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「起業」というと「それまで勤めた会社を辞め、"一念発起"して行うもの」というイメージを持つ方も少なくないでしょう。しかし、働き方の多様化が進む現代では必ずしもそれまでの身分を捨てる必要はなく、会社に勤めながら副業をして起業の準備を進めたり、社内起業を行って後々の独立につなげたりすることも一般的となってきています。そこで、ミドルシニア世代の方を対象に、起業に必要な知識や心構えから事業計画の策定まで相談に乗る「ミドルシニア"マイ・スタートアップ"プログラム(※)」第2回目では、自身も複業家として活動する一般社団法人Work Design Lab代表理事の石川貴志氏を講師にお招きして、「働きながら『起業』する」ための手法や心構えについてご講演いただきました。
※「ミドルシニア"マイ・スタートアップ"プログラム」は、東京都が2013年度より実施する創業支援事業である東京都インキュベーションHUB推進プロジェクトのひとつです。本プロジェクトは、高い支援能力・ノウハウを有するインキュベータ(起業家支援のための仕組みを有する事業体)が中心となって、他のインキュベータと連携体(=インキュベーションHUB)を構築し、それぞれの資源を活用し合いながら、創業予定者の発掘・育成から成長段階までの支援を一体的に行う取組を支援し、起業家のライフサイクルを通した総合的な創業支援環境の整備を推進します。
一般社団法人Work Design Lab代表理事の石川貴志氏
現代が「会社員でも起業する時代」であることは、多くの大企業が社内起業や社内副業を認めたり、社員を個人事業主化したり、あるいは副業人材の受け入れを進めていることからも明らかと言えます。世間的に副業の推進や解禁が推し進められるよりもいち早く個人として複業に取り組み始めたのが、この日のゲスト講師である石川氏です。石川氏は現在でも出版流通企業の経営企画部門に勤務しながら、働き方や、個人と組織の関係性をリ・デザインすることを目指す一般社団法人Work Design Labの代表として様々なプロジェクトの推進や社会人の複業支援などを行っています。こうした経験に基づいて、まず「複業のメリット」と「複業を考える上で探求すべきもの」について説明がなされました。
「会社を辞めて起業する場合、線形で売上は上がっていきませんので、運営資金として貯金しておくかファイナンスするしかありません。しかし複業の場合は会社から給料をもらいながら事業の探索ができるので、リスクはとても小さくなります」(石川氏、以下同)
「複業をする際に探求すべきは、『やりたいこと』と『ビジネスモデル』の2つです。起業の場合に重要となるのは後者ですが、複業の場合は前者もかなり重要だと思っています。というのも、『儲かるから』という理由だけでやるのはなかなか苦しいですし、うまくいかないときには挫けそうになってしまうんです。でも、やりたいことというのは"切れないガソリンタンク"のようなもので、疲れてきても自分を回復させてくれるんです。もしもこの2つが発見できれば、その時点で複業から起業に移るのもありでしょう」
しかし会社組織の中で働いていると優先すべきは「会社のやりたいこと」であり、自身の興味の開発は意外と難しいものです。そこでポイントとなるのが、ゴールを設定しなくてもモチベーションが下がらない活動、すなわち「遊び」です。ビジネスの場合は必ずゴールを設定し、ゴールに基づいたプロジェクトマネジメントが必要となりますが、そうした行動を取らなくても継続できる「プロセス自体が好きな活動」を探求していくことが重要になるというのです。一方で、事業づくりのためにはビジネスモデルの探求も必要ですが、ここでポイントとなるのは「課題の質を上げて、ソリューションの質を上げる」という道筋をつくる、つまり「どこでどのような問題が起きていて、それを解決するためにユーザーはお金を払うのか否か」を突き詰めていくことです。この調査探求は時間とコストが掛かるため、可能な限り会社から給料を得られるうちに行っていくべきだといいます。
こうした点を踏まえた上で、「イノベーションの入口」を掴むためにも複業がお勧めであると石川氏は説きました。
「ビジネスをしていると『いい感じがするけどうまく説明できないこと』があると思います。『いい感じがして説明もできること』は往々にして大企業に発見されていますから、イノベーションの入り口は前者にしかないんです。でも会社の中で動いていると『うまく説明できないけど、いい感じがするので明日出張しますね』と言っても、上司からは『ちゃんと説明しろ』『説明できないなら自分のお金で行け』と言われてしまいます。でもそこで会社員とは別の立場を持っていれば動きやすくなります。私も会社員としては『いい感じ』では動けませんが、Work Design Labの代表としてであれば動けますから。そのように、会社員であっても不確定要素に飛び込める立場を持っておくことは重要だと思っています」
また石川氏は、自身の経験を振り返りながら「巻き込まれる力」を付けていくと、次第に方向性が見えてくるのではないかとも言い添えました。
「私が複業をするようになったのは、東日本大震災の後にボランティアとして被災地に行き色々な人と知り合ったことがきっかけです。その流れで各地からお誘いを受けることが多くなったので、お金になるかどうかは一旦置いておき『とりあえず行ってみよう』と巻き込まれていったところ、さらなる関係性ができたり、力を貸してもらえるようになっていきました。そうやって巻き込まれることや、自分の気持ちをコンパスにすることも大切だと感じています」
生産年齢人口が減少の一途をたどる日本において、複業や兼業の推進は社会的な潮流ともなっています。この傾向は大企業だけでなく厚生労働省や経済産業省などの各省庁でも同様で、働き方改革実行計画(2017年3月28日働き方改革実現会議決定)工程表では、2027年には「希望者は原則として、副業・兼業を行うことができる社会にする」と記されています。働き方の変化は人材マーケットにも影響を及ぼし、「正社員を中心とした既存の転職マーケットは、複業人材が中心の複業ワーカーマーケットになっていく」(石川氏)と予見されています。これは、従来の大学卒業後、定年まで会社の仕事に従事し、その後引退するという3ステージの時代から「マルチステージの時代」へと移り変わっていることを意味します。このマルチステージの時代において個人に求められるのは、学び直しを意識することだと、石川氏は話しました。
「転職市場では年齢が高くなると可能性は閉じていくと見られがちですが、何歳からでも、どこからでも新しい自分にチェンジできる機会がないと不幸な社会になると思っています。例えば起業した後にもう一度会社に戻ってもいいですし、ジグザグなキャリアを歩むことも当たり前になっていくでしょう」
マルチステージの時代に個人がデュアルキャリアを歩むケースが増えると、成長機会の増加、新たな知識・人脈の獲得などが期待できます。複業を通じて個々の社員が成長できると、企業にとってもメリットを与えることになるのです。そして、こうしたことを実践しているのが石川氏が率いるWork Design Labです。「イキイキと働く大人で溢れる社会、そんな大人を見て子どもが未来に夢を描く社会を創りたい」というビジョンを掲げる同ラボでは、働き方や組織などをテーマにした様々なイベントを開催してコミュニティを広げ、そこで生まれた繋がりを通じて多くのプロジェクトやビジネスを生み出しています。
「自治体との連携でいえば、神奈川県横浜市における産業振興プロジェクト、茨城県での移住定住推進プロジェクト、長崎県雲仙市のワーケーション観光戦略やコミュニティ創出、鳥取県における副業人材活用やワーケーションの推進などが挙げられます。鳥取県では、大山町とも首都圏副業ワーカー活用に関する連携協定を締結していますし、地元企業と合弁会社を作ったりもしています。企業との連携でも多くの事例があり、ITツールの導入支援やデジタルマーケティングの推進、数億円規模の資金調達プロジェクトなどがあります。また、大企業における複業の始め方に関するワークショップの実施や、省庁から人員を受け入れることも実施しています」
Work Design Labのメンバーは全員が本業を持っていることもあり、こうしたプロジェクトやビジネスを展開する際には報酬よりも、プロジェクトや協力メンバーと共に動くことで得られる経験値を優先しているそうです。これは自治体や企業にとって喜ばしいものと思いきや、お金を取らないことに対して不信感を持たれるケースもあると石川氏は話します。
「複業人材としては『お金を稼げる』ことを理解できるだけでもメリットがあるんですが、もともと副業・複業に対してネガティブなイメージを持つ方もいるので、お金を取らないことを不安視されるケースもあります。そのため我々が地方に入っていく際にはコーディネーターがいる場所にしか入りません。それと、自治体、銀行、新聞という地域における信頼性の塊と言える組織と連携するようにしています。それらの団体と共に関わっていけば、上手く地域に関わっていけるという経験則があります」
「もう一つ心がけていることがあります。Work Design Labでは地域や企業の課題解決に取り組んでいますが、課題解決は整理と解決の二層に分けられると思っています。そして私たちは主に整理に取り組み、解決には地域の事業者と連携するようにしているんです。解決のフェーズはお金が動くことになるので、私たちが低い金額でそこに入ってしまうと市場破壊につながる恐れがあるからです。ですから、解決のフェーズは地元企業に任せるようにしていますし、どうしても我々が対応した方がいい場合にはしっかりとした価格をいただいて契約するようにしています」
Work Design Labでは地域や企業の課題解決に取り組むだけではなく、「Work Design School」と称した人材育成も実行しています。上述のようなプロジェクトに臨む際には、プロジェクトの発起人兼進行役のリーダー、複業ワーカーやフリーランスのコアバリュー提供者が中心となりますが、そこに知識やスキルがまだ浅い複業初心者や学生といった学習者を入れるという座組を作り、オン・ザ・ジョブ・トレーニングのような形でプロジェクトを進めながら個人に成長機会を提供しているのです。
「リーダーやメンバーはそれぞれが異なる高い専門性を持っているのですごく勉強になります。これを会社の中でやろうとすると異動を待たなければなりませんが、こうやって外に学びの機会を作ればいつでも学習できますし、学習者もいつか返してくださるんです。今では全国10地域でこうした動きを進めていて、地域全体を学校に見立てています」
個人に学習機会を提供すると同時に、地域には課題解決、そして担い手の増加を提供するという一挙両得なシステムだと言えるでしょう。こうした取り組みを通じて全国各地に足を運んでいる石川氏ですが、その際にはご家族と共に地域を訪れる「ファミリーワーケーション(複業家族旅行)」を行っていると話しました。
「もともとは家族に怒られないために、出張と家族旅行を兼ねていました(笑)。ただ、世の中でワーケーションという言葉が生まれた頃から私の取り組みも注目されるようになり、今では観光庁のアドバイザーも努めています。地域の課題解決をお手伝いする代わりに交通費として少しのフィーをいただき、旅行も兼ねて現地に行く。この流れを九州財務局では『ジョブケーション』と呼んで実証実験も行われていますが、新しいライフスタイルを創りたいという人が増えていくに従って、こうした働き方や地域への入り方もどんどん増加するでしょう。そして、ライフスタイルが変わればその周辺にはビジネスチャンスがたくさん転がっているんです」
複業は働き方を変えるだけではなく、人の生き方自体も変化させ得るものだと言えるでしょう。最後に石川氏は次のような言葉で講演を締めくくりました。
「会社の中では隅々まで人事権が行き渡り、指揮命令系統が効いています。しかし一歩外に出ればそこは人事権が発動できないコミュニティになっています。そこでは思い込みで物事を進めるのではなく、臨機応変に考え方ややり方を変え、相手の力を借りていく方がプロジェクトを前に進められるんです。そうやって、健全に自分自身を自己否定しながら変化できる人の元には、人や力が集まってくると感じています。この『健全な自己否定力』は、複業起業の際のキーワードと捉えてみてください」
講演を終えると質疑応答へと移ります。テーマが複業・副業という、注目度が高く身近な話題だったこともあり、多くの質問が寄せられました。その中で複数の参加者が注目したのが「巻き込まれる力」についてです。石川氏は、最初に巻き込まれた経緯を振り返りながら、巻き込まれる上でのポイントを次のように紹介しました。
「そもそものきっかけは2010年に第一子が生まれて地域活動に携わるようになったことです。それまで地域活動には縁がありませんでしたが、会社とは違うコミュニティに接続し活動する中で地域の協働センターの方と知り合い、センターに遊びに行ったところ、さらにネットワークが広がっていきました。そして誘われるままに企業主催の取り組みに参加したり、マーケティング講座の講師を任されたりといった形で巻き込まれて行ったんです。「やってみませんか?」と言われると、私に期待してくれているんだな、ハマると思ってくれているんだなと感じられますし、何より、最初はよくわからなくても、良い人からのお誘いは一番の金の卵なんですよね。当時は意識していませんでしたが、実際にその後も良い人からのお誘いは面白い展開になるケースが多いと実感しています」
また別の参加者からは「勤め先の会社が副業を禁止しているが、この状況下では副業を解禁している会社に転職したほうがいいのか。それとも何か他にいい手があるのか」という質問がなされました。これに対して石川氏は「会社との関係性の整理」と「会社へのメリットの提供」という2つの行動をキーに挙げました。
「『会社が副業を禁止している』というと、制度的にNGな場合と、制度的にはOKだけど上司が副業をよく思わない場合があります。後者のケースは上司との関係性をどうするか、という問題なので難しいのですが、前者のケースであれば手はあると思っています。副業と言っても、Work Design Labのように学びを得ることを第一義としているのであれば、社会人が大学に通うのと同じですよね。社員が大学に通うことを禁止する企業はほとんどありませんから、その点を訴えるといいと思います。また、副業を通じて得た知見やスキル、ネットワークを本業に活かせることを証明すると上層部も納得できると思います。もちろん機密情報の持ち出しなどは論外ですが、そうやってメリットを出しつつ、自社の文化に合わせたやり取りをするといいのではないでしょうか」
「付け加えると、どうせ転職するのなら『辞めさせられるまでやってみる』と考えて取り組んでみると、意外とブレイクする可能性があるんです。多くの人は『怒られそうだからやらない』と考えますが、実際には『怒られるまでは怒られない』んです。複業・副業は決して悪いことをしているのではありませんし、組織に新しい風を吹き込むことにもつながるので、それくらいの気持ちでチャレンジしてみてもらいたいと思います」
このように質疑応答は白熱し、予定時間をオーバーするほどの盛り上がりを見せました。それだけ多くの人が複業・副業や起業に対する強い関心を持っていると言えるのでしょう。石川氏が力説したように、複業・副業が当たり前になる世の中はもうすぐそこにまで来ています。将来的に起業を見据える人にとっても、複業・副業を通じた試運転はとても重要なものとなってきます。そうした時代を見据えて、今から動き始めてみるのもいいのではないでしょうか。