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日本IBMで共創をテーマに活動しながら、マイノリティの人々の就労支援にも取り組むなど積極的に活動を展開する八木橋 パチ 昌也氏。これまでバンド活動、ワーキングホリデー、大企業での社会人生活など、変化に富んだ人生を歩んできました。その過程で経験した数々の挫折と学びが、今の財産になっていると語ります。
3×3Lab Futureでも「パチさん」の愛称で親しまれる八木橋氏と田口真司との対談から、パチさんの行動の源泉が見えてきました。
田口 今日は八木橋さんの生き方を伺いながら、大事にしている考えなどお話頂きたいと思います。まずは現在取り組まれていることを教えてください。
八木橋 仕事では共創するパートナーを増やし、関係性を深める活動をしています。受発注の関係にある企業だけではなく、NPOやNGO、学生なども巻き込み、彼らと共に社会をより良くする方法を考える機会をつくっています。
また、社外ではマイノリティの方々の就労支援をしています。自分の中では「誇りある就労」という言葉をキーワードに動いていて、会社に所属することを後押しするだけでなく、自分で生きる術を身につけること自体を支援する取り組みです。
田口 活動内容を聞くと、すごく真面目な印象を持ちます。
八木橋 もともと「社会がどうなろうとも俺は俺で生き抜いてやるぜ」と考えるような人間なので、真面目さが求められることに対して少し居心地の悪さがありますね(笑)。
田口 そう感じるのは、どんなところにルーツがあると思いますか。
八木橋 5歳上の姉の存在が大きいですね。俺は姉のことが大好きでリスペクトしているけど、彼女は真面目で優秀で、おまけに柔道もすごく強かった。それだけに幼い頃から、無意識のうちに周囲から比較されないようにしていました。その思考が人格形成に影響を及ぼしているのかな。
田口 八木橋さんは大学には進学しなかったそうですが、それは「逆張り」ですか。
八木橋 そうかもしれません。中学生の頃から楽器を始めて、すぐにバンド活動が生活の中心になったんです。高校生の頃にはバンド以外はアルバイトばかりしていたし、「バンドマンが大学に行くなんてかっこ悪い」と考えていて(笑)。 ただ、その後しばらくして、力を入れていたバンドをクビになりました。その後のバンドもうまく立ち行かなくなり、そこでバンド活動をスッパリと辞めることにしました。田口 その経験は、ご自身の中で大きな衝撃だったのでは。
八木橋 バンドを脱退せざるをえなかったことは、人生最初の大きな挫折でした。その次のバンドでも、良かれと思ってやったことが、後で振り返ると独善的だったとも感じました。こんな気持ちを引きずったままバンド活動は続けられないと思いましたね。
バンドを辞めた後、やりたいこともなく過ごしていた俺を見かねて、当時の彼女、今のカミさんが「目的もなくダラダラしているだけならワーキングホリデーに行ってみない」と誘ってくれて、お互い英語も話せないのに、ニュージーランドに行くことになりました。
田口 特に伝手や見込みがあったわけではないんですよね。
八木橋 そうなんです。ニュージーランドで仕事はなかなか見つかりませんでしたが、日本人と知り合いになって、サポートしてもらいながら生活していきました。出発前にある程度お金は貯めていましたが、現地でも収入を得ないといけないので、色々工夫していました。大変でしたが、自然と英語も話せるようになったし、サバイバル力が身についたことはすごくいい経験でしたね。
田口 日本に戻ってからは。
八木橋 本当はニュージーランドで暮らし続けたかったのですが、就職先が見つからなくて。帰国後も再度渡航を目指して英語力を維持できる仕事を探し、特許翻訳を始めました。そうこうするうちに、今度はカナダのバンクーバーにワーキングホリデーに行くことになりました。バンクーバーもいい街だったので暮らし続けたいと思いましたが、ここでも職探しが上手くいきませんでした。でも、英語力は自分の大きな武器だと気づくことができた1年間でしたね。
戻ってからは日本IBMのマーケティング部門で派遣社員として働き始めました。英語も活かせる職場だったので、すぐに馴染み、気づけば6年経っていました。
田口 正社員の誘いもあったのでは。
八木橋 ありがたいことに何度か誘ってくれましたが、「今さらネクタイを巻いて働くのは性に合わない」と冗談交じりに断っていて(笑)。その後、コンビを組んで働いていた人が転職して、「スキルと交渉力のある人間が必要だから来てくれないか」と誘われ、37歳で初めて正社員になりました。
でも、そこで人生2回目の大きな挫折を経験しました。前職では仕事ができる方だと思っていたし、だからこそ誘ってもらったはずなのに、期待されたような動きができなくて。眠れない、食べられない、笑えない、心が折れていましたね。
そんな日々を過ごしていたところ、再び日本IBMの人から声を掛けていただけました。誘ってくれたのは、以前は喧嘩ばかりしていた人。その分俺のことをよく知っていて、一緒に働いていくうちに好きになっていきました。その頃から、この人と働きたいから働く、俺を求めてくれるところで働く、という意識を持つようになっていったように思います。その後の社内転職(異動)を振り返ってみても、自分を評価してくれる人の期待に応えたかったわけで、やっぱり自分を評価してくれる人のところで生きるのが心地良いんだろうと思います。
田口 評価にもいくつかありますよね。自分に関係する人からの評価なのか、まったく違う分野の人からの評価なのか、万人からの評価なのか。八木橋さんが欲しいのはどれですか。
八木橋 俺は自分自身が良いことをしていると感じられる瞬間が、それなりの頻度で欲しいです。それは自分だけで感じられるときもありますが、周囲から「それめっちゃいいじゃん」とやっぱり言ってもらいたいですね。だから他者からの承認を必要としていることは認めざるを得ない(笑)。
以前、スコットランドのエジンバラで数ヶ月暮らしたことがあります。その際にリモートで仕事をしていたら、時差の影響もあって人とのコミュニケーションが極端に減ってしまいました。仕事に対するフィードバックもないし、ちょっとした雑談の中で「この前の仕事、よかったね」と言ってもらうこともなくなり、仕事の手応えも感じられなくて、精神的にダメージを受けてしまいました。
その時は一週間ほどで気持ちを切り替えられましたが、落ち込み具合としては過去の挫折に匹敵するくらいでした。この体験をしたことで、俺は人から評価されたり承認されることを求めていると改めて気づけました。どんな仕事でもその先には喜ぶ人がいるとよく言われますが、俺の場合は喜ぶ人が近くにいてほしいのだと自覚しました。
田口 最近では「承認欲求」という言葉はネガティブに捉えられてしまうケースも多い中で、ご自身から「承認されたい」と口にするのは勇気がありますね。でも考えてみると、仕事に対して「手応えがほしい」と誰もが口にしますし、それと同じですよね。
お話を聞いていると、冒頭で紹介いただいた「誇りある就労」というキーワードと、他者からの承認というものは結びつくものではないかとも感じました。
八木橋 就労支援をするにあたって、いろいろな人に「あなたにとって誇りある就労とは何ですか?」という質問をしたところ、「自分の仕事を、自信を持って自慢できること」と答えてくれた方がいました。その言葉を聞いた時に深く同意できたんです。俺は仕事が好きですが、多くの時間と労力をかけるものでもあるから、やっぱり認めてもらいたいし、自慢したいし、それは当たり前だと思いました。逆に言えば、仕事において承認欲求が無いなんて嘘っぱちなんじゃないかとも思えました。
田口 "being(存在)"への承認ではなく"doing(行動)"、つまりどんなことをしたかに対して承認して欲しい、ということですね。
八木橋 doingに対する承認があってこそ、自分で自分を承認できるようになると思います。 そして他者からの承認を求めてはいますが、それと同時に、どんな仕事にせよ、「弱い立場にいる誰かを利用することにつながっていないだろうか」と自身で考えることも心掛けています。せめて自分でコントロールできる範囲だけでも搾取に加担しない選択をして生きていきたいですね。
田口 今後、どういう活動をしていきたいとお考えですか。
八木橋 本当の意味で良いことをしたい、というのはこの何年かずっと考えています。そのひとつとして取り組んでいるのが、「誇りある就労」をキーワードにした活動です。この活動は世の中にとって良いことだと言われたいし、評価されたいとも思っています。
ただ、俺自身は良いことを主軸にした働き方をしたいけど、それは経験や金銭的な蓄えを持っていたり、今後の生活の目処が立っているから言えることだとも感じています。NPOの職員が「この給料じゃ暮らせないから...」と結婚を機に一般の営利企業に転職するという話も珍しくない中で、若者に「金なんか無くてもいいから、やりたいことをやれ」と言えるだろうか、と疑問に思うことも。
田口 八木橋さんは、誰かに言われたことをやって認められたいわけではなくて、自分の内なるパワーでやったことに対して認められたい人だと思います。そうした生き方があると、若い人たちに伝えることには意味があると思います。
八木橋 俺が若い頃は、新自由主義的な考えが広がった時代でもあって、世の中的にフリーターという存在が許容され、もてはやされていました。ある意味で自分もそこに乗っかっていたわけですが。時代によって言われていることには、裏に何らかの思惑があることも多いですよね。だから社会の流れに乗っかるのもいいけど、何かあった時に後から人のせいにするのはクールではないと思うので、それならば自分が本当に好きなことを考えて行動する方が良いと思うんです。そうすれば必ずどうにかなるとは言えないけど、一応「どうにかなった例がここにいるよ」、とは言えるのかな。
田口 答えがわかった上であえて伺いますが、八木橋さんは自分の人生に後悔してないですよね。
八木橋 うん、まったくしてない(笑)。
田口 若い人たちにも、そう言い切れる人生を送ってほしいです。これだけ様々な経験をされた方のお話が聞けて楽しかったです。今日はありがとうございました。
バンドマン、ワーキングホリデーを利用した海外生活などの後に2008年に日本アイ・ビー・エムに入社。ウェブ・プランナーとしてソフトウェア事業のウェブサイト再構築や中国大連のウェブ制作チームを立ち上げる。その後、CIOサービス部門に異動し、コラボレーション・エナジャイザーとして企業内外のソーシャル・コラボレーション・ツールの推進を担当。近年は「誇りある就労」をキーワードにマイノリティの就労支援等にも取り組む。