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未来志向型ビジネスや新しい生き方・働き方を学び、人生をソーシャルな方向へと向かわせるためのヒントを得るSocial SHIFTテーブルコースのDay5が1月26日に開催されました。講師は一般社団法人ソーシャルビジネス・ネットワーク事務局長の石井綾氏。石井氏は広告代理店勤務やソーシャル・マーケティング専門会社の設立、日本初となるソーシャルビジネスの全国組織設立に携わった経歴の持ち主です。同コースは毎回ゲスト講師にゆかりのある地域食材を使った料理や銘酒をいただきながら、くつろいだ雰囲気の中で語らいの場が設けられることも特色で、2023年度のコース最終回でもあるDay5は、高知県柏島で環境保全と地域活性化に取り組むNPO法人黒潮実感センター長の神田優氏をお招きし、柏島での地域社会と一緒に取り組む環境活動の経緯や実態についてのお話を伺いました。今回は柏島でとれたアオリイカやマグロ、カマスなどの海産物、菊芋や地鶏の卵などを使った料理と高知の地酒を並べ、神田氏を囲みました。
ゲスト講師の神田氏は高知市の景勝地の桂浜の近く長浜生まれ。歩いて行ける距離に太平洋があったこともあり、幼少期から生物学者になるという夢を抱き、その後趣味の釣りやダイビングが高じて魚類学者になりました。神田氏は「水生生物」と自称するほど海の中で時間を過ごすのが好きだそうで「最も欲しいものはと聞かれたら迷わず『エラ』と答える」ほど。そんな神田氏が海のフィールドミュージアムをつくりたいと1998年に柏島に移住し、2002年に黒潮実感センターを立ち上げ、現在まで20年以上柏島に住み続けながら研究活動を続けています。
柏島は高知県大月町の西端にある島で、豊かな海洋環境に囲まれています。最新の研究では柏島には1,150種類を超える魚が生息し、その数は日本一。また古くは湾内にある定置網に1日でキハダマグロが2,400本も入ったこともあるほどの好漁場でもあり、現在では湾内ををイルカが泳いでいる姿を目撃できる島です。神田氏は柏島の魅力を次のように語りました。
「人と魚の距離が非常に近いですね。魚が人を恐れず逃げないので、海に潜っていると触れるぐらいの距離にいます。私は晩御飯の時間になると海に行き素潜りで魚をさっと捕まえてきます。子ども達に『海は我が家の冷蔵庫』だから、ほしいものはすべて海にあるから好きな時に好きなだけ取りに行けばいいと話しているんです」(神田氏)
また、柏島は透明度が30メートル以上にもなるの澄んだ海でも有名です。イタリア最南端のランペドゥーザ島は海の透明度が高いために船が空を飛んでいるように見えると言われていますが、数年前に「日本にもランペドゥーザ島があった」と話題を集めた柏島でもターコイズブルーの海が広がっています。
このような日本でも有数の海洋環境に囲まれた島で神田氏が設立したのが黒潮実感センターです。同センターは「50年、100年先も人と海が共に豊かに暮らせるような里海をここに作りたい」という想いで設立されました。里海(さとうみ)という言葉は神田氏の造語で「人が海からの恵みを一方的に享受するだけでなく、人もまた海を耕し、育み、守るという思いを込めた」そうです。黒潮実感センターは、柏島の豊かな自然環境や人々の暮らしまで含めて島全体を丸ごと博物館にするというコンセプトのもと、マリンスポーツ、海洋生物の学習体験、後半でご紹介する藻場の再生事業、物産販売など様々な活動を展開しています。
「まず自然が実感できる取り組みとして調査研究やエコツアー、セミナーなどで柏島に素晴らしい自然があることを知ってもらいたいです。様々な事業を通じて多くの方々に豊かな自然環境を活かした暮らしづくりをお手伝い、そして資源の搾取一辺倒にならないよう、保全活動も行いながら持続可能な里海づくりに繋がってほしいです」(神田氏)
黒潮実感センター長を務める一方で、神田氏はこれまで地元住民と移住者が海という地域資源をめぐり対立するなか、時に仲裁者として、時に研究者として共存できる方法を模索し続けてきました。神田氏のように地域に定住し研究者、生活者、当事者という多面的な顔を持ち地域の課題解決に向けた研究活動を行う人をレジデント型研究者と呼ぶそうです。このレジデント型研究者について神田氏は「研究者としての客観性を担保しながらも、生活者としての主観性をもっていなければならない。その間でいかにぶれずにやっていくかということが難しい」と語りました。
柏島での問題が生じたのは、島の産業が「漁業の島から海洋レジャーの島へ」大きく変化したことが発端でした。
「柏島は当初は一本釣りや定置網などの『獲る漁業』の島でした。しかし獲りすぎて資源の枯渇や魚価低迷を招いたため、ブリやマダイ、クロマグロなどの養殖という『育てる漁業』へと移行したのです。しかしそれも海洋汚染や漁価の変動の影響を受けるために、一部は海洋レジャーである磯渡しや船釣りといった『釣らせる漁業』や『見せる漁業』であるスキューバダイビングへ変化してきました」(神田氏)
特に2000年ごろには多くのダイバーが柏島を訪れるようになり、外周わずか3.9キロメートルの島に14軒ものダイビングショップが立ち並びました。空前のダイビングブームを受け「海洋レジャーが漁業よりも儲かる産業となったため、地元の漁業者と島外者のダイビング業者の間に揉め事が起こるようになった」とのことでした。柏島でダイビング事業を先駆けて始めていた神田氏とは異なり、新規ダイビング業者たちと漁業者はあまりコミュニケーションをとれていなかったようで関係が悪化していきました。
このような両者を共存させるため神田氏は解決策としてルールをつくり始めました。その際に大切にしたのは白黒つけないことだったと神田氏は語ります。
「地元の漁師さんは『我々は漁をしてきたから漁業権がある。海は俺たちのもの』と考える一方で、ダイバーは『密漁など違法行為がなければ海はみんなのもの。どこで潜ってもいいはず』と主張し、両者は真っ向から対立することになりました。それぞれの主張を裁判により白黒つけたら、今後も一緒に暮らす人たちの間に勝ち負けができ、分断されてしまいます。グレーゾーンの調整が必要でした」(神田氏)
神田氏は大好きだったダイビングの仕事を辞め、中立の立場で両者の間に入り、ダイバー側の意見のとりまとめや両者の話し合い、ルール調整の場を設けることなどに注力しました。その際は長期的な視点で両者が共存できるように留意したのです。
「地元に住み続けてきた漁師と後から来たダイバーの間で初めから五分五分のルールなんてできない。最初は例えば漁師が7、ダイバー3ぐらいのルールを作ったうえで、お互いを知ってもらって信頼関係を築いていく中で五分五分にゆっくりもっていくことにしました」(神田氏)
しかし、このようなルールだけでは両者の関係改善につながらないため、ダイビングやレジャー客が来ても地元の漁師に金が落ちないという漁師側の不満を解消すべく、地元料理や特産品を販売する「里海市」を開催しました。里海市は地元住民と観光客が交流できて、柏島に観光客が来てくれるメリットを地元住民にも還元できるような場となっていきました。
「ダイバーを追い出すのではなく、漁師の客にもなってもらう。トライアルを実施したところ、売り上げもよくて、普段自分たちがおかずとして食べているものがこんなにも喜んでもらえるのだということを知って地元住民、漁師も自信をつけていきました」
両者の関係改善に最も効果があったのが海の森づくり事業です。この事業のおかげで「両者の関係は非常に良いものになっていった」と神田氏は振り返りましたが、それまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
アオリイカが不漁だった時期、ダイバー急増と重なったこともあり、漁業者らは不漁の原因がダイバー側にあると考え、追い出せという声を上げていました。しかし、海洋生物学者でもある神田氏の調査では、アオリイカ減少の原因は柏島の海の磯焼けだと考えられました。アオリイカは柏島では「モイカ」と呼ばれ、春先に海中の藻に卵を産み付けていましたが、磯焼けによって産卵できる藻場が減っていたのです。神田氏は「ダイバーを追い出したらイカが本当に増えるのか。問題はどうやってイカを増やしていくかということであって、むしろ漁業者とダイバーが協力してイカを増やす努力をしてはどうか」と漁業者に提案したのです。神田氏の提案は、地元に伝わる漁法からヒントを得て、ウバメガシという樹木を海底に固定し人工の産卵床とし、産卵環境を整えることでした。そしてその設置には漁師とダイバーが協働する必要がありました。山で伐採したウバメガシを漁師が船で運び、ダイバーが潜って海底に留めていきました。このような人工産卵床は初年度から大成功を収めることになり「他の地域では1本の産卵床に数十から数百の房がついたら大成功と言われているが、初年度は10,000房が付いた」のです。こうして神田氏が間に入りながら、漁師とダイバーがアオリイカの産卵数増加という目に見える形で協働の成果を上げていきました。
この協働は続き、2年目はウバメガシではなく、廃棄予定の杉や檜等の間伐材を使用することでより効率的に天然資源を活用しましたが、多くても5,000房と産卵数が減少しました。この産卵数減少を受け、学者魂に火が付いた神田氏は海に潜りながら「イカ目線になって」観察を続け、その結果広葉樹と針葉樹の枝ぶりの違いで産卵のしやすさが異なることに気づきました。広葉樹のウバメガシは枝が広がっておりイカが枝の間に入っていきやすいものの、針葉樹である杉や檜は枝同士が密で入っていくスペースがないため、卵を産み付けにくい構造になっていました。そこで3年目は枝を剪定する工夫をこらしたところ15,000房の卵が産み付けられるようになりました。
さらにこの事業は森と川と海はつながっているということを子どもたちに知ってもらうための環境教育プログラムになりました。神田氏は「この海の森づくり事業は、ダイバーと漁師の関係改善のために始めました。しかしそれに止まらず、森と海のつながりを学ぶ子どもたちに、漁師、ダイバー、林業関係者の3者が協力する関係を示すことができました。20年前は地元とよそ者の対立事例として柏島が紹介されていましたが、今では優良な事例になれたのです」とその意義を語りました。海の森づくりの仕組みは、現在アオリイカのオーナープロジェクトとして引き継がれ、全国誰でも杉や檜を購入することで柏島に「マイ産卵床」を持つことができるようになり、広域からの支援を受け付けています。同プロジェクトによって「これまでとは違った層の新たな関係人口の創出に繋がって」(神田氏)います。神田氏は海の森づくりについて「漁師やダイバーが協働して生物多様性の維持と水産資源の増殖を目指す、持続可能な里海のモデルになっていると思う」と話を締めくくりました。
講師の石井氏は神田氏の事例をソーシャルビジネスとしてみた場合、成功要因は神田氏がネゴシエーターであったことだと語りました。
「ソーシャルビジネスを成功させるためには、起業する方だけではなく、多様なスタークホルダーと交渉してつなげる存在がすごく重要です。ネゴシエーターは色々な立場が分かる人でなければなりません。神田氏は学生時代に柏島に住み、漁協とも懇意にしてきました。さらにダイバーでもあり、よそから来たダイバーの気持ちもわかる。さらに研究者としてエビデンスを出せたこともあって、様々な立場にある人を説得していくことにつながったのだと思います。まさにソーシャルビジネスの先駆者ですね」(石井氏)
その後、参加者からの質疑応答へと移ります。まず挙がったのは神田氏の後継者について。神田氏は「それは解決できていない問題」と話し、その理由として環境というジャンルでお金を稼ぐ難しさを指摘します。
「福祉とは異なり環境保全や環境教育はまだ生業として認知されていません。ボランティアで十分と思われることもあります。そして私のバトンはお金がなくても熱い想いを持ってやってきた重たいバトン。次の人はあまりにも重すぎてこのバトンを受け取れないと思うのです。今やっていることが生業として認知されるような世の中になればバトンが軽くなり、受け取れる若い世代もでてくると思いますが、それがまだ十分ではない」(神田氏)
また地域での問題解決の難しさにも触れ、研究者としての理屈を重んじる姿勢と人間関係の重要性のバランスを語りました。
「居住期間が長くなればなるほど、人間関係のしがらみが多くなり言いたいことが言えない状況もあります。研究者としての客観性を保つのは難しさもあります。ただ、地域の問題を解決しようとすると理屈ではなく、人間関係や信頼関係の方が大切です。論理で相手を説得することはなかなかできない。理屈だけでは物事は進みませんね」(神田氏)
地球規模や国単位での環境問題解決はデータや理論で語られることが多い一方で、ゲスト講師の神田氏から、実際にコミュニティ単位の環境問題解決は人間関係や利害関係が絡む現状が示されました。いくら素晴らしい目標のソーシャルビジネスであったとしても、まずは周囲との人間関係や信頼関係の構築をすることから始めていくことが重要です。しかし間に入るネゴシエーター等の存在により人間関係が構築され、手を携えて同じ方向で進むことができれば、コミュニティから大きな取り組みもできる、次世代にその協働の姿勢を示すことができるとも学べる講義でした。
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