セイヨウオオマルハナバチ(写真提供:光畑雅宏氏)
セイヨウオオマルハナバチ(写真提供:光畑雅宏氏)
春です。飛び交う虫の羽音に心を和ませる季節になりました(人によっては眉をひそめるかもしれませんが)。
そんな虫たちが、私たちの食事を支えていると言ったら驚かれるでしょうか。代表的なものはミツバチ。セイヨウミツバチが果物の授粉に大活躍するのは皆さんご存知の通りです。りんごや梨園のように屋外に巣箱を置いて使われることもありますし、イチゴやスイカ、メロンなどの施設内で使われることもあります。ミツバチが授粉することで、作業が省力化され、確実に果実は受粉します。
授粉目的で利用されるハチはミツバチだけではありません。もう1種類、よく使われているハチが「マルハナバチ」です。マルハナバチは、トマトやナスなど、私たちの食卓を直接支える野菜の栽培に大活躍しているのですが、一般にはあまり知られていません。市場に出回るトマトの7割、ナスの4割はマルハナバチが授粉することで作られています。
今回は、この知っているようで知られていない「マルハナバチ」をめぐるトピックスとソーシャルビジネスの可能性を考えてみたいと思います。
現在、日本でもっとも多く利用されているマルハナバチは「セイヨウオオマルハナバチ」です。原産地はヨーロッパ。1980年代に増殖技術が実用化され、日本へは1991年から輸入が始まりました。最初はトマトの授粉が目的だったそうです。トマトの花は蜜を出さないため、ミツバチは積極的には訪花しないのです。
「日本では、もともとハチが授粉に役立つという認識が薄かったんですね。英語なら食性の違いで花バチは"bee"と狩りバチは"wasp"に分かれていますが、日本ではすべて『ハチ』。40年くらい前にイチゴの(ハウスなどの)施設栽培が始まったとき、実がぜんぜんならなかったのですが、その理由が分からなかったそうです。今考えれば、ハウスだからハチが入れず、授粉できないとすぐ分かりますが、当時は見当もつかなかったのですね。その後、日本ではハウス栽培のトマトでは授粉させる代わりに、ホルモン剤を噴霧するようになったのです」
そう解説してくれるのは、マルハナバチビジネスを手がけるアリスタライフサイエンス(株)の光畑雅宏さんです。光畑さんは有益な昆虫を利用する「応用昆虫学」の専門家であり、企業では長年マルハナバチの普及促進に努めてきました。セイヨウオオマルハナバチの出荷数は1996年には2万コロニーを超え、2000年には5万コロニー、2010年には7万コロニーを超えています。
「セイヨウオオマルハナバチが授粉して結実すると、トマトは実が重く、甘みも増すことが分かりました。また、マルハナバチを使うには農薬の量も減らさなければならなくなるため、化学農薬から『生物農薬』(害虫の天敵となる有益昆虫を導入し、食害を減らす手法)の導入も増加したのです。セイヨウオオマルマルハナバチのおかげで農家の皆さんの環境意識が高まり、『低農薬』『環境負荷の少ない農業』を促進する契機にもなりました」
低農薬が進む好例としてイチゴがよく挙げられます。イチゴは作期が8ヶ月と長いため、ハダニという害虫駆除のために10回以上も農薬散布をしなければなりません。しかし生物農薬の導入に成功すると回数は3回程度。化学物質の残留などの不安も軽減されます。このため、マルハナバチなどの授粉昆虫の導入は低農薬農業の「旗手」「花形」になったのでした。
しかし、セイヨウオオマルハナバチの導入に対し、当初から懸念する声が多かったのも事実です。それは、セイヨウオオマルハナバチがハウスから逃去し、野生化・定着化することを危惧してのことでした。
日本には、マルハナバチ16種6亜種が在来種として生息しています。よく知られるものが、コマルハナバチ、オオマルハナバチ、クロマルハナバチなど。エゾトラマルハナバチなど北海道固有のマルハナバチもいます。
セイヨウオオマルハナバチは、こうした在来種の生息域を圧迫して減少させたり、在来種に依存する植物や動物の生息環境を悪化させる可能性が非常に高いのです。近似種であるため交雑が起こる可能性も指摘されています。いわゆる「外来種問題」です。
セイヨウオオマルハナバチの生息環境が北海道の気候に近かったために、この問題は北海道で先鋭化しました。1996年には北海道で野生化したセイヨウオオマルハナバチの巣が確認されています。輸入開始時の懸念はまさに現実になったのです。北海道では、在来種マルハナバチに授粉を依存する花が減少する事例も報告されています。こうした環境影響を背景に、2006年にセイヨウオオマルハナバチは特定外来生物に指定され、飼育は許可制になり、厳しく管理されることになったのでした。
「一時期、セイヨウオオマルハナバチで授粉した作物をボイコットする動きもあるなど、大きな問題になりました。セイヨウオオマルハナバチは、環境保全型農業の旗手から一転して悪役になってしまったのです」
そこで脚光を浴びるようになったのが、在来種の利用です。光畑さんが所属するアリスタライフサイエンスでは、1996年から在来種のクロマルハナバチの増殖に取り組み、1999年から試験販売を開始、現在では、扱うおよそ4割がクロマルハナバチになっているそうです。
「法律的に『生業(=農業)の維持のため』セイヨウオオマルハナバチの利用を完全禁止にはしておらず、当社としても、このままセイヨウオオマルハナバチの利用継続を認めるのか、クロマルハナバチへの切り替えを推進するのか、『国としての方針』が定まるまでは、両方の販売を続けざるを得ない状況です」
セイヨウオオマルハナバチの飼養許可を受けている販売業者や生産者は、現在全国で約1万3000件。新規の許可はおりないため、新たにマルハナバチを利用する人は、飼養許可が不要なクロマルハナバチを使うことになります。現在マルハナバチ市場は、主に大手3社(アリスタライフサイエンス、出光アグリ、アグリセクト)がシェアを分け合っている形で、いずれもクロマルハナバチの増殖と普及に取り組んでいます。
しかし、増殖技術の難しさやコストの問題もあり、在来種を国内で商業生産しているところはありません。過去に日本国内から送られた女王蜂を、海外で増殖したものを逆輸入しています。
そこで今、クロマルハナバチの"純国産"に取り組んでいる人たちもいます。東京都内にある「イノリー企画」は、もともとホタルの生育環境を整えるために、クロマルハナバチの巣が有用であることに着目し、ホタルとともにクロマルハナバチの累代飼育のシステムを開発しました。昨年から販売も開始していますが(販売:イセキNEW 「スマートビー」の名称で販売)、大規模生産体制を整えるのが間に合っていない状況だそう。
「理想を言えば、クロマルハナバチの需要がある地域で、その場所にいるクロマルハナバチを捕まえて、増殖できるようにしたい」とイノリー企画の担当者は言います。もちろん、在来種であっても遺伝子的には系統選抜されますから偏った個体群になることは否定できず、セイヨウオオマルハナバチの利用時と同じように脱走防止ネットを張る必要があります。しかし、セイヨウオオマルハナバチよりは在来種のクロマルハナバチ、国内外来種のクロマルハナバチよりは地場のクロマルハナバチを利用したほうが環境へのインパクトが少ないと言うことはできます。また、国産クロマルハナバチの増殖生産が日本各地に広まれば、市民レベルでの環境意識の底上げにもつながることも考えられます。そのため、現在は日本各地の福祉施設と連携してその地のクロマルハナバチの増殖生産をすることも検討しているそうです。
2014年6月、改定外来生物法が施行されます。法改定のための審議時にはセイヨウオオマルハナバチの利用に関する管理、監督強化の必要性も議論され、許可制度の継続そのものが今後の課題になる可能性も指摘されています。今年から数年にかけて、マルハナバチをめぐるトピックスはさらに過熱していきそうです。
それは単に「セイヨウか、クロマルか」といった議論にとどまらず、私たちの食の問題にまで広がります。冒頭でも述べたように現在、最低でも市場に出るトマトの70%、ナスの40%がマルハナバチに依存。他の農作物も含めるとさらに依存度は高くなります。皆さんもよくご存知のセイヨウミツバチも外来種であり、2つの外来種が授粉する農産物の生産額は3000億円とも言われています。外来種利用は環境面では大きな問題ですが、今の日本の食料の安定供給、健全な生産体制を支えているのもまた事実なのです。
つまり、マルハナバチ問題は、「環境」の問題であるとともに、経済活動としての「農業」の問題、人の健康を支える「食」の問題、3つの問題が重なったところに存在しているのです。トマトやナスを一年中食べられることは、とても幸せなことですし、生産者の方にはいくら感謝しても、し足りないくらいです。がしかし、年間を通して食べられるということにどんな意味があるのかも、同時に考えなければならないでしょう。
環境問題や食の問題に取り組む大丸有のオフィスワーカーの皆さんにはぜひともマルハナバチにも注目してほしいところです。クロマルハナバチの国内生産による農福連携、北海道で行われている草の根的活動である「セイヨウオオマルハナバチバスターズ」など、さまざまな活動の可能性があります。牧歌的な風景とは裏腹に、その内実は極度に専門的で条件が多岐に渡る複雑な世界ではありますが、一考の価値のある問題ではないでしょうか。