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エコッツェリア協会では、2019年から東京都の「インキュベーションHUB推進プロジェクト(※)」を通じてアスリートのデュアルキャリアに取り組み、有識者を招いた啓発イベントや、アスリートやスポーツに関わる人々のネットワーク構築などを実施するとともに、現役アスリートをインターンシップとして受け入れ、実際にデュアルキャリアを体験していただいています。
今回のさんさん対談の相手は、そのインターンシップ参加者である吉林千景氏。日本代表にも選ばれるフットサル選手であると同時にWebライターとしての顔も持つ彼女。そのデュアルキャリアの構築は、「余白」がもたらしたものでもあると教えてくれました。
※「アスリート・デュアルキャリアプログラム」は、東京都が2013年度より実施する創業支援事業・インキュベーションHUB推進プロジェクトの一環として行われました。同プロジェクトは、高い支援能力・ノウハウを有するインキュベータ(起業家支援のための仕組みを有する事業体)が中心となって、他のインキュベータと連携体(=インキュベーションHUB)を構築し、それぞれの資源を活用し合いながら、創業予定者の発掘・育成から成長段階までの支援を一体的に行う取組を支援し、起業家のライフサイクルを通した総合的な創業支援環境の整備を推進するものです。
田口 初のアスリートインターンとして、2020年7月より3×3Lab Futureでの活動に参加いただいていますが、今日は、インターン活動の中で感じたことや他のアスリートへのヒントなどを聞いてみたいと思っています。まずは、アスリートとしてどのような道を歩んで来たかを教えてもらいたいのですが、そもそもはフットサルの前にサッカーをやっていたんですよね。
吉林 サッカーは5歳の頃からはじめました。当時は千葉に住んでいたのですが、近所の少年団チームにお兄ちゃんが選手として、お父さんがコーチとして入っていたので、そこに付いて行っていたんです。ただそれはサッカーをやりたかったというよりも、「モーニング娘。」のマネージャーをしていた方がそのチームでコーチをやっていたからなんです。私はモー娘。の大ファンだったので、その方にお話を聞かせてもらいたくてお父さんたちに付いて行くうちに、いつの間にかサッカーをやるようになっていました(笑)。
その後、10歳で東京都町田市に引っ越し、中学1年生のときに日テレ・ベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)という有名なチームの下部組織(日テレ・メニーナ)に入団することになりました。メニーナはトップチームで通用する選手の育成を目的としていて、入団できるのは毎年4、5人ほど。中学3年生から高校1年生になるタイミングでも、トップに上がれないと判断されれば辞めざるを得ない、シビアな環境でした。私の場合、高校生に上がるタイミングでもメニーナでサッカーを続けられたのですが、高校2年生でチームを辞めました。周りのメンバーは高校3年生までやり切るというのが普通だったので、ちょっと不思議な経歴なんです(笑)。
田口 高校2年生のときに何かあったんですか?
吉林 今のなでしこジャパンの中心メンバーになるような選手たちがすぐ下の世代にいたので、高校2年生の頃にあまり試合に出られない時期があったんです。ちょうど将来のことを考える時期を迎えていたこともあり、「こんなにすごい選手たちとポジション争いをしながら勉強も続けられるだろうか」「このままチームに残って本当にサッカーをやっていきたいのだろうか」という疑問を持つようになったんです。そこで自分が行きたい大学を探してみて、見つけたのが慶應大学湘南藤沢キャンパス(慶應SFC)でした。いろいろなことを学べそうなので慶應SFCへの進学を決意したのですが、サッカーをしながらだと合格するのが厳しそうだったので、思い切ってサッカーを辞めて受験勉強に専念することにしたんです。
田口 慶應SFCのどんなところに惹かれたんですか?
吉林 大学を探す中で考えていたのは、自分がこれまでやってきたスポーツといろいろなものをかけ合わせながら学べる学校に行きたいということでした。だから特定の分野に限らず学べる大学を探していたのですが、慶應SFCは「文系でも理系でもない学部」というように打ち出していて、そこに惹かれました。大学では総合政策学部という学部に進み、スポーツビジネスのゼミに所属。フットサルに関する卒論を書いて、優秀卒論にも選んでいただきました。
田口 フットサルを始めたのは大学に入ってからですか?
吉林 いえ、サッカーを辞めてすぐの頃でした。突然運動しなくなると太ると思ったので(笑)。知り合いにチームを紹介してもらって、受験勉強をしながら週に1回程度練習に参加していました。受験を終えてからは時間に余裕もできたので、練習に参加する頻度を増やして本格的にプレーするようになりました。。
田口 なるほど。でも「本格的に」ということは、フットサルも趣味の範疇ではない高いレベルだったんですね。。
吉林 知り合いの紹介で入ったチームなんですが、全日本選手権の優勝経験があって、日本代表選手もいる強いチームだったんです。大学生になって定期的に練習に参加できるようになると、先輩たちの足を引っ張るわけにはいかないという気持ちが強くなり、必死に付いて行くようになりました。。
田口 初めて日本代表に選ばれたのは大学1年生の頃だと聞きましたが、日本代表というのはやはり"重み"のようなものを感じますか?。
吉林 日本代表のユニフォームって、サッカーでもフットサルでも、男子でも女子でも基本的に同じなんですよね。だからチームは違えど、例えば中田英寿さんのような有名な方と同じユニフォームを着て戦えるのは、本当に夢みたいなことなんです。私の場合、サッカーでは高校生のときに年代別代表に選出されましたが、フットサルで選ばれたのは年齢制限がないフル代表だったので、なおさら重みは違いました。 加えて女子フットサルはマイナー競技ですから、サッカーのフル代表のように活動があって当たり前というわけではないんです。次の合宿がいつ行われるのかわかりませんし、1年後の活動予定がはっきりしていないこともあります。それぐらいサッカーとは待遇も違うんです。だから代表に選出されるとすごく嬉しいですし、試合で国歌を歌うときに涙を流す選手もいるくらいなんです。
田口 国を背負うということの重みを感じるエピソードですね。規模は違えど、クラブチームや企業といった組織を自分が背負うという意識を持つと、物事に対する意識は全然変わってくると思います。
吉林 はじめのうちは選ばれたことに対する喜びだけでしたが、代表歴が長くなってくると、国を背負っているんだという意識が強くなっていったのは実感しています。自然と自分がどういう振る舞いをすべきなのかも考えるようになりました。万が一私が不祥事を起こしたら、「女子フットサル日本代表の吉林千景が......」と報道されるわけですよね。そうなるとサッカーやフットサルの全カテゴリに迷惑がかかりますし、特にマイナー競技であるフットサルには大ダメージになってしまうんです。ただ、すべての選手たちがそういったことを意識して日々生活できているかというと、まだまだだと思います。だからこそ、そういったことを伝えていく存在にならなきゃいけないなと思うようになりました。
田口 吉林さんの話とはレベル感が違うかもしれませんが、僕も以前とある老舗の企業に勤めていたとき、お客さんに名刺を出したら「あなたの会社は百年の歴史があるすごいところだよね」と言われてドスンと心に刺さったことがあります。自分の行動によっては会社の歴史を壊してしまうかもしれないというプレッシャーもありましたが、逆にいい仕事ができれば歴史をさらに上積みできるということなので、自分ひとりだけでは積めない経験ができていると感じましたね。
吉林 一緒だと思います。日本代表で国を背負うというのは、誰も教えてくれないことを学べる場だなと感じています。
田口 今は府中のチームに在籍されていますが、以前に海外でもプレーしていたことがあるんですよね?
吉林 スペインで二度プレーしています。大学3年生のときと、帰国して大学を卒業した後にもう一度スペインに行きました。ただ、二度目のときは膝前十字靭帯をケガしてしまい、2年間プレーできませんでした。
田口 2年もプレーできないというのは、アスリートとしてはかなり大きな挫折ですよね。
吉林 挫折感や悔しさよりも、ケガのせいで大きな国際大会を二つほど棒に振ってしまい、代表チームに大きな迷惑をかけてしまったことが本当に申し訳ないという思いでした。
田口 「この先どうなるんだろう」と、キャリアのことを考えたりはしましたか?
吉林 そういう思いもありました。ただ、フットサルを始めてからノンストップで活動してきたので、「少し休もう」と頭を切り替えることができたんですよね。松葉杖をつきながら海外旅行に行ったりもしました(笑)。
田口 確かに話を聞いていると「どん底だった」というような雰囲気は感じられないかもしれませんね(笑)。なぜそこまで受け入れることができたのでしょうか?
吉林 フットサルから離れるチャンスをもらった、という気持ちもあったかもしれません。当時はひとりでスペインに行っていましたし、入ったチームがすごく田舎にあったのでアクティビティもなくて。試合と練習だけの生活だけど、普通に働くよりお金がもらえるわけでもないし...。メンタル的に厳しい時もあったのは正直なところです。そんな折にケガをして、治療のために日本に帰ってきて「なんだか自由だな」と感じたんです。リハビリを担当してくれたトレーナーさんも「この先の人生でこんなに自由な時間はないよ」「今のうちに他のことも勉強してみたら?」って言ってくれて。それで旅行に行ったり、英語の勉強を兼ねてカナダに留学もしました。
田口 世の中には、逃避的に転身する人も少なくないと思いますが、吉林さんの場合は自分を俯瞰して見た上でキャリアチェンジのような動きをしていますよね。もちろん、辛いこともたくさんあったのだろうけど、「自分はこのままでいいんだろうか」「こっちのチャレンジも面白そうだ」という形で、上手くキャリアを積み上げているなと感じました。
吉林 キャリア形成に通じるかはわからないですが、「常に自分の中に余白をつくる」ということは意識しています。余白が足りずに「忙しくてもう無理だ!」みたいになってしまうとメンタル的にきついのはもちろん、いいインプットやいい出会いもないということに気付いたので、常にそこは意識しています。
田口 サッカーを辞めて大学進学を選んだのも、余白を意識してのことだったのかもしれないですね。そう考えると、エコッツェリア協会のアスリートインターンに応募したのも抵抗感がなかったのでは?
吉林 全然ありませんでした。むしろ「やっと自分にマッチするものを見つけた」と思ったので、すぐに応募しました。
田口 そうやってすぐに飛びつけたのも、余白を持って過ごしていて、意識せずとも常に準備をしている状態を維持できているからですよね。
田口 実際に3×3Lab Futureに関わる活動をスタートさせていかがですか?
吉林 一言で言えば「楽しい」ですね。3×3Lab Futureで出会う人たちは、私がこれまで出会ってきたスポーツ界の人たちとは全然違う世界の方々ですし、日本各地や海外の人ともつながれます。そうした人たちと関わりながら人生を進めるのは楽しいなと思っています。また、やりたいことを仕事にしている人が多いのも印象的でした。やりたいことを人生の中心に持ってきている方々の活動を間近に見て、本当にカッコいいなと感じています。
田口 やりたいことを仕事にしている人って、おそらく世の中の10%もいない。でも、アスリートこそやりたいことをやっている人と言えるのではないでしょうか?
吉林 メジャーなスポーツのトップクラスの人たちはそう言えるかもしれないですが、スポーツだけでは稼げないマイナー競技のアスリートはそうではない人が多いんですよね。だからこそ、スポーツ以外のことでも自分のやりたいことを見つけたり、ビジョンを描けるといいのですが、なかなか難しいのが現実です。
田口 そう考えると、メジャー競技のトップクラスのアスリートと、マイナー競技のアスリートでは、一口に「デュアルキャリア」と言っても違うものになりますよね。アスリートのデュアルキャリアを支援したいと考える僕たちとしては、アスリートの方々にはぜひビジネスセクターとの接点を持ってもらいたいと考えているのですが、吉林さんはどう感じますか?
吉林 私もそれは必要だと思います。ただ、アスリート側だけではなく、ビジネス側もお互いに歩み寄りが足りていないということも感じています。アスリートはアスリートで、自分たちのキャリアを考えようとする会を開いたりもしているのですが、そこから実際の社会にどうつなげていくかということを明確にできないんです。ビジネス側としても、アスリートのセカンドキャリアやデュアルキャリアをサポートしたいという思いを持っているものの、アスリートが何をできるのかがわからなくて話が進まないということがよくあると思うんですよね。だから、両者を上手く橋渡ししてくれる人や組織があればもっと上手くいくんじゃないかなと感じています。
エコッツェリア協会が開催しているアスリート・デュアルキャリアプログラムには多くのアスリートが参加してくれていますし、競技の壁を超えたつながりが生まれています。皆が持っている悩みって、お互いが持っているリソースやネットワークを使ったり、皆で企業にアプローチをしていけば解決の幅が広がると思うんですよね。
田口 以前は吉林さんも「つながれる側」にいたと思いますが、今は僕らと同じ「つなぐ側」にいますよね。このインターンの経験から、今後はつなぐ側に身を置いてみたいという考えはありますか?
吉林 つなぐ側もすごく面白いなと思うようになっていますね。フットサルでは、今年人生で初めてキャプテンに選ばれたんです。それをきっかけにチームメイトの特徴や性質を改めて見るクセが付いたのですが、そういう風にアスリートの良いところを見つけて良い人やチャンスとつなげたりすることで、キャリアの幅を広げる手伝いができるとすごく面白いだろうなと感じます。
もうひとつアスリートインターンを通じて感じたのは、「インターン」っていい言葉だなということです。「雇用」となると縛られてしまう印象もありますが、インターンは自主的に動ける印象があり、アスリートにとって一歩を踏み出しやすい良い制度だと思います。
田口 その点は僕たちも最初に悩んだところなんです。「業務委託」のようにしてしまうと、組織としてやってもらわなければならないことを明示しないといけなくて、どうしてもアスリートを縛る雰囲気が出てしまう。それよりも、一緒にデュアルキャリアのあり方を研究してみましょう、ということを言いたかったので、インターンという制度にしました。
田口 では、最後にスポーツに携わる人たちや、アスリートを目指す子どもたちにメッセージをお願いします。
吉林 突然テーマが大きいですね(笑)。個人的には、自分がまったく知らない世界の人とつながるようにしたいと常々思っています。そうすることで世界の広さを感じられるし、成長できる。そんなアスリートが一人でも増えたらいいなと思っています。スポーツ以外のことにも目を広げていくと、仮にスポーツで挫折したときにもいろんな見方ができるようになると思います。
田口 いろんな人とつながると、知識や関係性が増えて人生が豊かになる。僕らの世代と同じような大人な意見ですね(笑)。
吉林 ケガで2年間休んだことで成長できましたから(笑)。
田口 今日改めて話をしてみると、他の人であれば挫折と感じることをそう感じさせない人だなと思いました。ケガの話もそうですし、サッカーを辞めたのも普通ならば挫折と感じてしまいそうですよね。
吉林 5歳から続けていたサッカーを辞めたことは、自分の中で大きなことだったのは間違いなくて、「人生の第一章が終わったな」と感じていました。
田口 自分で辞める決断をしたからこそ、そうやって言えるのかもしれませんね。他人に言われて辞めていたら、「本当は辞めたくなかった」「あの人のせいだ」というように責任転嫁してしまっていたかもしれないし、それが逃げ道になってしまう。
吉林 そうですね。だからこそ今でも後悔していませんし、あの時辞めて正解だったと思っています。
大学受験のために通っていた塾の先生に、「選択の良し悪しは選択後の努力で決まる」と言われて、その言葉は今でもすごく心に残っています。どちらを選んでも結局は自分次第なので、それならどう努力するかを考えようと思っていますね。
田口 すごくいい言葉ですね。吉林さんのように、ポジティブに思える若い人は本当に貴重な存在だと思います。ぜひこれからも一緒に活動を広げていきましょう!
東京都出身。2016年慶應義塾大学総合政策学部卒。2011年よりフットサル女子日本代表選手。スペイン女子フットサルリーグへ移籍するも、二度に及ぶ膝の大怪我で帰国。競技に縛られていたキャリアに疑念を抱き、「3×3 Lab Future」でのアスリートインターンやWebライターとしての活動を始める。現在は引き続き世界の舞台で戦うために第一線で競技に励みながら、デュアルキャリアの実践として競技以外の活動にも力を入れている。