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【レポート】Rise again, NEPAL!

緊急現地報告会「ネパール地震から3カ月、現地はいま」

カトマンドゥにある世界文化遺産の「ダラハラの塔」も根本からぽきりと倒壊した(当日の報告資料より抜粋)

"つながり"が生んだ報告イベント

8月4日、新丸ビルのエコッツェリアで緊急現地報告会「ネパール地震から3カ月、現地はいま」が開催されました。今年4月25日に発生した巨大地震の被害についてレポートし、復興に向けた活動の促進を図るのが狙いです。丸の内朝大学をきっかけにスタートしたスタートしたコミュニティ「ひまわりプロジェクト」がネパール地震支援にも取り組んでおり、日比谷花壇などエコッツェリア会員企業も参画しているほか、三菱地所でも募金を行うなど援助体制を整えてきたことから、今回のイベントが開催される運びとなりました。

当日はネパール特命全権大使のマダン・クマール・バッタライ氏のほか、ネパール人留学生らも参加しており、ひっ迫する現地の状況が赤裸々に語られました。

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未来へ向けた一歩を

未来へ向けた一歩を

ネパール特命全権大使のマダン・クマール・バッタライ氏

冒頭、主催のひまわりプロジェクト実行委員会から、実行委員の池田恭子氏(東京大学東洋文化研究所)、東大支部学生サークル代表のエイタン・オレン氏が挨拶に立ち、東日本大震災復興支援からスタートした同プロジェクトのこれまでの活動実績などのレポートがありました。

続いて挨拶に立ったネパール特命全権大使のマダン・クマール・バッタライ氏は、日本からの支援に謝意を述べるとともに、「ネパールでの地震は初めてではないが、適切な準備をすることの難しさを痛感」しており、日本が幾たびかの震災の経験から「レジリエンスな社会を作っている」と評価。「日本はディザスター・マネジメントのできている素晴らしい国。今、ネパールでは国の再建に向けて組織化を進めているが、日本の多大な経験、スキルから学びたい」と語りました。

また、9000人の死者を出した痛ましい災害ではありましたが、「発生が昼間であった」「寒さの厳しい時期ではなかった」など不幸中の幸いもあったこと、そして同国の最大産業である観光の資源は「空港も無傷であり、ネガティブな報道もあったが、実は大丈夫」と話し、「支援のためにも、観光としてネパールを訪れてほしい」と訴えました。

ネパールってどんな国?

震災前のカトマンドゥの様子("Kathmandu Nepal" photo by Göran Höglund (Kartläsarn)[flickr]

続いて東京大学東洋文化研究所教授の田中明彦氏から、ネパールという国それ自体、そしてネパール地震についての解説がありました。田中氏は用意したレジュメを「A4の紙に収めるのには土台無理があるが」と揶揄しつつも、ネパールを考えるうえで必要なアウトラインを効率よく提示します。

田中明彦氏日本の1/5にあたる2760万人の人口に、92の言語と103のカーストと民族を内包。1人あたりの国民総所得(GNI)は730ドルと世界最貧国の一つながらも、平均寿命は68歳と比較的(というか非常に)高い。携帯電話普及率は77/100人、ネット普及率は13.3/100人。複雑な文化・社会背景の中、貧しい生活ながらもたくましく、明るく生きる人々の姿が浮かび上がって見えてくるようです。

歴史的には、9000年前からカトマンドゥ盆地に人類定住の痕跡が見られ、18世紀中ごろにネパール王国が成立。その後、近現代は2008年の王制廃止まで非常に複雑で混乱した政治的状況が続いています。日本でもよく知られているのは、毛派による「ネパール内戦」(1996-2007)、国王含む王族9人が殺害された「ネパール王族殺害事件」(2001年)などでしょう。2008年、正式に「ネパール連邦民主主義共和国」が成立、制憲議会が始まっています。2014年1月に第2次制憲議会が発足し、まさに新憲法制定に向けて議論を深めていたところに起きたのがネパール地震だったのです。

「ネパールは憲法制定という政治的な激動の中で、大地震に見舞われた。復興と民主化に同時に取り組まなければならないという大変なチャレンジをしている。しかし、この激動の中、地震が起きても内紛など不穏な動きがないことは、ネパール国民の素晴らしさを物語っているように思う」

被害のアウトラインは

プラカシュ・シャキヤ氏の報告資料より抜粋。ゴルカ郡の典型的な地方村落バルパクの崩壊。ネパール地震では、こうした地方村落の住宅崩壊が大規模に起きたことが問題になっている

地震被害は、4/25のM7.8の地震、5/12のM7.3の余震で、死者8500人以上、負傷者1万5000人以上。被害総額は66.95億ドル(約49%が住宅セクター)。「日本の東日本大震災の経済損失は2000~2400億ドルと言われている。額面でいえばはるかに大きいが、GDP比では5%以下にとどまる。対してネパールはGDP比では実に34%。この地震による被害が、ネパールにとってどれほどの困難かがお分かりいただけるだろう」と田中氏。 これに対し、国際社会からの援助金はインド10億円、中国5億ドル、ADB6億ドルなど総額約44億ドル。被害総額に対してまだ23億ドル足りない状況です。「ネパールのGDPの12%が足りない、という状況に加え、各国のプレッジも守られるかどうかさえ分からない」のが現状なのだそうです。

また、日本の救助隊が自前の飛行機を持っていないためにカトマンドゥに入れず、インドとバンコクを行ったり来たりして結局入れたのは3日後だったというエピソードを紹介。しかし、その後の支援では復興計画立案に全面的に協力し、さらに、日本独自の協力として耐震住宅支援にも力を入れていると説明。「次の地震にどう備えたら良いかを示すために6月にはモデル住宅を建築、耐震建築のスタンダードを示すなど、ナレッジの伝達に力を入れてきた」。そして「耐震ガイドラインを策定したうえで、住宅再建のために120億円の円借款」を実施することなどを解説しました。

現地からのレポート

つづいて、ネパールから東京大学医学研究科博士課程に留学しているプラカシュ・シャキヤ氏が、震災後に帰国し、救助、支援活動に協力した際の様子をレポートしました。

シャキヤ氏はこれまでのネパールの歴史を振り返りながら、「これが初めての大地震ではなかった」としつつも「SNSの発達のおかげで、国の外にもいち早く情報が伝わり、スムーズな支援活動につながった」と、今回の震災復興の特徴を指摘。カトマンドゥでは世界文化遺産のダルバール広場、ランドマークとして名高いダラハラタワーなどが倒壊した様子を写真で紹介するとともに、各地の村落の住宅の倒壊が著しく、「地方の救助が喫緊の課題」など、現地の生々しい被害状況を語りました。

しかし、その一方で「笑顔が絶えない」現状も。「被災後、地震のショックが収まったあとは、人々が仮設住宅や避難所で、笑顔で過ごす人々と数多く出会った。"共助"というともに助け合う姿を見て、ソーシャルキャピタルの重要性を改めて痛感した」とシャキヤ氏。

そして、今もなお各国から救助隊、救援隊が多く入り活動を続けている現状があるが、これからの国家再建プロセスでは「仮設シェルター」「学校の再建」「医療機関の再生」の3点がポイントになるのではないかと指摘。特に医療に関しては「カトマンドゥ以外ではすべてが不足している。どこに行っても薬も何もない。すでに始まってしまったが、雨季は伝染病のリスクも高まる」と、国境なき医師団などのメディカルチームのサポートはあるものの、広範で行き届いた医療が最重要課題であることを訴えました。

もっともよくエベレストが見えると言われるカラ・パタール(5550メートル)から、エベレストを臨む("Everest/Chomolungma and Nuptse " photo by Andrew Purdam [flickr])。カラ・パタールへのトレッキングはもっとも人気の高い観光ルートのひとつとなっている。

また、「そうは言ってもネパールはまだまだ元気がある。機能不全に陥っているわけではない」と話し、"HELP NEPAL BY VISITING NEPAL"という、観光によるネパール支援を呼びかけ。「SNS発達のデメリットとして根拠のないうわさが一人歩きしてしまうということがある。ネパールのトレッキングルートは被害もなく、歩くことができる。ぜひうわさに惑わされることなく、経済支援のつもりでネパールを訪れて」。

そして、さらに自らにも問いかけます。「震災は発展のチャンスなのだろうか」。「多くの人はチャンスだという。復興で以前よりも豊かな社会を、と。しかし、ハイチの例もあるように、復興が進まずいつまでも援助に頼ってしまうことだってある。それはつまり、ネパールの私たち自身の肩にかかっている。It's up to us、なのだ」。そして、「ひまわりプロジェクトで届けられた日本からのメッセージは大事な心の支えになった。これからも日本とネパールの復興のためにもつながりを続けたい」と締めくくりました。

"レッシャム・フィリリ"

大使に募金を手渡す、三菱地所環境CSR推進部 吾田鉄司氏(右)

三菱地所で行われた募金をバッタライ大使に手渡すセレモニーの後は、ネパール料理による懇親会も行われました。料理の提供は、阿佐ヶ谷のネパール料理店「クマリ」です。代表的な料理であるダルをはじめ、各種カレー、サモサ、パパドゥ、タンドリーチキン、アチャールなどさまざまなネパール料理のほか、この10年ほどでできたというネパール産のビールやウィスキー、焼酎も卓上に並べられました。

震災の報告なのに不謹慎でしょうか。いや、そんなことはありません。

宴もたけなわとなると、ネパールの人々が前に立ち、歌を歌います。ネパールを訪れた人なら誰もが聞いたことがあるであろう『レッシャム・フィリリ』。"花が咲いたよ""風でスカーフが揺れたよ"、そんな他愛もない歌詞ですが、旅人が訪れればもてなすために歌うのです。ゆったりとのびやかで、屈託なく人を愛する気持ちにあふれている、そんな歌。男女が呼びかけるように交互にうたい、緩やかに踊ります。参加者たちも、震災を悲痛に思うばかりではなく、ゆっくりと前に向かって歩きだす、たくましい力を見出すことができたのではないでしょうか。いつまでも続くレッシャム・フィリリのリフレインの中に、ネパールの明るい未来が見えた気がしました。


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