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「丸の内サマーキャンプ」高校生向けの3日目。次第に場に打ち解け、最後の発表に向けて意志を固めていく様子をレポートします。
3日目は午前中に最後のインプットとして、講師にツノダフミコ氏をお迎えし、ツノダ氏の波乱万丈な人生を振り返りながら、多様な生き方の面白さや、人生の楽しみ方、楽しい働き方についてお話しいただきました。午後は、最後の発表に向けた準備のワーク、そして発表を行い、終了後には交流会で親睦を深めました。
▼ツノダ氏の講演「多様な経験が人生を豊かにする」
ツノダ氏はマーケティング・コンサルタントとして、さまざまな商品、サービスの開発に携わってきています。関わったプロジェクトの数は1000件以上。2011~15年には川崎市議会議員を務めたこともあるなど、ユニークなキャリアを歩んできています。この日も、自身の体験に基づいて、多様な経験をすることが大事であると参加者に伝えています。
ツノダ氏は、自分の人生の振り返り、「人生100年時代だとしたら、まだ、半分。その時々で目の前のことに必死に食いついてきた」と話しています。ノーベル賞を志した小学生の頃。その後中学時代には、日本の婦人参政権運動を牽引した市川房枝を知り、政治家への思いを育みました。どちらかと言えばガリ勉タイプで、人との交流も少なかったそうですが、高校入学を機に生き方が変わります。追いつけないほどのレベルの高い高校に入ってしまったことで却って諦めがつき、気が楽になってガリ勉タイプから一転、自由な生き方をしはじめました。その後大学では、サーフィンにのめり込み、ビーチでバイトとサーフィンに明け暮れました。
そのサーフィンでは、人生の教訓を得たとツノダ氏は話します。
「ひとつは、波がこなければ、どんなに上手い人でも波には乗れないということ。そして、いい波が来たときに、掴まえて乗りこなさなければ点にはならないということ。もっといえば、波がないなら、波のあるところへ行けばいいということ。つまりチャンスをどう捉え、その波に乗るかということです。
サーフィンは人生に通じるところがいっぱいありました。焦るといい波を見つけられない。いい波かどうかを見極めるには、とにかくたくさん波に乗るしかない。波がないときには、自分で動けばいい。それを決めるのもまた自分。そういうことをサーフィンから身につけました」
その後のキャリアは常に行動と教訓がセットになっています。
大学卒業時には、団体行動と満員電車が苦手なことから、とことん普通の就職活動は避けて、自分のやりたいように仕事を選びました。
その後、縁があった会社に一旦就職したり、フリーターとしてマスコミでのアルバイトも経験。そして手に職をつけようと一念発起して勉強し、インテリアコーディネーターの資格を取得。資格取得後に参加したイベントで、「空間プロデューサー」なる肩書の人物に出会い、「これだ!」と思って、頼み込んでアルバイトとして勤務を始めました。これが現在の仕事につながる礎になっています。
「大切なことは、ピンと来たらすぐ動くこと。マスコミも、これだと思って始めて、趣味を兼ねて楽しみながらさまざまな経験を積ませてもらったし、空間プロデューサーは、電話1本で売り込んで、押しかけるように働きはじめました」
空間プロデュースの仕事では、大手の商業施設・飲食店などを数多く手掛け、そこから「未来の暮らしを考えるプロジェクト」が派生します。複数の企業とのコンソーシアムで、未来の暮らしをテーマにした商品開発に取り組むというものでした。
この仕事をもとに独立し、現在のウエーブプラネットを設立。クライアント企業の「困った」を、顧客視点から解決する、マーケティングと商品開発を専門とする会社です。
「言ってみれば、企業担当者を、情報とアイデアでナビゲートしていく黒子のような役目。企業からの『できる?』という問いかけに『できます!』と答えていくうちに、できることが増えていきました」
その後順調に社業を伸ばしていきましたが、おおきなターニングポイントになったのが、38歳での結婚、出産、そして離婚。その後もさらに波乱万丈で、2009年の政権交代に触発されて、民主党公認をうけて川崎市議に立候補し、2011年に当選。議会ではマーケティングの手法を応用した調査事業の提案や議員立法にも熱心に取り組みました。
「自分は更年期で、息子は中学受験で、平日は会社で社長業をやりながら議員をやって。ぐちゃぐちゃの時期でしたが、社業だけでは出会うことのなかった人々と出会い、暮らしを知り、世界がワッと広がったと感じました。生きる上で、手持ちの札は多いに越したことはない、そう思った時代でした」
現在に至るまでの半生を振り返った後、最後に、次のようにまとめています。
「みなさんが歩むこの先の未来は、これまでの常識が通用しない社会です。お伝えしたいのは、『どの道を歩くか』ではなくて、皆さんの歩いたところが道になっていくということ。ふと振り返れば、そこが道になっているということです。
歩きながら、とにかく『動く』ことが大事です。理屈よりも直感と感情に従って動きましょう。理屈とは過去から作られたものだし、直感こそが新しいものを作るのです。イヤなものはなにか、好きなものは何か。正解までの最短距離じゃなくて、自分の『心の最適距離』で動くようにしましょう。キレイ事だけじゃ誰も信じてはくれません。気持ちを動かすものにだけ、人はついてきます。
いい意味で、自分本位でいいんです。自分の幸せが社会につながっているから。そして、自分の想いと得意技を掛け合わせれば、必ず共感を呼ぶ成果につながります。それを仕事にすることができれば、お金も回って、みんなが本気になって、ハッピーにもなるでしょう」
▼個人ワーク・プレゼンテーション
最後のワークショップでは全員が一人ひとり、「過去・現在・未来」をテーマにプレゼンテーションをすることになります。自分はどのような人間だったのか。今はどうなのか。そして、将来どんな人になりたいのか。これを1人3分で発表します。ファシリテーターの桝本才志郎氏は次のように説明しています。
「これまでの自分を振り返って、昔、そして今、どんな自分だったのかを振り返ってください。黒歴史もあるかもしれない。でもそれも大事、それも含めて自分です。そして未来は、『こうなりたい』ではなく、『こうなる』というものを描いてください。人物像でもいいし、仕事でもいい。幸せな家庭を作る、というような世界観でもいい。趣味だっていいです。その過去、現在、未来を、ひとつのストーリーとしてまとめて、1人3分で発表してください」
プレゼン準備には2時間を用意。その間、参加者同士で話し合ったり、考え込んだりしながら、ときには大人たちに相談しつつ、A3の用紙にまとめていきました。
発表では、1人3分のプレゼンの後に、同じチームメンバーが一言ずつ感想を言っていくというスタイルで行いました。以下は参加者一人ひとりの「こうなる」と語った言葉の一部分です。これは、未来の自分に託す、希望の宣言と言ってもいいかもしれません。
「大学で観光学を学んで、地域活性化のイベントを主催するプランナーになります」
「将来は海外に関わる映画や音楽制作を仕事にします」
「人と常に関わる仕事、相手も自分も笑顔になれる仕事をします」
「ずっと八方美人だったけど、Love Myself、自分を大切にしようと決めた」
「多様性を広げて、それを自分の中でまとめあげて、さらに広げていく生き方をする」
「地域活性化に関わる仕事をする。スペイン語を学ぶ。グランドスタッフになる!」
「人を喜ばせることができて、自分も楽しくなれることを仕事にします」
「好奇心を大切にし、実践とリサーチの中から、自分を成長させる」
「S県の町との出会いがあって、そこで地方創生の仕事に入ろうと思っています」
「英語を学んで外国人と交流して世界を広げたい。留学もする。日本と外国をつなぐ仕事につきます」
「夢を探すため、夢を追いかける武器を手に入れるために大学へ行きます」
「人と協力する楽しさを広めながら、自分自身も楽しく働きます」
「理屈ではなく直感で突っ込んでいく人間、コミュニケーションと興味をかけ合わせた社交的な人間になります」
「環境に負荷をかけないものを生み出す仕事に就くのと、副業でクリエイターが集まるカフェを開きます」
発表を終えて、ファシリテーターの桝本さんは次のようにまとめました。
「大変だったと思いますが、大切なのは、自分にきちんと向き合って、正面から答えを出したということ。大人になるに連れてそういうことをしなくなりがちです。今日みなさんが発表した、『自分はこうなる』という思いは、もしかしたらこの先変わるかもしれません。でもそれでいいんです。今日この場で、将来への思いを宣言し、目標を立てたことは、ここにいるみんなが覚えています。このことが、将来に向けて切磋琢磨するきっかけになると思います」
そして最後に、エコッツェリア協会の田口氏から、参加者へメッセージがありました。
「この3日間のプログラムで、みなさんに持ち帰ってほしいことは3つありました。
ひとつは夢を、自分の時間軸で作りましょうということです。それは明日かもしれないし、20年後、30年後かもしれない。それは人によって違うし環境も違うので、いつになってもいい。でも、自分だけの夢を自分で育んでください。
2つ目はプロアクティブ(積極的であること、率先して動くということ)であってくださいということ。会社のような組織はリアクティブ(反応的)に動くことばかりになってしまう。でも、自由に楽しく生きるには、何もないところからでも、自分で動くことが必要です。自分だけじゃダメだったら仲間を作りましょう。そういう人物になってほしい。
3つ目は、もらったものを次の世代に返すことを意識してほしいということです。みなさんはまだ親や大人から"もらっている"立場です。このプログラムもそう。いろいろな大人がみなさんに何かを提供している。ここでもらったものは、我々に返すのではなく、ぜひ次の世代――後輩や子どもたちに返してください。我々はここ丸の内で、そんな『恩送り』の社会を作ろうと本気で取り組んでいます。みなさんにも、そんな人になってほしいと思います」
プログラムを終えた後は交流会となりました。参加者も準備に加わり、和気あいあいと料理する姿が見られました。
料理を楽しむ合間に参加者に感想を聞くと、次のような答えが帰ってきました。
「すごく為になりました。自分の夢が決まっていなかったけど、同じ高校生でも真剣に考えている人もいたし、面白い大人の人たちに会って話ができて、いろんな生き方があるんだとすごく刺激になりました。こんな素敵な場所があるって知らなかった。またあったら積極的に参加したい」
「ビジネスマンの世界とか、シリコンバレーのベンチャーの話とか、聞いたことのない話が面白かった。すごく貴重な機会でした。自分は、周囲にあまり興味を持たないタイプだったけど、これからは、好奇心を持って、社会や身の回りに目を向けていこうと思いました」
「こんなに大人の話を聞く機会ってなかったと思う。講師の人はみんな、経験したうえでの話だから、すごく説得力があった。プログラムを通して、いろいろな知識が得られたし、濃い経験を積めてレベルアップした気分。もっとアイデアを出したり、議論する場があっても良かったかなという気もします。今日ここで宣言した夢の実現に向けて、しっかり勉強したり、働く人になろうと思える体験でした」
「学校以外の同世代の友たちとつながったこと、社会で活躍している大人の話が聞けたこと。それがすごく良かった。大学とか将来を考えるうえで、判断材料を手に入れたという感じがします。3日間だけじゃなくて、もう少し長くてもいいなと思いました。機会があったら、何度でも来たいです!」
異口同音に、サマーキャンプで自分が変わったことへの実感を語ってくれました。一方で、このプログラムは大丸有にとっても意義のあるものでした。ファシリテーターの桝本さんは、サマーキャンプは「丸の内に吹く新しい風」だと話しています。
「我々は、シリコンバレーでは中学生、大学生向けのプログラムはやっていましたが、高校生は日米通じて初めてのことでした。講師にどういう方を招いても100%理解できるということは多分ないと思います。でも、何かひとつでも持ち帰ってもらいたいし、プログラムを通して出会ったつながりを大切にしていってほしい。最後に宣言をしてもらいましたが、これが将来を作るきっかけになってくれればと願っています。
丸の内にとっても、ひとつ大きなチャレンジだったのではないでしょうか。ビジネス街で日頃は学生とはかけ離れた街ではないかと思いますが、サマーキャンプをきっかけに、大学生、高校生が集うようになれば、学生にとってのHubになる。丸の内に新しい風が吹くようになるんじゃないか。そんな予感を感じさせるものだったと思います」
30年前はビジネスマンの街だった大丸有が、今では、ショッピングや食の楽しみが詰まった街として生まれ変わりつつあります。ここに、学生が集まるようになると、またひとつ、街としての可能性、魅力を広げることになるでしょう。丸の内サマーキャンプは、大丸有がさらに変化していくための試金石。参加した学生たちの中には、今後も3×3Lab Futureを利用して大人たちとコミュニケーションを取りたいという声がありました。これからの学生たちのアクションに期待したいと思います。