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音楽配信ベンチャーの立ち上げ、世界最大手のIT企業からの出資を受けて日本初のサービスの提供などを経験し、現在はウェルビーイング起業家、アントレプレナーシップ研究家として様々なスタートアップやNPO法人の起業、経営、支援を行う中島幸志氏。一見華々しい経歴ですが、その実、とても壮絶で濃密な道のりを歩んで来たことが現在へと繋がっていると言います。
「共感」と「起業」というキーワードを通じて長く続く事業のあり方を考える中島氏と同年代である田口真司による今回のさんさん対談からは、ソーシャルビジネスにおいて共感を得る重要性とその方法について垣間見ることができました。
田口 中島さんは元々音楽関係のお仕事をされていたそうですが、どのようなきっかけで音楽やクリエイティブに触れたのでしょうか。
中島 3歳からピアノを始め、その後ブラスバンドやロックバンドでいろいろな楽器に触れていく中で音楽が好きになりました。正解に近づけるクラシックよりも、自由に創作できるロックやジャズなどの分野が特に好きでした。そもそも父が設計士だった関係で幼い頃から物を作り上げるということに接していたんです。父が自宅の門やガレージを作る姿を見ながら「物を自由に作ったり、作れそうにないと思えたものを作るのは楽しそう」と感じたことは大きいです。
田口 音楽好きだった子どもが、若くして起業家になったのはどのような経緯があったんですか。
中島 起業家になろうと思ったことは一度もないんですよ(笑)。高校生の頃に偶然見たコンサートで、音響エンジニアの仕事がおもしろそうだと感じて音楽の専門学校に進学した後、学校の先生から当時始まった通信カラオケの音源データ製作の仕事を紹介されました。その数年後に会社を創業したときに「起業しました」と恩師に報告をしたら、「18歳の時に確定申告を教えただろう。君の起業はもう何年も前の話だよ」と言われ、起業を後で知ることになった...という逸話になるほどです。
当時の仕事はカセットテープに録音された曲を耳でコピーしてMIDIデータ(演奏をさせるプログラミング)として打ち直すもので、ギャラは1曲10万円。どんな曲でも同じ値段で、スピード次第で月給10万にも日給10万にもなる仕事でした。実力があればその分お金を得られるという感覚はこの時の経験によって芽生えましたね。
田口 何かを提供して、その対価として貨幣という価値をもらう経験を若い頃にできたことはとても重要ですよね。
中島 苦労してでも自分で何かを生み出してお金をもらう方が性に合っていると思うようになりました。
次に転換点となったのは、インターネットが一般にも普及し始めた頃です。インターネットを使えばミュージシャンが本当に発表したい音楽を発信していけると考えたんです。そこで技術を調べ、実際にホームページを作ってネット上で音楽を配信したところものすごいアクセスがあり、いろいろな仕事や書籍の執筆依頼をいただくようになりました。多様な人と知恵や技術を持ち寄って共同で何かを創り上げるというインターネット独自の文化を通じて、専門性を高めることやギブ&テイクの感覚を身につけられました。
その後色々なレコード会社と仕事をするようになりましたが、ある会社から「振込先が法人じゃないと困る」「個人だと稟議が通らない」と言われたため、"1週間でできる会社の作り方"といったような本を買って24歳の時に法人化しました。それが僕にとって最初の起業です。
中島 法人化したものの、その後プロジェクトの予算が尽きてしまいました。そこで音楽配信システムとその権利を現物支給の報酬として貰い受け、ミュージシャンが音楽を自由に配信できるプラットフォームづくりに取り組みました。サービス開始後には問い合わせが殺到し、国内外の大手企業から投資の話もいただき、資金だけでなく技術面でもサポートしてくれる企業の支援を受けることにして、ベンチャー企業へと変わっていきました。
その後、日本初の音楽配信を実現するも、ITバブルの崩壊とともにアメリカのベンチャーに10億円ほどで買収されたものの、最終的にわずかな現金しか手元に残りませんでした(笑)。
田口 ものすごく濃密で、とてもおもしろいです(笑)。その後中島さんは音楽系のビジネスから離れますよね。
中島 はい。事業売却先であるアメリカのベンチャーの日本法人役員に就任して日本とシリコンバレーを往復する日々を過ごしていましたが、ある日たまたま流れていた途上国の難民の映像を見て「この目で確かめなければ」と思ったんです。そして会社を辞めて地球一周の旅に出ることにしました。
約100日間かけて20カ国以上を巡ったその旅では、経済活動の向こう側で何が起こっているのかを体感しました。例えば上海は当時からきらびやかな街並みでしたが、一本裏道に入るとスラム街のようになっていて、そのコントラストが上手く理解できないほどでした。その頃の僕は金銭資本の経済に飲み込まれて、もうビジネスの世界は嫌だと思っていたのに、ビジネスの影響でこうした社会ができているのだとすると、ここから逃げてはいけないし、世界の大元を変えていかなくてはと考えるようになったんです。
田口 3×3Lab Futureに来る方の中には資本主義に対する疑問を持ちながらもその真ん中を歩み、ソーシャル系の活動をしている方も少なくありませんが、中島さんもそうですよね。若い頃からソーシャル系の活動に取り組むのも決して悪くはないですが、社会の仕組みを知るために一旦資本主義の中に身を置くことも大事だと思います。
中島 僕の場合、バブル崩壊や事業売却の反動があったんだとは思います。その後活動の方向性は決めたものの、国際協力や国際交流だけでは経済を変えることは難しいとも思っていました。そこで音楽配信プラットフォーム構築のノウハウを活かして、書籍のダイジェスト配信をすることにしました。人は本を買う時というのは、高い期待をもって買うことが多いですが、一晩経つとその熱意も冷めてしまいがちですよね。そこで、本を手に取った瞬間の気持ちをセットし、後日リマインドしてくれたり、書籍の内容をダイジェスト配信して読書を促してくれたりするサービスを作れば面白いと考えたんです。当初は自己啓発という分野は怪しいと言われていましたが、有名な作家さんの協力を得られたことで一気に軌道に乗り、開始から数ヶ月で10万人が登録するサービスになりました。
田口 中島さんの場合、ビジネスに取り組む際にはどのような信念をお持ちですか。
中島 「リアルの世界で人を幸せにするビジネスをする」ことを信念にしています。書籍関連サービスからEQ(Emotional Intelligence Quotient)に出会い心理学をもとにした事業を考案したり、メンタルヘルスやストレスケアをサポートするような事業に関わってきました。バーチャルの世界を充実させるのもいいとは思いますが、やっぱり僕らはリアルな世界で生きているので(笑)。だから僕は、このリアルの生活が豊かになるような事業を創っていきたいのです。
田口 ビジネスと並行して携わられているNPO法人コモンビートではどのような活動をされているのですか。
中島 18歳以上なら誰でも参加できるミュージカルプログラムです。毎回100人のメンバーを募集してミュージカルを練習し、1000人以上が収容できるホールを借りて、100日後に観客に披露します。応募者にはご高齢の方もいれば身体が不自由な方もいますし、演技やダンス、歌唱の素人の方も少なくありません。100日後と言っても学校や仕事もあるので実際には20数日間くらいしか練習期間はありません。それでも本番は有料で毎回満席になりますし、スタートから20年間で累計24万人の観客を集めています。
コモンビートを始めた頃、日本では若者のニートが社会問題となっていましたが、僕の周りにいた20歳前後の人たちはものすごく元気だったので、大人たちが言うことを聞かない若者に対してレッテルを貼っているようにしか見えなかったんです。大人がやるべきは若者たちのエネルギーを社会に向けていく道筋を作ることだと考えて、仲間たちと共にコモンビートを設立しました。ミュージカルをテーマにしたのは、地球一周した際に乗っていた船の中でアクティビティとして催されていたミュージカルを見た影響ですが、多様な価値観を認められる社会を作るためには、色や形や高さがバラバラでも美しい花畑のようなものを作り、多くの人に披露していくことがいいのではないかと考えたからです。
当初は課題も多く、資金もなかったので、運営メンバーでお金を出し合っていました。幸い1回目から多くの観客を集められたので順調に利益を蓄えられ、1年半ほどで組織の資金で回していけるようになりました。
田口 お金を払ってでもステージ上で自己表現したいと考える人がいることや、お金を出して得る価値の捉え方が変わっていることがわかりますね。コモンビートはそこを上手く捉えられたのだろうと思います。
中島 そうですね。加えて、コモンビートは全員が主体者であり決定者です。今で言うティール組織のような形で運営できた点も大きかったと思います。その頃のベンチャーはトップダウン経営が主流でしたが、みんなの思いを表現するためにボトムアップ型で進めていましたし、僕はそれを支える役割を担うことに注力していました。この経験から組織やコミュニティの運営に対する捉え方は変わったとも思います。
田口 中島さんは「共感」をキーワードに起業の方法やビジネスのあり方をまとめた「共感起業大全」を上梓されています。僕のイメージでは、共感が好きな人は資本主義や経済を嫌っていて、起業やビジネスが好きな人は共感を嫌うことこそないものの、あくまでも手段として用いていると感じます。共感と起業を結びつけて語れる人は意外と少ないと思いますが、この本では両方を大事にすべきだと謳っている点が面白かったです。
中島 共感は価値観の重なりによって生まれる感情だと捉えています。例えば「木でできた部屋はいいね」という意見に対して、「木のにおいがいいね」「見た目がいいね」「心地いいね」というように幾つもの価値観が湧いていくことで共感になっていきます。共感が表面化されると希望や期待、応援といったものにつながっていき、それらは自分をモチベートするものにもなります。
ただ、「僕に共感してください」と声高に言っても簡単には共感してくれませんよね。そこでポイントになるのは代弁です。例えば大谷翔平選手には多くの人が共感しています。言動や立ち居振る舞いも素晴らしく、全国の子どもたちにグローブを配るなど未来の子どもたちを応援するなど、僕たちが持つ希望や価値観を代弁してくれているんです。僕たちは大谷翔平選手のようにはなれないし、魅力ある人になるのも簡単ではありませんが、自分らしい価値観を持ち、社会の小さな声に耳を傾けたり、誰かの代弁者になったりすることで、愛され応援され続けるビジネスの根幹を作っていけると思っています。
田口 僕もコミュニティについて常日頃考えていますが、繋がりを持つこと自体が目的になってしまうと、コミュニティ形成が上手くいかないと思っています。多くの人が繋がり合い「面」となっていき、二次元の広がりができてきます。しかし、この二次元であるx-y軸でつながりを求めるのではなく、z軸となる共通の目的を持つことでコミュニティが強固になっていくのだと、本日お話を聞いて再認識しました。コミュニティを広げていきたいのであれば、自分自身に興味を抱かせるのではなく、皆が関心を持つことを見つけ出し、その方向性を指示して互いに協力し合うことが大切ですね。
中島 ビジネスにしてもコモンビートのような活動にしても、色々な人の手を借りてやっているので自分のものだなんておこがましくて言えませんし、組織の代表というのも役割でしかないと思っています。
田口 「代表」は「代わりに表に立つ」という意味ですからね。偉いから前に出ているわけではなくて、皆の代わりに前に立つんだと。中島さんご自身がかつてミュージシャンとして活動していたからこそそういった意見を持てるのでしょうし、そこが共感を得られるポイントなのだと感じます。
中島 でも僕が共感を得られているかどうかは僕が判断することじゃないし、受けている感覚を持ちすぎると勘違いをしてしまうこともあると思うのです。すごい能力を持っているわけでもないし、成功者でもありません。でも逆に、みんなの想いを形にするために起業したり、こんな素敵な仲間がいるんだよと代弁することはできます。
田口 そうは言っても、実際には共感を集められているからこそ今があるのだろうと思います。今後についてはどのようにお考えですか。
中島 日本の起業率は先進国の中でも得に低い現実があります。その背景には、SDGsやソーシャルに関することが大事なのはわかるけれど、この資本主義社会で本当に起業しても大丈夫なんだろうか?と起業家が不安を抱えていることも関係しているでしょう。ビジネスは様々なものがハイブリッドされながら行われるものですし、当然キャッシュも生み出さないといけません。そうした中でもしっかりと自信を持って進んでいけるような人を支援したいと思っています。そうすることで世界で活躍する人の手助けができますし、これから事業を始めたいと考える人たちの目標を作ることにもつながりますから。
田口 本当にこれほど濃密な人生を歩んでいる人はなかなかいないだけに、とても心に刺さる言葉を数多くいただけました。興味深いお話をありがとうございました。
田畑で遊ぶ幼少期、音楽に明け暮れる学生時代を過ごし、18歳で起業。 音楽配信ベンチャーを創業するも、ITバブルのなか会社は買収されるが、その後地球一周の旅をする中で、社会の価値観に疑問をもち、ビジネスで社会課題を解決しようと決意し帰国。NPO法人コモンビート、株式会社HASUNAなど、スタートアップからNPOまで約30社の起業や経営、500人を超える起業家を支援。現在はアントレプレナーシップの研究を行い「共感起業」を提唱。ウェルビーイングな起業を目指す起業家を増やすことに取り組む。著書に「共感起業大全」など。