東日本大震災は、新世紀になっても引きずっていた20世紀の価値観を見直す大きなきっかけになった。3.11以降、「都市=企業集積地」と「地方」の関係はどのように変化し、21世紀にふさわしい都市と地方の共生はどう進化していくか、大丸有が期待されている役割は何か? 3.11以降のソーシャル・デザインを含めて考える。
竹村:3.11は、いろいろな意味で目覚まし時計でした。そこで露わになったのは、過度に経済性追求をするあまり、「遠いエネルギー」「遠い食糧」「遠い水」に依存した、20世紀型のグローバリズムに過剰適応した日本の危うさ。それは国内でも首都圏と地方の関係に表れていて、それがもはや「持続可能ではない」ことが、あの震災ではっきりと見える化されました。東北という食糧やエネルギー、人材の供給元との不均衡な関係の上に成り立った東京の脆弱性が浮き彫りになったと言えます。電力網やサプライチェーンが切れてエネルギーや食糧不足に陥るこの構図は、国際的な石油や食糧の高騰で、それらをこれまでの感覚で輸入できなくなる日本の近未来の構図を先取りしたものと見ることもできます。
安全神話という面では原発だけでなく、国家レベルでさまざまな分野に「このままで大丈夫かも」という、心理の正常性バイアスがあった。しかし少子高齢化、資源価格高騰の津波も確実にやってきますし、私は『未然形の震災』と呼んでいますが、首都圏、東海、東南海では30年以内に同規模の地震に見舞われる可能性が極めて高いことからすると、本当に日本全体をリセットしなければならない。これまでの中央・地方の関係でなく、地方も東京もそれぞれ自立性と自律性を高めつつ、しかも自己完結型の自立ではなく、緩やかな関係の中での互いを育てあえるようなつながりをつくり出していくことが、いま本当に問われています。
震災直後、私たちがプロデュースする店に「安全な野菜をください」と、たくさんのお客さんが来ました。いま、人間をかたちづくる大切な食に関して、信頼できる情報が伝わりにくくなってきています。モノが届くときにいろんな人やプロセスが間に入りすぎていて、モノに人の気持ちが通わなくなっているのかもしれません。それで、昨年7月に鎌倉に「七里ヶ浜商店」という店をオープンしました。単にモノを売るだけでなく、食や安全のことなど大切な情報を伝えていきたい。いまだに農業についてはさまざまな情報が錯綜していて、誰を、何を信じていいのかわからない状況にありますから、コミュニケーション・デザインが必要です。
竹村:情報過多というのは、同時に情報過疎でもあります。情報量が増えるほどコミュニケーションの質は落ちて、本当に必要な情報に出会えないという状況に陥るわけですね。食については、自分で農業をやれないにしても、もう少し食べる側の人間が生産や流通のプロセスにコミットしていく必要を感じます。消費は、やりようによってはクリエイティブなソーシャル・デザインになり得る。何かを選ぶということは間接的に社会のデザインにコミットしているわけです。食材などの選択の対象となるモノの背後には人やソーシャル・キャピタルがあります。それが見える化されれば、自分がこれを買うことによって何に投資しているのか、自分にとって本当に必要なキャピタルが何なのかがはっきり見えてくる。
3.11の原発事故によって、福島の私の好きなお酒が大きなダメージを受けました。二度ほど米の産地や造り酒屋を訪れて、その上で味わったのですが、日本酒という成果物の、その背後にあるソーシャル・キャピタルに触れたことで、これが再生するまで何にどうサポートすべきかまで考えるようになります。私たちがモノや消費を通じてコミットする、ソーシャル・キャピタリズムのような仕組みがここから始まる。そういう「コミュニティ・ウエア」を、日本のGDPの4分の1を担い、生産と消費の両面で大きな経済のハブである大丸有がどう育てていけるかが問われているのではないでしょうか。
古田:そうですね。みんな何かやりたいけれども、どうやってかかわっていけばいいのか、モヤモヤした状態にあるように感じます。丸の内朝大学では「地域プロデューサークラス」があります。受講生たちは単なるボランティアではなく、地域とのかかわりをとおして自分が成長したり、また生産者とつながることでプロセスの重要性を知り、大きな意義を見出しています。海外ではコミュニティ・サポーティッド・アグリカルチャーと言いますが、そういった土壌ができてきたのかなと思います。
竹村:アグリカルチャー・サポーティッド・コミュニティという考え方もあるのではないでしょうか。これまで、20世紀後半の文脈で農業は斜陽産業と位置づけられてきました。でも、いまの時代に注目すべきは、環境価値まで含めたトータルな「生命産業」としての日本の農業、そしてそのブランド性です。ブランド価値はモノだけと見られがちですけれども、それを育んできた人間関係、人と土地との関係などソーシャル・キャピタルとプラス日本文化、あるいは日本の食文化OSとも言うべき、目に見えない文化価値への憧れと信頼の上に成り立っているんですね。確かに原発事故の影響は風評被害も含めて甚大ではありますが、それでも簡単に消し飛ばない、日本の文化とモノづくりに対する信用価値があるのは大きな資産です。今後TPPも含め、日本がグローバルに自らを開いていくときに、このブランド価値が大きな担保になります。そういう意味で、日本という国家や地域の価値が農業によってブランディングされていく、21世紀型の「アグリカルチャー・サポーティッド・コミュニティ」という考え方が大切になるのです。
古田:そうですね。いまは、たとえば農業、観光、まちづくりが別々になってしまっています。ところが従来の観光地よりも産業がしっかりしているところが新たな観光地として人気が出てきたりしていますね。個々の産業としてとらえると大変ですが、本来そのコミュニティがもつ風土に戻って考えれば十分に成り立つのではないかと思います。その風土を生み出すベースは、農林水産業だと言えます。
竹村:農山漁村の活性化のため、農業や水産業等の1次産業を6次産業化しようという取り組みがありますが、この6次産業という言い方には抵抗があります。1次・2次・3次を掛けあわせれば6次となるわけですが、単純に20世紀型の産業枠組みを21世紀にもってくるだけでよいのか。ソーシャル・キャピタルとしての人、環境、地域文化などの価値を計るものさしは、20世紀の工業生産やマーケティングが捨象してきたもの。農地の流動化は必要であるにしても、効率化・集約化といった20世紀の評価軸だけで囲い込まないことも大事。3.11以降、私たちは何をキャピタルとして社会にどのような価値を生み出していきたいのか、何を「生産性」と考えるのか、これまでと違う価値創造の評価軸でものを考えはじめる窓が開いた。その窓を閉じて20世紀に逆戻りするような復興であってはならないでしょう。
古田:コミュニティとは何かというと、「主客関係」がない。つくり手も受け手も一緒になっている。たとえばトラベルレストランは地域を旅しながら生産者に出会っていく取り組みですが、冬の田んぼに行くと無農薬のところには鴨が飛んできていて、米を生産するだけではない田んぼの意味がわかる。なぜ水田が必要なのか、ソーシャル・キャピタルを含めて見ることができます。農家が鴨猟をやっていることも知る。農家が農作物を生産し販売しているのは、実は一部の仕事でしかなくて、エリアのプロデューサーとしていろんなことをやっているわけです。モノだけで捉えてしまうと本質が見えません。おっしゃるとおり産業という捉え方自体が20世紀の考え方で、そこを超えたものが必要になってきていると感じます。
竹村:TPPなど国際的な枠組みの中でも、そういうソーシャル・キャピタルのブランド価値を互いに評価して購入しあう関係を構築すると考えれば、遺伝子組み換えに関する規制も何もかも「障壁だ。撤廃しよう!」という、20世紀のアメリカ基準とは異なる価値を提示する活動につながるはずです。互いに輸出し輸入しあうという、モノの相互依存の関係構築も重要ですが、何より「多様性」の維持こそが地球の安全保障の担保であり、一つの価値観や枠組みで統一されることによる損失を、考え、明示し、共有する必要があります。そこで、大きな胃袋、消費力をもつ東京が、たくさんの頭脳も活用して、日本と地球の未来に向けて新しい価値軸を担保していく必要がある。世界に対して日本のソーシャル・キャピタルの価値を表現していくハブ、あるいはショーケースとしての役割を東京が果たす、そのフロンティアに大丸有が位置しているのだと思います。
古田:その意味を、大丸有に集う人びと一人ひとりが気づき、実践することが大事です。いま、モノとモノをつなぐアクター、新しい技術とサービスをつなぎ、デザインする人たちが出始めてきています。そんなアクターたちがエコッツェリアに集まってきている。農業、自然環境、まちづくりそれぞれの分野に詳しい人は当然いるわけですが、すべてに通じている人材は極端に少ない。それぞれがつながることによって新しい価値が生まれますので、個人の力量を集う人びとで相互補完しながら、業界間や都市と地方の間に立って価値をとりもつのがこのまちの役割だと思います。
竹村:1980年代のグルメブームはプロが用意したものを受け手として消費するものでした。、いまは食べる人自身がフード・コーディネーターとなりつつあります。デザインの領域でも料理のデザイン、食の空間のデザインを超えて、トータルな食のライフスタイル・デザインとしての「イーティング・デザイン」Eating Designという考え方が出てきている。どういう形で生産された食材を、どういう流通経路で、どういうコンテクストで食べ、その経験をどう分かちあうかという新しい分野です。そういうイーティング・デザインのフロンティアに大丸有がなってほしい。単においしいとか、トレーサビリティがしっかりして安心というだけでなく、地域や環境、ソーシャル・キャピタルとのつながり方が変わってくると思います。20世紀の食の取り組みが「見えない化」してきたものは、人間の健康や自然環境にさまざまな問題をもたらした。人を良くすると書く「食」が、人を害するような社会をつくってしまったわけで、これを根本からリセットしていかなければ、環境や経済問題はもちろん、ますます医療費ばかりかさんで社会保障など高齢化に伴う問題も乗り越えられない。20世紀型の食文化や制度設計の微調整では限界があります。そう考えると、イーティング・デザインという考え方は扇の要のように、大丸有というまちのように、その中にあらゆることが集約しうるのではないでしょうか。
古田:ある伊賀焼の作家さんは、これからは"卓育"だと話していました。食卓の「卓」ですね。3.11以前では器は割れるから割れないものをつくろうという方向で進化してきた。けれども、これからは「器は割れる、その上で割らない作法をコミュニティでしっかり身につけていくことが大切ではないか」と。作法というと茶道を思い浮かべますが、茶道も都市文化から生まれてきたもの。ですから、現代が生み出す作法を、大丸有がつくりだすことも十分にあるだろうと思います。
竹村:モノや人は、実は適度に壊れ、あるいは適度に老い・死ぬというのは、20世紀のデザイン思想に欠けていた重要な視点です。老いる・死ぬ、壊れることを受け入れつつ、循環と再生のプロセスをどのように社会に内部化していくか、こそがとても大事。器の金継ぎのように、割れて壊れて、それを修復した跡も新たな価値として継承されていくような価値尺度。千利休がやったことはそういうことだと思います。単に貴族やお金持ちが中国からのブランドものを陳列して自慢するだけだった茶会を、自分で新たな価値の「見立て」をし、それまで価値がないと思われていたモノを新たな文脈でコーディネートしながら新しい価値をつくっていった。「わび」や「さび」という、老いや死のプロセスに創造性を見い出す新たな価値観もそこに含まれていた。そういう価値創造の文脈で、当時の新たなモノづくりの職能や名品の流通・継承のシステムなど、莫大なお金が動く仕組みもできたわけですよね。これは、茶の文化OSを扇の要に据えた「イーティング・デザイン」の革命ですよ。それをやったのが当時日本の商業の中心地であり、世界最大の鉄砲生産地でもあった堺から出てきたアーティストで、京という都市で新たな国づくりの価値基軸を模索していた信長・秀吉と出逢った。これをいまの状況と照らし合わせると、生み出されるべきものも見えてくるのではないでしょうか。
古田:丸の内朝大学の受講生の皆さんは、感度が高く早い段階で気づき始めていますが、まだ個人と知人レベル。それを会社に戻ってビジネスに落とし込んでいる人は、まだまだ少ないような気がします。
竹村:エコッツェリアで行っている、地球大学や丸の内朝大学からアイデアを自社に持ち帰っても、20世紀の文脈を引きずった企業活動の枠内では、その芽を育てるのはなかなか難しい。ですから、同じ価値を共有する「異人」を集めてクリエイティブ・コミュニティを形成し、その活動の中に企業人を巻き込んでいくような、価値創造のプラットフォームが必要だと思います。たとえばイーティング・デザイン・フロンティアとして世界からクリエイティブな人材とアイデアを集めていくような、求心力のある旗と、それをサポートするお店や場所、サロン等を展開することです。
古田:実験場ですね。企業に戻るとできないし、一人でもできない。けれどもここでならできるという、大丸有が大いなる最先端の実験場になればいいですね。
竹村:クリエイティブ・コミュニティを誰がサポートしたかというと、利休の時代は外からきた成り上がり大名の信長や秀吉。そういう意味で異分子をどんどん巻き込んでいく構造が必要です。外国資本のほか大丸有エリア外の新興企業、地域の生産者など多様な背景と知恵をもった人、有形無形の資産をもつ高齢者、それから子どもたちも、社会を多元化する重要なアクターです。
竹村:本当の意味で、これからの「アート・オブ・ライフ」を生み出す空間・ミュージアムの創生を、大丸有で思い切ってやっていくのはどうでしょうか。アート・オブ・ライフは岡倉天心が使った言葉で、日露戦争の後、日本は武力で一流国になったわけでない、人を殺す「死の技術」でなく「生きる技術」=アート・オブ・ライフで一流になったと訴えたくて『茶の本』を書いたんですね。食の新しい楽しみ方として、新丸ビル「丸の内ハウス」で試みを行っているわけですから、次は、これからの時代に沿って、ビル内フロアが「イーティング・デザイン」の生きた実験ミュージアムになっている、そういう発想があってもいい。利休の茶室の現代版というようなものですね。
古田:これまで異業種交流のためのサロンはたくさんつくられてきています。でも、それは横軸でつながるだけで、イノベーションを生むまでに至っていない。新しいイノベーティブなものに点を打つ、そこに人が来たときに何かが変わる、ディメンションシフトするようなミュージアムですね。
竹村:そういう新たな価値創造のための隙間が一番あるのがこのエリアかもしれません。右肩上がりの経済成長が見込めない成熟社会で、オフィス需要の要請が減少し不動産も空間的には余裕が生まれる時勢において、20世紀の延長なら食やアミューズメント空間を増やす、ということで止まりがちですが、あえて作品で満たしてしまわない「空」としてのミュージアム。そこから何かが立ち上がる間口をつくっていくようなイメージです。
古田:これからのビジネス・パーソンにとっても一番必要な、次を描くための"余白"ですね。既存の枠組みならそれは不要なのかもしれないけれども、ポスト3.11の、都市と地方の連携のあり方を含めた新たな価値創造の枠組みをデザインしていくには、そんな余白がまさに必要なんでしょうね。
竹村:世界初のイーティング・デザイン・ミュージアム。21世紀の「利休の茶」のようなアート・オブ・ライフの価値創造に、世界中のクリエイターを惹きつけられて毎日何かが起こり、生まれていく。そこで東北を含めた地域の食など、さまざまなソーシャル・キャピタルが新たな文脈で編集されていく。こういう場ができたら、真の意味での「地球ミュージアム」になると思いますよ。食はそうした地球ミュージアムをつくる「扇の要」だと思います。
考えてみると、自分をかたちづくる食を蔑ろにした文明が環境や人間を傷つけてきた。それをアップサイクルに戻していくために、大丸有と地域がともに環境と人を軸にしたソーシャル・キャピタルを育てる。それこそが本当の成長だとする価値軸に、3.11以降移ろうとしていると思います。食をテーマにした新しいプラットフォームを大丸有と地方が連携してつくっていければ、世界を大きく変えられるのではないかと思います。
集まった企業が、日本のGDPの1/4を産出する大丸有エリア。ここは、効率化・集約化といった20世紀型の評価軸で勝ち抜いてきた証である。しかし3.11以降、「これまでと違う価値創造の窓が開いた」という。その窓を閉じさせないため、21世紀にふさわしい価値創造のプラットフォームとして異分子を巻き込み、地域とともにソーシャル・キャピタルを育んでいく−−簡単ではないが、この大丸有の大いなるチャレンジに自分も参加していきたいと感じた。
京都造形芸術大学教授。東日本大震災「復興構想会議」検討部会委員。地球時代の新たな「人間学」を提起しつつ、ITを駆使した地球環境問題への独自な取組みを進める。「触れる地球」(2005年グッドデザイン賞・金賞)や「100万ドルのキャンドルナイト」、ユビキタス携帯ナビ「どこでも博物館」などをプロデュース。06年4月から、環境セミナー「地球大学」を丸の内で主宰。主な著書に「地球の目線」(PHP新書)、「宇宙樹」「22世紀のグランドデザイン」(慶応大学出版会)、「地球大学講義録」(日本経済新聞出版社)など。
プロジェクトデザイナー、株式会社umari 代表。慶応大学中退。1999年にノンフィクション本「若き挑戦者たち」を出版。2000年渡米、NYにてコンサルティング会社を設立。02年より東京に戻り、山梨県・八ヶ岳南麓の「日本一の朝プロジェクト」、大丸有の「丸の内朝大学」など、数多くの地域のプロデュース・企業ブランディングなどを手がける。09年農業実験レストラン「六本木農園」、11年「七里ヶ浜商店」を開店。東京都出身。
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