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大手町・丸の内・有楽町(大丸有)エリアの人事担当者の皆様の支援・情報共有の場として2016年から定期的に実施している「人事部連絡会」。2022年8月に開催した 2022年度第1回人事部連絡会では、人材を"資本"として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営を意味する「人的資本経営」をテーマとして、経済産業省の取り組みや、2拠点居住・副業・兼業実践者の声を聞きながら、自由な働き方と経営のあり方について考えを巡らせていきました。
約半年ぶりの開催となった今回は、引き続き「人的資本経営」を主テーマとしつつ、大企業における取り組み事例の紹介や、従業員エンゲージメントの意義とその効果について考えるセッションなど、これからの人事部担当者の動き方を考える上でより実践的な会合となりました。
登壇したゲストの皆様のプレゼンテーションと、後半に行われたクロストークの模様をご紹介します。
株式会社三菱総合研究所 キャリア・イノベーション本部 政策・戦略グループの山岸拓也氏
最初に登壇したのは、株式会社三菱総合研究所 キャリア・イノベーション本部 政策・戦略グループの山岸拓也氏です。主に民間企業の組織開発や人材育成、マネジメント支援などに取り組む山岸氏には、「いま企業に必要なエンゲージメントとは?」と題して、人的資本経営とエンゲージメントを取り巻く社会的動向や、エンゲージメントの捉え方と高め方、エンゲージメント向上を通じた企業価値向上に関する情報提供をいただきました。
現在、人的資本経営が企業経営の注目トレンドとなっているのは、工場や設備規模などの有形資産が重要視された工業化社会の企業価値評価から、知財、人・組織、ブランドといった無形資産が重要視されるポスト工業化社会の企業価値評価へと評価ポイントが移っていることが大きく関係しています。人材という観点では、日本は2020年からの30年間で生産年齢人口が2000万人以上減少すると推計されています。さらに直近10年に着目すると、技術革新をリードしながらビジネスに適用できる能力を持った専門職人材の不足傾向は顕著で、2030年には専門職は170万人が不足すると見られています。この推計からは、企業間で専門職人材の争奪戦が勃発するという将来が予想されます。そのため、現時点から経営における人的資本のプライオリティを高めていくことが重要になるのです。自社の競争優位を支える人材として、単に優秀なだけではなく、自社のビジネスを深く理解し、ビジネスモデルにマッチした人材を獲得しなければなりませんし、その人材が活躍するために働きやすく学びやすい環境の整備、そして何より組織に対して愛着を持ってもらうことが必要となります。そのような人材をいかに獲得し、育成し、活躍させ、企業価値を高めるかをデザインすることが人的資本経営と言えます。
「すべての起点となるのは、経営戦略と人材戦略を確立し、連動させることです。その前提として、経営戦略を理解した従業員がパフォーマンスを発揮するための人材戦略が成立しており、従業員のエンゲージメントが高い状態であることが必要となります。従業員に対してエンゲージメントを求めるべき理由は、①会社へのエンゲージメントがなければ経営戦略の理解が深まらず実行を徹底できない、②エンゲージメントが低く、従業員に離職されてしまうような状態では戦略の実行もままならないが挙げられます。」(山岸氏)
人事の領域におけるエンゲージメントは「従業員の仕事や組織に対する熱意や愛着、貢献意欲」などを指す概念ですが、エンゲージメントを高めることには"攻め"と"守り"の2つの効果があります。攻めの効果としては、生産性や業務品質、顧客満足度の向上や、企業ビジョンの浸透度の速さ、社内コミュニケーションの改善などが挙げられます。守りの効果としては、離職率の低減や定着率の向上、コンプライアンス向上などが挙げられます。また、エンゲージメントには、仕事と個人の関係に注目する「ワークエンゲージメント」と、企業と個人の関係に注目する「従業員エンゲージメント」があり、それぞれのエンゲージメントを両立させることが、企業の持続的な成長の鍵になります。そして、2つのエンゲージメントや、「モチベーション(仕事に対するやる気)」「従業員満足度(組織に対する満足)」「eNPS(組織を友人・知人に勧められるか)」「ロイヤリティ(組織に対する忠誠心・帰属意識)」といった既存の指標と組み合わせ、自社の課題起点で採用すべきKPIを取捨選択することが重要だと山岸氏は説きます。
「例えば、研究開発を行う組織であれば、従業員一人ひとりの仕事への関わり方が大事になりますので、ワークエンゲージメントやモチベーションの指標を見るべきです。離職率の高さに課題がある組織であれば、従業員エンゲージメントや従業員満足度にフォーカスすべきでしょう。これらの指標を組み合わせていくと色々な分析ができますし、そこにこそ企業の価値判断が入ってきます。人事部門の皆様は、どのようにKPIを設定するかを考え、経営層と共有することが必要になってくるでしょう。また、社員エンゲージメントを一足飛びに高めるような手段はありませんが、上司が部下と1on1でミーティングし、部下の『Will(やりたいこと)・Can(自身の強み)・Must(やるべきこと)』の整理をしてあげることは、キャリアの自律を促すためには有効だと言えます」(同)
エンゲージメントに関する取り組みは「企業価値向上につなげなくては意味がない」と山岸氏
「このように社員のエンゲージメントの把握と向上は、ビジネスの成果を高めるために必要なものです。近年では、特に若手の機関投資家がその点に着目し、エンゲージメント指標が開示されている企業、エンゲージメント向上の取り組みを実施している企業への投資を強めています。そのため、「5年後10年後には、投資をする上でエンゲージメントへの取り組み可否を当然のように見るようになる時代となることが予想されるので、来たるべき時に向けて早い段階から準備し、開示していくことが必要」(山岸氏)となります。情報の開示はあくまでも"企業価値向上"というゴールへ向かう1つのステップですが、欠かせない1ステップであることは間違いありません。そのため山岸氏は、「これからの人事部門は、管理部門ではなく"価値創造部門"へと変わっていくことになるでしょう」と述べ、プレゼンテーションを締めくくりました。
花王株式会社 人財戦略部門 智創部の加藤紀子氏
続いては、実際に人的資本経営を推進する先進企業の取り組みの紹介へと移ります。花王株式会社 人財戦略部門 智創部の加藤紀子氏からは、花王が取り組む成長活性化制度をご紹介いただきました。
花王では、2020年に発表した5カ年の中期経営計画の中で「社員活力の最大化」を目標の1つに掲げています。この実現のためにスタートしたのが花王流のOKR(Objectives and Key Results)です。OKRとは「目標(Objectives)」と「主要な成果(Key Results)」を設定して目標を管理していく手法です。それまでの花王では、上意下達で個々人に目標が割り振られる一般的な目標管理制度(MBO)が採られていましたが、社内コミュニケーションの活性化や挑戦を推奨する風土を醸成し、生産性の向上を図るために、社員一人ひとりが起点となって、中長期的な視点で自身がありたい姿を描きやすいOKRを採用することになったのです。
「花王流のOKRでは、ムーンショットと呼ばれる夢のある目標を設定することを推奨していますが、職務によっては守るべき"岩盤目標"も同時に設定してもらっています。また、カスケードダウンではなく社員一人ひとりが目標設定し、対話を重ねることで個人のパーパスと会社のパーパスをすり合わせていく点も特徴です。評価方法としては、チャレンジングな目標は取り組みやプロセスの質に重点を置き、岩盤目標は貢献や成果に重点を置いています」(加藤氏)
2021年度から始まった花王流OKRは「まだ試行錯誤の途中」(加藤氏)であり、多くの社員がポジティブに捉え、挑戦を意識するようになったものの、実際に行動に移せているのはまだ少数だということです。そこで加藤氏ら人事部門担当者は、マネージャー層と社員の対話を活性化させるための『対話フェス』の開催や、メンバーの能力を最大限引き出せるマネージャーを育成するための教育体系改編などに着手しています。最後に加藤氏は、次のように今後の展望を口にしました。
「花王流OKRの開始は、単に新しい目標管理制度を導入したというだけではなく、様々な取り組みと関連付けながら人事の仕組みを変化させるものです。今後も積極的なチャレンジをするとともに、外部への情報開示もしていきたいと考えています」(同)
「様々な制度やカルチャーを展開しながら、花王流のOKRを浸透させ、人的資本経営を実現していきたい」と加藤氏
株式会社サイバーエージェント 人材戦略部 キャリアエージェントの村田陽香氏
株式会社サイバーエージェントの人材戦略部でキャリアエージェントを務める村田陽香氏からは、同社における人的資本経営の取り組みを紹介いただきました。サイバーエージェントでは、87%の社員が「働きがいがある」と答えるなど、高いエンゲージメントを獲得しています。社員の働きがいは、仕事や会社のパーパスを通じて「自分の存在意義を感じられるか」に左右されるとサイバーエージェントでは考えています。そのため同社では、花王同様にOKRに取り組んだり、「GEPPO」というコンディション把握ツールを活用して定量調査を行ったり、村田氏のような社内専門のキャリアエージェントが社員にアプローチしたりすることで、社員が存在意義を感じられる状態を整えています。
「GEPPOを活用して社員の声を拾った後、私たち人事部門では、コンディションに変化がある人や相談事がある人のフォローをしたり、キャリアについての面談をしたり、場合によってはキャリアチェンジのサポートを行っています。ポイントは"打てば響く"だと思っていますので、社員のコメントにしっかりと目を通すことは当然として、それを各社員にも伝えていますし、上がってくる声は役員にも届けるようにしています」(村田氏)
異動公募制度「キャリチャレ」では、キャリアエージェントが面談を通して「適材適所チェックリスト」と照らし合わせながら異動の可否を決めているそうです
またサイバーエージェントでは、事業と人材の適材適所を実現するために、社員が自分の意志で他部署への異動を申請できる「キャリチャレ」という異動公募制度を導入しています。「前向きなチャレンジか」「異動後に成し遂げたいこととマッチするか」「タイミングは適切か」といったことをキャリアエージェントが面談してチェックし、問題なければ異動を後押ししています。さらに、社員の成長機会を最大化させる取り組みとして「ポスト・チョイス・DO(通称ポスチョイ)」という制度を導入している点も同社の人事制度の特徴です。ポスチョイは、全社的に重要なポジションに対して人事部門が適任者を人選し、役員会で提案するというものです。適任者を人選する際は、適正や本人の意向を重視することで、大きな成長をサポートすることにつながると言います。
「このような人事制度を運用していくために、人事部門は社員のことをよく知っておく必要があります。そこで、事業責任者やリーダークラスの人材のキャリア志向を聞く『リーダーズ面談』や、全社員のキャリア志向を可視化する『WILLタグ1000』といった取り組みを実施して一人ひとりのキャリアの考え方をデータベース化し、人事提案に活用しています」(村田氏)
クロストークの様子
各登壇者のプレゼンテーションを終えると、三菱地所株式会社の橋本沙知氏によるファシリテートの下、クロストークが行われました。まず投げかけられたのは、「人的資本経営に取り組む上で何から始めれば良いか」という質問です。山岸氏は3つのキーワードを挙げながら次のように説明しました。
「よく聞かれる質問ですが、『経営戦略』『人材戦略』『現状把握』の3つを確立・実行すべきとお伝えしています。5年後10年後に自社事業がどのような形で売り上げを上げていくのかを決め、そのためにはどのような人材が何人くらい必要なのかを考え、決めていく。そこが最初にできていないと次のステップには進めないと思います」(山岸氏)
続いて、サイバーエージェントの村田氏に対して、「社員の異動の際には本人の希望をすべて聞くことは必ずしも良いわけではないと感じるが、社員の成長をサポートするにはどのようなポイントがあるのか」という質問がなされました。
「ご紹介したように、当社では本人の希望で異動できる制度を展開していますが、希望通りにはならないケースもあります。その際には必ず意味付けを行っています。どういう意図や背景があって希望とは異なる結果となったかをしっかり説明しますし、社員の不安の解消を手伝うようにもしています。異動の説明に限らず、人事部門担当者として社員とコミュニケーションを取る際にはできる限り情報をオープンにすることは強く意識している点ですし、そのためには社内専用の求人サイトなど、社員が情報にアクセスしやすいプラットフォームづくりも行っています」(村田氏)
加藤氏に対しては、「人的資本経営を推進していくために関係者や社員をどのように巻き込んでいけば良いか」というテーマが振られます。加藤氏は「まだ苦労している段階」と前置きした上で、日々意識していることを教えてくれました。
「花王のOKRは"共創"をコンセプトにしていますので、社員の方々と一緒に作っていくことを意識していますし、これまでの人事のあり方、コミュニケーションの取り方とは変えていかなければならないとも思っています。例えば、以前は人事制度に何らかの変更があった場合、しっかりと突っ込みどころのない資料を作り、読んでいただいて理解されるようにしていました。しかし現在取り組んでいる新たな人事制度は、まずはコンセプトを理解してもらうことを目指し、コンセプト動画を用意しました。また、挑戦を行動に移せている人の事例や、上手な目標設定の仕方を共有するなど、社内向けのマーケティング活動のようなことに一生懸命取り組んでいます。一方で経営層に対しては、社員の反応や考えなど、現場で起こっていることを報告するようにもしています」(加藤氏)
また、会場の参加者からは、「グローバル展開している企業が社員のエンゲージメントを調査すると、国や地域によって仕事や会社に対する考え方が異なるため、単一的な設問だと欲しい情報が得られないがどうしたら良いか」といった悩みが聞かれました。山岸氏は、「海外の場合はワークエンゲージメントが高く、日本は従業員満足度や継続勤務意向が高い傾向にある」と国による違いに触れた上で、次のようにヒントを提示しました。
「やはり、経営戦略の実現や、その前に立ちふさがる課題を解決していくために必要なエンゲージメントは何なのかを考えていくべきでしょう。例えば、『平均勤続年数は長いけれども、ワークエンゲージメントが低い従業員が多い』という企業、『平均勤続年数はそこまで長くないけれども、在籍している従業員のワークエンゲージメントは高い』という企業があったとします。従来の日本の価値観だと前者の方がいい会社だと思われがちですが、エンゲージメントが低いので経営戦略や事業戦略の目標を達成しにくいわけです。その反面、後者の企業は従業員の入れ替わりは激しいけれども、エンゲージメントが高いので目標を達成する可能性も高くなります。人事部門は、企業価値向上の観点でどちらが良いのか、経営層と議論することが必要です。各組織に持たせている目標を達成するために、人事部門としてどのような人材戦略を描き、何をKPIとし、どのようなアクションが必要になるのかという観点を持つことが重要になるでしょう。その中で、日本や海外といった拠点ごと、部署ごとによって見るべき指標も変えていくべきだと思います」(山岸氏)
山岸氏は最後に、エンゲージメントに対する取り組みで最も重要なものは「企業価値向上のストーリー」であるとも話しました。
「エンゲージメントに関する情報に投資家が注目していると話しましたが、彼らは『投資先企業の企業価値向上のストーリーが描けるか』という観点でエンゲージメント情報を見ています。企業側は自社の企業価値向上のストーリーに対して、経営戦略とともに戦略の実行を支える人的な裏付けについて、エンゲージメント情報を通じて明示していかなければなりません」(同)
こうしてクロストークは終了の時間を迎えます。その後、パネリストと会場の参加者が名刺交換をしたり、意見を交わしたりと、和やかな雰囲気の中でこの日のセッションは幕を閉じました。「人的資本経営」や「エンゲージメント」といった今後のトレンドに対して、大丸有エリアの企業はどのようなストーリーを描きながら挑戦していくのでしょうか。注目していきたいと思います。