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「人間と社会に向かう先端科学技術の新領域を開拓」というミッションと、「学際性・流動性・国際性・公開性」という4つの理念を掲げて科学技術の発展を実現しようとする東京大学先端科学技術研究センター(以下、東大先端研)。この度、エコッツェリア協会は様々な分野の最前線を走る東大先端研の研究者たちを招き、これからの社会に必要なテーマについて議論を深め、将来のプロジェクト化を見据えた未来共創プログラムを実施することとなりました。
記念すべき第1回目のプログラムのテーマは、近年教育分野における注目ワードとなっている「STEAM教育(※)」です。東大先端研の所長を務める杉山正和氏、同特任研究員の森晶子氏、未来シナリオづくりの第一人者である高内章氏(Intelligence Evangelist / Vice President, Strategic Business Insights, Inc.)をゲストにお招きし、これからの教育のあり方や、教育が未来社会に及ぼす影響についてディスカッションを行っていきました。
※STEAM教育とは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学・ものづくり)、Art(芸術・リベラルアーツ)、Mathematics(数学)の5つの分野を統合的に学ぶ教育概念のこと。
最初に登壇したのは、東京都庁で行政計画や国際金融などの企画立案、教育委員会での新規施策などに従事した後、2021年から東大先端研で活動を始めた森晶子氏です。現在森氏は、探究・STEAM教育を軸として大学と学校や自治体を結び、次世代育成を中心に取り組む「先端教育アウトリーチラボ(AEO)」を立ち上げ、所内横断で運営しています。その役割について、森氏は次のように説明しました。
「研究分野におけるアウトリーチは、広報的な側面が強い言葉であり、必ずしも教育とはイコールではありません。そのため、AEOを立ち上げようとした際に関係者の中では『アウトリーチをするのか、それとも教育活動をするのか』といったことが議論になりました。そこで私たちは、従来の意味でのアウトリーチは意識しつつも、ここを発射台にして、大学が求められる教育における社会的ニーズを捉えながら展開していくことを決めました」(森氏)
AEOは(1)社会的ニーズへの対応、(2)互恵的な教育共創モデルづくり、(3)アートを根底に据えた人材育成のあり方の提案を取り組みの柱として掲げています。
日本においてSTEAM教育という切り口で取組が推進されてからまだ数年ですが、日本では、探究学習と併せて、従来の教科学習の垣根を超えた文理融合に重点がおかれ、また、大学、企業、地域社会と連携した取組が増えています。探究学習においては、学習を通じて自分や他者の価値や可能性を認識し、持続可能な社会の創り手となることが理念として掲げられています。このような中、AEOは具体的な取り組みとして、自治体と連携して高校に探究やSTEAM教育の支援をしたり、高校生が他校の生徒や大学生・大学院生と議論する場を設ける自主企画プログラムを開催したり、東大先端研の研究室訪問を受け入れたりしています。また、理系分野の女性がまだ少ないという社会課題に対してロールモデルの紹介や対話の機会を設けるといったことも実施しています。こうしたプログラムを通じて、森氏は東大先端研のコミュニティの魅力を強く感じていると話しました。
「プログラムで子どもたちは、関心事から課題を発見し、異分野の人と活発に対話しながら解決策を見出す力を身に付けていこうとしています。子どもたちに限らず、先端研では、研究者たちが本当に楽しそうに仕事や人生に向き合っていますし、他者に優しいです。そのようなところに東大先端研コミュニティの面白さがあります。こうしたことは、子どもたちだけではなく、社会人の皆さんにも共有・展開していきたいことです」(森氏)
さらに、個人が主体的に動き、課題や解決策を発見して自身を深堀りし、主体的なキャリア選択につなげていくという流れは、大きく安定的な組織にいる人ほど向き合っていく必要性が出てくることも示唆します。
「大きく安定的な組織の中で生きていると、組織に命じられて動くことが多いですし、異動が多いと自分の軸を認識しづらくなります。自分のテリトリーや能力の枠内で完結できる仕事も多く、没個性的になってしまいがちです。しかし、人生100年時代と言われ、不確実性も高まっていくこれからの時代は、組織の中であっても、独立をしていても、意識的に自分を見つめ、個を磨いて共創力を高めていく必要性があると感じています。そのためには、同質性の高い空間だけで過ごすのではなく、異分野と触れ合い、自分自身を相対化してみることが大切です。そして、意識的にアウトプットを増やす、心理的安全性の高い空間で素の自分を出してみることが大事だと感じます。『突個性×共創力』が求められる社会になっていくでしょう」(同)
続いて登壇した杉山正和氏は、「突個性の異能を融合して未来を拓く」と題し、東大先端研のポテンシャルやミッション、描く未来像などについて紹介していきました。東大先端研は、東京大学の研究所の中でも唯一専門分野を持たない研究所であり、「飲食店で言えば『その時々の旬な食材に合わせて、皆さんが食べたいものを提供するお店』」(杉山氏)と言える組織です。ただし、冒頭でも紹介した「学際性・流動性・国際性・公開性」といった理念は、東大先端研が設立された1987年当時は画期的だったものの、現在では他の大学でも当然のように掲げているものでもあります。そのため、現在ミッションの再定義に取り組んでいると言います。
「昨今の大学は本部が強くなっていて、どうしても研究所は一組織となり、個性を出しづらくなっています。これまではとにかく先を走ることが我々の特徴でしたが、35年も経つとみんな追い付いてきますし、こうした状況下で専門の定義されていない東大先端研としてはどうすべきか。それは『未来を拓く先端を見つけ出し、育て、つなぐ研究所』になっていくことです」(杉山氏)
「専門性を持たない」とは言っても、研究者一人ひとりは、各分野でトップレベルの専門性をもっています。そのことの証左として、東大先端研は財政的に外部資金比率が高いため、研究者一人当たりでみると全国の大学附置研究所の中でも随一の資金力を持っています。その時々の注目分野の研究者を招き入れたり、外部資金でユニットを作って社会課題解決に挑んだり、日本全国の地域と共創したりと、まさに異分野と融合しながら「未来を拓く先端」を見つけ出すために精力的に活動を行っています。
東大先端研の特徴を紹介する一方で、杉山氏は自身の専門であるエネルギー分野の話に触れながら、未来について語ります。
「世界では化石燃料の使用を控える流れになっていますが、これは何億年もの時間を掛けて作られてきた燃料が、産業革命以降の100年ほどで消費されるという大きなミスマッチがあるからです。もしも今世界中で一日に使われる化石燃料と同量を一日で作る技術ができたらどうぞお使いくださいとなりますが、もちろんそれは不可能です。そこで、燃料の消費と製造時間の長さを合わせようという再生可能エネルギーや、カーボンリサイクルが必要になってくるわけです。カーボンニュートラルは複雑だと思われるかもしれませんが、意思を持って、地域を元気にするために動いていかないと世の中は変わっていきません」(杉山氏)
これまでは国頼りになっていたエネルギー問題は、今後は地域の課題になっていくであろうことから、これからのまちづくりはエネルギーの視点を盛り込むことも求められていく、すなわち「エネルギーがあることが地域の魅力のひとつになっていく」ことが予想されています。実際、東大先端研は長崎県壱岐市と連携して水素などを活用した再生可能エネルギーの実証実験を行っています。こうしたチャレンジに率先して取り組むと同時に、積極的に関われる突個性の人材を育てる、あるいは見つけて集めていくことが東大先端研の役割でもあるのです。
さらに杉山氏は、現代社会を取り巻く問題は非常に複雑だからこそ異分野の融合が大事であること、あるべき未来に備えてバックキャスティングかつ科学的な議論を行っていくことなどが重要であると説明。そして、次のようなコメントで講演を締めくくりました。
「カーボンニュートラルの実現にしても、様々な社会課題の解決にしても、結局のところは人と人の心の触れ合いがベースになるだろうと思っています。無機的に正解に向けて突き進むのでもなく、熱くエモーショナルな物語を持ちながら入っていく。それがSTEAM教育の『A』としてのアートセンスや感受性にもつながってくると思っています。そう考えると、STEAM教育の考え方は、子どもだけではなく大人の再教育にも必要と言えるでしょう」(杉山氏)
森氏と杉山氏の講演を終えたところで、未来シナリオ作成を得意とするビジネスコンサルティングファーム・Strategic Business Insights, Inc. の高内章氏より、教育の未来を考えていく上でポイントとなるキーワードがいくつか提示されました。
冒頭、高内氏は自らが教育の専門家ではないと前置きしながら、「未来のことを考えるためには過去のことを知っておかなければならない」と話し、ホモサピエンスが登場し始めた時代まで遡って語りました。現在の人類の祖先は群れを作って社会的な動物として生きることで他の種に対して優位性を持ち成功しました。群から外れることは死を意味します。だから、運動能力を高め貢献度を上げる一方で、群に乱れをもたらさぬよう秩序を維持するため他の個体とうまく折り合いをつける能力も重要だったでしょう。自分のDNAを継ぐわが子たちが群に馴染み、そこで立ち回れる能力やノウハウを伝授することが「教育」の始まりだったのではないかと推測します。時代が進み、産業革命をきっかけに生まれた資本主義の世では、親ではなく社会が教育を担い、生産効率向上のためのスキルを教えるようになり人類という種の発展を支えました。これが現代の教育の原点なのではないかと思うと続けます。
「私たちは経済成長を至上の目的とし、果てしなく分業化を進める社会の中で、一人ひとりが秩序を乱さずに役割を果たすよう教育をされてきました。食を手に入れるためにも、高い地位に就くためにも知識が必要になります。当然この仕組みに対応しきれない個体も生じるわけですが、現代社会はこうした個体を表立って群から追い出したりしません。それゆえ仕組みの中から振り落とされて社会のコストになる個体をできるだけなくすため、読み書きなどの"知識"を最低限のサバイバル技術として授けている。それが現代教育がまず応えなければならない基本的ニーズになっているのではないでしょうか。」(高内氏)
「このように、群れの中で悪目立ちをしないように気をつけながら、資本主義的社会の秩序を保つため、疑うことなく適切に消費活動を続けて生活を"充実"させる能力を付与することが、現代教育であると考えると暗澹たる気持ちになります」と高内氏は嘆きます。そればかりか、AIや通信技術などの劇的な進化により、今まで以上のスピードで社会の仕組みや人々の行動、暮らし方、働き方、考え方が変化しています。こうした急速な変化を止めることは誰にもできません。その結果、加速度的に上の世代から下の世代に伝えられるスキルセットが縮小し、恐るべき早さでロールモデルが喪失していると述べたうえで、「生きるためのスキルセットの伝承を旨とする教育は、いったいどこに向かえばよいのでしょう」と問いかけました。しかし、現代資本主義が生み出した究極の分業体制の中でヒトが群れを成して生きている以上、一人ひとりの個体が群の中で役割を持ちながら自立して生活できるよう教育することを諦めてしまえば、とたんにこの社会はとてつもない混乱に陥るでしょう。だから何としてもその方法を探し続けなければならないと指摘しました。
高内氏は、「人類はこれまで自分の周りの数メートルの快適さを向上させ、より便利な世の中を目指し、日々発明し続けてきました。それゆえ人類は、ほかの生物同様に自らの生命維持のために食物を通じてエネルギーを摂取する以外に、その生活を維持するために大量のエネルギーを食うようになり、それを拡大し続けてきました。」と続けます。そのうえで、便利さを追求し成長し続けても、人の幸せの増大と相関しなくなったことや、化石燃料の利用拡大が地球規模の問題を引き起こしていることにも触れ、「盲目的に成長を志向し、変化を加速するだけの現代社会が矛盾にあふれていることに、心ある人はみな気づいています。なのにほとんど全ての人が現在のこの秩序だけを前提に暮らしており、そこにある矛盾に目を向けて解決しようとする努力が小さすぎると思うのです」と述べました。
そして、「今日伺ったSTEAM教育は、今のこの秩序を維持拡大するための能力開発ではなく、この矛盾に満ちた秩序を変容させる力を持ったエリートを育てる礎になると、希望を抱きました」と述べた。同氏は最後に、次のように述べてプレゼンテーションを終えました。
「教育システムを変えるのは大変なことです。アメリカの作家アルビン・トフラーは著書の中で"企業が高速道路を時速100kmで走っているとすると、公共教育制度は10kmでしか走っていない"と記していました。トフラーはその原因は官僚が従来の秩序を好み、先進的な制度への転換を嫌っているからだとも説いていました。これからの時代を変革していく次世代のエリートたちが、「突個性で通念を疑い、未来は変化の先にある」と理解して、矛盾に満ちた現在の秩序を変革する勇気を持って欲しいと期待します。そのためにSTEAM教育が活かされるよう、願ってやみません」
それぞれのプレゼンテーションを終えると、参加者同士でディスカッションを行います。そして、登壇者を交えたパネルディスカッションへと移ります。ある大学生の参加者から「学校では主体的に動くことが推奨されているが、その流れ自体が受動的で矛盾が生じているように思える中で、学生たちはどう教育に向き合っていけばいいのか」という質問がなされると、森氏と杉山氏はそれぞれ次のような意見を述べます。
「今の教育現場ではやることが多すぎるので、自分を深めるというよりは、とにかく次から次へとこなしていくことに意味があるという状況に陥り、結果的に受動的になってしまっているのではないかと思います。学校の先生方も、いろいろと模索されていると思いますが、学生自身も、様々な活動の共通項を見出し大きな軸に収斂させていけると、より主体的に取り組めるようになっていくのではないかと感じています」(森氏)
「高校や大学では、どうしてもマス・プロダクションとしての教育効果を考えなくてはならない部分はありますし、その教育を受けることによって何もしなかった状態よりもレベルが上がる人もいるはずです。でも、そんなお仕着せの教育はいらない、自分で問題意識を持って探求できるという人であれば自発的に動いていいと思います。一方で問題となっているのは、マスプロとして持ち上げるレベルをどこに設定するかです。かつてであれば言われたことを的確にやる人、いわゆる"没個性"の人を作っていけば良かったのですが、今はクリエイティブな人材が求められる方向に転換しています。ただ、場合によってはよりカオスになって行く可能性もありますし、そうすると読み書きそろばんすら伝授できなくなる危険性もありますから、バランスは取らないといけないでしょう」(杉山氏)
「また現在では、キャンパスに足を運ばなくてもオンラインで授業を受けられますし、MOOCのようなオンライン講座も充実しています。大学関係者としては、このような中でキャンパスは何のためにあるのかも考えなくてはなりません。私のひとつの答えとしては"仲間"だと思っています。先生と学生たちが一つの場所に集まって対話するというのはものすごいバリューですし、その中から何かを掴んだ人が世の中を引っ張っていく存在になると僕は信じたいのです。そういう意味では、『使えるものは使う』と考えると今後の礎になるのではないでしょうか」(同)
この日のセッションは、こうして終了の時間を迎えました。最後に事務局の田口真司は「エコッツェリア協会は今後も東大先端研の研究者の方々と連携し、教育に限らず様々なテーマを深堀りしていきたい」と語り、東大先端研×エコッツェリアコミュニティの継続を誓いました。今後も濃密なプログラムを提供して参りますので、どうぞご期待ください。