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京都・北山の価値を最大化し、"北山ブランド"を醸成するべく、各分野の第一人者をゲストに迎え、3回にわたって考察していく「世界の京都・北山ブランド」創造ワークショップ。 「全国の地域プロジェクトから京都北山を考える」をテーマに、指出一正氏(月刊『ソトコト』編集長)をゲストにお招きした第2回ワークショップでは、多彩な地域プロジェクトの取り組みをご紹介いただき、他地域の活動や課題を知ることで、これからの京都北山にとって必要なことを考察する貴重な時間となりました。
最終回となる今回、3月14日に開催された第3回ワークショップでは、木材産地のまちづくりビジョンからイメージ戦略まで、トータルなブランド構築を手がける古川大輔氏(株式会社ちいきの総合研究所代表取締役)と、第1回に登壇した森下武洋氏(京都北山丸太生産協同組合理事長)をゲストに迎え、京都北山地域のブランド構築や関係人口について考察を深めていきました。
最初に登壇したのは、森林再生・地域再生コンサルタントとして活躍する古川氏。京都・北では、7年前からまちづくりに関わっていて、近年は地元のメンバーと手を携えた販路拡大プロジェクトを行っており,オリジナルツアーの開催も行っています。冒頭、3月9日に開催したばかりの「京都北山杉産地・案内ツアー」の内容について紹介しました。
「ツアーを始める前に、森下理事長(京都北山丸太生産協同組合理事長)が、北山や北山杉についてのプレゼンテーションを行います。そのあと、北山丸太の倉庫へ行き、1本1本の丸太をじかに見て触って、楽しんでいいただきます。続いて、樹齢400~500年の本白杉老樹が立つ中川八幡宮へ。これは、北山の菩提樹とも言われている杉の木です」
本白杉老樹は、北山林業を代表する「シロスギ」という品種で、数百年経っても樹形が崩れず、まっすぐに伸び、しっかりと育ち続ける遺伝子を持っており、この木から挿し木で増やしたシロスギの子孫たちが、北山ならではの台杉の風景をつくり、この技術と遺伝子こそが、北山林業の基本になっているのだそうです。
「台杉は、北山林業のひとつの特徴であり、おそらく世界でここにしかないもの。ひとつの株から数十本の幹を育て、ひとつの株がひとつの森のように更新を重ねていくという、北山で編み出された独特な育林方法です。中川地区では、台杉が林立した爽快な風景を随所で臨むことができます」
ツアーの後半では、現場での工費や施工時間を大幅にカットすることを可能にした床柱の「プレカット」という加工を行う加工所を見学します。「職人さんの手作業で1日かかるところ、ここにある特殊な機械を使うと、時間をぎゅっと短縮できます」と古川氏。ツアーのシメは、やはり"食"。築150年の古民家の囲炉裏で焼いた野菜、山の麺処でノンアレルギーの雑穀を使ったそばを食べたら、半日のツアーは終了となります。「北山は、金閣寺から車で約20分という絶好の立地にあります。それなのに、京都にこんなに素敵な場所があることは、まだ広くは知られていません」
次に古川氏が紹介したのは、映画『WOOD JOB!(ウッジョブ)』。三浦しをん原作の小説『神去なあなあ日常』を矢口史靖監督が映画化した作品で、大学受験に失敗し、彼女にもフラれた主人公の目に林業研修プログラムのパンフレットが留まり、そこから人生が変わっていくというお話。染谷将太が主演し、長澤まさみ、伊藤英明らが共演しました。
「矢口監督、三浦しをんさん、コミュニティデザイナーの山崎亮さんらと共著で、『森ではたらく!27人の27の仕事』(学芸出版社)という本を2014年に刊行しました。森というのは、木を植えて、育てて、伐採するだけでなく、地域でいろんな関わり方があるということを表現したかった一冊です。森に集う人、写す人、染める人、刈る人、切る人、描く人、届ける人、癒やす人、育てる人など、それぞれの視点から地域での新しい生業や暮らし方を伝えています」
古川氏が現職に至るきっかけは、2000年の夏にふと手にした1枚のパンフレットから始まりました。それは、国土交通省(当時は国土庁)が実施していた「若者の地方体験交流支援事業 地域づくりインターン事業」の募集要項。
「パンフレットには、"東京の学生、田舎に行きませんか?"と書いてあって、聞いたこともない市町村の名前が20個ほどリストにありました。鉛筆転がしで決めた行き先は、奈良県吉野郡川上村。当時の私にとっては、縁もゆかりもないところです。私は東京の町田市出身で、子どもの頃は、山でクワガタを採り、秘密基地をつくって遊んでいました。その山が、高校生の時に全部なくなって、代わりに巨大マンションや巨大商業施設が建ったという原体験があります。大事な場所がなくなったことがショックで悔しくて、それがすべての始まりでした」
川上村は、日本三大人工美林のひとつである吉野杉で知られる吉野林業の発祥地。前述した映画『WOOD JOB!(ウッジョブ)』の主人公を地で行く若き日の古川氏は、地域づくりインターンへの参加をきっかけに、川上村と吉野杉の魅力にのめり込んでいきました。
「たった2~3週間のインターン体験で出会った人たちが、その後の私の人生を狂わせてくれました(笑)。アルバイトをしてお金をつくって、何度も川上村に通うようになって。林業の仕事、役場の仕事を手伝って、そまびと選手権大会のサポートをして、いろいろとやっているうちに気づけば28歳になっていた。就職どうするんだ!?という状況でしたが、川上村のことをもっと一般の人に知ってほしいと思い、"伐採見学ツアー"を実施しました」
その時、"川上村役場"の作業着をもらった古川氏は、「プーマやアシックスやアンダーアーマーのウェアより、川上村役場の作業着を着れることが嬉しかった。村の方からは、"自分の子や孫は東京にいるのに、なんで東京の兄ちゃんが、自分の田舎を案内してるんだ!?"とよく言われたものです」と振り返ります。伐採見学ツアーは、山主さんが山について熱く語る特別な時間があり、皮剥き体験や工場見学があり、非日常な体験が盛りだくさんの内容で、「ツアー後のアンケートでは、"吉野杉を使いたい"と答えてくれた方が90%以上でした」
そして話題は、現代の林業へ。木材産地のブランド構築をトータルに手がけている古川氏いわく、今、日本各地の林業産地では新しい動きが始まっているのだそうです。
「最近では6次産業化という言葉があるように、林業も林業会社だけでなく、製材会社や加工会社など、みんなで一緒にひとつのチームをつくろうという動きがあります。2000年に東海豪雨の被害に見舞われた愛知県豊田市を例に挙げると、森林課という新しい課が行政で立ち上がり、林業に従事する人をはじめ、製材に従事する人や木材を販売する人、デザイナーなどが一緒になって、2018年に一般社団法人ウッディーラー豊田というチームが設立され、新しい取り組みを始めています」
古川氏が10年来の付き合いがあるという長野県松本市では、林業を通じて、地域経済の自立的発展を促し、森の恵みを享受できる共有参画の輪を広げることなどをビジョンとした 「一般社団法人ソマミチ(以下、ソマミチ)」が2017年12月に設立されました。ここでも、林業、製材業、設計・建築業、家具・指物師、建築まちづくりディレクターなど、あらゆるプレイヤーたちが集結し、木を使う新しい社会の仕組みをつくろうとする動きが始まっています。古川氏は、ソマミチの理事ならびにサポーティングコーチとして活動しています。
森林は私たちの生活に欠かせない資源です。しかし、1本の木を育てるのには、計り知れないほど多くの時間と手間がかかるうえ、精魂込めて育てた木々も、干ばつや自然災害などの影響で一瞬にして水泡に帰すこともあります。現に北山でも、昨年の台風21号の被害を受け、今なお、現状把握に困難を期している状況にあります。
「これは全国の林業地に共通して言えることですが、農業のように1年に1回、あるいは数回収穫できるものではないため、台風などで予期せぬダメージを受けた時、"やっと、ここまで育てたのに..."という悔しさは、林業に従事する人にとっては否めません。とはいえ、下を向いてばかりはいられない。みんなで力を合わせて、未来に向かっていかなればならないのです」
「林業とは、紡がれていくもの」だと古川氏は言います。「仮に、ここに1億円があったとしても、明日、樹齢100年の木をつくることはできません。林業は、長い時間を経て築き上げ、紡がれていくものです。これまでさまざまな木材産地の人々に出会い、それぞれが大切にしてきた価値観に触れてきましたが、つまるところ、林業の歴史を紡いでいくためには、情熱が大事だと思っています。北山杉が、"京都府の木"として選ばれ、昭和45年に周山街道沿いに建てられた記念碑にも、このような情熱についての記述があります」
"先人のたゆまざる努力によって今日の育林並に加工の技術が培われてきたのである。 当林業の繁栄は平和な時代と人々の情熱の所産であることを銘記し この伝統の保持とよりよき前進を願い此の度、"京都府の木"に選定されたことを記念し 是に建碑する"
この記念碑が立てられた時、北山地区に皇太子だった頃の今上天皇ご夫妻が訪れ、たいへんな賑わいを見せたのだそうです。冒頭で古川氏が紹介した京都北山杉産地・案内ツアーでも、このエリアを案内し、記念碑に刻まれた碑文の解説を行っています。
この日、さんさんラボフューチャーの一角には、一本仕立ての北山丸太が設置されました。柱の下にアジャスターが付いてあり、ちょうど突っ張り棒のように、簡単に取り外しできる仕様になっています。時代と共に人々の生活様式が変わり、和室離れが進む中、趣向を凝らした新しいかたちの北山丸太を提案するべく、北山の皆さんが一丸となって考案した商品です。
「2年ほど前から、北山のメンバーと一緒に展示場をつくり、東京の展示会などにも出展しています。一本仕立ての北山丸太は、マンションやオフィスで採用されるなど、少しずつ事例も増えてきました。他にも、古くからある織部床に唐紙を加え、洋室にもつけられるようにアレンジしたリフォーム向けの壁面装飾などの商品があります。ひとつ加えることで、凛とした空間になる。他にはない、北山ならではの提案を進めているところです」
東京五輪の2020の開催まで、はや500日を切り、世界じゅうが日本に注目する時が近づいてきました。2025年には、大阪万博の開催が決定し、ますます日本が盛り上がっていくことが予想されます。
「昨今、インバウンドが増加の一途を辿っていますが、国の政策として、"インバウンドが、大事!"と伝えたことが、現状に起因しているのだとして、北山に置き換えると、まだまだその魅力を伝える声が足りていないし、伝えるべき対象はもっとあるんじゃないかと思っています。オリンピックや大阪万博が終わり、2030年ぐらいになった時、外国人の方がたくさん日本に来て、経済効果はあったかもしれないけど、"それで結局、日本人って何なの?"と考える時が来るのではないかと思います。話は少し反れましたが、室町時代から続く北山の600年の歴史を終わらせたくありません。存続し、発展させていくためにも、林業を"点"で見るだけではなく、Jリーグのようにプレイヤー、オーナー、スポンサー、ボランティアなど、いろんな参画者が必要です。きっかけは何でもいいので、ぜひ一度北山に足を運んでいただけると嬉しいです」
「今回が最終回ということで、何をお話しようかと考えていましたが、古川さんが全部話してくださいました(笑)。とはいえ、今日初めての方もいらっしゃるので、簡単に、北山杉と北山丸太についてご紹介させてください」と話すのは、続いて登壇した森下氏(京都北山丸太生産協同組合理事長)。
「600年の歴史を持つ北山地区は、数ある日本の林業地の中でも最古と言える森林です。他の林業地との一番違いは、皮をむいた木肌の滑らかな美しさそのものを見せていること。植林から育林、伐採を経て商品になるまでの約30年の過程において、北山丸太の1本1本には、伝統工芸的な技術を駆使した職人の手が入っています。まさに、我が子を育てるように大事に育てているわけですが、昨年は台風21号の影響で、場所によってはその積み重ねがひと晩で立ち消えてしまいました。加えて、近年は、数寄屋建築や床の間の需要は本当に少なくなっています。北山の林業地は今、ピンチを迎えています」
過去にも雪害や台風などによる被害は多くありましたが、北山丸太の需要が、かつての20分の1ほどまで減少していったのは、平成以降、特に阪神大震災が起きてからのことだそうです。
「でも、日本の文化はだんだん変わっていっていますから、仕方がないことなんですね。その一方、伝統的な工芸品の手技を守りつつ、やはり新しいものに取り組んでいかないといけない。そこで、先ほど古川さんにもご紹介いただいたように、北山杉リノベーションという形で、床の間や数寄屋建築に代わるものを提案しております」
つい先日、京都北山丸太生産協同組合が懇意にしているという、東京在住のインテリアデザイナーの方が、北山に到着した際、森下氏にこう言ったそうです。
「レンタカーで中川の近辺まで来た時、"おかえり!"と言ってくれている気がしたんです。東京から京都に向かう新幹線の中、実はちょっと調子が悪かったんですけど、北山の景色を見たら、すっかり元気になりました」
その方は、これまで北山を訪れたのは10回ほど。故郷でもなければ、頻繁に行き来しているわけでもありません。
「もしかすると北山には、普段、我々が気づいていない、何か人を元気にさせるような効果があるのかなという風に感じました。その一方、北山丸太を持続させていくには、本当に厳しい状況です。先ほど申し上げたように、丸太の需要が減っていること、なおかつ自然災害の影響で、今年度は過去最低の出品量でしたから、生産者自身、気が滅入っております。でも、やはり一番のクスリは北山丸太が売れることなんですね。それと、中川の地区にたくさんの人が来てくれることによって元気を取り戻します。みなさま方の力をお借りして、北山杉、北山丸太に、もう一度元気を与えていただきたいと思います」
次に、昭和44年にNHK総合テレビで放送された「新日本紀行」で、北山杉の育成、加工の様子などを特集した貴重な映像が紹介されました。
良質な北山丸太をつくるための要となる「枝打ち」は、杉の幹にはしごを架けて枝までのぼり、鋭利に研いだ鉈(なた)を使い、枝の付け根を幹に沿って打ち落としていく作業です。
「(映像を映しながら)ご覧のように、職人は足だけで全身を支えています。1本の枝打ちを終えるたびに、木から降りていたら時間もかかるし、体力も消耗するので、上ったまま、となりの木に移って作業を続けます。簡単に枝を落としているように見えますが、この鉈は、髭がそれるくらいの切れ味。スパッと打った切り口は、カンナできれいに整えたようになっています」(森下氏)
北山杉の主力商品である「人造絞り丸太」(人工絞り丸太)は、天然絞りを真似て、人工的に作られた絞り丸太で、100年ほど前からつくられているのだそうです。
「杉丸太の立ち木に、箸状の材料を針金などで巻きつけることで、木の成長とともに、箸が木肌の表面に食い込んで模様ができます。残念ながら、人口絞り丸太は、床の間の床柱しか用途がないので、需要が少なくなっているのが現状です。今日、こちら(さんさんラボフューチャー)の一角に設置した一本仕立ての北山丸太は、人造絞り丸太です。ぜひご覧になってみてください」(森下氏)
続いて、ゲストのお二人と、本ワークショップのファシリテーターを務める佐藤岳利氏(株式会社ワイス・ワイス代表取締役社長)を交えて、パネルディスカッションが行われました。
「お恥ずかしい話ですが、実はまだ北山に行ったことがありませんでした。京都北山ブランドのファシリテーションを担う立場として、これはイカン!ということで、志願して、初めて伺いました。金閣寺から、たった20分で行けるところに、中川という独特の歴史と文化を持つ素晴らしい地区があることに驚きましたが、正直、今ひとつ勢いがなくて、もったいないなという思いにも駆られました。現状に至った経緯について、お聞かせ願えますか?」(佐藤氏)
「我々の主力商品は、床柱です。ご存知のとおり、床柱は、床の間に脇に立つ化粧柱で、かつては、来客を一番にお通しする客室も、仲人を立てて交わす結納も、結納品を飾るのも床の間でした。しかし、時代とともに日本の文化、ひいては、人々の生活様式が変わっていき、"床の間離れ"が起き始めました。こうして、日本独特の風習を家の中で行う機会が少なくなっていったことから、床柱の需要も次第に減少していき、現在に至ります」(森下氏)
「古川さんは、どんなきっかけで北山の人たちと関わるようになったのですか?」(佐藤氏)
「私が学生時代に、奈良県吉野郡川上村にインターンとして行ったように、京都・北山に通っていた学生がいて、森下さんをはじめとする北山の方々にたいへん可愛がっていただいていました。のちに、"林業女子"を流行らせた女性です。7年前に創業した会社で彼女と一緒に働くことになって紹介してもらった。それが、北山とのご縁の始まりでした」(古川氏)
「古川さんは、林業の経営コンサルタントとして、日本全国の林業地を訪ねてお仕事をされていますが、京都の北山林業のポテンシャルについて、どのように感じていますか?」(佐藤氏)
「全国に共通して言えることは、林業という生業だけでの黒字経営は、極めて難しい事だと思います。やはり山での副次的なビジネスを展開していくことが必要ではないかと。山との関わり方を新しく考えようというのが、共通の動きではないかと思います。森は逃げませんからね。ただ北山については、林業だとは思っていなくて。工芸的林業というか、手を掛けるという意味では果樹栽培とかの農業に近いです。床柱は、その他の林業地帯でも生産しているし、その本家本元である北山は、京都の近くにあるというマーケット上の利点はあるけれど、育て方も、そもそもつくっているものも他とは一線を画している。その意味では、圧倒的な特徴を有していると思います」(古川氏)
「中川地区で外食できる場所は1カ所、しかも日曜だけオープンとのことで、興味を持って足を運んでくれた方には、拠り所がないなという印象がありました。また、第1回ワークショップでは、公衆トイレがないとおっしゃっていましたが、それらについての働きかけはどのようにされているのですか?」(佐藤氏)
「北山地区は、昭和27年に制定された法律のもと、市街化調整区域となっていて、林業以外に収入を得る事業所の開設が禁じられていたという歴史的背景があります。言い換えれば、"この地域は、林業だけで十分生計が立てられるから、むやみに開発するのはやめましょう"という内容で、自宅の軒先でおみやげを売ったりするのはOKというような形での規制があったんですね。それが現代に続いていて、なおかつ林業の先輩たちも、"北山丸太がどんどん売れてる時は、余計なことをしなくてもいいと"。つまり、林業以外に収入を得るという発想にならず、それが今に至っているというわけです」(森下氏)
「私は北山に長く暮らしていないので、正直分からないというところはあります。でも、最近では、ツアーで行った山の麺処さんが営業されたりと、規制緩和の動きも見られています。結局は、想いのある方がどれだけ関わってくださるかにかかっているんじゃないかなと。ご指摘されればされるほど、頑張ろうと思うのでこれからもよろしくお願いします」(古川氏)
「次世代にバトンを渡していくことに関して、京都北山丸太生産協同組合として、何かアクションを起こしていますか?」(佐藤)
「600年も続いた林業地帯を我々の代で絶やしてはいけない。よくよく思っていますが、その気持ちだけでは、現実はなかなかうまくはいかないものです。私自身は、一家唯一の息子として、家業の北山林業を継ぎましたが、今は、親が職業を決める時代ではありません。二人の息子には、ひと通りの北山林業の仕事を経験させ、現状や今後のことも伝えましたが、別の世界ではたらくことを選びました。本音を言えば、帰ってきてもらいたいですね。だから、帰ってきてもらえるように、今さまざまな取り組みを始めています。それは、自分の息子たちだけでなく、次世代を担う人たちのためでもあり、この業界のためでもあります」(森下氏)
ワークショップの後半では、京都・北山のことを知りたい人、地域のまちづくりに興味がある人、林業に従事している人など、多彩な参加者からは、今後の北山ブランド再構築に向けて、有益なアイデアや提案の数々が共有されました。
VRを活用して、林業を身近に感じられるコンテンツをつくってみては?北山杉の肌触りの良さをもっと活かして、桂剥きの板状にしてはどうか。すべり台をつくっても面白いかも。他の京都の工芸品とのコラボレーション、北山杉の象徴的な場所で、野外ダイニング、枝打ちしたあとの枝などを使ったバイオマス発電...次々と飛び出すアイデアに、古川氏と森下氏は、感慨深く聞き入っていました。
「毎週金曜に北山のバーに行くと、森下理事長がおもてなししてくれるとか、さんさんラボのレストランを北山で開くとか、どんどんみんなで居場所をつくって、盛り上げてきましょう。北山が築いてきた歴史と文化はそう簡単につくれるものではありません。次世代に受け継いでいくという意味では、これほどポテンシャルの高い地域はない。微力ながら、私もそのひとりとして関わりをもって、次世代につなげていきたいと思います」と佐藤氏は参加者に呼びかけました。
ワークショップの後に開かれた懇親会では、自然薯(じねんしょ)と九条ネギのふわふわ焼きや、大黒しめじと菊菜の黄飯柏葉包みなど、京都ならではの料理に舌鼓を打ちながら、ゲストの方々と参加者の交流が持たれました。3回シリーズで開催した「世界の京都・北山ブランド」創造ワークショップで得たつながりやアイデアを糧にして、今後、北山ブランドが発展していくことを切に願います。