尾道帆布」もご紹介しましょう。
海外経験がまったくないのに、一人の日本女性と恋をして、彼女の地元広島に戻り、クロスロードみつぎ に来てしまったスペイン人(バレンシア)。その土地でカフェを始めました。地元の人の協力でちゃんと使ってくれるならと、耕作放棄地を貸してくれることになりました。そこで、いきなり麦をつくりはじめたのです。地元の人からしたらそんな発想はありませんでした。パンがなかったらからつくるという発想だったのかもしれませんが、修行をして出来上がったパンはとても美味しかったのです。例えるならば、魚沼産の棚田米レベルのご飯です。
その噂から世界中から若者が学びに来るようになりました。これには地元の高齢者も驚きです。確かなことは一つです。長年耕してきた日本の畑は美味しいものができる土地であり、それが日本の潜在能力だということです。
私は移住してきたスペイン人に質問をしました。
「あなたは10年後に何をしていますか?」。どんな答えが返ってきたでしょうか。彼は、ちょっと戸惑ったように答えます。
「10年後・・・?えっ、なんでそんな質問・・・?ずっとやっているよ。毎日面白いし、ダメなの。」という返答。本拠地はココだとハマッてしまったようなのです。

「尾道帆布」も、若い人が耕作放棄地を活用して地域を盛り上げている事例です。耕作放棄地に綿を植えはじめたんです。風土にあっていたため良い綿が取れるようになりました。そこに、昔綿を作っていたという高齢者が関わりはじめて、地元の人に聞きながら綿をつくり、帆布をつくって、バッグや雑貨を作っています。

―里山資本主義と近代経済学という視点で見てみましょう。
GDP至上主義vs金銭換算できない価値の再評価という視点で里山の価値をみていきましょう。
物々交換によってGDPの減少が始まりますが、自給率はあがります。一人当たりのアメリカの医療80万ドルと日本の医療費30万ドルの違いは実に、2.6倍の差があります。しかし、医療費を高く払えるようになったからといって幸せかどうか、どちらが安心か安全かという議論では収まりません。貨幣に換算できない価値の交換が、絆の強化につながるからです。
里山経済は、極小の経済です。規模の利益に背を向けた多品種少量生産による単価の増大になりますし、ロジ導線の短縮による、エネルギー効率があります。そして、天災が起きたときのリスクは低減します。

―1人多役が、里山でも都市部でも必要?
働き方の問題ですが、分業か、1人多役かという流れがあります。
里山では、少人数の臨機応変な1人多役で高効率を実現させないと難しいかもしれません。ポジションにこだわらないという話です。例えるならば、セブンイレブンのアルバイトです。1人で多様な役割を果たし、商品棚の整理やレジ対応や揚げ物の管理をしています。ですから、里山でも経済学と里山資本主義の弁証法的止場を出来る人を求めています。
反するような考え方の生き方の両方の良さを汲み取って、次の新しさを提案できる人が大切です。それが都市部と里山の関係値をつくることだと思います。

里山資本主義は、都会でいくらでもできる。~ディスカッション
0703photo3 ―選択する自由と覚悟
土谷:「みんなで田舎に行くわけにはいかないですよね?そのあたりを、もうちょっとヒントを教えていただけたらと思います。」
藻谷:「里山資本主義は、気楽に都会でいくらでもできます。自分の段階で好きなことをやろうというのが私の考えです。」
井上:「私はいま、二宮に住んでいますが、東京と比べるとリビングコストが1/3。しかし、そういった情報や考える場がない。東京だと単純に家を購入して、ローンを組んでしまう。私はグーグルアースで緑が多いところを選びました。東京から1時間で実に住みやすいのですが、困ることもあります。保育園や教育する場のダイバーシティがない。選択肢がないので、自分でつくるしかないのです。そういう気持ちにあるのはいいことです。」
藻谷:「都市部から1時間で海岸にいけるところは、ロサンゼルスと、東京ぐらいしかありません。そう考えると、恵まれた状況をもう一度見直す機会でもありますよね。」

日本の里山のポテンシャルとは何か。
―マネー資本主義は続くのか。
藻谷 : 「里山の良さを知ってもらうためには何が障害なのでしょうか。逆に聞きたいですね、ココは。」
井上 :「自然や農業がいいのは多くの人がわかっていると思います。しかし、その機会は年に1回でいいという人もいます。そういった意味ではアウフヘーベンが必要かなと思います。自分の価値感と違う価値感を知る場が少ないのです。1970年頃は東京はほとんどが地方出身者。いまは東京在住者の6割以上が東京生まれです。原風景を持っている人が少なくなりました。つまり、都市部から離れて暮らすことを想像することが難しいのではないかと思います。」
藻谷「むしろこのマネー資本主義の状況が続くとどうなるかと逆の発想をしてみましょう。続ける!と思うと続かないのではないかと思っています。いまの経済システムの維持が難しいはずです。東京は世界で何番目に大きな街か。2位に1.5倍の差をつけてダントツで1位です。ロンドンで1200万人。NYで2000万人。ロサンゼルスは1000万人。東京は人口集積率がNo.1。別格の都市なんです東京は。歴史的ラッキーが重なってできた都市が東京です。普通なら分割して都市が形成されます。人が集まり続けることが無理だと思っています。昔は、東京に行かないと飯がくえなかった。
しかし、いまはそうではありません。意味がないのになんとなく東京にいる人が多くなったのかもしれません。東京幻想がはがれる時が来ると思います。」

―生き方をシフトするためには、何が必要でしょうか。
藻谷「海外の優秀な知人の話ですが、最初日本に来たときに、エキサイティングだと思った、けど田舎はもっと面白いと思って田舎に住むことにした、と連絡を受けたことがあります。非常に驚きました。私が思っている以上に、日本の里山の可能性はすごいのではと思った話です。海外から見たときに日本の里山には、凄いポテンシャルを持っているはずです。」
―土谷「新しい価値感が生まれてきた中で、どう生き方をシフトするかが大事なのかとも思います。その一つに「カッコよさ」という視点があるんじゃないかと思います。それってどうでしょうか?」
井上「カッコよさという点ではないですが、シフトする価値感として、仕事があって家族があって、友人がいて、地元の友達がいて、自然の風土があると満足しちゃうんだなと改めて思っています。豊かな消費の空間があればいいんだなと。」
藻谷「今後、里山資本主義が増えると思います。ネットと同じシステムの流れで広がるんじゃないかと。楽しくイキイキする人が増えていてその様子がわかる時代です。
マネー資本主義だと金銭価値に自分を変換してしまいますが、里山に暮らす人はどうも違う。里山に住んでいる人が得られるものは、最期にもらえるのはみんな安らかな死に顔ではないでしょうか。先祖代々の田んぼを耕したことで自己実現をしている。あなたがいたから、畑が山にはならず土地になっているという金で買えないかけがえないものがあるという意識が働くと思うのです。田舎で暮らしている人には役割があります。そして、お金がなくなっても、あなたはかけがえない人だから生きていってねといってもらえる風土がある。里山であれば、四季があって、毎日"自然から"あなたは生きていていいよと言われているように感じるのではないでしょうか。そこに、価値感としてのカッコよさはあると思います。」

―森をメディアとしてみる
井上「人間の安心感のお話しですが、死んだ後も誰かが受け継いでくれるという安心感があると未来に安心できるということを聞いたことがあります。森はそれを感じやすい場所なのです。森があることで自然と繋がれて人と繋がれて過去とも未来と繋がれる。森をメディアと見るとより広がるのかもしれません。」
土谷「今日一つの改めて感じたことは、ついついコミュニティやつながりと言ってしまうが、自分自身がその場所で活きる、成立させるということを主体的にやるということ、やり続ける人になれるかどうかということが大切だと思いました。今日は良かったなという感想です。」
藻谷 : 「ありがとうございます。自分から、脱却しようというのが私からのメッセージですね。」
「デフレの正体」を書かれた方の提言する「里山資本主義」。
はじめはどんなものなのか、たくさんのクエスチョンが浮かんでいました。
しかし、軽快なテンポと、爽快な言葉づかいをされながら、体感を通じて得た里山の 魅力を包み隠さず話して下さる藻谷さんは、「資本主義と里山」を接続してくださる 魅力的な方だとおもいました。 井上さん、藻谷さん、モデレーター土谷さんありがとうございました。

3*3ラボ(さんさんらぼ)

環境プロダクト「ものづくりからことづくり」研究会

3R(Reduce:減らす、Reuse:再活用、Recycle:リサイクル)と3rdプレイス(家と職場以外の場所)づくりを目指し、毎月ゲストをお招きしたセミナーを実施します。

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