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都市と地方で人材を共有する新しいシェアリングエコノミーの形である「逆参勤交代」。2019年6月に閣議決定した『まち・ひと・しごと創生基本方針2019』の中に「企業と地方公共団体を効果的にマッチングさせるプラットフォームの構築等具体的な仕組みを検討する」という表現が盛り込まれるなど、人の働き方を大きく変え、同時に地方創生を実現する呼び水としての期待が高まっています。
その機運を更に高めようと、昨年に引き続き今年もトライアル逆参勤交代が開催され、7月下旬に北海道上士幌町で、9月上旬に埼玉県秩父市でフィールドワークが行われました。そして今年度最後のフィールドワークの舞台となったのは長崎県壱岐市。9月27日〜29日に渡って逆参勤交代史上初の「離島」に赴いた面々はどのような気づきを得たのでしょうか。
<1日目> 博多港→芦辺港→小島神社→壱岐テレワークセンター→たちまち→懇親会
博多から高速船で約65分。長崎からは飛行機で約30分で到着する長崎県壱岐市。本島と23の属島からなっています。年々人口が減少傾向にあるなど、日本の他地域と同様の課題を抱えてはいるものの、農業や水産業、酒類を中心とした商工業が盛んな「元気な離島」です。その一方で、「九州出身でも行ったことがない」と話す人も少なからず存在。実際、九州出身の方も含め、今回の受講生全員が壱岐を訪れたのは初めてというように、プロモーション面などに課題があることが想像される地域でもあります。
面々がそのような壱岐に降り立ったのは、9月27日午前11時半頃のこと。到着早々「幻の名牛」とも呼ばれる壱岐牛を提供する「味処うめしま」で腹ごしらえをしながら自己紹介を実施。それぞれの参加動機が語られました。
昼食を済ませて訪れたのは小島神社。内海湾(うちめわん)に浮かぶ姿から「壱岐のモン・サン・ミッシェル」とも呼ばれる場所です。干潮時にのみ海が割れて参道が現れる神秘的な神社であり、恋愛成就や商売繁盛、五穀豊穣、航海安全といった願い事を叶えるとされ、さらに小石や小枝といったものすら持ち帰りが許されない厳格さも併せ持つ島内随一のパワースポットとして人気を集めています。
壱岐を代表するパワースポットで逆参勤交代の成功をお祈りした後、舞台を「壱岐テレワークセンター(通称:FREE WILL STUDIO)」へと移します。ここで一行を出迎えたのは壱岐市の白川博一市長です。市長からは次のような歓迎の言葉が贈られました。
「壱岐は、1955年には約5万1000人の人口がいましたが、現在は約2万7000人で、65年間で2分の1近くにまで減少しています。若い世代の流出も相まって毎年500人近い人口減が続いています。もちろん手をこまねいているわけではなく、有人国境離島法を活用して雇用を拡大し、人口減を圧縮するなどの取り組みもしていますが、"人口減少"は市にとって最大の課題と位置づけています。
一方で我々は、富士ゼロックスと連携協定を結んで地域振興を進めたり、自治体SDGsモデル事業の一都市に選ばれるなどの取り組みも実施しています。私自身、興味があるものに対して何にでも手を挙げる性格ですし(笑)、この島は豊富なポテンシャルを持った場所ですので、実りある時間を過ごしていただきたいと思います。そして、皆様の目で壱岐の課題と新たな可能性を発見してみてください」(白川市長)
続いて平田氏より、壱岐市の概要が紹介されました。距離的には福岡県や佐賀県の方が近いものの、かつて平戸藩に属していたことから現在も長崎県の行政区に属する壱岐市。2004年に4町(郷ノ浦町、勝本町、芦辺町、石田町)が合併して現在の姿になっています。そんな壱岐市の特徴は、豊かな自然とそれに由来する美味しい食事、さらには古事記にも登場するような歴史があることです。ただし、そうしたものだけに依存することはせず、近年ではテクノロジーを組み合わせた取り組みも実施しています。
「壱岐では、全島に光ファイバー網を敷設しています。そのため、テレワークがしやすい環境にあり、これをフックに逆参勤交代に取り組む企業等を誘致していきたいと思っています」(平田氏)
市の特徴としてもうひとつ挙げられたのが「災害に強いまち」であることです。
「壱岐は高い山はありませんがアップダウンは多い島です。高低差がある分、一箇所に水が集中しづらく、かつて一晩で400mmという50年に一度の雨が降ったときにも大きな災害にはつながりませんでした。こうした地形を持っているが故に、壱岐は"災害に強いまち"であると言えるのです」(白川市長)
こうして壱岐市の全体像を把握したところで、一般社団法人壱岐みらい創りサイトの事務局長を務める篠原一生氏により、壱岐テレワークセンターの事業の概要が紹介されました。篠原氏は、壱岐市役所の職員ですが、市と連携して地域おこしに取り組む富士ゼロックスに出向し、このテレワークセンターの管理運営を担当しています。同センターの成り立ちについて、篠原氏は次のように説明しました。
「そもそも壱岐市と富士ゼロックスが連携協定を結んだのは、富士ゼロックスが"市民主体のまちづくりに関わりたい"という意向を持っていたからです。同社はコピー機やソリューションの提供といったことが主力商品ですが、それらの根底には"人と人のコミュニケーションを円滑にする"という思いがあります。そこで壱岐と連携し、この島を舞台にしてまちづくりにチャレンジすることになりました」(篠原氏)
「富士ゼロックスとの協定締結後、同社と市は"壱岐なみらい創りプロジェクト"という、住民がこのまちでやりたいことを考え、実行に移していくことを目指した取り組みをスタートさせました。住民同士の対話を中心に進められたこのプロジェクトの中から、1年目は9つのテーマが生まれましたが、そのうちのひとつである"壱岐の空き家で民泊"というものが発展して、市内の遊休施設を活用して交流スペースをつくることを目指してできたのがこのテレワークセンターです」(同氏)
そうして2017年にオープンしたこの壱岐テレワークセンターは、壱岐市内のテレワーカーや島外企業のサテライトオフィスとして利用してもらうだけではなく、IT人材育成の取り組みなどにも着手し、徐々に島内外での存在感を増しています。そして最後に、篠原氏は今後の展望を次のように話しました。
「"なぜ壱岐で働くのか"の理由付けを明確にするために、コンテンツの充実を狙っています。具体的にはアウトドアブランドメーカーのスノーピークと連携し、テレワーケーション(テレワーク+バケーションの造語)を充実させるためのコンテンツ等を用意していきたいと考えています」(同氏) 今後、逆参勤交代が壱岐で進む際には、こうしたサテライトオフィスの需要は一層高まるはずであり、施設のハード面でも人材交流や育成のソフトの面でも重要な役割を担います。
壱岐の新たなビジネス拠点を視察した後に向かうのは島の玄関口・芦辺港の近くの小さな町。この町で「たちまち」というグループを立ち上げ、「芦辺浦を人と人の交差点にする」というミッションを掲げて地域活性化に取り組む篠﨑竜大氏に話を伺いました。 一級建築士として活躍する篠﨑氏は、もともとは壱岐出身で、10年ほど前にUターンしてきた人物です。地元で働く傍らたちまちの取り組みをスタートしたのは、ふとしたきっかけからでした。 「3年ほど前、近所に"みなとやゲストハウス"という古民家を改築したゲストハウスができたのですが、そこのご主人から"天候が悪い時にゲストハウスのお客さんが楽しめる場所を作れないか"と相談を受けたんです。最初は食堂を作ろうという話をしていたのですが、せっかくならば街全体を活性化させるようなことをしようと、話が盛り上がっていきました」(篠﨑氏) 「そもそもこの芦辺浦は、観光地でもなく、ビジネス拠点があるわけでもない、"素通りするまち"でした。実際、芦辺小学校の生徒数は年々減少の一途をたどり、現在は全校生徒合わせて50人弱しかいません。そんなこの地区を盛り上げるために、多世代交流の拠点となる施設や取り組みをしていくことになりました」(同氏) この取り組みは、篠﨑夫妻をはじめ、みなとやゲストハウスを営む大川ご夫妻、近所でピザ屋「Pizzeria Potto」を営む平山ご夫妻という3組でスタートすることになりました。彼らはまず「魅力あるまちをつくっていくためには、拠点を用意し、人が寄れる住まいをつくり、それらの情報を発信してつながりをつくるというサイクルを構築する必要がある」と考え、芦辺浦の空き家を買い取り、自分たちの手で改築していきました。その際、子どもたちと共に、あるいは地域の人も巻き込んでワークショップ的に改築を実施していったそうです。それは「子どもたちにはこの場所ができる過程を感じてもらいたかったから。そして地域の人に対しては"何かが始まっている"ことをアピールしたかった」という理由からでした。 「地方では"まちづくりは行政がやるもの"という雰囲気がありますが、本来はそこで暮らす人々がすべきことだと思っています。行政に任せっきりにするのではなく、ましてや外部のコンサルタントに頼るわけでもなく、自分たちでプライドを持って取り組んでいかないと良い街にはならないと思っています」(篠﨑氏) こうして多世代交流拠点であるたちまちをつくり、同時に周辺の空き家を有効活用するための取り組みなどもスタートした篠﨑氏ですが、ここまでの活動の中で「外部から人を呼び込む重要性」を感じたそうです。 「地方というのは血縁や地縁が濃い場所ですが、多くの人にとって心地よい場所をつくるには、それらの縁を薄めた方がいいと思っています。そのためには外部から人を呼び込み、新陳代謝を高めていくことが大切です。中にはアレルギー反応を起こす方もいます。もちろん街の歴史を大切にすることは大前提ですから、丁寧に説明をして理解を得られるようにしていますが、我々の場合は公的機関ではないので、ある意味では公平性にこだわらずに物事を進めています。そうやって新しい人を迎え入れ、誰でもふらっと立ち寄れる場所にしていけば、ビジネス的な意味でも効果が生まれてくると感じています」(篠﨑氏) 篠﨑氏が話すように、自分たちでまちづくりに取り組むからこそ、シビックプライドの醸成が進みやすくなるのでしょう。また篠﨑氏が重要な存在と語った「外部の人」とは、すなわち逆参勤交代を行うような人のことです。移住とまでは行かなくとも、2拠点生活を実行する人が増えればそれだけ街の新陳代謝がよくなり、好循環を生み出すはずだという言葉に、受講生たちは深く感銘を受けた様子でした。
芦辺浦を巡ったあと、みなとやゲストハウスで初日の総括を行いました。受講生からは「なぜそんなにも壱岐が好きなのか?」という質問が飛びましたが、これに対して篠﨑氏は、意外にも「壱岐が好きだからやっているわけではない」と答えます。
「僕たちは壱岐のためにやっているわけではなくて、気の合う仲間たちと共に毎日を楽しく過ごすにはどうすればいいかと考えた末、こういった取り組みをするようになりました。だから肩肘張って活動しているわけではないんです」(篠﨑氏)
普段は「好きでもないことを、好きでもない人とやっている」というシーンを経験している人が少なくないだけに、篠﨑氏の言葉は強く刺さったようであり、今回の逆参勤交代を象徴するシーンともなりました。
こうして1日目のフィールドワークは終了。最後に地元の寿司割烹「魚よし」で壱岐の海の幸・山の幸を味わいながら親睦を深めていきました。
<2日目> かもめの朝ごはん→一支国博物館→辰の島クルーズ→イルカパーク→バーベキュー
2日目は全員揃っての朝食から始まりました。訪れたのは郷ノ浦漁協セリ市場に隣接する「かもめの朝ごはん」。壱岐では、季節の魚・農産物など壱岐ならではの食材を生かした朝ごはん提供し、一日の始まりから最高の感動を提供する「壱岐の朝ごはんプロジェクト」を展開していますが、その一環としてつくられた食堂です。一行は朝から壱岐の食材に舌鼓を打ち、一日の活力を蓄えました。
腹ごしらえを済ませたところで2日目のフィールドワークがスタートします。まず訪れた壱岐市立一支国(いきこく)博物館。「魏志倭人伝」の中で「一支国」としてその名が登場するほど太古から存在する地域である壱岐が、各時代ごとにどのように大陸、あるいは日本本土と接し、この島に暮らす人々がどのような生活を送ってきたのかを約2000点もの資料や模型、約5万冊の蔵書を通して学ぶことができる場所です。一行は展示ガイドボランティアの方の案内のもとで館内を巡り、壱岐の歴史に思いを馳せていきました。
続いて同館内の会議室を借り、他の地域から壱岐に移住して来た4名と意見交換会を開催しました。2年ほど前まで渋谷に住み、経営者として事業を運営していた経験を持つ森俊介氏(壱岐しごとサポートセンターIki-Biz センター長)は、壱岐に移住した理由を次のように話しました。
「結婚を目前に控え、将来のことを考えたとき、渋谷という都会よりも地方で暮らしていきたいと思いました。かつて日本一周した経験があるので、色々な地域を移住先に考えていたのですが、ひょんなことから壱岐のことを知り、物は試しに旅行してみたんです。実際にこの地域を訪れてみて、食べ物が美味しい点、東京からのアクセスが良い点、そして人がとても優しい点が気に入り、壱岐を移住先に選びました」(森氏)
逆に、壱岐に移住してきてどんなところに不便を感じるのでしょうか。福岡から移住してきた梅田はつみ氏(壱岐市 地域おこし協力隊)は交通面を挙げました。
「壱岐は公共交通機関が充実していませんし、曲がりくねった道も多くあります。私自身、運転はあまり得意ではないので、慣れるまでは大変でした」(梅田氏)
福岡から移住してきた小林伸行氏(壱岐市 地域おこし協力隊)、大阪から移住してきた山内裕介氏(壱岐市 地域おこし協力隊)は、仕事をする上での苦労を話しました。
「今は企業向けの研修プログラムを提供していますが、現在のところ、営業も研修も自分ひとりで行っています。その点は大変ですし、仲間が増えれば可能性が広がるのに、という思いは持っています」(小林氏)
「現在は壱岐カントリー倶楽部というゴルフ場で、ゴルフを通じた地域活性化に取り組んでいます。地方の場合、いきなり提案をしても響きにくく、その前段階でしっかりと人間関係を構築しないといけないので、当初は戸惑いもありました」(山内氏)
こうした壱岐の"リアル"を聞いた上で、受講生と共にグループディスカッションを行っていきました。それぞれのテーブルではより突っ込んだ話が展開され、受講生たちは仮に自分が壱岐に移住したり、2拠点生活の場所として選んだ場合をイメージしていたようです。そして、このセッションの最後には森氏から次のような重要な発言がなされました。
「今回の受講生の皆さんは"頭のいい人"ばかりだと感じました。だから最終日にはきっと良いアイディアが出てくるとは思います。でも、地域に暮らす人からすると、"壱岐はこうしたらいいのではないか"というアイディアもありがたいのですが、本当に嬉しいのは"実際に壱岐で○○をやります"というアプローチなんです」(森氏)
これには松田氏も強く同意し、受講生たちに次のように訴えかけました。
「最終日にプレゼンを実施してもらいますが、そこでキーワードにしてもらいたいのは"主語は誰か"という点です。都会から来た人が地方に何らかの提案をする際、あなたの街はこうすべきと、どうしてもその街や地方が主語になりがちですが、本来的には主語は自分たち、つまり受講生の皆さん自身が主体的に何をすべきかなんです。そうしないと相手の心には響かないので、この点は忘れないでください」(松田氏)
最終日に向けた大きなヒントを得て、意見交換会は終了の時間を迎えました。
続いて一行は、壱岐の観光資源の視察へと赴きます。向かったのは壱岐の最北端にある無人島・辰ノ島。「玄界灘の宝石箱」と称されるほどきらびやかな海と島を巡るクルージングツアーに参加しました。高さ約50mの断崖・蛇ケ谷(じゃがたに)など、自然がつくり出したダイナミックな絶景と心地よい海風を感じ、「とても素晴らしい観光資産。知られていないのがもったいない」と口にする受講生も多くいました。
次に向かったのは壱岐イルカパーク&リゾート(以下、イルカパーク)。天然の入江を活かした海浜公園で、イルカにタッチしたり、一緒に泳いだりすることができる全国でも稀有な施設です。昔は、壱岐島近海に生息していたイルカは沿岸漁師のライバルとして、対立していましたが、共生していくための場として、1995年にこの施設が誕生し、今では壱岐の新名所として島内外の人に親しまれています。2019(2018年からリニューアル計画などサポート、経営を受けたのは、2019.4から)年から同施設の経営を任されたIKI PARK MANAGEMENT株式会社の高田佳岳氏は、経営に携わるようになったきっかけを次のように話しました。
「東京の広告代理店で8年ほど働いた後に独立した私は、官公庁のプロジェクトに携わる中で壱岐と関わることとなり、このイルカパークの存在を知りました。この施設は当時厳しい経営状況だったので、市から"経営再生し、自走できるようにしたい"と言われ、提案をしていったのが始まりです」(高田氏)
経営改善に向けて高田氏が狙ったのは「客単価のアップ」です。園内にカフェをつくってくつろぎながらイルカを見てもらったり、キャンプやバーベキューセットを貸し出すといった施策を実施。さらに「冬の閑散期には観光客が少ないので、島民の方々が喜んで来てくれるようにしないといけない」と、島内では珍しいパンケーキを提供したり、ミニ動物園を開催したりと、「観光客目線」と「住民目線」の両方を持ちながら、取り組みを行っていったそうです。
「行政が運営すると、どうしても"稼ぐ"視点は持ちにくくなってしまいます。だからその点については民間人がアイディアやノウハウを提供していけると、地域に良い影響を与えられるのではないかと思っています。
もともとはイルカパークが経営的に自走できるように依頼されたことが始まりですが、私にとっては、ここを経由して島内を巡ってもらえる、ハブのような存在にすることが真のゴールです」(高田氏)
イルカパークでは今後、イルカのトレーニングを応用して企業向けの研修プログラムを開発し、単なるテーマパークから「人が学びを得られるテーマパーク」への進化を目指しているそうです。そこで最後に、同パークでイルカのトレーナーを務める森田菜緒さんによる「動物トレーナーが考える信頼構築について」という講義と、イルカのトレーニングに用いるシェイピングゲームを体験しました。
こうして2日目のフィールドワークは終了を迎えましたが、そのままイルカパークでバーベキューが開催されました。壱岐牛や数々の新鮮な野菜を頬張り、再び壱岐の魅力を舌で体感していきました。壱岐での逆参勤交代も終盤に入り、ここまでに受講生たちはどのような感想を持ったのか、何名かに聞いてみました。
最近、愛知から東京に引っ越してきたばかりだという光行恵司さん(デンソー)は「離島のイメージが変わった」と話します。
「離島に移住すると聞くと、よっぽどの覚悟が必要なのかなと思っていましたが、ここまでに出会った方は皆、いい意味で緩やかというか、とても自然体な印象を受けました。それに、食事や自然など、壱岐にこれだけ多くの魅力があることもいい意味で驚きでした。
ただ、それらの魅力が他地域に届いていないことは課題だと思いました。一支国博物館にしても、例えば全国の社会科の先生に知ってもらえれば、もしかしたら修学旅行の候補地になるかもしれないですよね。私が勤める会社は自動車部品メーカーですが、現在は社会課題解決のためのビジネスも手掛けているので、そうした知見やノウハウは壱岐の発信力アップの手助けができるのではないかと感じています」(光行さん)
光行さんと同じく、本業で培ったスキルを活かせると感じたのは、小田原でパン屋「ヴァイツェンSae)を営む神戸さえさんです。
「今回参加したのは、自分が暮らす地域を活性化させるためのヒントを掴みたかったからですが、壱岐でそうした取り組みをしている方々は楽しみながら取り組んでいるのが印象的でした。
私の場合、過去にも地方に行ってパン作り教室などを開催しているので、仮に逆参勤交代に参加した場合、そうした取り組みで地域に何かを提供できると感じました」(神戸さん)
また多くの人は「交通の便」が大きな課題であると口にしましたが、それを逆手に取って新しいビジネスを始められるのではないかと話したのは西村康裕さん(DDホールディングス)です。
「皆さんが言うように、食べ物も美味しいし、一支国博物館のような社会的価値の高いスポットもあることに感激しました。でも、バスは一時間に一本ほどだそうですし、タクシーも少ない。レンタカーを借りる方法はありますが、それも費用がかかります。でも、そうした環境ならばUberのようなサービスを浸透させていくといいのではないかと感じました」(西村さん)
このように受講生たちは、わずか2日間ながらも壱岐の魅力を大いに感じ、アイディアが湧き出している様子でした。同様に、受け入れ側である壱岐市の人々も手応えを感じていると話します。
「そもそも今回はきっかけづくりが目的のひとつでした。来年は東京オリンピック・パラリンピックが開催される関係で都内の企業の働き方も変わるので、この機会に壱岐を知っていただき、来年のオリパラ開催時期に実際に逆参勤交代で壱岐に来ていただければと考えています。もちろんそのためには受け皿をしっかりと整備しなくてはならないとも感じています」(平田氏)
また、外部の人々を呼ぶことで地元の人の"目線"を変えることも期待したいと言います。
「壱岐でずっと暮らしている人は、どうしても日々の生活が中心で大きな問題が見えにくくなりがちです。ただ、"たちまち"の篠﨑さんや"Iki-Biz"の森さんなどと関わる中で目線が変わる地元の人も多くいるんです。逆参勤交代にもそうした効果を期待したいと思っています」(同氏)
壱岐の魅力を存分に味わい、同時にこの地に足りないものを見つめていった受講生たち。そこに対して、各々が何を提供できるのか。そんなことを考えながら壱岐最後の夜は更けていきました。
丸の内プラチナ大学では、ビジネスパーソンを対象としたキャリア講座を提供しています。講座を通じて創造性を高め、人とつながることで、組織での再活躍のほか、起業や地域・社会貢献など、受講生の様々な可能性を広げます。