指でつくる能登サインで記念撮影する参加者たち
指でつくる能登サインで記念撮影する参加者たち
「あんな災害にあっても能登の酒蔵の人たちは再び酒をつくろうとしている、本当にすごい」。
参加者が語る「災害」は、2024年元日の午後4時頃に石川県能登地方を襲った震度7の地震。能登半島地震は人々の日常生活だけでなく、能登の伝統産業である酒造りにも大きなダメージを与えました。今年の3月、「能登のために何かしたい」と丸の内朝大学の元受講生らが中心となり能登応援部を結成し、チャリティイベント「第1回能登酒蔵とつながる会」を開催。参加募集開始から数日で定員に達し、集めた募金を現地酒造組合に寄付しました。その後も活動は継続し、能登応援部はそれぞれの支援活動や能登への想いを共有して7月24日に「第2回能登酒蔵とつながる会」を開催し、会場には50人以上の参加者が集いました。
会の冒頭にオンラインで登場した石川県庁職員の杉本氏の話によれば、石川県は今年6月に「能登が示す、ふるさとの未来Noto, the future of country」をスローガンに石川県創造的復興プランを発表しました。その中では能登が震災の痛みや悲しみを乗り越えて創造的復興を成し遂げ、自然と文化が真に共生する持続的な地域の姿を示すことで日本や世界中のふるさとの希望の光となることが謳われています。「被災地では仮設住宅を整備しきれず、水道が通っていない家々もまだ多いですが、解体が進んだり宿泊施設が営業を再開したりと着実に前に進んでいます。まだ被災地を訪れてはいけないと思う方も多いかもしれませんが、今の能登の状況を多くの方に知ってもらうためにも、能登の復興を応援してくれる方には、ぜひ被災地を訪れてほしいです」と杉本氏は語りました。
続いて、同じくオンラインで松波酒造株式会社の若女将である金七聖子氏が能登の酒造りの"今"を話してくれました。金七氏の自宅や酒蔵は被災してしまいましたが、現在は金沢に滞在しながら、能登に通って酒蔵にあった酒米を救い出し、共同醸造酒をつくるなど酒造りを続けています。金七氏が震災以降の活動を「日本酒を縁としていろいろな人から支援をいただいた」と振り返るように、現在、能登の酒蔵では「能登の酒を止めるな!」というクラウドファンディングを利用したプロジェクトを実施しています。このプロジェクトは、被災した酒蔵が日本全国の酒蔵と共同で酒造りを行い、販売した日本酒の売り上げを被災蔵の再建に活用しようという試みです。1月からの第一弾では4000万円超の資金が集まり、6月から8月までの第2弾も実施されています。金七氏は「日本酒共同醸造プロジェクトが成功すれば、他の業種でも同様の取り組みが進むのではという考えもあります。ぜひ成功させたいし、盛り上げていきたいです」とこのプロジェクトにかける思いを語りました。その後、クラウドファンディングで得た資金をもとにつくられたお酒が参加者に配られ、金七氏から「能登のお酒で乾杯が、これからももっと広がりますように!」と乾杯の発声があり、参加者は能登のお酒の飲み比べを楽しみつつ、それぞれの能登への想いを他の参加者と交わす姿がみられました。
今回の能登酒蔵とつながる会では以下のお酒が提供されました。
―松波酒造:「大江山・松波酒造」と「シンツチダ・ツチダ酒造(群馬県)」の共同醸造酒
―白藤酒造店:「奥能登の白菊・白藤酒造店」と「永平寺白龍・吉田酒造(福井県)」の共同醸造酒、奥能登の白菊 本醸造 能登上撰、白菊 貴醸酒
―数馬酒造:「竹葉・数馬酒造」と「手取川・吉田酒造(石川県)」の共同醸造酒、竹葉 純米 能登産五百万石
―鶴野酒造店:「谷泉・鶴野酒造店」と「福海・福田酒造(長崎県)」の共同醸造酒
―日吉酒造店:「白駒・日吉酒造店」と「龍勢・藤井酒造(広島県)」の共同醸造酒
―櫻田酒造:大慶「珠洲・櫻田酒造」と「天狗舞・車多酒造(石川県)」の共同醸造酒、初桜「珠洲・櫻田酒造」と「天狗米・車多酒造」の共同醸造酒
―中島酒造店:能登末廣 純米吟醸 百万石乃白、しぼりたて 末廣純米酒 東酒造株式会社
―宗玄酒造:宗玄 黒峰
―鳥屋酒造:池月 本醸造うすにごり
また酒のつまみとして能登牛や輪島のソウルフード「かかし」、珠洲の原木しいたけを使った煮物なども用意されました。
後半では能登の酒にちなんだ催しが行われました。まずは漫才師「にほんしゅ」のお二人(あさやん氏と北井一彰氏)。にほんしゅはコンビ揃って日本酒のソムリエ「きき酒師」の資格を取得している世界で唯一の漫才師で、その技能を活かして初心者向けの日本酒講座「日本酒ナビゲーター認定講座」も定期的に開催しています。
会場からの大きな拍手とともに迎えられた二人は、笑いを交えながら、能登のお酒の紹介やお酒と料理の合わせ方について話しました。かつて震災前の2023年11月に能登を訪れていたそうで、その時の感想を「食と酒がすごく美味しく、能登地域の人たちはおしゃべり好きな印象で、ノリが関西に近い」と振り返る場面も。また「能登のお酒は味が濃いですね。醇酒と呼ばれる濃醇な旨味が楽しめるタイプが多い印象です。能登のお酒を飲むときは、魚介類の煮つけや甘く味付けた牛肉などとすごく相性が良いと思います」と分析。日本酒とおつまみの合わせ方のアドバイスとして「同調させることが大切です。食感、味の濃さ、香りの要素、温度帯など、とにかくお酒とおつまみに似た要素が多ければ多いほどペアリングが良くなります」と教えてくれました。
自己紹介も兼ねた漫才では、酒離れが進む若者にも日本酒の良さを知ってもらいたいと「酒学(しゅがく)」を大学入試の必須科目にしたいと提案するあさやん氏が、大学予備校講師に扮し「日本酒の定義は?」「塩を舐めれば酒が進むと言われている理由は?」などと次々に出題していきます。日本酒学講師の肩書を持つ北井氏が生徒になり、正解の度にあさやん氏から「大吟醸!」と正解であることが伝えられ会場は大盛り上がり。漫才の最後には「能登杜氏(のととうじ)と言われる素晴らしい酒造り職人の発祥の地でもあり、旨味がしっかりと蓄えられたお酒が多く、素晴らしい魚介類など食の宝庫でもあるため、日本酒が楽しめる地域。味わいは能登が持つ雰囲気、温かさ、ユーモラス、懐の深さに共通するものがあります」としっかりと能登の酒の魅力を盛り込んでいました。
続いて紙芝居師なっちゃん(中谷奈津子氏)が登場しました。なっちゃんはテレビのアナウンサーを退局して紙芝居師になったという異色の経歴の持ち主で、今では日本各地で神話などを元にした紙芝居を公演しています。ご本人は石川県金沢市ご出身、ご両親や親戚が能登地方の出身・在住で、「私の血と肉は能登でできている」と語ります。
なっちゃんはまず、被災しても前を向こうとする能登の人々を紹介しました。「従兄弟の話によれば、地震で一旦避難所に来た人たちが津波警報の解除後一旦自宅に戻り、用意していたおせち料理を避難所に持ち寄って、寒さに凍えながら少しの灯りの下で分け合って食べました。その時に『こんな大変な時だけど、みんなでおせちを食べられて良かったね』と話していたそうです。この話を聞いて、私は能登の人たちはすごい、そしてそんな人たちの血を持っていることを私は誇らしく思いました」と語り、会場からはすすり泣く参加者もいて共感を呼んでいました。
その後、能登に行くと野生のイルカに会えることなど能登の魅力を語り、能登弁講座では「気の毒な」という言葉が持つ独特なニュアンスを教えてくれました。「例えば皆さんが猛暑の中、わざわざ能登の酒を楽しむために足を運んでくださったら『気の毒な』と言われるでしょう。ありがとうという意味なのです。能登の人たちはありがとうの代わりに『気の毒な』と言います。この言葉の裏には『私たちのためにあなたの時間を使わせてしまい、気の毒なことをしてしまった』という意味があります。ただのありがとうとは違い、最大級のありがとうだと思ってください。私も今日の会に参加してくださっている皆さんに心を込めて『気の毒な』と伝えたい気持ちです。能登の人の奥ゆかしさが良く表れた言葉です」。
今こそ能登のことを伝えたいとの想いで、能登地方に伝わる昔話を掘り起こし、それを紙芝居形式で全国に伝える活動を今後も続けていくと今後の意気込みを語っていました。
最後に、能登応援部の一員である元エコッツェリア協会の村上孝憲氏から「日本酒は常温でも冷やしても、燗にしても美味しく、温度によってすごく味が変わります。世界中を見渡しても日本酒ほど食べ物の味を邪魔しない酒はありませんし、すごいお酒ですね。そんな美味しいお酒を造ってくれていた能登半島の酒蔵が地震によってお酒造りができなくなってしまいましたが、今また頑張ろうとしています。甚大な被害あっても能登の酒蔵の人たちはまた酒をつくろうとしています。だから私たちは、それを飲んだり現地に行ったりしながら、これからも長く応援していきたいと思っています。」と能登への想いが語られ、会が終了しました
第2回能登酒蔵とつながる会は、笑いあり、涙ありの多くの人の感情を揺さぶる会となりました。能登半島地震で被災した人たちのために自分たちは何ができるのだろうと考える込んでしまう人もいるかもしれませんが、その土地の産品を購入し、その地域に想いを馳せる人が増えるだけでも大きな支援や応援になることがこの会を通じて体感できました。今後このような支援がもっともっと日本中で増えていくことを願ってやみません。
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