近年、ライフスタイルだけでなくビジネスの観点からも注目を集めている「ウェルビーイング」。身体的、精神的、社会的に満たされ、自分らしく幸せに働き、生き生きと日々を過ごせる状態を表す言葉で、プラチナ大学でもウェルビーイングな日々を送るためのヒントを提供する「ウェルビーイングライフデザインコース」が2021年度よりスタートしています。その講師を務めるのは、幸福学の観点からウェルビーイングにアプローチする前野マドカ氏です。
今回のさんさん対談では、前野氏が研究の末に導き出した幸福のメカニズムについてお話を伺いながら、ウェルビーイングに過ごす方法や、ウェルビーイングが持つ可能性について探っていきました。
「幸せの4因子」で自分の人生をデザインする
田口 前野さんには、2021年度に初めて丸の内プラチナ大学の講師を担当していただきました。9月から翌年1月までに渡って8回の講座を開催されましたが、振り返ってみていかがですか。
前野 セミナーや講演は普段から行っていますが、通常は30代後半〜50代くらいの方が多いんです。ですが丸の内プラチナ大学ではより幅広い年齢層の方が参加してくれました。これまでリーチできなかった方々にウェルビーイングに触れていただき、ご自身の人生を考えるきっかけを提供できたことはすごく嬉しかったです。講座終了後に行ったアンケートでも、今日の時点ではまだ全員の回答は得られていませんが、「講座を通じて幸福度が上がった」と答えてくれた方も多くいたことも喜ばしいですし、私としても手応えがありました。
田口 それは我々としても嬉しい情報です。そもそもの質問となりますが、前野さんがウェルビーイングにはどのようなきっかけで関わり始めたのでしょうか。
前野 ウェルビーイングの研究は夫(前野隆司氏/慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授)の影響が大きいですね。彼はもともと理工系が専門でしたが、所属する慶應義塾大学がシステムデザイン・マネジメント研究科を設立したことをきっかけに、人間に関わる様々なシステムのデザインを行う「ヒューマンシステムデザインラボ」を立ち上げて人の心や幸福に関する研究を始めました。それがきっかけで私も人の幸せについて考え、学んで行くようになったんです。
ちょうどその頃、PTAの活動で人間関係に悩んでいたのですが、幸せに関する研究の中で知った「幸せの4因子」を活用すれば人間関係も円滑に回せるようになると考えて実践したところ、自分としてもチームとしてもすごくいい状態になれたんです。そこで「これは色々な人に伝えていきたい」と考え、今に至っています。
田口 「幸せの4因子」について深掘りさせてください。
前野 自己実現や成長に関連する「やってみよう」、人とのつながりや感謝に関連する「ありがとう」、前向きで楽観的で自己受容に関連する「なんとかなる」、人と比べず自分らしさに関わる「ありのままに」という4つです。日本人1,500人に対する調査から導き出したもので、この4つの因子を意識して日々を過ごしていくことで、自分らしく幸せに過ごせるようになります。
幸福学では、自分と他人を比べて得られる幸せを「地位財」といいますが、地位財だけの幸せは長続きしないと考えられています。その反面、自分にしかない人との関わりや、家族や仲間との心のつながりなど、他人との比較と関係なく得られる幸せである「非地位財」は常に自分の心を満たしてくれるんです。幸せの4因子を知ると、自分に何が足りていないのかを捉え直すことができますし、私自身も体感しています。
田口 現代社会は色々な物事が点数化され、嫌でも相対評価の中で生きていかざるを得ないですが、そういう環境だからこそ自分らしく、ありのままにという考えが必要になるんですね。
前野 そうなんです。今回丸の内プラチナ大学での講座名を「ウェルビーイングライフデザインコース」としましたが、いつか自分の人生を振り返ってみた時に「色々あったけど幸せだったな」と思えるようになるためには、長いスパンで、身体的、精神的、社会的に満たされた状態になるために自分の人生をデザインしていくことが必要です。これは意識していないと日々に流されてしまいますから、色々な方とつながったり、他の方の意見に触れることで改めて気付けるきっかけを提供したり、幸せな人生のためには自分をよく知ることが大事だと、講座を通して伝えていきたいと思っていました。
田口 当然ながら社会では協働していかないといけないですし、お互いにルールを守りながら助け合ったり寄り添い合ったりするものですよね。だから既存のシステムが悪いと言うつもりはありませんが、本当に今自分が楽しめているのか、他者を楽しませることができているのか、ちょっと立ち止まって考えることが大事なんだなと、お話を聞いていて感じました。
前野 人間は感情の生き物ですから、心が震え、ワクワク感が湧き上がってくると行動に移したくなるんです。例えば感動するくらい美味しい飲食店にはもう一度行きたくなりますし、とても使い勝手が良いアイテムはまた買いたくなりますよね。自分をそういった状態に持っていけるようにするには、何か特別なことをやるというよりも、日々の中で自分の感情が動くものを見つけることがすごく大事だと思っています。
教育現場へのウェルビーイング導入の鍵は「先生自身をウェルビーイングにする」こと
田口 お話を聞いて、もっと幼い頃にウェルビーイングの概念を学んでいると人生が変わるのだろうなと思いました。というのも、小学校では道徳の授業はありますが、自分らしさを学ぶ機会は実はあまりないです。小学生ぐらいになると「社会性を持ちなさい」と言われるようになりますが、本来の自分が持つ力を活かすことで社会を良くしていけるんだということを子どもの頃から伝えられるといいなと思います。
それに、教育は「どこに向かわせるか」がとても重要ですし、時代によっても変化するものです。こうしたウェルビーイングと教育の関係について、前野さんはどのようにお考えですか。
前野 ちょうど2022年2月に筑波大学附属小学校の初等教育研修会に招かれ、ウェルビーイングと学校教育に関するお話をさせていただいたのですが、「勉強だけを教えていていいのだろうか」「もっと子どもたちの心に向き合いたい」と考えている先生は多くいらっしゃいます。ただ、どうしても皆さん忙しすぎて、指導要綱で定められた範囲を教えるだけで精一杯なんですよね。そういったことを踏まえると、子どもたちにウェルビーイングを伝えるには、教える先生自身がウェルビーイングな状態にならないといけないと思っています。
そこで私はプライベートで先生向けのウェルビーイングプログラムを実施することにしました。それを通して変わっていく先生や、自分のクラスで実践する先生がいらっしゃいます。例えば、先生が「本気で頑張っていることはなに?」と子どもたちに問いかけて考えてもらい、それをクラスでシェアするということを繰り返しているそうです。
田口 実際にウェルビーイングのプログラムを提供しているのですね。子どもたちの反応はいかがですか。
前野 自分が頑張っていることを周囲に知ってもらい、認めもらえると自信が持てますし、クラスメートのことを知ることができて仲がよくなります。お互いを認め合えると気持ちにゆとりができ、話を理解しやすくなり、ケアレスミスも少なくなります。さらに自分の思いを書いて表現することで国語力なども上がっていきます。ウェルビーイングを通してどんどん正のスパイラルに入っていけたと、その先生は話してくれました。
田口 企業におけるチームビルディングもまったく一緒ですね。
前野 本当にそのとおりで、子どもにとって大事なことは大人にも通じるんです。
この例以外にも、子どもたちに対して幸せの4因子について考えてもらうプログラムを行っている先生もいます。自分がやってみたくてワクワクしていること、感謝していること、なんとかなると思っていること、自分らしくやっていることを紙に書き出してもらい、皆で見せ合うんです。それを見た子は応援メッセージを書くのですが、メッセージをもらった子は頑張れるようになりますし、相互理解も進んでいくんです。子どもの頃は多感ですから、競ったり争ったりするのではなくて、このように自分を大切にして、他人を応援することを学んでいった方がいいのではないかと思っています。
田口 素晴らしいですね。ある企業が、離職率を改善するために若者に仕事を押し付けすぎず、残業もさせないようにしたところ、仕事を通して達成感を得ることができず、離職率は回復しなかったという話を聞いたことがあります。それは人と人が距離を置いてしまったからだと思います。でも今の事例を聞くと、ウェルビーイングな取り組みを通して自分自身の距離、自分と他者との距離を縮めることで、組織が良くなっているんですよね。そうやって絆ができると、多少転んでも自分で自分を支えられるし、周りの皆も支えてくれるようになる。それが大事なんですね。
前野 まさにおっしゃるとおりです。先ほどとは別の学校では、先生方に対してウェルビーイングな取り組みをした事例もあります。ある中学校では、日々の忙しさの影響で先生同士の交流もなく、職員室には殺伐とした雰囲気が漂っていたそうです。状況を改善しようと考えた教頭先生が、先生たちが帰る際に「お疲れさまでした」と毎日声掛けをしていたそうですが効果はなく、私のところに相談にいらっしゃいました。そこで私は「固有名詞と共に『ありがとうございます』と伝えてください」とアドバイスをさせていただきました。単に「お疲れ様です」とだけ伝えても、それが自分に対して言われているのかわかりませんが、「○○先生、今日も一日ありがとうございました」というように声を掛けると、自分に言われているとわかりますし、自己肯定にもつながるんです。実際、1ヶ月ほど続けると職員室の雰囲気がガラッと変わったとおっしゃっていました。このように、大人でも声掛け一つで変化できるんですよね。
田口 本当にそうですね。とてもいいお話を聞けました。
前野 やはり、人と関わって、人の温かさに触れると、自分も誰か別の人に何かしてあげたくなるんですよね。そこで丸の内プラチナ大学の講座では、チャットを介して自己開示する試みを行いました。オープンマインドで色々なことを話してみるとお互いに情が移りますし、皆で過ごす時間も楽しくなります。「こういった場があることで普段の仕事にも生き生きと向かえるようになった」と感想を述べてくれた方もいました。こうしたことを考えると、人は、大人でも子どもでもメカニズムは一緒なんだなと思います。
田口 僕は、丸の内を温かいまちに変えられたら社会が変わると思っているんです。しかめっ面で出社してくるのではなくて、会社に来ることで仲間に会えるし、誰かに貢献できて、対価までもらえることを楽しめるようになれるといいなと考えています。だから、子どもはもちろん、働く人たちにもそういうふうに仕向けていきたいですね。
前野 本当にそうですね。人にはそれぞれ良さがあって、そこを開花させるのが私自身好きでこの仕事をしています。自分がワクワクすることを話している時のワクワク感は相手に伝わるんですよね。その気持ちがあると仕事の生産性も上がりますし、幸せに働けます。そういうものを上手く見つけるきっかけを与えられたらいいなと思っています。
4因子のベースは「ありがとう」
田口 今日お話を聞いていて、3×3Lab Futureでも幸せの4因子を紹介して、会員の方がそれぞれの因子に関して考えていることを書き込めるようにしたいと思いましたし、他のプログラムでも振り返りシートのような使い方もあるなと感じました。
前野 ぜひオススメしたいです。大人でも文字に書いてみると色々な発見がありますから。以前、ショッピングモールで似たような取り組みを親子向けに実施したことがあります。子どもだけでなくお父さんやお母さんにも紙に書き込んでもらったのですが、それを通して子どもが親のことを知るとすごく嬉しそうにするんですよね。
田口 なるほど。そうやって子どもが親の深層心理を知る機会は実はあまりないのですね。4因子を書いてもらう際に、何か注意点やアドバイスはありますか。
前野 4つの因子はそれぞれつながっているのですが、ベースになるのは「ありがとう」因子です。これができたら、今度は自分でやってみようとか、自分の良さに気づいたり、なんとかなると思って頑張れたりします。この点を知っておいていただけるといいかなと思います。
田口 わかりました。日々働いていると、必ずしも常に4因子を持って過ごせているわけではありませんから、今日はお話を伺えて本当によかったです。
前野 こちらこそありがとうございました。最後にお伝えしたいのは、何かをやるときは、「絶対にこれがいい!」と信じてやることだと思います。その方がいいパフォーマンスを発揮できるんです。教育心理学では、先生などから期待されると生徒の成績が向上されることを「ピグマリオン効果」と言いますが、それは人と人との関係性だけでなく、自分に対してもそうだと思うんです。
田口 なるほど。今日はインタビューというよりも講義を受けたような感覚でした(笑)。ありがとうございました。
前野 マドカ(まえの・まどか)
EVOL株式会社代表取締役CEO、慶應義塾大学大学院SDM研究所研究員、一般社団法人ウェルビーイングデザイン理事
幸福学研究の第一人者であり夫の前野隆司氏の留学のためともに渡米したことをきっかけに、幸せや自分自身について深く考えるようになる。帰国後、幸福学の研究に本格的に携わる。現在は幸せを広めるワークショップ、コンサルティング、研修活動及びフレームワーク研究・事業展開を全国各地で行い、誰もが自分らしく生き生きと幸せに生きる世界を築くことを目指して活動。エコッツェリア協会「丸の内プラチナ大学」では2021年からウェルビーイングライフデザインコースの講師を担う。