ここ数年、クラフトビールやクラフトコーヒーなど、生産地、原材料、製法にこだわって作られた「食」をよく目にするようになりました。
では、「Bean to Bar」という言葉はご存知でしょうか。
Bean to Barとは、豆の選別・焙煎・摩砕・調合・成形まで全て手作業で行う、チョコレートの新しいスタイルです。このような製法や豆にこだわって作られる、いわゆるクラフトチョコレートが、いま注目を集めています。
アメリカで生まれたこの新しいスタイルは、ブルックリンの「マストブラザーズチョコレート」、サンフランシスコの「ダンデライオン・チョコレート」などを筆頭にブームを巻き起こしました。シンプルな製法と少数生産で始められることから、ブランドが急増。現在アメリカのクラフトチョコレートメーカーは100社を越え、いまだ増えて続けています。
日本でも、コーヒーショップやセレクトショップにクラフトチョコレートが並び、専門店はすでに20店舗以上。身近で味わえる機会が増え、徐々に知られるようになりました。
今年の2月には、ダンデライオン・チョコレートが海外初出店として、東京・蔵前にオープン。オープン初日、小学校や公園が並ぶ住宅街の一角に長蛇の行列ができ、クラフトチョコレートへの関心の高さが伺えました。
ビールやコーヒー、チョコレートにも広がるクラフトフードのムーブメント。
その背景には、「食」への意識変化があると言えます。アメリカでは2008年のリーマンショック、日本では2011年の東日本大震災を境に、消費社会が見直され、生活の質に価値を見出すようになりました。何を持ち生きるかではなく、どのように生きるかに重きを置く人が増えたことにより、人々の「食」の選択にも変化が現れてきたのでしょう。
クラフトフードにもさまざまなものがありますが、共通している点は「手作業」で作られるということ。一過性のブームで終わらず、馴染みつつあるクラフトコーヒーも、自ら厳選し焙煎した豆を使い、「一杯ずつ丁寧に淹れる」というスタイルが、瞬く間に受け入れられることとなりました。
クラフトチョコレートも、手作業という共通点を持ちつつ、ブランドによって材料や製法に違いがあり、自分にあった味を見つける楽しみがあります。例えばダンデライオン・チョコレートの場合、乳製品を使わず、単一産地のカカオ豆とオーガニックのきび砂糖のみを使用することで、カカオ豆の風味を純粋に味わえるチョコレートづくりに徹底しています。
大量に生産されるものを消費するのではなく、ひとつひとつ手作業でつくられたものを味わう生活。クラフトフードは、自分だけの味という特別感や、好きな味を見つけていく豊かさを楽しめることが、人々に受け入れられる理由の一つと言えるでしょう。
とはいえ、チョコレートを例にとっても、その歴史は長く、高級品から庶民的なものまで多様な種類があります。この広大な市場の中、「手作業」というピュアな武器で立ち向かうクラフトフードは、今後根付いていくことはできるのでしょうか。クラフトチョコレート界を牽引するダンデライオン・チョコレートの取り組みから、ヒントを探ってみたいと思います。
ダンデライオン・チョコレートは、「Bean to Barとは何か」を伝えることを自らのミッションとしています。「Bean to Bar」という言葉の目新しさで注目されるのではなく、クラフトフードの本質を地道に伝え、おいしいチョコレートを届け続けることが、クラフトフードの根付きにつながると考えているのです。
その姿勢は店舗に表れています。サンフランシスコと日本の店舗ともにファクトリーとカフェが併設され、製造工程を公開。また、チョコレートづくりを体験できるワークショップやファクトリーツアーも開催されています。ウェブサイトではカカオ豆の農園や製造機材も公開されており、オープンソースに徹しています。
情報をオープンにし、誰でも目にすることができることは、ストレートに「手づくり」が伝わる仕組みと言えるでしょう。またこのオープンソースというIT的な発想は、同じやり方でチョコレートをつくることができるということであり、クラフトフードづくりに携わる人を増やす可能性があります。オープンソースを元に情報交換が頻繁に行われることでチョコレートの質もアップデートされるでしょう。伝えること=情報を公開することで、クラフトフードへの関心を高め、つくる人を増やすことができれば、社会に根付く見込みは十分にあると考えられます。
そもそもクラフトフードの製法を象徴づける「手作業・丁寧さ」は、大量生産による効率化が進む中で、無視されてきたプロセスです。つまり、"新たな"食のように登場したクラフトフードは、実は"原初的"な食なのです。
同時に、食べることの原初的な喜びは、「美味しい」ということ。そう考えれば、クラフトフードが注目されるということは、人々が「食」に関する原初的な喜びを取り戻す過程なのかもしれません。