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エコッツェリア協会はこれまで自治体と人事交流を行ってきました。そのひとつである奈良県は、これまで民間企業への長期職員派遣を行っていませんでしたが、2023年に初めて職員を出向させました。その草分けとして選ばれたのが柴田柾彦さんです。
県初の民間企業出向者という重責を担った柴田さんに在籍した2年間について問うと、開口一番「楽しかった」という言葉が返ってきました。個人としても奈良県としてもターニングポイントとなった今回の出向で、柴田さんは何を得たのでしょうか。
田口 まずは東京での2年間を振り返っていかがですか。
柴田 一言でまとめると楽しかった2年間でした。多くの人や地域に出会い、経験したことは、自分にとっても貴重な財産だと思っています。思えば、出向する際に当時の湯山壮一郎副知事(現・こども家庭庁長官官房参事官)から「2年間の東京生活をまずは楽しんで来なさい」と言われたのですが、「楽しむ」は東京における自分のキーワードになっていたとも思います。
田口 それでは今日はそのキーワードを軸にしてお話を伺っていきます。まずは県庁職員になったきっかけを教えてもらえますか。
柴田 大学時代に、県庁にいた知り合いから聞いた「県庁にはいろいろな部署があって数年ごとに異動して様々な経験を積んでいく」という言葉から、働いていくうちに適性を見出せるかもしれないと考えたことがきっかけでした。
最初に配属されたのは災害対策などを行う防災統括室です。公務員の働き方といえば定時上がりのイメージを持たれがちですが、防災統括室に入ってすぐに緊急対応に備えた泊まり込み(宿直)があり、面食らったことを覚えています。
防災統括室には4年弱ほどいて、その後は土木事務所に異動しました。ここでは道路拡幅や河川改修のための用地買収が主な業務でした。対象地域の区長さんに間に入っていただき、説明会を実施して土地の所有者の方と交渉するという流れが通常のものでした。
田口 用地買収では、一軒の反対にあったとしても、そのために計画を曲げることはあまりありませんよね。つまりほとんどは計画通りに進むわけですが、最終的にはどのように納得していただいていましたか。
柴田 土地を明け渡すということは、そこに暮らしていた方の生活が一度壊されるわけです。中には先祖代々守り続けてきた土地に関して交渉したケースもありました。「お前には私の気持ちはわからんやろ」と言われたことは何度もありますし、どれだけ想像しても彼らの気持ちを本当の意味で理解できていなかったかもしれません。それでも、県としても事業を行う理由があるんです。例えば、交通量が多いのに道幅が狭いから渋滞が頻発するとか、河川幅が狭いから洪水による災害を引き起こしかねないとか。計画を実行できなければ県民の皆様の生活が不便なままだったり、危険が及ぶ可能性があるので、最大限気持ちは寄り添いながらも、計画の重要性や実行しなかった場合の危険性などを説明していきました。そうすることで、100%納得はせずとも了承はしていただけたケースもあるのかなと思っています。
田口 社会課題解決のために活動をしていく中で、誰かひとりだけが我慢している状態は、一時的には物事を進められても、持続的な問題解決には至らないと感じます。今の柴田さんの話はそこに通じるものですね。
柴田 そう思いますね。もちろん、用地買収では地権者の方に我慢や不便を強いてしまうこともありますが、それでも相手目線に立って考えることは用地買収の経験で学べたと思います。
田口 そして東京に来ることになったわけですが、それはどのような経緯だったのでしょう。
柴田 大阪で過ごした大学生時代以外はずっと奈良にいたのですが、被災地に派遣され県外で仕事をする中で、一度東京に出てみたいと思うようになり、東京への勤務希望を出していました。ただ、奈良県は民間企業への派遣をしたことがなかったので、東京事務所での勤務や中央省庁への出向だと思っていたところ、奈良県でもイノベーティブ人材育成のために民間派遣する話が出てきて、僕に白羽の矢が立ちました。驚きつつも東京に行ける喜びがありました。
田口 柴田さんの場合、奈良から東京という地域面に加え、行政から民間という組織の変化もありました。いわば2つの飛び地を経験したわけですが、実際に東京に来てみていかがでしたか。
柴田 初めの2ヶ月は日々過ごすことで精一杯で、時間が流れるように過ぎていましたが、徐々に行政と民間のギャップも感じるようになっていきました。最も印象的だったのはスピード感です。県庁では、だいたいのことは伺いを立てて、同じ部署のメンバーや上長の決裁を経て、物事が一歩一歩着実に進んでいきます。一方、こちらでは自身でやると決めれば、要所要所では伺いを立てたりメンバーに相談したりするものの、細かいところは自分の判断で動くことができます。仕事がスムーズに進む気持ちよさはあるものの、同時に自分に責任が生じるというプレッシャーもあるわけで、判断を誤らないよう、後手に回らないよう、常に身を引き締めないとと思っていました。
田口 県庁の場合は役割がはっきりした組織だということですよね。一方、3×3Lab Futureは、みんなで考えてみんなで手を動かすのが当たり前。指示を出す人と受ける人もその都度変わります。そのあたりも慣れないポイントだったのでは。
柴田 たしかに、学生の頃や県庁にいた頃は自分が指示を出す経験はあまりなかったですね。でも、それまで持っていた常識は通用しないし、周囲に指示を出すためには自分自身がもっと深いところまで理解していないといけないと痛感しました。そうした経験を積めたことで、自分の意見を発信する際に、なぜそうした解釈に至ったのかをきちんと説明できるようになったと思います。
田口 東京に来てから落ち込むことはありましたか。
柴田 何度もありましたが、出向1年目の年明け頃が、いちばん気持ちが落ち込んだ時期でした。それまで忙しい日々を過ごしていたものの、誰かが道を切り開いてくれた業務が中心で、自分で一から生み出す・考える機会はあまり多くなかったんです。そんな中、自分が主導して奈良県に関する企画を立ち上げようとしたところ、何がしたいのか、何を伝えたいのか、といった根本的なところでさえうまくまとめることができなくて。「赴任してからずっと頑張ってきたし、多少は成長できたつもりだったけど、勘違いだった。何もできないのか...」と感じて、今までやってきたことは何だったんだろうと、とても落ち込みました。
田口 実際には形にすることはできたわけですが、当時はそんな気持ちがあったのですね。でも、それはいい経験にもなったのではありませんか。
柴田 おそらく田口さんをはじめとした周りの方々にお膳立てしていただいた方がスムーズに進んだと思いますが、そうしていたら自分の実力を把握できていなかったでしょうし、企画を通して本当にやりたいことについても深掘りできていなかったはずです。だからこそ、周囲を頼ってアドバイスはいただきながらも自分が主体で考えることで、無事にイベントを開催でき、参加者からもお褒めの言葉をいただけたことは、すごく嬉しかったです。
同じ時期にもうひとつ忘れがたいことがありました。丸の内プラチナ大学の逆参勤交代コースの講師を務められる松田智生さん(丸の内プラチナ大学副学長/三菱総合研究所主席研究員)と一緒に仕事をしていたところ、僕がありえないミスを連発してしまって「自分の会社の新入社員にもこんなこと言わないよ」と叱られたことがありました。所属組織が異なる松田さんからすれば、僕を育てる義務はないでしょうし、担当を変えてくれと言うことだってできたはずです。それでも本気で叱ってくれたことで、自分の至らない部分を再確認でき、反省するきっかけになりました。あの言葉があったからこそ復活できたとも思っています。
とはいえ、当時落ち込みはしましたが(笑)、そんな時に逆参勤交代コースの受講生の方々が飲みに誘ってくれたんです。皆さん、普段は大丸有エリアの大企業に勤めているなど素晴らしい経歴をお持ちの方ばかりで、年齢も経験も立場も僕とはまったく違うのに、気さくに付き合い、慰めてくれたことは率直に嬉しかったですね。
田口 柴田さんがエコッツェリア協会に派遣されたときは、長倉有輝さん(2022年度〜2023年度にかけて宮崎県庁より出向)が在籍し年齢の近い先輩が身近にいましたね。
柴田 初めてお会いした時は、同年代でこんなに仕事ができる人がいるんだと驚きました。自分と比べてしまい落ち込むこともありましたし、僕の出向1年目が終わる頃には、「次年度は後輩が入ってくるのに、自分は長倉さんみたいに立派になれていない。このままで大丈夫かな」と不安な気持ちもありました。だからこそ見習い、追いついていこうというモチベーションを持ちながら働けたとも思います。
田口 出向2年目を迎えると、今度は宮崎県庁と長崎県庁から出向者が来て、先輩になりました。1年前の自分と同じような境遇の後輩が増えたことは、柴田さんにどのような影響がありましたか。
柴田 二人から質問される中で、実は自分もしっかり理解していないことが多かったと気づかされました。それで、過去の資料を読み返したり、他の人に話を聞いたり、まち歩きの機会を増やしたりして、自分も知識をつけるようにしていきました。先輩後輩という上下関係ではなく、横並びで一緒にやっていくイメージを持つようにしていました。後輩の存在があったからこそ、いろいろな学びを得られたと思います。
田口 柴田さんも出向で来ている立場で、後輩にいろいろなことを教えてくれたのは感謝しています。
柴田 3×3Lab Futureの皆さんにはいろいろなものをもらいました。もらうだけではなく、自分もそうしたい、とは思っていました。少しでも誰かに何かをあげられたならよかったです。
田口 「恩送り」という言葉があります。受けた恩を直接その人に返すのも勿論良いのですが、また別の誰かを助けることで恩を送っていくのはすごくいいので、続けて頂きたいですね。
柴田 そう言われてみて、3×3Lab Futureに来てから「それは自分の仕事ではないからやりません」という感覚は持たなかったし、自分以外のメンバーもそんなことは言わなかったことに気づきました。みんなが、自分が主担当でなくても自然と周囲を手伝っていましたからね。そんな環境にいたからこそ、自分がしてもらったことは誰かに返すのは自然なことだと解釈できるようになったと思います。
田口 この2年間の経験から、他の地域と比較した時に見えた奈良県特有の課題について感じることはありますか。
柴田 奈良県は、奈良市の都市部や盆地エリアに人口や観光資源が集まっている分、それ以外の地域は県外の方にあまり知られていません。以前に奈良県の南部・東部地域にあたる「奥大和」に関するイベントを開催したところ、そもそも奥大和について知らない方が多く、知名度の低さや関心の偏りに驚きました。それと同時に、自分も奈良市内出身で、地元が有名な観光地だったこともあり、他の地域に向ける意識はそれほど強くなかったことに気づかされました。一度外に出て距離を置いて奈良を見ることで、奈良県が持つ魅力を理解できるんだろうと思えるようにもなりました。
田口 では最後に、柴田さんのように地域や組織を越境してチャレンジする人に向けてメッセージをお願いします。
柴田 知らない世界に飛び込み、環境も人間関係も一変する越境は、楽しみな一方すごく不安で怖いものだと思います。ただ、自分が思っているほど周りの人は敵ではないんです。むしろ味方となる人の方が多いはずなので、気負わずに自然体で過ごせるといいのかなと思います。
ただ、どれだけ環境や人に恵まれていたとしても、どれだけ楽しく仕事に取り組めていたとしても、どこかでしんどい日々が来るタイミングはあると思います。そんな時はマイナスの事象も潔く受け入れて、もう一度楽しい方向に目を向けられたら、もう一度前に進もうと思えるし、幸福度は上げられるのではないでしょうか
1994年奈良県奈良市生まれ。2017年、奈良県庁入庁。2023年より奈良県庁から三菱地所株式会社・エコッツェリア協会へ出向。3×3Lab Futureにて、地域連携担当として逆参勤交代プロジェクトや連携協定先自治体との連携企画をはじめとした各種企画・運営に従事。2025年度以降は奈良県庁に帰任し、ファシリティマネジメント室に配属。有効活用されていない県有資産について、民間事業者への売却を含めたあらゆる手法を模索しながら、その活用や処分の検討に関することに注力している。
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