福島・浜通りに拠点を置き活躍する人たちが登壇した
福島・浜通りに拠点を置き活躍する人たちが登壇した
2011年の東日本大震災の発災から13年が経過し、福島県の復興が進みつつある一方、震災の記憶の風化が大きな課題となっています。こうした中、エコッツェリア協会では、ふくしまの豊かな食や地元に暮らす人たちと直に交流することでふくしまの未来を共に考える「ふくしまフードラボ2024」を開催しました。9月7日(Day1)と9月28日(Day2)の2日間にわたり開催されたイベントのうち、Day1の様子をお伝えします。
7日のDay1は、「記憶の風化防止に向けて」と題し、高校生や大学生、大学院生など学生を対象に実施しました。
会の冒頭、エコッツェリア協会コミュニティ研究所長を務める田口真司が「一昨年から(フードラボを)実施しています。今回は『風化防止』を一つのテーマにしており、全員浜通りを拠点にしている方をゲストにお招きしました」と説明。後半にある食の交流会に関し、「ふくしまの様々な食材をふんだんに使用した食事が出ますので、ぜひ食べ残しのないように、お楽しみください」と話しました。
●後藤彩氏 MYSH合同会社南相馬支社長
※2024年10月27日よりMYSH株式会社 福島浜通り支社長
トークイベントのトップバッターは、福島県北東部に位置する南相馬市で、移住相談窓口の活動のほか、まちづくり事業を行う後藤彩氏から。
熊本県出身の後藤氏は東京の大学に通うため上京したのち、就職した会社の転勤で福島県に6年前から暮らし、南相馬に移住してからは4年目になると自己紹介。南相馬は、福島県の北側の産業の拠点ながら東日本大震災で津波の甚大な被害を受け、「津波だけでも、東京の杉並区の面積とほぼ同じぐらいの場所が浸水し、沿岸部は影響を受けました」と伝えました。
「あの日」から13年。南相馬市の復興も進み、中でも「人という観点ですごく今、面白いエリアになっています。まちを新たに彩る方たちが地域の内外からも集まっています」と話しました。
南相馬で活躍するU・Iターン者として、2拠点生活を経てカフェを開業した松野和志・美穂氏、全国からサウナファンをはじめ訪問者が絶えない「サウナ発達」オーナーの川口雄大氏、時計職人ながら養蚕やナマズの養殖、さらに打ち上げ花火まで上げる平岡雅康氏の3人を紹介しました。3人の取り組みを踏まえ、「私にとって浜通りは自分たちでまちを作っていくような挑戦ができる場所だと思っています。これからますます面白くなると確信しています」と話しました。
自身は南相馬市の移住・交流の拠点「よりみち」を運営。スタッフは20~30代の移住者やUターンで地元に戻ってきた人で構成され、南相馬市を知るところから、定住に至るまでをワンストップでサポートしています。
イベントや現地訪問プログラムも多数開催し、特に地域体験プログラムは年10回以上開催。「まちづくりに興味がある人とか社会課題解決に興味がある人、まずは地方暮らしを体験してみたいという方など、それぞれの方の関心に合わせて地域を知っていただけるような機会を準備しています」と語りました。
「よりみち」での仕事の他、地域の方と一緒に耕作する畑も運営しているとのこと。フードラボDay1当日も、南相馬市では移住した方と地元の方とが交流する、ピザづくりイベントを開催しているといい、その様子を紹介。「地域外からまちに関わる人を増やすだけでなく、地元の方も、まちの魅力を再発見して、南相馬を大好きになるような機会を作っていきたい」と話し、締めくくりました。
●渡邊春香氏 オーガニックファームみさき未来、ブルーベリーパークぴぽぱ運営
次いでブルーベリー農家の渡邊春香氏が登壇しました。南相馬市のオーガニックファームみさき未来が運営する、ブルーベリーパークぴぽぱというブルーベリーの観光農園を手掛けています。大学卒業後は東京でエステティシャンとして働き、キャリアを重ねた後に、「そろそろ地元に戻ってみよう」とUターンし、実家で営む農業法人みさき未来に就職したといいます。
2022年にブルーベリーの観光農園を夫と一緒に開始。ただ、農園の場所は、福島第一原子力発電所から20キロ圏内で、東日本大震災後5年間、避難指示が出されて住民がゼロだったといいます。当初は、周りに住んでいる人はおらず、昼間に工事の人たちだけがいるような環境。畑を耕していると岩や石が数え切れないほど出たそうです。
現在は約60ヘクタールもの広大な農地を耕作しています。この農地は、津波により大きな被害を受けたため、耕作をするには大規模な工事が必要も、耕作者が決まらないと工事が始められず、何度も何度も地域住民の方と話し合ったといいます。「元々は80件ぐらいの農家の方がいた地区ですが、誰も手を挙げる人はおらず、自分たち家族でやることにしました」と語りました。
その後、各所と協議を重ねて2022年から大規模な農地の復旧工事が始められ、昨年やっと13年ぶりに米の収穫ができたといいます。とはいえ、工事が終わっているのは予定の10分の1程度で、まだまだ復興途上だそうです。
渡邊氏は、この場所でどんな農業をしていくのかを話しました。1つ目は最新技術を使った「スマート農業」の導入です。人が運転しなくても、GPSで圃場の形を覚えさせると、勝手にハンドルが動いてくれるロボットトラクターや田植機、ドローンなどを活用しながら、農地を作っているそうです。
2つ目は、農薬や化学肥料などを使わずに作物を作る有機農業です。もっとも、「福島でオーガニック栽培をする、ということにはやっぱり壁を感じています。オーガニック野菜を購入される方は、やっぱり食の安全性にこだわりが強い方が多いですから」といい、課題もあるようです。
福島で米は、抽出ではなく全量全袋検査、放射能検査を実施。震災から10年経ち、福島全域での全量全袋検査は終了するも、南相馬市など原発事故で一度避難した12市町村の地域は、現在も全量全袋検査を実施しているそうです。
「他のどの都道府県よりもしっかりと放射能検査をしているにも関わらず、未だに福島県産というだけで拒否する取引先があるのは事実です。今後は福島県農産物に関する正しい情報を広げていきたいです」と訴えます。
もっとも、工事がなかなか進まないため、今できることとして始めたのが、観光農園「ブルーベリーパークぴぽぱ」。こちらは大規模工事の計画から外れた場所で、ほぼ震災当時の土のままで塩害により作物がよく育たない畑になっていたといいます。このため、土を使わずにポットで栽培するシステムを導入。上空でソーラー発電を行う「ソーラーシェアリング」という仕組みを活用し、栽培しているそうです。
「(幼少期から)常に動物や野菜、お米とかに囲まれて嫌なこともありましたが、たくさんの楽しい記憶が農業と繋がっていました。そして父の『農業をするって贅沢なことなんだよ』っていう言葉があって。日本だと農業って大変っていうイメージがやっぱり強いと思います。でも父から、『ヨーロッパではバカンスという長期休暇があって、そのときに農村に行って農業をする人がいっぱいいる。そのために1年仕事を頑張るんだよ』と。その話を聞いて私は育ったので、やっぱりこの実家の農園に人を呼んで、人の心を豊かにするような農業がしたいって小さい頃から思うようになりました」と続けました。
この地区では最近絶滅危惧種の動植物が25種類も見つかっている。渡邊氏は「動植物の楽園を目指し、次の世代に引き継いでいけるような未来のための農業をしていきたい。子供たちの学びの場としても、点ではなくて線として農業が体験できるような場所にしていきたい」とし、ぜひ現地に遊びに来てほしいとアピールしました。
●大川勝正氏 大川魚店代表取締役社長
次いで、福島県いわき市の港町・四倉で魚屋を営む大川魚店代表取締役社長の大川勝正氏が登壇。風評被害の影響など漁業関係は大変な状況が続く一方で、魚が豊富な場所でもあり、現状などを深く聞くこととなりました。
元々、いわきに暮らし、大学以降は東京で生活。サラリーマン生活を経て、魚屋を継いだそうです。
「いわきは、『潮目の海』と言われ、北からの親潮と南からの黒潮が交わる海域で、まさに魚の種類が豊富なのと、あとは品質の良い魚が水揚げされる。震災前からも『常磐もの』として築地市場でもブランドとなっていました」と解説。東日本大震災で原発事故があり、海も魚も汚染されてしまったものの、その後様々な検査や試験操業の試みを経て、令和2年に全量、普通操業できるというところまで何とかきたというのが現状と説明しました。
「僕は原発に比較的近いところに住んでいますが、魚を扱う立場から言うと、タンクがあれだけの数あるということの方がどっちかというと怖い。例えば、ちょっとした地震でタンクが壊れたことによって、そのまま汚染水が本当に海に流れました、となる方が怖い」とし、「何かあったらまた2011年(の状況)に戻ってしまうので、とにかくタンクの数を減らしてほしいというのが魚屋としての思いで、やっと去年から処理水を放出いただいて。でも、それも30何年もかかるんですね。少しでも廃炉に近づければいいかなっていうことです」と話しました。
大川氏の話を受けて田口は、「原発の問題はわれわれにとって別に他人事ではなくて、原発を含めていろいろなものがあって電気ができ、それを享受して生きています。自分事としてできることって少ないとは思いますが、まず実態を知って、大川さんの話にあったように『処理水に対する考え方って違うんだな』というところを持って帰っていただければと思います」とコメントしました。
大川氏は「美味しい魚もたくさん水揚げされるようになってきたので、魚の美味しさや色々な食べ方とかを広げていきたいという思いがあります。それを実現するため、魚屋ですが去年から食堂を始めて、目の前でお客さんに食べていただいて、味わっていただけたら、と思って活動しているところです」とし、締めくくりました。
●長谷川真美氏 いわきと創作らぁ麺やま鳶(とんび)女将/福島県あったかふくしま観光交流大使
最後は、いわき市の海沿い、小名浜のラーメン店「いわきと創作らぁ麺やま鳶(とんび)」の女将を務める長谷川真美氏が登壇しました。地産地消、無添加・無化調と言われる自然派のラーメンをセールスポイントに福島ならではのラーメンを創作しています。
「東日本大震災を乗り越えて頑張る生産者さんの福島の食材の魅力をできる限りラーメン丼いっぱいにギュッと詰めて、いかに究極の一杯を皆様にご提供できるかというところに一番のポイントを置いています」とこだわりを語りました。
普段は長靴を履いて漁港に行き、買参権という資格を持って、いわき市の水産ブランド「常磐もの」の魚を競りして、新鮮なお魚をそのまま寸胴に入れて美味しいラーメンのスープに変えるそう。さらに、福島の醤油や魚、野菜などを用いて、色々な味が出るような工夫をした一杯を出しているとアピールしました。
また、ラーメンの提供にとどまらず、「福島の食を通じて楽しく、住みやすいまち作りができたら」という思いから、日頃からこども食堂や、環境・社会情勢に負けないまち作りをする狙いで、独居老人を集め、お年寄りが楽しく過ごせるようなコミュニティ作りや、次世代を担う学生との地域活動など、さまざまな視点による取り組みも紹介しました。
長谷川氏は、高校1年生で東日本大震災を経験。学校でこれから陸上部の練習をしようと部室で準備していた時に「ガラガラっと激しく大きな地震が目の前で起こり、目の前の道路は大きく段差が割れて、寸断された状態で車も通れる状態ではなくて、もう本当に恐怖とすごい衝撃を受けたのを未だに覚えています」と振り返りました。
大学進学で東京に出て、その後、ほどなくしていわき市にUターン。いわき市の観光大使として、いわきの風評払拭をするべく、首都圏などでいろいろなイベントに出てPR活動に取り組んだといいます。活動で感じたこととして「福島県産というラベルが貼ってあるだけで野菜がたくさんスーパーで売れ残っているなど、風評被害を目の当たりにしました」と体験を語りました。
東日本大震災の経験を経て、「ビジネスモデルとして、『(福島は)こういう形で乗り越えてきたんだよ』ということを市外、県外、さらに世界に発信できたらいいなと思って事業に取り組ませていただいています」としました。
そして、福島の魅力、食の魅力の価値をどのように伝えるかということで、次世代を担う学生と一緒にいろいろな魚を使った新商品を発表したり、企業とコラボしたりするなど、新しい形で発信していることも語りました。
「地域がさらに潤っていくためには活動を通してどうやって利益を生むのかということをとことん追求してほしいなと思います」と訴えた上で、「やま鳶」としては来年にかけて、海外視察を計画していると明かしました。「福島で体験したことを伝えながら、実際、これから経済発展を遂げるようなASEAN地域、アジア圏に向かって食のプロデュースや福島の食を伝えられるような実店舗を増やしながら、福島のPRをするチャンスを広げていきたい」としました。
4人の話を踏まえて田口が総括として、「一つ言えることは我々が(食材などを)美味しくいただいていることは当たり前じゃないと。皆さんが頑張っていて、それによって普段、美味しいものをいただける。第2部の食の交流会で、その辺りも味わってもらいたい」とまとめました。
●大学生企画の「福島ツアー」紹介も
トークイベントに続き、福島大学、法政大学の学生らが企画したツアー「福島の好きを見つける旅」について紹介しました。発表したのは福島大3年の佐藤史織さん、同3年の進藤大資さん、浪江町出身で法政大3年の鈴木さりなさん。
「東日本大震災の被災と復興、そして壮大で非現実世界のような絶景そして美味しい食べ物、その中でも福島県の魅力を見つけて、皆様1人1人オリジナルの好きを見つけていただけたらと思います」と締めくくりました。
第2部は3×3Lab Futureを全館活用して、食の交流会が開催されました。参加者は福島の豊富な食材を使い丁寧に仕上げた料理に舌つづみを打ちました。
今回のメインメニューは、「ごろくファーム野菜のハニーマスタードマリネ」をはじめ、「クウカイ焼鳥風ロースト」、「大川魚店のほっき飯」、「メヒカリの唐揚げ」、「相馬きゅうり漬け」などが登場しました。
「やま鳶」の冷やしラーメンについては、「食べた瞬間にいい香りが漂い、びっくりした」。メヒカリの唐揚げは「サクサク感がすごい」といった声も上がりました。
福島で10年以上仕事をしているという男性参加者は「ホッキ貝のご飯は初めてだがこんなにおいしいものがあるのだと。食べ方が新鮮でした」とした上で、福島第一原発の処理水の問題などに触れ、「自分は以前、現場に連れて行ってもらったりしていて抵抗はないが、『何も知らない』、『知識がゼロ』となると抵抗感が出てしまうのかもしれない。今回のイベントのように、様々な地元の話をしてもらい、美味しい料理を頂くと、すごく行きたいなと思う。こうしたことを重ねていくしかないのかな」と話していました。
処理水放水に関連し、高校3年生の女性参加者は「今回の話の中で、処理タンクに処理水が溜まっている事がリスクで、ちゃんと処理した水を(海洋に)流した方がいいという話は自分が思っていたのとは逆で、新鮮に感じた」と語りました。
各テーブルには、登壇者らも同席し、感想や意見をシェアする姿も見られました。
魚屋の大川氏には、福島における様々な規制に関する質問も。「例えば、農業のドローン活用などの話は結構出ているのですが、意外と規制があって、ハードルが高かった。ただ、少しずつ緩和し、経営しやすくなってきたかなと」。2001年に家業を継いで約10年間、懸命に経営をしてきたものの、2011年3月の震災後、自社の経理ソフトの経営予測画面を見ると、8月には倒産することが判明。「自分なりに一生懸命やってきて重ねてきたものがあったけれど、8月に終わるんだと。でも、こういう時って悲しみよりも結構開き直っていて、『やるだけやって潰しても、やらなくても同じ』との思いで、銀行にももう一度融資してもらって今も経営できている」と言います。「僕的には人生2回目という感じだが、嘘みたいに今もいる」と実感を込めました。それでも『津波被害はかなり復興したものの、人の流れがなかなか戻らないが、南相馬やいわきでは新しい会社も増えてきている』とも付け加えました。
大学3年生の女性参加者は、「福島には行ったこともないし、全然知らなかったですが、イベントの存在を教えてもらい参加しました。同じ大学3年の学生が様々な活動をしている話を聞き、尊敬というか衝撃を受け、福島のことをもっと知りたいという気持ちが強くなりました」と話すなど、参加者それぞれが福島への思いを深めたひとときとなったようです。
こうしてふくしまフードラボDay1は盛況のうちに幕を閉じました。後日行われたDay2では「新たな福島に向けて」をテーマに、同じく浜通りエリアで活躍する、新たな取り組みを進めようとしている方々が登壇しました。
(取材・執筆:那須慎一)