シリーズコラム

【さんさん対談】"アスリートを支えたい"という想いの源泉

槙島貴昭氏(株式会社B-Bridge プロジェクトマネージャー)×田口真司(3×3Lab Futureプロデューサー)

4,8

年々成長を遂げる日本のスポーツ産業ですが、古くから抱えている課題があります。それは、この産業の一翼を担うプレイヤーであるアスリートの「キャリア」に関する問題です。成績を残すために競技に集中せねばならず、それ故にスポーツ以外の領域へのチャレンジの機会が限られ、引退後のキャリアに強い不安を抱くアスリートは少なくありません。そのような状況を変えていくことを目指し、エコッツェリア協会では、2019年12月から2020年1月にかけてアスリートのデュアルキャリアについて考える『アスリート・デュアルキャリアプログラム(※)』を開催。かつてアスリートとして第一線でプレーした講師を招き、現役のアスリートや、アスリートやスポーツを支援する企業の人々などに向けて講義やパネルディスカッションを実施し、デュアルキャリアについてを考えるきっかけを提供していきました。

今回のさんさん対談に登場していただくのは、当協会と共に同プログラムを推進し、ファシリテーターを務めた槙島貴昭氏です。自身も元アスリートであり、現在は株式会社B-Bridgeのプロジェクトマネージャーとしてアスリートのデュアルキャリアを推進する業務に取り組んでいる槙島氏との対談を通して、デュアルキャリアの考え方を広めていくための鍵を探っていきました。

※「アスリート・デュアルキャリアプログラム」は、東京都が2013年度より実施する創業支援事業「インキュベーションHUB推進プロジェクト」の一環として行われました。同プロジェクトは、高い支援能力・ノウハウを有するインキュベータ(起業家支援のための仕組みを有する事業体)が中心となって、他のインキュベータと連携体(=インキュベーションHUB)を構築し、それぞれの資源を活用し合いながら、創業予定者の発掘・育成から成長段階までの支援を一体的に行う取組を支援し、起業家のライフサイクルを通した総合的な創業支援環境の整備を推進するものです。

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「サッカーで世界を目指す」から「何らかの形で世界を目指す」へ

「サッカーで世界を目指す」から「何らかの形で世界を目指す」へ

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田口 さんさん対談は、3×3Lab Futureに関係する人のバックグラウンドや、いま取り組んでいること、将来の展望などについて伺うシリーズ企画です。今回は、2019年末から2020年初頭にかけてともに「アスリート・デュアルキャリアプログラム」を開催した槙島さんに登場していただき、アスリートとデュアルキャリアのあり方や、デュアルキャリアを広めるために必要なことなどについて伺っていきたいと思います。

まずは、槙島さんがアスリートのデュアルキャリア推進に取り組むことになった背景から伺いたいと思います。そのきっかけのひとつは、ご自身もアスリートだったからですよね。

槙島 大学時代までサッカーをやっていました。父はアメリカンフットボール、母はバスケットボール、姉は踊る方のバレエと球技のバレーボール、弟もサッカーと、全員がスポーツをする一家に育ったのですが、僕がサッカーを始めたのは家族の影響というよりも、生まれ育ったマンションに住む年上のお兄ちゃんたちがみんなサッカーをしていたからです。もしもみんなが野球をしていたら、僕も野球をしていたかもしれません。

それが2,3歳の頃で、4歳くらいから近所のサッカークラブでプレーするようになりました。そのクラブはなかなか強くて、フットサルの大会で全国優勝も経験し、自然とプロサッカー選手を目指すようになりました。

田口 中学卒業後には全国的な名門である滝川第二高等学校(以下、滝川二高)に進学されているんですよね。

槙島 滝川二高は地元・神戸の学校なのですが、僕が小学校に上がる前後の頃に初めてテレビで観た全国高等学校サッカー選手権大会に出場していて、「こんなにカッコいい人たちがいるんだ」と感動したんです。その頃から滝川二高に入ることを目指していました。

田口 ここまで聞いていると、高校時代まで順調にアスリート人生を歩んで来たように思えますが、挫折などはなかったのですか?

槙島 もちろんありました。小学校の時にフットサルの全国大会で優勝したと言いましたが、その大会の優秀選手に選ばれると日本代表として海外遠征に行くことができたんです。僕もその一員に選ばれそうだったのですが、決勝戦で骨折して代表には入れなくなってしまい、今でもつらい記憶として残っています。中学生の頃も小さな挫折はたくさんありましたし、高校に入ってからは一気にレベルが上がったこともあってさらに挫折は増えていきました。

その中でも「自分は世界に通用するサッカー選手にはなれない」と、人生で最もつらい思いを味わったのは高校2年生の頃でした。

田口 何があったのですか?

槙島 サッカーを始めたのは近所のお兄ちゃんたちの影響だという話をしましたが、その中のひとりが香川真司選手(元日本代表、現在はスペインのレアル・サラゴサに所属)なんです。僕が高校2年生のとき、香川選手がいきなり日本代表に選ばれたんです。3歳年上で、真ちゃんと呼んで仲良くしていた彼は「平成生まれの選手として初の日本代表」として一気に世間の注目を集めているのに、僕は高校でなかなか試合にも出られない状況で、どうしてこんなに差がついてしまったんだろうと、大きく落ち込みましたし、「サッカーで世界に出ていくのは無理だ」と感じたんです。

田口 でも「身近な存在だった香川選手が日本代表に選ばれたなら、自分だってやれるんじゃないか」という考えを持つこともできるかと思いますし、仮に世界で通用しなくてもまずはJリーガーを目指していこうなど、目標の再設定をすることもできたのではないでしょうか。

槙島 今になって思えばそういう道もあったでしょうし、Jリーガーになるだけならば不可能な話ではなかったと思います。でも当時の僕としては、日本代表になって海外でプレーすること以外は成功だとは感じなかったんですよね。

田口 では、その時点でサッカーに対する情熱も下がってしまったのでしょうか?

槙島 いえ、そういうわけではありません。サッカー選手としては無理だけど、何らかの形で世界で活躍できる人間になろうと頭を切り替えていきました。その時点で"何らかの形"が何なのかはわかりませんでしたが、「今の自分にはサッカーしかないんだからまずは日々の練習に一生懸命取り組んでいこう」と思えたことで、逆に視野が広がった気がしています。

香川真司選手をきっかけに夢を諦め、彼のおかげで目標を見つけられた

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田口 大学に進学してからもサッカーは続けられたのですか?

槙島 高校時代の最後の大会では県大会の決勝で敗れてしまいました。全国大会に出場できていれば高校でサッカーを辞めていたかもしれませんが、目標を叶えられなかったことで大学でも続けようと決意しました。

田口 高校と大学では何か違いはありましたか?

槙島 大学のサッカー部は、部活ではあるものの「大人の集団」という印象でした。高校の頃は100人ほどの部員がいましたが、全国に行くという志は同じだったのでまとまるのは簡単でしたが、大学のサッカー部ではプロを目指す選手もいれば就職活動のためにやっている選手もいましたし、それまでの延長線上でなんとなくやっている選手もいて、それぞれの思いも目標も違っていました。サッカーに対する取り組み方は高校までとはまったく変わった4年間でしたね

田口 でもそれは、ビジネスの世界で生きていく上ではいい経験だったのではないでしょうか。

槙島 まさに仰る通りです。色々な思いを持った人がいるからこそ、この組織をマネジメントできるようになれば、その経験は将来のためになると考え、このチームでキャプテンになることをサッカー人生最後の個人目標として掲げました。4年間で色々と難しい局面を迎えることもありましたが、実際にキャプテンに任命され、人として成長できる時間を過ごせたと思っています。

田口 高校時代に抱いた「何らかの形で世界で活躍できる人間になろう」という目標は、大学生活を通して具体化していったんですか?

槙島 大学時代、プロサッカー選手になった先輩などもいたのですが、プロとはいえ月10万円で生活しなければならないような人も多く、僕にとって最も身近なサッカー選手である香川選手と比べると大きなギャップがありました。そういう人たちを見ていく中で、香川選手のようにはなれなかったアスリートたちが次のキャリアを考えるときのサポートをしたい、そんな人たちに頼られる存在になりたいと思うようになっていきました。

田口 じゃあ、香川選手をきっかけにプロを諦めたけど、香川選手のおかげで次の道が見つかったんですね。

槙島 そうなんですよ。今こうしているのも、彼のおかげとも彼のせいとも言えるんです(笑)。そうした目標を見つけて、大学卒業後にアメリカ・ロサンゼルスに渡ることにしました。この話をすると、なぜ就職ではなかったのか、なぜアメリカだったのかとよく聞かれますが、それまでとはまったく違う世界、環境に飛び込み、自らチャレンジして経験値を積むことが、将来人のサポートをするために役立つだろうと思ったんです。

"Will"の発信と、"ストレス"を学んだアメリカ時代

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田口 アメリカではどのような活動をしていったのですか?

槙島 まったく英語が話せない状態で飛び込んだので、まずは語学学校に通いました。学校以外には、家で勉強するのと、ネットワークづくりに徹していました。当時はまだ具体的にどういう活動をしていくかクリアではありませんでしたが、「僕はアスリートのサポートをしたいんだ」と、がむしゃらに遠慮なく発信しながら、色々な人とつながっていきました。

田口 積極的に"Will(やりたいこと)"を発信していったと。

槙島 それによって実際に面白い人たちと出会えましたし、そんな生活を送れたロサンゼルスのことは今でも大好きです。ただ、居心地が良いだけに満足してしまっていたので、新しい刺激を求めてカリフォルニア州のサンノゼに移りました。それまでスポーツスポーツと言っていましたが、Appleの本社があるのはどんな街なのか、どんな人たちが住んでいるのか知ってみたくて、地元の大学に通うことにしたんです。でもその大学に通う人はエンジニア思考の人ばかりでなかなか話が合わず、ものすごくしんどい毎日でした。

でも、その感触は自分の中ですごく大事だと思ったんです。僕にとってはストレスでしたけど、その環境が合うアスリートもいるだろうし、もしかするとアスリートの経験を活かしてエンジニアの世界で活躍できる人材もいるのではないかと思ったんです。そういう人と出会ったときのために、ストレスを感じてもその場所に身を置いて経験を積み、ネットワークを作れば、きっと将来アスリートの役に立てると思ったんです。そんな考えを、以前からの知り合いでサンノゼで事業を展開していたB-Bridgeの桝本(博之氏/同社代表取締役社長)に話したところ、「B-Bridgeで一緒に働き、その思いを具体的なプロジェクトにしてみないか」と言ってくれたので、入社することしました。B-Bridgeはもともとバイオテクノロジーに関する業務が主流だったのですが、日本とアメリカの架け橋となり、日本を応援できる存在になろうと人材育成などにも携わり始めたところだったので、ちょうど僕の思いとも合致したんです。

田口 B-Bridgeではどのような仕事をされているんですか?

槙島 現在は、アメリカに進出したい個人や企業、自治体に対してアドバイスをしたり、現地との橋渡しなどをしています。B-Bridgeにはもともと日本支社はなかったのですが、2017年の冬に「そろそろアスリートに対する活動を進めていきたい」と社長にワガママを聞いてもらい、日本に拠点を移しました。

そうそう。そういえば僕、日本に拠点を移す少し前に3×3Lab Futureを訪れているんですよ。

田口 え、そうだったんですか。

槙島 B-Bridgeもアメリカでコワーキングスペースやインキュベーション施設を展開していたので、一時帰国したときに日本の施設を見学してみようと知人に幾つか紹介してもらったところ、そのうちのひとつがこの3×3Lab Futureでした。それでアポも取らずに訪れて見学させてもらいましたし、その辺りに座っている人に話しかけて名刺交換をさせてもらったり(笑)。でも、その時に話しかけた方とは今でもつながっていて、すごく貴重な経験をさせてもらいました。

田口 すごい縁ですね(笑)。でも、そうやって闇雲に動いてみたり、もがいていった結果で得たつながりって、意外と長く続いたり、大切なものになったりするんですよね。

槙島 本当にそうなんですよね。だから今でも気になる人にはワーッと話しかけるようにしています(笑)。

未曾有の事態からアスリートが学べること

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田口 いま世界では新型コロナウイルス感染症の影響で、様々なスポーツイベントや大会が中止・延期になっています。特にプロアスリートは、大勢の観客の注目を集めながらプレーすることで収入を得ていますが、それができない現状に悩んでいる選手も大勢いるのではないかと思っているのですが、元アスリートの槙島さんは現状をどう見ていますか?

槙島 仰る通り多くのアスリートが苦しんでいると思っています。この感染症が広がり始めたころ、とあるアスリートが「ファンの前でプレーできない状況が続く中で、自分にはどんな価値があるんだろう」ということを話している動画を見ました。アスリートにとっては本当につらい時期だと思いますし、一刻も早い事態の終息を望んでいますが、一方でアスリートの価値や自らの思いと向き合う貴重な機会だとも感じているので、SNSなどを通してそういったメッセージはどんどん発信していってくれると嬉しいですね。

田口 誰かを喜ばせて対価を得るというのは、実はビジネスの基本中の基本ですよね。そのことについて考えを巡らせた先にデュアルキャリアというものが見えてくると思うんです。今回の事態はまったくもって歓迎できるものではありませんが、アスリートやスポーツに関わる人々は、現状から多くのことを学んでいけるのではないかと思っています。

"時間軸"を決めてデュアルキャリアに臨む

田口 私たちは共にアスリートのデュアルキャリアの啓蒙に取り組んでいますが、やればやるほど難しいと思っています。現役時代から複数のキャリアを歩むというコンセプト自体は悪くないのですが、現役のアスリートにその重要性を唱えていってもなかなか響かないのではないかと感じているんですよね。

槙島 仰る通り、動けば動くほど、ご指摘の点に対する難しさを強く感じています。そこを打開していくためには、アスリート個人に訴えかけるだけではなく、所属するクラブ等の組織やアスリートを支援する人など、周囲を巻き込んでいきたいと思っています。

田口 槙島さんとしては、まずはトップクラスよりももう少し下のレベルのアスリートたちを支援したいというお話がありましたが、その層の選手たちは、将来に対する不安を感じている人が多いのでしょうか?

槙島 多いと思いますし、実際に不安を口にする人もいます。ただ今のスポーツ界ではアスリートがそうした不安を外部に発信するのを良しとしない風潮があると感じているんですよね。でも、トップクラスのアスリートでないからこそ将来の不安を少なくするためにデュアルキャリアに取り組んだ方がいいと思っていますし、デュアルキャリアを歩むからこそ競技そのものに夢中になっていけるのがベストだと感じています。

田口 複数のキャリアを同時に歩むからこそ安心できるし、そのおかげで頑張っていけるということですね。

お話をしていて、"時間軸"を決めて臨めばいいんじゃないかと感じました。例えば、10年20年と第一線でプレーするのは難しい可能性が高いので、最初の5年間は競技に集中し、次の5年間からは他のキャリアにも取り組んで行くというように、自分の中でタームを切っていくとデュアルキャリアに取り組みやすくなるかもしれませんね。

槙島 そういうアプローチもありだと思っています。

田口 ところで、香川選手とは今でも連絡を取り合っているんですか?

槙島 いえ、もう数年間連絡はしていません。最後に会ったのは、彼がイギリスのマンチェスター・ユナイテッドというチームでプレーしていたときです。僕が仕掛ける事業に対して、彼から「何か手伝わせてもらいたい」と言われることが大きな目標なので、その時に再会できるのを楽しみにしています。

田口 それが実現したら、ぜひこの3×3Lab Futureで槙島さんと香川選手の対談イベントを開きたいですね!

今日対談してみて、槙島さんには天性のメタ認知能力があるのではないかと感じました。それはビジネスにとても重要な能力ですし、これからどのようなキャリアを歩んでいくのか楽しみになりました。これからも共にアスリート×デュアルキャリアの取り組みを頑張っていきましょう。ありがとうございました!

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槙島貴昭(まきしま・たかあき)
株式会社B-Bridge プロジェクトマネージャー

大学卒業時までサッカーを続けたがサッカーの道は大学卒業とともに断念。卒業後すぐに単身で渡米。 2015年6月までロサンゼルスで過ごし、その後、現所属B-Bridgeの本社拠点となるシリコンバレーに移り、日本企業米国進出支援や海外研修の現地コーディネーターを担いながら、現在、 B-Bridge日本支社として東京に拠点を構え、アスリートのマネジメント・デュアルキャリア育成およびサポート
「 ATHLETE BEYOND 」に力を入れて活動中。

[株式会社B-Bridge]

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