シリーズコラム

【さんさん対談】"社会の宝"プロ野球選手の選択肢を増やすために

森忠仁氏(一般社団法人日本プロ野球選手会 事務局長)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)

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近年続くメガスポーツイベントや、コト消費の拡大、あるいは健康志向の高まりなどにより、日本ではスポーツの価値が年々上昇し続けています。しかしこのムーブメントの中心的存在であるアスリートの多くは、「キャリア」に関する不安を抱えながら日々の競技生活を送っています。これまで以上のスポーツの発展を目指すには、彼らアスリートの不安を解消していくことが必要とされています。そこでエコッツェリア協会では、アスリートのキャリアを考えるプログラムを展開。例えば日本プロ野球選手会と連携し、プロ野球選手たちに対するデュアルキャリア、セカンドキャリア教育などを行ってきました。

今回のさんさん対談に登場していただく森忠仁氏は、日本プロ野球選手会の事務局長として業界の環境改善やセカンドキャリア支援、野球の普及振興など、プロ野球選手たちの地位向上に取り組んでいる人物です。その森氏と共に、アスリートのデュアルキャリアのあり方や、スポーツ×丸の内の可能性を探っていきました。

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高卒6年目で納得感のない戦力外通告

高卒6年目で納得感のない戦力外通告

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田口 エコッツェリア協会は日本プロ野球選手会と協力して、選手たちのセカンドキャリアやデュアルキャリアに関する知見を広げる取り組みを実施しています。森さんにはこの取り組みを進めるにあたり色々とご尽力をいただいていますが、今後一緒に取り組む仲間を増やしていくためにも、森さんがどのようなキャリアを経てプロ野球選手会事務局長として活動することになったのか、そして今どのようなことに取り組んでいるのかお聞きしたいと思います。

まずは、森さんと野球の出会いについて教えていただけますか。

森 父が野球好きだったこともあって幼稚園の頃から野球に接するようになりました。小学生まではチームにも属さず友だちと遊びながらプレーする程度でしたが、中学生になってからは学校の野球部と近所の硬式野球チームに所属し、平日は部活、休日は硬式と、2つのチームでプレーするようになりました。その後、甲子園に出場実績のある千葉商業高校に進学しました。残念ながら私の代では甲子園に行くことはできませんでしたが、身体が大きかったこともあって(笑)、阪神タイガースのスカウトから声をかけていただきました。

田口 ドラフトで指名されてプロ選手になったわけですね。

森 正確にはドラフト外での入団でしたね。現在は廃止されていますが、当時はドラフトで指名できるのが1球団4名までで、それ以外の新人選手はドラフトを経由せずに入団するのが普通だったんです。

田口 プロアスリートという道を歩むことに対して、周囲から反対はありませんでしたか?

森 父はもともと子どもをプロ野球選手にしたいと考えていたので、特に反対はありませんでした。でも実際に入団してみて、プロの技術を目の当たりにして驚きはありましたし、初めの頃は練習に付いていくので精一杯でした。1年目は体重も10kgくらい落ちましたから。

田口 プロ選手としてはどれくらいの期間を活動したのでしょうか。

森 6年間です。その間、最も手応えがあったのは5年目のシーズンで、オープン戦に出場してヒットを打つこともありました。でも最終的には一軍に入ることはできず、結果的に翌年が最後の年となりました。

田口 少し聞きづらい質問ですが、最後の年は、森さんとしては「一軍でもやれる力が付いてきたぞ」と思っていたのか、それとも「プロでやっていくのは厳しいかもしれない」と感じていたのか、どちらだったのでしょうか。

森 そうですね......。「厳しいかな」とは思っていませんでしたが、結果も出せていなかったので頑張らないと、とは考えていました。

高校からプロに進んだ選手は4年前後が1つの目安になっているんです。高卒選手の4年目というのは、大学を経由した同い年の選手たちが入ってくる年だからです。大卒選手たちは即戦力になることが期待されているので、当然彼らと比べられることになる。そこで期待値の低い選手は戦力外になってしまうので、プロ野球選手を続けるにはそろそろ結果を出さなくてはならないとは思っていました。

田口 6年目ということは、23~24歳頃ですよね。社会人としては若手と言える年齢ですが、ご自身としては戦力外通告は納得できるものだったのですか?

森 まだまだ身体は動きましたから、納得感というものはなかったですよね。だからいくつかの球団のテストを受けに行きました。でもテストは不合格だったので、結局はその年限りで引退を決意しました。

田口 これも答えづらいかもしれませんが、当時のことを振り返ると「チャンスを与えられなかった」「コーチが悪い」といった"他責"の思いだったのか、それとも「自分の実力不足だ」という"自責"の念なのか、どちらでしたか?

森 正直に言えば、コーチの教え方が合っていたのだろうかと考えたりもしましたし、他責の思いがなかったと言えば嘘になります。もちろん、自分自身で取捨選択して良いと思える指導だけを取り入れていくべきだったと思いますが、そうすると二軍の試合でも使われなくなるリスクもあったわけですが...(苦笑)。そうした葛藤は一般企業で働く人も同じかもしれませんね。

田口 やりたい仕事ができない、なかなかチャンスが与えられないといったことはありますが、突然クビというのは一般企業ではなかなかないですけどね(苦笑)。やはりアスリートの世界は厳しいものなんですね。

野球界から距離を置きながらも選手会に転職した理由

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田口 引退後はどのような道に進むことになったのですか?

森 それまで野球しかやってこなかったので社会のことは何もわかりませんでした。そこで地元でお世話になっていた方に相談し、小さな証券会社を紹介していただきました。証券会社と聞くと、高い専門知識が必要で、仕事も厳しいイメージを抱くかもしれませんが、その会社は100人程度の中規模でとてもアットホームな会社でした。そこで任されたのは「場立ち」という仕事です。今ではもうなくなりましたが、かつては人間が手でサインを作って売り買い注文を伝達していたんです。私はその会社に10年ほど勤めた後、保険代理店に転職して営業職などに就いていました。

田口 いわゆる"サラリーマン"として働いていた間、もう一度野球界に戻りたいという考えを抱くことはありましたか?

森 それはありませんでした。草野球でプレーすることなどはありましたが、指導者になろうとも思っていませんでした。それに、今は多少緩和されていますが、当時は元プロ野球選手が高校生を指導するには、教員免許を取得して教師として10年間働いてからでなければならず、非常にハードルが高かったんです。

田口 そのように野球とは縁遠い生活を送られていた中で、プロ野球選手会に入ったのはどのような経緯からだったのでしょうか?

森 自分から望んだわけではなく、縁に恵まれたからなんですよね。

保険代理店に勤めていた頃、松原徹さん(先代の日本プロ野球選手会事務局長。2004年のプロ野球再編問題では選手側の代表の一人として、日本野球機構(NPB)との交渉にあたった。2015年没)から「選手会で一緒に働かないか」と声をかけられたんです。プロ野球界出身で一般の企業社会での経験もある人物を探していたそうです。事情が変わって一度話は流れたのですが、それから数年経った2000年に松原さんが事務局長に就任され、再びお声がけいただき、選手会で働くことになりました。

田口 再びプロ野球に関わるというのは、森さんにとってはポジティブな出来事だったのでしょうか?

森 そういう思いは全然なかったんです(笑)。先程も言ったように引退してからは野球界で何かをしようという考えはありませんでしたし、私にとっての野球はあくまでもプレーするためのものでしたから。

ただ、現役時代には選手を取り巻く様々な問題に対して思うところも多々ありましたし、松原さんから「現役選手のためにも、おかしいと感じたところを変えていかないか?」と言われたことで、自分の力を活かせるならと、転職することになったんです。

田口 2000年に選手会に移られたということは、プロ野球再編問題にも関わられているんですよね?

森 あのときは大変でしたね。と言っても本当に大変だったのは私ではなく、松原さんや、選手会会長を務めていた古田敦也さん(現・プロ野球解説や、当時はヤクルトスワローズの選手、プロ野球選手会会長として、松原氏や森氏らと共にNPBとの交渉にあたった)でした。特に古田さんは、昼間にNPBと交渉し、その後試合に出場し、試合が終わってからは我々とミーティングをするような日々でしたから、かなりしんどい思いをしていたと思います。

田口 プロ野球再編問題は、最終的にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併し、東北楽天ゴールデンイーグルスが参入することで決着しました。この時にプロ野球選手会にも注目が集まりましたが、あの騒動が一段落した後、選手会はどのようなことに着手していったのでしょうか?

森 大きなテーマとしては「球界の構造改革」に取り組み、例えば交流戦などを実現していきました。今で言うと、現役ドラフトの導入や、FA(フリーエージェント:どの球団とも契約を結べる権利のこと。1軍登録を145日以上、合計8シーズン分に達するとFA権を取得できる)の短縮にも取り組んでいます。近年では長い間活躍する選手が増えている分、早いうちに戦力外になる選手も増えているんです。そうした中でFAの取得年数短くしたり、現役ドラフトを導入することで選手の活躍の幅を広げていきたいと思っています。それと同時に、全員が全員スターになれるわけではありませんから、現役生活を終えた後の選択肢を用意しておくのも大事だと思っていますし、その前提として選手たちがキャリアについて考える機会を提供していこうとしています。

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アスリートは日本社会の宝

田口 選手たちのキャリアを考えていくためには、アスリートが持つ能力を広く知らしめていくことが必要だと思っています。アスリートは個人の技術やチームプレーを磨きつつ、チーム内の競争にも勝ち抜いて行かねばならないという特殊な環境に身を置いていますよね。そうしたところにいると人間力は大いに増すでしょうし、一般企業では身につかない能力を体得できると思いますし、そんな人材は他業界から見るとまさに宝のはずです。ただし現状では、アスリートは競技力以外の能力を持っていることはあまり認識されておらず、それ故にキャリアの幅も狭くなっていると感じています。だから、アスリートが本来持つ能力を広報していくことで、キャリアの選択肢を広げるような取り組みをしていきたいなと思っているんですよね。

森 我々としてもとてもありがたく思っています。そうした活動を通じて、選手たち自身の意識も変えたいと思っています。実際、選手たちからは「野球しかやって来なかったので、引退後に何をすればいいかわからない」「セカンドキャリアのことを考えると怖い」という意見が少なくありません。戦力外を言い渡されるプロ野球選手を追ったドキュメンタリー番組などもありますが、プロ野球選手のセカンドキャリアはああいったものだというイメージが、一般の人だけではなく選手たちの間にも広がってしまっているのかなとも感じています(苦笑)。でも実際には、ビジネスの世界で活躍している元プロ野球選手も多くいるので、そうした側面も取り上げてもらいたいと思っていますし、そこにスポットライトが当たれば、プロ野球選手を目指す子どもの増加にもつながるはずですから。

田口 仰る通りだと思います。最近は野球人口の減少が叫ばれていますが、その背景には、「セカンドキャリアで苦労する」というイメージがあるのではないかと思うんです。でも、たった数年間でもプロ野球選手として過ごした経験は色々な業界に活かせるはずなんです。

とはいえ、新しいキャリアを歩むにあたって能力以外の面での課題もあると思います。例えばプロ野球選手になる人は、幼い頃から周囲に評価されて来たり、厳しいトレーニングを乗り越えてきたことに誇りを持っている人も多いのではないかと思います。そんな人が戦力外となり、いわゆる"普通の人"になってしまうと色々な葛藤を抱くかもしれません。その点についてはどうお考えですか?

森 私の場合はプロで活躍した選手ではなかったので、一般社会とのギャップはあまりありませんでした。でも、ある程度活躍した選手はそういった葛藤はあるかもしれません。その観点で言うと、野球界における人間関係の特徴は、引退後の選手を苦しめる要因になるかもしれないですね。

田口 どのような特徴でしょうか?

森 通常の企業の場合、年齢に関係なく在籍年数の長い人が会社の中では先輩になりますよね。でも、野球界では年齢で上下関係が分かれるんです。その風潮が染み付いていると引退後に一般の企業に入っても、年下の先輩から指示を受けたりすることが耐え難いと感じる人は実際にいます。ですから、ビジネス的な能力だけではなく、メンタル的な部分や慣習も含めて切り替えられるかが大事だと思っています。

それと、指導者や球団側に「野球だけをやっておけばいい」という固定概念が残っていることも変えていかなければならない点だと言えます。

田口 そういう意味で、私たちとしては球団側、つまり経営側の人々と接点を持てると突破口を開けるのではないかと思っています。球団の人々はビジネス目線を持っているはずですから、私たちの考え方なども理解していただきやすいでしょうし、こちらも様々な提案をできますから。

繰り返しになりますが、プロ野球選手という存在は日本社会の宝だと思うんです。だからといってよいしょをするわけではありませんが、周りにいる私たちが、彼らが活躍できる場を作っていったり、選手たちの意識の変化を促す取り組みをしていくべきではないかなと思っています。ここ大手町・丸の内・有楽町(大丸有)エリアには非常に多くのビジネスパーソンがいますから、そのためにもぜひ活用してもらいたいんです。

森 ありがとうございます。まず大切なのは選手たち自身の意識を変えることだと思っているので、大丸有の人々と触れ合う機会を設け、色々な考え方やキャリアを知ってもらいたいと思っています。

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子どもたちとの接点を増やし、努力の大切さを伝えていきたい

田口 今後は事務局長としてどのようなことに取り組んで行きたいとお考えでしょうか。

森 キャリアに関すること以外では、他の競技団体と連携して普及イベントを開催していきたいと思っています。野球教室は定期的に行っていますが、この切り口だと野球に興味がある子どもしか集まらないんですよね。それよりも、他の競技団体とタッグを組んで複数競技の教室を開催できれば、より多くの子どもを集めることができますし、私たちにとっても普及につなげられると考えています。

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田口 なるほど。そうしたイベントもそうですが、私個人としても、次世代の子どもたちとプロ野球選手の接点を増やして欲しいと思っています。それは、野球人口増加のためだけではなく、努力の大切さを伝えるいい機会になると思うんです。

森 野球教室以外では、日本サッカー協会(JFA)が主催する「JFAこころのプロジェクト」というものに、プロ野球選手会も選手を派遣しています。このプロジェクトは、アスリートたちが「夢先生」として小学校を訪れ、夢や目標を持つ素晴らしさや努力の大切さを子どもたちに教え、話し合うものです。選手たちの経験から子どもたちに色々なことを教えられるいい機会ですし、逆に子どもたちから刺激をもらえる場でもあります。

ただ、子どもたちからは決してポジティブではない情報ももらいました。例えば野球をやっている子どもがクラスに一人もいなかったり、甲子園という大会自体を知らない子もいるんです。スポーツが多様化しているからこそとも言えるかもしれませんが、もっと地元密着の球団運営をしたり、あるいは最近議論に挙げられる球団数増加などにより、野球との関わり方をより深くする取り組みが必要だと、改めて実感させられました。

田口 なるほど。私たちとしても色々な形で協力できると思うので、一緒にその方法を探っていきたいと思います。
私自身長年の野球ファンなので、今日は元プロ野球選手の森さんとお話できてとても嬉しかったです(笑)。これからも気軽に3×3Lab Futureを訪れてください。今日はありがとうございました!

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