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「東京ファーマーズイノベーション」の第3回は、江戸東京・伝統野菜研究会代表の大竹道茂氏が登場。本イベントのど真ん中のテーマである「江戸東京野菜」について論じていただきました。
大竹氏は江戸東京野菜の伝道師として知られていますが、それは東京の農業の振興策のひとつであると話します。講演は広く東京の農業の未来を見据えながら、江戸東京野菜にクローズアップしていくスリリングな議論となりました。第2部では、中村農園(国分寺市)・中村克之氏、冨澤ファーム(三鷹市)・冨澤剛氏、増田農園(清瀬市)・増田康司氏、西野農園(国立市)・西野耕太氏の4名の生産者が登壇し、プレゼンテーションを行い、試食会・交流会を行いました。
大竹氏の江戸東京野菜の復活と振興への取り組みは、東京の「都市農業」の維持と活性化の策のひとつです。大竹氏は講演で、まず東京の農業の概要と課題を紹介し、江戸東京野菜の果たすべき役割と意義を語りました。
東京の農業の特徴は、「日本全国の農業の縮図であること」だと大竹氏は述べています。東西に長く、西は2000m級の山地から東は河川沿いの低地まであり、洋上1000kmの島嶼の農業もあります。
「山地ではわさび田もあり、江戸期には多摩川沿いに木材とともに六郷(大田区)まで運ばれました。島嶼でしか穫れない『八丈オクラ』や『アシタバ』などもある。一般の野菜は何でも揃うのが東京の農業の特徴といえるでしょう」
その一方で、都市の農地は宅地に転向するよう政策誘導されてきました。高度経済成長で拡大する人口を収容するため、農地維持が困難になるよう、重い税が課されてきた歴史があります。
大竹氏はこれに一貫し反対の姿勢を取ってきました。都市農業には、都市農業でしか果たすことのできない役割があるからです。大竹氏は、その役割を以下の5項目に整理。
(1)地産地消で新鮮な農作物を提供する
(2)景観維持・快適な都市空間の提供
(3)農とのふれあい、自然教室の場の提供
(4)災害時の避難場所としての役割
(5)江戸東京の歴史・文化の継承
「政府は『都市に農地は必要ない』という立場で、東京に集まる人々に家を持たせようとしてきた。これに対して現役のころから反対してきたわけです。東京の農業は代々分家をして受け継がれ、農地をつないできた。伝統野菜を含め、その土地ならではの文化が残されてきたのが東京の農業なんです」
しかし、現在の東京の農業は、維持していくのが難しい状況が続いています。問題のひとつは税制。生産緑地指定を受けていない農地は固定資産税が非常に高いうえ、相続税が莫大なものになります。「相続するたびにゴソッ、ゴソッと農地が減少している」と大竹氏。"ゴソッ、ゴソッ"という響きが事態の深刻さを物語ります。
また、全国の農業と同様に、高齢化と担い手不足も深刻化しています。農地の貸付制度も施行されていますが、比較的都市部に近いエリアはまだ借り手も付きやすいものの、遠方になるとなかなか難しく、農地の荒廃が進むことが懸念されています。
江戸東京野菜は、そんな東京の都市農業活性化の一助として、昭和60年代から大竹氏が復興と振興に取り組んできたもの。大竹氏の定義では、「江戸時代から明治時代にかけて、東京の野菜文化を継承してきたもの」で、「江戸の朱引内から、多摩地区を含む東京で栽培されていた野菜」を指します。基本的には固定種で、必ずしも江戸在来種でなく地方から持ち込まれ、江戸で発達・定着した野菜種も含みます。
「江戸時代から、人の住む場所の近くで野菜を作るのが日本の農業の特徴だった。だから江戸東京野菜には、『亀戸大根』『谷中生姜』『滝野川人参』といったように人の住む村の名前がつけられてきました」
現在の日本の農業では、交配種(F1。雑種強勢が働き、一代に限って均一の優れた大きさに育つ種。種取りはできない)がメインで、特定の野菜を特定の産地で集中的に生産されるようになっていますが、この生産形態は1960年前後を境に成立したものです。
「東京オリンピック以降、都市に集中する人口に安定して食糧供給できるよう『野菜指定産地制度』が制定され、嬬恋であればキャベツ、三浦は大根、というように産地ごとに作る野菜が決められていった。それとともに、出荷用にピシャッとダンボールに詰めやすい、均一なサイズに仕上がる交配種しか作られないようになってしまったのです」
対して固定種は、サイズは不揃いで大量生産・大量出荷には向きません。しかし、その違いからさまざまに系統選抜され、多様な種に分化し豊かな食文化の礎となりました。何よりも「味がいい」のだと大竹氏は言います。
「味で言ったら、固定種のほうが遥かにおいしい。交配種に切り替わったのはあくまでも出荷都合でしかないのです」
江戸の伝統野菜は、参勤交代を通じて地方から持ち込まれた種から始まったものもあれば、逆に地方へ拡散していった例もあるそうです。山形県庄内の特産の干し大根は、江戸期に庄内藩主が江戸から持ち帰り、定着させたものと言われています。
東京オリンピック以前は、ほぼすべての農家が固定種を作っていましたが、後に固定種を扱う農家は激減。大竹氏がJA在職時に先輩から教えられた昭和60年頃には、伝統野菜を作る農家はごくわずかになっていました。
「ミツバチの大量失踪、人間の精子減少、アトピーの増加、といったような、人類がこれまで経験してこなかった現象が起きている背景には、交配種ばかりを食べる現在の食事事情があるのではないかという人もいます。科学的根拠のあるものではありませんが、固定種を作る農家が増えれば、東京の農業も活性化し、食の状況も良くなるのではないかと考え、復活を目指し、活動を始めたのです」
「江戸東京野菜」の名称はそのころ付けられたもの。江戸時代に限定されるものでなく、一定の地域性を示す名称として考案されたそうです。このあと、大竹氏は練馬大根や、三浦大根、そこから派生した前坂大根(長野県)、山川大根(鹿児島)、小松菜、東京ウド、砂村一本ネギなどの野菜が"復活"し、現在も引き継がれている例を紹介し、締めくくりました。
第2部前半は、先進的な農業ビジネスに取り組む生産者からのプレゼンテーション。今回は4名の生産者が登壇しました。
中村農園(国分寺市)――中村克之氏
今回の登壇者の中で、ある意味でもっとも出色の生産者なのが中村農園。計画道路で収容された農地の代替地として、都心の赤坂見附の土地を取得。都市農業のコミュニティースペース「東京農村クラブ」(東京農村ビル)を立ち上げ、新しい都市農業のあり方を模索しています。
「国分寺は、地域通貨『ぶんじ』やカフェ文化などがあって地域の結びつきが強い。そのコミュニティに入ったことをきっかけに、つながりを持つことの面白さに気付き、みんなで東京農業の新ビジネスの創出や情報発信。農業よりも地域活性化全体に取り組んでいるとも言えます」
主な生産物は東京ウド。80アールの土地があり年間40品目を生産していますが「父がまだ現役で頑張っているので、ほぼ8割は父の仕事」と中村氏。娘の「おじいちゃんの作った野菜は最高!」という言葉をきっかけにIT業界から農業に転身、施設でイチゴ栽培を始め、農福連携でジャムなど6次産業化産品の製造にも取り組んでいます。主に直売所、学校給食、地域の飲食店などを相手先にするなど、地域への結びつきを重視。生産者同士で産直会なども開催しています。
赤坂見附の「東京農村」は、1~3階が趣旨に賛同し、東京の農産物を扱う飲食店。4階が農業ビジネスのスタートアップが入るコワーキングスペース。定期的にスタートアップ同士の会合を持つほか、農業活性化イベントなども開催しています。
冨澤ファーム(三鷹市)――冨澤剛氏
「僕が中学生くらいのころ、『東京の農業はいらない』という政策の全盛期でした。でもずっと農業を続けたかったので、都市農業の価値を高めるために、いろいろな取り組みをしてきたんです」と話すのは、三鷹で年間30品目を生産する冨澤氏。食育に力を入れ、学校給食への供給や講演会、「農業空間の商品化」と称して体験農園や穫れる野菜を使ったバーベキューなど、さまざまな事業に取り組んでいます。
農地は80アールほどで露地中心。養液栽培や苗の生産・販売なども行います。土作りにこだわりがあり、近隣の大学構内の落ち葉と馬術部の馬糞をまぜて堆肥をつくり、利用します。また、農薬に依存しない統合的病害虫管理(IPM)を導入し、人体や環境に優しい農業を実践しています。
江戸東京野菜は年間5、6種を栽培していますが、今回は「のらぼう菜」を紹介。足の早い野菜のために一般流通には乗りにくいですが、癖のない爽やかな甘さのある葉物で、イタリアン、和食で食べると美味しい野菜です。「もともとは五日市など西多摩が名産でしたが、ちょうど3、4月の端境期に収穫できることから、10年前に地元の若手で研究会を立ち上げ、"名人"と呼ばれる農家の方に指導してもらって、普及してきました」と冨澤氏。地域での普及に力を入れ、近隣の飲食店、直売所に卸し、販売しています。
江戸東京野菜については、「決して儲かるものではない」が「物語があって、人と人がつながる。お金以外の価値に魅力と可能性を感じている」と話しています。
増田農園(清瀬市)――増田康司氏
今回最年少の26歳の登壇者。実家は清瀬市で酪農を営む農家ですが、「この先都市部で酪農一本は難しいだろう」と都市農業を思い立ち、西洋野菜、なかでもイタリア野菜の栽培に取り組んでいます。
そもそも西洋野菜に着目したのは、鮮やかな色と形が理由。「JAに勤務していたのですが西洋野菜を知らず、棚で初めて見たときに、その色と形に驚かされました。その後、先輩に相談したところ、『珍しい野菜をやるのはいいことだ』と、西洋野菜のトキタ種苗を紹介してもらいました」。最初はトキタ種苗で買った種で、試行錯誤しながら自分一人で15種ほどを栽培。翌年、東京都の主催するイタリア農業視察に参加して現地の栽培の様子を学び、2019年に西洋野菜研究会に参加。前回の登壇者の小山三佐男氏に「これから西洋野菜のバブルが来るよ!」と励まされ、改めて本格的に西洋野菜に取り組み始めました。2019年秋にはビーツを初出荷しています。
この後は、昨秋実際に出荷したビーツ3種類、カリーノ・ケール、カリフローレ、トレビスを、味や見た目、栄養価を中心に紹介。共通しているのは、ユニークな見た目(色、形)、そして栄養の豊富さ、そして何よりも日本人には馴染みのなかった、濃密な野菜のおいしさです。「美肌効果や免疫力アップ、抗酸化作用、高血圧に効果があるといった機能性や、高栄養価などの特徴があります。インスタ映えするような見た目もあるし、人に薦めたくなる野菜ではないでしょうか」。ビーツは比較的日本人にも知られた野菜ですが、それ以外は初見という参加者も多かったようです。これらの野菜は後半の試食会に提供されています。
西野農園(国立市)――西野耕太氏
東京では珍しい稲作を営む農家。水田4反・畑6反で約1ヘクタールの農地を持ち、年間60品目以上の露地野菜を手掛けています。西野氏自身は、野菜は主に大根を手掛け、米とともにブランド化・高付加価値化に努めています。「自分は就農して5年目、88歳の祖父が現役ですが、祖父とはやり方が違うので、同じ畑に立っていてもやっていることが違う」とのことで、独立不羈の旧家の気風を感じさせます。
大根は三浦大根系の「おふくろ大根」を栽培。収穫できるのは冬季のみ。青首ではなく江戸っ子好みの真っ白な大根。太さと長さがあり、深堀りが必要になるため収穫には苦労があります。高級大根として高値では扱われますが、ダンボールに入れた既存流通に乗りにくいこともあり、現在、栽培者は減る一方です。「年末のスーパーの店頭を覗くと、小さくても三浦大根が高級大根としていい値段で販売されている。おふくろ大根も同じように扱われる大根なので、訴求に努めたい」と西野氏。
ブランド化が必要なのは米も同様です。国立市は東京で2番目に小さな市で、農家が少ないうえに、年々後継者不足で稲作を辞める人が跡を絶ちません。西野氏は「今後十数年で稲作農家がいなくなる可能性もある」と危惧しています。水田は面積で言えば200ヘクタール余り、東京の全農地の3.8%を占めるに過ぎません。そのため、低農薬、自家採種し代々継いできた米といったポイントに加え、お米も鮮度が命であることから、受注してから精米するスタイルで高付加価値化に努め「西野米」としてブランド化しています。
第2部後半は、登壇者が持ち寄った野菜を、できるだけ素材の味が分かる状態で提供する試食会を実施。参加者と登壇者の交流、意見交換も活発に行われました。農業ビジネスに興味のある異業種のオフィスワーカーが多く見られたことから、登壇者にとっても参考になることがあったようです。どのような成果があったか尋ねると、次のような感想、意見が聞かれました。
中村氏「東京ウドの宣伝、アピールが第一で、もうひとつは東京農村のようなコミュニティ活動の周知を目的に参加しましたが、今日はいろいろな人と直接話せたのが大きな成果。とても満足しています。異業種の人や海外の方もいらして、これからの活動や農業のあり方について、アイデアをいただくことができたと思います」
strong>増田氏「これまでもイベントには参加していましたが、西洋野菜の魅力を伝えたいというのが今回登壇した理由です。西洋野菜を始めたといっても作り始めてまだ2年で、販売や出荷など、そちら方面はまだまだこれから。何も分からない状態から始めたところで手探りが続いています。探り探りやっているところなので、今回のように、いろいろな方のご意見をいただくのはすごく参考になります」
西野氏「こういう場はなかなかないと思います。第2回には参加者として来ていて、こういう場があるのかとすごく興味を持ったので、今回登壇者として参加させてもらいました。登壇して話すことも、交流して意見交換するのもいい勉強になったし、自分の農園の紹介もできたのがうれしいです。一番良かったのは、他の農家の方や先生の方々と話せることです。いろいろ情報交換できるし、考えるヒントをもらいました」
冨澤氏「普段日常では交流できない人と交流し、普段聞けない意見も聞けますね。発見もあったし、都内にはビジネスチャンスもあるなと思いました。今日早速、社員研修で農園に来たいという方がいて、良い出会いとなりました。のらぼう菜のPRもできたし、良い成果です。こうしたイベントは単発で終わると『へえ』で終わってしまうので、継続して、次のつながりを作り出せるようにしてほしいですね」
第1部の登壇者を務めた大竹氏は、「『食べる』がセットになっているイベントというのが良い」と述べています。
「食関係のイベントや講演会はいろいろありますが、やはり『食べる』がなきゃダメ。理屈だけじゃなくて食べるという体験は、味を知り、農業のあり方を体験的に理解することができるものだと思います。その場があるだけでも素晴らしい企画です。
また、このような交流会から、名刺交換でつながる関係性が、これからの農業に良い影響を与えると思います。私が江戸東京野菜をやっているのは、あくまでも東京の都市農業を後世に残すため。その方法が西洋野菜だってもちろんいい。都市農業が日本に残るよう、すり合わせができればいいなと思います」
コーディネーター、司会を務めた中村氏は「今回は東京ファーマーズイノベーションの"ど真ん中"だった」と振り返っています。
「江戸東京野菜という大きなテーマを扱った回となりましたが、これは取りも直さず、東京の農業、野菜の"ブランド化"という課題を浮き彫りにする回になったと思います。料理人や小売業の方がよく言うのが、『京野菜や加賀野菜を選ぶように、江戸東京野菜を選ぶことはない』ということ。それはブランディングされているようで、実はまだまだできていないということではないでしょうか。
やはり、買うこと、食べることがセットでなければブランド化は難しい。その意味で、ワーカーや飲食店、小売業の方々と距離が近いことは極めて重要で、大丸有(大手町・丸の内・有楽町)エリアでこうしたイベントをする意義はそこにあるのではないでしょうか。このエリアのワーカーが、生産者と一緒になってブランド化していく活動に展開していくことができたらと思います」
毎回新たなテーマが浮き彫りになってくる本イベント。東京の農業の最前線といえるのかもしれません。
大丸有エリアにおいて、日本各地の生産者とエリア就業者・飲食店舗等が連携して、「食」「農」をテーマにしたコミュニティ形成を行います。地方創生を「食」「農」に注目して日本各地を継続的に応援し、これらを通じて新たな価値創造につながる仕組み・活動づくりに取り組みます。