大丸有の企業の担当者が集まってCSRのカタチを考える「CSRイノベーションワーキンググループ」、今年度最後のワーキングが3月24日に開催されました。
この開催前に、「エコのまど」の完成発表会が行われ、本WGの"師範代"伊藤園・笹谷氏から新たなレクチャーもあったばかり。最後とはいえ、非常に熱のこもったセッションが繰り広げられました。
今回のプレゼンターはキリン。被災した仙台工場とその復興、福島県の果実を使用した『氷結』、最近では農水産物の6次産業化による地元産業支援に一役買っていることなどが広く知られていますが、今回は長い準備期間を経て、ようやく明らかにされた、新たな復興へのアクションを紹介してくれました。
ファシリテーターは、志事創造社の臼井清氏、エコッツェリア協会の山下智子氏が務めました。
最初に、キリン津田氏から、発災時からの仙台工場の動向と同社の「絆プロジェクト」の概要の説明がありました。津田氏は発災時に仙台工場で勤務しており、その後も1年に渡って同工場の復興に尽力してきたそうです。仙台工場は「思い出深い場所」であり、「このようなCSRを考える場で、仙台工場の件をお話できるのは大変にありがたい」。
それによると、仙台工場が現在の場所に移転したのは1983年。それよりも60年前、1923年に仙台市内で稼働を開始しており、「キリンと仙台との関係は90年以上、現在の場所だけでも30年の歴史がある。地元との関係は長く、深い」と津田氏。年間約9万人の工場見学の受け入れ、体育館などの付属施設の近隣住民への開放、工場に隣接する"白砂青松"の蒲生海岸の共同清掃活動など、地元の人々ともに歩んできたのが仙台工場だったのです。
この実績から、2008年には仙台市と「津波避難協定」を締結。30~40年間隔で起きるとされる宮城沖を震源とする地震に備え結ばれたもので、3.11時には工場自体が地震や津波の被害を受けながらも、近隣住民、当日の工場見学者などを含む481名の避難者を受け入れ、安全を確保しました。また、発災からわずか1カ月足らずの4月8日には、当時の社長が9月の工場再開、地元雇用の確約を宣言。それほどまでに仙台工場、キリンと東北の関係は深く、2011年の11月には早くも生産再開されたビールの初出荷が行われ、関係者は感極まって涙したというエピソードが語られました。
キリンは「絆プロジェクト」で東北の復興全体に対し、3年で60億円の資金を投入しています。「地域食文化・食産業の復興支援」「子どもの笑顔づくり支援」「心と体の元気サポート」を復興の3つの柱としてきており、「このプロジェクトは、ほぼ計画通りの成果を上げてきたと言えると思う」と津田氏。しかし、でありながらも、「心のどこかで、お金を出す、人を出す、は誰でもできる、これでいいのだろうかという疑問は残った。キリンにしかできない、もっと大切な復興支援はないだろうか」という思いで取り組んだのが、キリンが培ってきた生命工学の技術を活用した復興支援でした。
その支援とは「クロマツ」。クロマツを飛躍的に増加させる植物バイオ技術で、東北の海岸線を復興させるプロジェクトに参画したというのです。(参考:「『東北地方海岸林再生に向けたマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ種苗生産の飛躍的向上』プロジェクトへの参画について」)
「我々にしかできない支援はないかと考えたときに出てきたのが植物増殖技術だった」と津田氏の後を受けてプレゼンしたのは渡部氏です。
江戸時代以降、東北を始め日本の沿岸部には防風・防潮・防砂のためにクロマツが数多く植えられ、海岸で暮らす人々の生活を守り、白砂青松の風光明媚な景観を作り上げてきました。そのクロマツ海岸林は、震災により東北・関東6県で3660haが浸水、そのうち1720haが津波による深刻な被害を受けました。景観を守るだけでなく、海岸一帯の荒廃を防ぐためにクロマツの植樹が喫緊の課題とされましたが、それには500万本以上という膨大な数のクロマツの苗が必要です。しかし、「西日本まで含めた日本全国のクロマツ苗の供給能力は、わずか年間36万本。復興に10数年から20年かかる計算」と渡部氏。クロマツは挿し木で増殖することが難しく、種から育てなければならないこと、松枯病対策のために抵抗性のある親木からの種を取らなければならないという2点の理由のために圧倒的に苗が足りないのだそうです。
2013年、政府はクロマツ苗を増やす緊急の国家プロジェクトを発足(森林総研、青森県、宮城県、福島県などが参画)。10数年以上かかると言われた種苗生産の供給を10年に短縮することを目標に掲げましたが、目標達成には苗の増殖技術が必要とされていました。
そこでキリンとの接点が生まれました。
キリンは、1980年代の半ばから植物培養の技術を検討・確立し、アグリバイオ事業を世界展開することによって、 一時はキク、カーネーションでシェア世界1位、ジャガイモの種イモの供給も行うなど、非常に大きな成果を収めていました。長年ノウハウを外部に公開してこなかったその技術を、復興のために活用しよう、これこそが、キリンにしかできない復興支援ではないのか――。「人とお金だけではない、キリンにしかできない貢献。これはやりたい!という研究者の熱意もあり、国プロ(国家プロジェクト)への参加表明をし、2年で実用化のメドを付けようという目標を立てました」と渡部氏は熱っぽく語ります。
キリンの研究開発部門では、研究を開始する時点で多様な観点から評価するシステムがあるそうです。「当然、クロマツプロジェクトは、すぐに利益は見込めないが、お客様にキリンの技術と貢献を知ってもらいお客様の共感を得て最終的にキリンのブランド価値向上につながるじゃないか」と考え、2014年4月に正式にプロジェクトへの参加が決定しました。
「技術的には、フラスコなどの培養で数万から数十万の苗を増殖するもの。基礎検討にようやくメドが付いて、今年はさらなる効率化と、地植えできる苗に育てる試験に進む。また植栽試験を行う場所が、仙台の荒浜地区に決定した。来年4月には次の苗を大量に生産し"植える"ステージに進むことができるだろう」
この後、日が落ちるまでにはまだ間がありましたが「キリンさんのご厚意で」参加者にビールが振る舞われ、舌をなめらかにして各テーブルで感想のシェア、セッションを行いました。また、この日キリンの両氏は、増殖プロセスにあるクロマツの万能細胞、発芽した"不定胚"を収めたシャーレなど参加者が普段は目にすることがないものを議論のために持ち込んでおり、各テーブルに配布されました。めったにない貴重な機会に、参加者も興味津々。写真を撮りながら、熱心に議論を重ねました。
クロマツの増殖が国家プロジェクト化されていることや、キリンの植物増殖技術がそこまでの実績を出していることは、参加者にとっても耳新しい話であり、感想は震災復興の方向性やキリンの技術の高さに集中しました。一方で、いわば「儲からない」事業にゴーサインが出たことなど、キリン内部の体制についての議論も多く出たようです。
全体シェアでは、あるメーカー企業の担当者から「どのような(プロジェクトの)評価システムになっているのか」という質問が出ました。「簡単に言えば『うまくいくかどうか』『世の中を変えるかどうか』『もうかるかどうか』という評価項目と、そこにどれくらい人と資源が必要かで判断する。クロマツのプロジェクトは、現時点の利益だけでなく、世の中を変える、広く知られることでキリンのブランド価値向上の意味があると判断された」と津田氏が説明。
別の参加者からは「国家プロジェクトへの参加は、どちらからのアプローチだったのか」という質問。これは「両者からのアプローチが合致した」と渡部氏。キリンが植物増殖技術の社会貢献の可能性を森林総研に相談する中で、プロジェクトでの可能性を見出し、また、プロジェクト側にもニーズがあることが分かったとのこと。この質疑でうかがい知れるのは、保有する技術の棚卸や援用が、必ずしも自発的ではないということ。これは逆にいえば、保有技術の、殊にCSR/CSVへの活用には、第三者の視点が必要だということでしょう。
この後、「このプロジェクトにどう関われるか」「どう関わりたいか」という個人ワークを行い、プレゼンター2人への"贈り物"としました。
最後に、津田氏は「社内でさえも(このプロジェクトを)知っている人はまだ少ない。これを機に認知してもらい、キリンと皆さんのネットワークを広げたい。このプロジェクトは実用化のメドはついて、そこで終わりなのではない、そこからが始まりだと思っている。機会があれば、今日お集まりいただいたみなさんがお持ちのリソースをぜひお貸しいただきたい」と会場に呼びかけました。渡部氏も「このプロジェクトは弊社グループだけでできるものではないと思っている。ぜひ皆さんと輪を広げ、一緒に取り組んでいきたい。今日を機に皆さんとキリンの縁を作りたい」と今後の期待を騙りました。
2014年度最後のCSRイノベーションワーキングで、図らずも未来へつなぐ方向性が提示された格好になりました。「エコのまど」でも示されているように、CSRはCSVに「取って代わられる」ものではなく、CSRにしかできない領域があり、意味があります。改めてCSRの意味を確認し終了となりました。
エコッツェリア協会では、2011年からサロン形式のプログラムを提供。2015年度より「CSV経営サロン」と題し、さまざまな分野からCSVに関する最新トレンドや取り組みを学び、コミュニケーションの創出とネットワーク構築を促す場を設けています。