世界システムの大転換期にあるいま、大丸有エリアはどのようなまちを目指すべきなのか。 そのために必要な機能や仕組みはどのようなものなのか。大学で教鞭をとりながら、知識経営、デザイン思考をベースに企業等のアドバイザーを務める、紺野登・KIRO(株)代表、多摩大学大学院教授にお話しをうかがった。
20世紀の企業は利益の追求を基本としていました。その究極は市場原理主義で、それはリーマンショックとともに限界を迎えたと言えるでしょう。現在は21世紀型の世界システムに転換していく狭間にあります。それをリードするのは、いま世界中で始まっている都市間の競争です。アジアだけを見ても、香港はクリエイティブ・インダストリーの中心地として打ち出し、上海は世界のトレードセンター・金融センターに向けてかなりの投資が行われてきました。瀋陽や天津はハイテクシティですね。
この都市間競争にどう関わっていくのか。明確なコンセプトを持つこれらの都市とともに競い合うためには、東京の中心である大丸有をひと言で表現できる何かが必要です。大企業の本社が集まっているというのではなく、「このエリアはこうです」と打ち出していかなければならないと思います。まちとして目的を持つこと。エリアには多くの企業がありますから、一つの目的を設定するのは難しいのでしょうが、大丸有が一つの目的に向かって動いていることをアピールする必要があるのではないでしょうか。
時代の大転換期にあって、企業はいま目的を見失っているように感じます。目的喪失の時代ですね。各社、美しいメッセージを発しているのですが、全体として何のためにやっているのか見えてこない。それぞれにさまざまな目的があるでしょうが、大きな共通項もあるでしょう。世界中が内面的な豊かさのようなものを追求する方向に向かって動いていることを感じます。
そんな中、日本は経済成長に依存しない豊かさを追求していくべき時代に入っています。中国は依然として一人当たりGDPは低く、資本主義とマルクス主義とのバランスをとりながら、計画経済によって成長を目指さざるを得ない。ところが日本は成熟しているし、少子高齢化が進んでいる。ですから内面的な豊かさや社会的目的を打ち出していけると思います。中国からすると、これはうらやましいことなんです。彼らは経済成長しなければ国がもたない。日本は「すごい。経済成長していないのに、みんなが精神的に豊かだ」と言われることを目指すべきです。つまり共通善に根付いた目的を掲げること。共通善というのは利益追求でなく、社会に共通する内面的・精神的な豊かさを追求すること。たとえば、これまでサステナビリティは地球に関する倫理観でしたが、これからは人間の内面の倫理観をもう一度見直す時代になった。それが本当に豊かになっていくことだと思います。
各企業ともイノベーションを生み出したり、新しいビジネスモデルを構築したいと思い、奮闘しています。ところが、既存事業を守りながら自社内の経営資源だけで、それを実現することは簡単ではありません。また、共通善のような社会的な目的を実現していくことも一企業の力だけではできません。
都市のデザインは、社会・経済を引っ張るインフラとなります。単なる見た目のデザインのことではなく、使い方や、ミドルウェアのようなもの。ビジネスモデルのデザインと言ってもいいでしょう。先ほどもお話ししたとおり、これからは利益最大化ではなく、目的最大化に重きが置かれる社会になります。その目的の究極が共通善なわけですが、企業経営もそちらに動き始めています。ということは、そういう企業が集まる都市デザインは、20世紀型のモデルとは異なるはずですね。 ドラッカーが言うように、知識社会は、人と人のネットワークが価値を生む社会です。ですから、さまざまな能力や知識を持つ人びとをネットワークしたくなり、アイデアがたくさん生まれ、テストを繰り返し、新しいイノベーションを生み出すような都市構造をつくっていかなければ、21世紀の世界システムに転換できないというが私のロジックです。
「こんな未来にしたい」というゴールはみなさんが持っています。企業のトップをはじめ、人はみなそういう思いを持っているでしょう。たとえば、10年後の2022年に思い描く未来を仮定してみる。すると、どんなことが起こればそういう状態になっているのか、何をすべきなのかを考えることができる。そして実際にやらざるを得ないことからどんどん始めていってしまうことが、目的の実現へ結びついていくのだろうと思います。
こういったことを進めるには、企業や個人それぞれの目的を自由に共有する場所、目的の実現につながるような中間的な場所を、大丸有につくっていけばいい。まさにエコッツェリアという場や、エコッツェリアがやってきたようなことが、イノベーションにつながっていくわけで、このようなイノベーションが連続的に繰り返されるプロセス、仕組みをまちの中に埋め込んでいくことが大事ですね。
大手町・丸の内にフューチャーセンターをつくり、有楽町にリビングラボをたくさんつくっていくというのはどうでしょう。特に有楽町はいろいろな実験ができそうな気がします。そこにNPOのような活動主体が入ってきて、企業やお店、来街者や住民の人たちなど多くのステークホルダーと活発な交流が行われるというイメージです。
しかし、いまはステークホルダーをつなぐソフトが欠けている気がします。ソフトというとすぐイベントを思い浮かべます。たしかに、イベントは一つの「コト」ですが、私の言うソフトとは、連続している「コト」。つまり経験の総体。1日、2日だけのイベント、消費するだけのイベントでなく、そこに行けば必ず味わえる質の高い経験プログラムが、まちの中に埋め込まれていることが必要です。つねに何か実験をしていて、毎日何かを経験できるようなものです。
たとえば、アムステルダムのレストラン通りでは、もっとエコストリートにしようと、NPOとアムステルダム・リビングラボが組んでLED照明を導入しました。「LEDは高いから嫌だ」と言う店舗を説得して回るのはNPOの役割です。そうしてプラットフォームができればフィリップスのような企業がLEDを供給して実験する。お金がどう回るか、ビジネスモデルとして成り立つのかといった実証実験をしています。ちょうど、グーグルのプラットフォームの上にいろいろな人たちが乗ってビジネスをやるように、まちに生態系のようなミドルウェアをつくったわけですね。こうして、レストランやまちにかかわる人たちの意識も変わっていき、まち全体が活性化していったという事例があります。
そういうことが大丸有でもできるはずです。たとえば、丸の内がエコロジーという視点で世界レベルのまちになるという目的のもと、いろいろなNPOと組んだりファッションイベントをやったり、あまりきれいにしすぎずに遊べる要素・余地を残すなど、異種・多様な人たちが入るような仕掛けをつくる。丸の内仲通りをリビングラボにする仕組みやルールをつくり、そのプラットフォームの上でNPOや企業が活動するというストリート・ビジネスモデルです。こういう機能をつくる感覚が大事だと思います。
オランダの水利運輸管理省のフューチャーセンターの例では、事前に参加する部門の調整をして、ワークショップ後のフォローアップを実施しています。何をやりたいのか、どんなファシリテーターを選べばいいのか、このあとどのようなマイルストーンで動くのか----こういうことを何度も繰り返して組織全体のネットワークが広がったり、ブレインパワーが高まっていくことを狙っているわけですね。
フューチャーセンターに期待されているのは、楽しいイベントを実施することでなく、企業などの長期的な組織力をどうつくり出していくかというところが一番です。ですから、フューチャーセンターは、運営する第三者に任せっきりにせず当事者が参加し、彼らが実践できることを最上位に置きつつ、現状に埋没しがちなところを切り替えさせたり、外部の人間を呼んで発想を拡張・ジャンプさせたり、あるいは変化への勇気を持たせたりして、次のプロセスにフォローアップする。フューチャーセンターはノウハウがスパイラルアップする、都市や組織の一つの機能なんです。
たとえば、官僚的な組織において、ある案件の調整に1週間かかっていた、あるいは10〜20の会議を開いていたとします。それでは何も決まらないでしょう。そこで、会議室をつぶして半分のコストでフューチャーセンターをつくる。それによって組織的なコーディネーション・コストがどれくらい縮小するのかを見ていきます。議論のスピードが高まるなどの効率化が分母で、戦略的な成果が分子。分母を縮めて分子を増やすモデルを考えればいい。それを共同でやってもいいですね。頭のいい子が育つ家は個室を与えていない、などといわれるのと同じで、仕切られた組織よりは多彩な人が集える場所にお金を使ったほうが成果につながると考えます。
大丸有エリアの目指す都市像は、おそらくクリエイティブ・シティでしょう。そこではオフィスのあり方も変わります。これまでのオフィスは「執務室」と「会議室」「応接」と「受付」「設備コア」など、ボキャブラリが5個ほどで済んでしまっていました。しかし、クリエイティブ・シティではフューチャーセンター、イノベーションセンター、あるいはリビングラボといった、いろいろな人がネットワークするためのソフトとハードが融合する機能を持つ場が多様に存在し、オフィスさらには都市空間のボキャブラリが変わってくると思います。それらをいち早く創造して、デザインをしていくべきです。
こういった都市をデザインしていく際に、キーワードとして「バウンダリー・オブジェクト」という概念が役に立つでしょう。企業でもどんな組織でも境界(バウンダリー)を持っていますが、一方ではそれが組織を「内向き」にしたり、コミュニケーションを妨げたりしています。ですからバウンダリーを破壊したり、つなげたりする必要があるわけですが、この境界を変化させるものをバウンダリー・オブジェクトと言います。それは、たとえば人かもしれないし、場所かもしれないし、何かを一緒につくりあげるという経験かもしれません。そういうバウンダリー・オブジェクトが仕掛けとしてまちの中にたくさん埋め込まれている。その一つがフューチャーセンターでしょう。
バウンダリー・オブジェクトが多層的に展開されている構造を持った都市がネットワークを促進する。それがナレッジ・シティ、クリエイティブ・シティだと思います。たとえば、ナレッジ・シティを標榜するスペインの都市ビルバオに誘致されたグッゲンハイム美術館は一つのバウンダリー・オブジェクトですね。
ですから、大丸有の中にそれぞれの境界を融合してほかのものと関係づけていく機能を持つことは欠かせません。それはフューチャーセンターかもしれませんし、大学的なもの、実験的なスペース、文化的・美術館的なスペースかもしれません。そういった新しい関係性が生まれるような機能を優先して配置していくイメージです。たとえば人通りの多い地下鉄の出入り口の近くにはそういう機能を増やして、駅の開発のモデルを変えるとか。あるいは駅や道路のあり方を変えていくような発想もおもしろいと思います。
クリエイティブ・シティは、こうしたハードだけでなく、具体的に何によって現実化するのか。それは、都市のインテレクチュアル・キャピタル、つまり高い知的資本を持った都市であるかにかかっています。人びとが交流できる場所がどれくらいたくさんあるかというような人間関係資本や、そういう交流のための制度的な資本など、さまざまなインテレクチュアル・キャピタルの測定法があります。そういう尺度を用いながらヨーロッパでは地域イノベーション政策を実際に展開しています。
これからは、インテレクチュアル・キャピタルの高さを計量化して都市が国際比較されることになるでしょう。たとえば、外資系企業に香港や上海と比べて大丸有はこういうレベルのインテレクチュアル・キャピタルで、ここが際立って高い、といったことをしっかりと言うこと。これはぜひ実行してもらいたいですね。
クリエイティブ・シティに向けた10年後のシナリオを想定してみましょう。これからの10年にはさまざまな局面で「事件」が起きるでしょう。いい事件も悪い事件も。それはいったいどんなことなのかを考えてみてください。もし、オキュパイ・ウォールストリートのような市民の主張、社会変革が日本で起こるとしたら、人びとはどこに集まればいいのか。歴史的にみて、社会や経済システムが変わっていくとき、人びとが参加してアピールできる、生きた都市の場所が舞台になりますが、そういう都市のデザインを受け入れられるところが大丸有には結構あると思います。東京駅前広場から行幸通り、丸の内仲通りなどが考えられます。
かつて高度経済成長期には丸の内が大舞台を担いましたが、21世紀に大丸有エリアが大舞台として再定義されうるのかどうかは非常に重要なことだと考えています。それはインテレクチュアル・キャピタルの高さにもつながるでしょうし、そういう舞台装置の上で創発なども現れてくるのだろうと考えるからです。
転換期の大舞台になるということは、単に内にバウンダリー・オブジェクトを配置しているというだけでなく、同時に大丸有自体が日本の経済全体を引っ張っていくような大きな意味でのバウンダリー・オブジェクトになるということにほかなりません。
いま企業で課題とされているようなトップや現場の意識改革についても、これからどんどん動いていくでしょう。それは心配しなくてもいい。人材も育ちます。大切なのは目的で、それをどうマネジメントしていくかが重要になっていきます。共通善のような目的重視の社会、経済に変わっていくんだという、オーラのようなものをまちが発することが、その動きを支えていくようになると思います。
日本発で、新しく独自性があり、世界に貢献できる経済システムをつくっていくというような、かなり強力なコンセプトが必要です。「いいことをやろう」「みんな悩んでいるからやろう」「場を創ろう」というだけでは弱いと感じています。中国の計画経済政策に相対できるような、「日本はこうだ!」というくらいの骨太さがほしいですね。たとえば、「成長によらない、人間の内面的強さこそが社会・経済の芯をつくる」というような強力なコンセプトで、日本の経済・社会システムにかかわり、かつ大丸有にしかないものをつくり出して、大丸有が日本を引っ張っていくことを大いに期待しています。
21世紀システムへの転換が叫ばれる一方で、依然として20世紀型経済社会に支配されているように見える日本。その中心にあるのは「内向き」の組織やシステム。デザインとは「Design=de+sign」、つまり従来の記号(sign)を破壊・分解し、新たな関係性を生み出す知的方法論を唱える紺野氏への取材を通じて、自分も異なる組織やコミュニティをつなぐバウンダリー・オブジェクトの機能を果たしてソーシャル・イノベーションの実現に参加していきたいと感じた。
早稲田大学理工学部建築学科卒業。(株)博報堂マーケティング・ディレクターを経て、現在KIRO(株)代表、多摩大学大学院教授(知識経営論)。博士(経営情報学)。京都工芸繊維大学新世代オフィス研究センター(NEO)特任教授、東京大学i.schoolエグゼクティブ・フェロー。『幸せな小国オランダの智慧-災害にも負けないイノベーション社会』、『ビジネスのためのデザイン思考』、『知識デザイン企業』『知識経営のすすめ』など、多くの著書がある。